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第4話:ミルと『ケーキの分け方』―功利主義で考える最適解―

ミルが箱から取り出したのは、宝石のように美しいケーキだった。クリームと果実で飾られた職人技の逸品。甘い香りが部屋中に広がると、エマの表情が輝いた。


「それ、『カピタルの果実』じゃない!」


エマが目を輝かせた。普段の冷静さが消え、純粋な喜びに満ちている。


「そうです。王都一のお菓子職人、ピケティ氏の名作です。今日は特別に並んで買ってきました」


ミルは丁寧にケーキを扱った。


「すごく美味しそう」


エマは甘いものが好きなようだ。その香りで、テルもお腹が空いてきた。


「でも、一つしかないね」


テルがそう言うと、エマが答えた。


「貴重な限定品ですから」


ミルは小さな指で頬に触れ、考え込んだ。


「これをどう3人で分けるかが問題です」


「いや、俺はいいよ。2人で食べたら」


テルが遠慮すると、ミルが大きな青灰色の瞳で見つめた。


「2人の幸福のために1人を犠牲にしてよい、というのも確かに功利主義的ですが、ちょっと考え方が古いです」


ミルが続ける。


「それに、あなたの前で美味しそうにケーキを食べることはできません。満足した豚であるより、不満足な人間である方が良いのです」


ミルのJSのような外見とその言葉のギャップにテルはまだ慣れない。


「食べるのは3人、これは大前提です」


ミルは微笑んだ。その表情には純粋な可愛らしさがある。


エマが真剣な顔になった。


「難しいですね。単純に3等分にすると、誰も満足できない量になってしまう」


3人はテーブルを囲んで座り、美しいケーキを見つめた。朝の光がケーキを照らし、砂糖の結晶が星のように輝いている。


挿絵(By みてみん)


「じゃあ、どうすれば?」


「ここで功利主義の考え方を使ってみましょう」


ミルは戸棚から銀のフォーク3本とお皿3つ、ナイフを取り出した。


「まず、このケーキに対する『幸福度』を考えます。エマは甘いものが好きですか?」


「ええ、特にクリームが」


エマは少し恥ずかしそうに答えた。瞳は既にケーキのクリーム部分を見つめている。


「テルは?」


「甘いもの、まあまあ好きかな。でも今は、それよりお腹が空いている」


ミルはうなずいた。


「では、提案します。ケーキを均等に分けるのではなく、みんなが一番幸せになるように分けましょう」


「どういうこと?」


「例えば、エマはクリームが好きだから、クリームの多い部分を。テルはお腹が空いているから、真ん中の大きめの部分を。私は果物が好きだから、果物のある部分を。こうすればみんなが一番満足できます」


ミルの説明は明快で、小さな体から発せられる声には不思議な説得力があった。


「なるほど、単純に等分するより、みんなの好みに合わせた方が、全体の幸福度が高まるということか」


「幸福度のことを『効用』と呼ぶんです。みんなの効用を合わせた総量が最大になる分け方が一番良いのです」


ミルは手際よくケーキを3つに分けた。均等ではなく、それぞれの好みと状況を考えた分け方だ。


「どうぞ」


テルの皿には一番ボリュームのある部分、エマの皿にはクリームたっぷりの部分、ミルの皿には鮮やかな果実が彩る部分が置かれた。


「いただきます」


3人で口にすると、極上の甘さが口の中に広がった。


「エマ、クリームはお好みですか?」


「ええ、このちょうどよい甘さ、大好き!」


エマの表情がほころぶ。普段の真面目さが消えて、純粋な喜びに満ちていた。彼女がただの厳格な生徒会副会長ではなく、甘いものにめがない10代の女の子なのだと気づく。


「私の部分も、果物の酸っぱさと甘さのバランスがちょうど良いです」


ミルは小さな口で上品にケーキを味わった。


満足した表情で互いを見つめあう3人。部屋に流れる空気は温かく感じられた。


「なるほど...これが『最大多数の最大幸福』か」


テルはようやく理解した気がした。


「なんだか、哲学って難しそうだけど、案外身近なことなんだね」


ミルは嬉しそうに微笑んだ。


「そうです。哲学は日常の中にこそあるのです」


窓から差し込む陽の光が、空になった皿を照らしていた。


エマが時計を見て言った。


「そろそろ授業が始まります。テル、あなたはここで待っていてください」


「待って、俺だけ置いていくの?」


思わず声が上ずった。


「今日は学校の様子を見てもらうだけですから。明日からのことは、校長と相談します」


エマはきっぱりと言い、立ち上がった。


ミルもエマに続いて立ち上がる。


「後で、もっとお話ししましょう、テル」


ミルは小さく微笑むと、エマと共に部屋を出て行った。


一人になったテルは、窓の外を眺めた。校庭には制服姿の生徒たちが行き交い、遠くの教室から授業の声が聞こえる。


スマホを取り出すと、バッテリーは13%に減っていた。


「サンデラ、俺を何のためにここに送ったんだ...」


そう呟いていると、突然スマホが震え、通知が表示された。


「新着メッセージ1件」


「S」というアカウントからのメッセージだった。


『テルさん、元気ですか? 発電方法、恥ずかしいですか? でも他に方法はありませんwww がんばって。S』


「サンデラ...本当に、何が目的なんだ!」


抗議の返信をしようとしたとき、部屋のドアが開いた。


入ってきたのは、長い黒髪の少女だった。漆黒の髪は腰まで届き、白いブラウスに黒に近い深紅のリボンが際立っている。鋭い眼差しと知的な表情に、テルは思わず息を呑んだ。


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