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第26話：ベルナデットと『実験的探究』―地下室での危険な発見―

王立学院は三週間の夏休みに入った。フィロソフィアの夏は日本ほど暑くない。湿度も低く、木陰に入ると心地よかった。

エマは実家に帰ることになった。

「テルも一緒に行かない？」

深い青の瞳で見つめられ、テルは動揺した。だが、三週間後にマキャベリアとの合同訓練が控えている。断腸の思いで誘いを断った。

「分かりました。では、これが置き土産です」

エマは金色の枠を持つ小さな懐中時計を差し出した。磨き上げられた表面が朝の光を受けて煌めいている。

「テルは時間にいい加減ですから。私だと思って...」

頬に薄い紅が差していた。時計を受け取ると、予想以上の重みがあった。いつもエマがスケジュールを確認するとき、この時計を取り出していた。

「エマ...これ、君の大事な時計じゃないか」

「いいえ。私の体には時間の感覚がしみこんでいます。時計は、それを確認しているだけですから」

エマはテルのポケットを指差した。

「その代わりに、あなたのスマホを貸してくださいませんか？」

予想外の申し出に驚く。

「自分の故郷の写真を撮りたいんです。あの街と自然、星空...言葉では伝えられない風景を」

目には故郷の風景が浮かんでいるようだった。テルはカメラの使い方を教え、スマホを渡した。

「帰ってきたら、私の故郷をテルに見せますね」

瞳は星のように輝いていた。その柔らかな表情に、胸の奥が切なくなる。

———

エマが旅立った後、テルは王立学院に向かった。いつもの賑わいは消え、静寂に包まれている。廊下には自分の足音だけが響いていた。

医務室を覗くと、ベル先生がいた。明るいブロンドが朝日に照らされ、白衣が眩しい。窓際で植物に水をやっていた。

「テル、夏休みなのに勤勉ね」

振り返った緑色の瞳には、いつもの茶目っ気が宿っていた。

「ベル先生は休まないんですか？」

「私は特に帰る場所もないしね。ここが居心地が良いから」

軽く肩をすくめる。

「それより、マキャベリアとの合同訓練、フィロソフィアを代表して戦うんだって？」

テルは小ジャンヌとの会話を思い出した。

「話が広まったら困るんですが」

「これでも私は人を見て話しているのよ。小ジャンヌから噂が広まることはないわ」

ベル先生は窓を閉め、カーテンを引いた。

「さて、あれをやりましょう」

嫌な予感が脳裏をよぎる。

「あれって...」

「エレキテルよ。分かってるくせに」

好奇心に満ちた目で見つめられる。

「雷の剣の源泉はエレキテルでしょ？マキャベリアの相手の強さが分からない以上、最大限貯めておく必要があるんじゃないの」

確かにそうだった。これまで最高でも十五分ぐらいしかやったことがない。それ以上は精神的に無理だった。

「私が付き合ってあげるから、この際、限界に挑戦してみましょう」

ベル先生の提案には研究者の好奇心と、何か別の意図が混ざっているように思えた。だが、マキャベリアとの訓練を考えれば正しい判断だ。

覚悟を決めて、両手を胸の前でクロスさせる。

「エレキテル、エレキテル...」

それから一時間、医務室にはエレキテルの声が響き渡った。ベル先生は「いいわよ」「もっと大きな声で」と励まし続けた。

一時間の苦行を終え、テルはへとへとになって椅子に崩れ落ちた。

「どう？何か体に変化は感じる？」

ベル先生が興味深そうに近づいてきた。

「疲れました、精神的に」

「ちょっとこっちに」

医務室の前の廊下にある小さな扉へ案内された。開けると狭い階段があり、地下室へと続いている。

「学院内にこんな場所があったんですか？」

「古い建物には秘密がつきものよ」

地下室は暗く狭く、古い薬品の匂いが漂っていた。扉が閉まり、周囲は完全な闇に包まれる。

「思った通り」

息づかいが聞こえるほどの近さで、ベル先生が呟いた。

「何がですか？」

「君は自分では分かっていないと思うけど...両手をみて」

言われるままに見ると、暗闇の中で青白く浮かび上がっていた。体全体が微かに発光している。

「これが...エレキテルの効果？」

「そうよ。君の体内にエレキテルが蓄積されて、発光しているのね。素晴らしい発見よ」

ベルの声には純粋な科学的興奮と、何か別の感情が混ざっているように思われた。そして突然、彼女は俺の体に寄り添った。俺の体からの光をうけて、彼女の緑色の瞳が暗闇の中で猫のように輝いている。柔らかな唇が湿り気を帯び、その表情には抑えきれない欲望が浮かんでいた。

「テル、私とやりましょう」

突然、ベル先生が抱きついてきた。その瞬間、稲妻が走ったような感覚に襲われた。

青白い閃光が地下室を照らし、二人は別々の方向に弾き飛ばされた。静電気の残滓が肌を這うような感覚がある。

「ベル先生、大丈夫ですか？」

「大丈夫よ」

手探りで地下室から這い出すと、廊下に大ジャンヌが立っていた。驚きと呆れが入り混じった複雑な表情だった。

「いや、これは、何も...」

言葉が詰まる。

「私は何も見ていないからね」

大ジャンヌは立ち去ろうとしたが、床に落ちている懐中時計に目をやった。エマから預かったものだ。

「これ、エマが持っていたものだね。ただ、止まっているよ」

テルは血の気が引くのを感じた。大切なエマの時計を壊してしまったのかもしれない。

「大丈夫。私が修理しておくから。来週、校長室まで取りにおいで」

大ジャンヌはそう言って去って行った。

「大ジャンヌはクロイツベルクでも有名な時計職人の娘さんなのよ」

ベル先生が教えてくれた。

医務室に戻ると、ベル先生は活き活きとしていた。

「本当に興味深いわね。一時間の『エレキテル』で、これほどの力が蓄積されるなんて」

ノートに何かを書き始める。

「あの...さっきの『やりましょう』って...」

思わず口にした言葉に、ベル先生は意地悪く微笑んだ。

「実験を、よ。君の体に蓄積された電気が、人間への接触でどう放出されるか確かめたかっただけ」

「でも、これで分かったでしょう。マキャベリアとの訓練の前に、長時間の『エレキテル』は避けた方がいいわ。たぶん四十五分が限界ね。意図しない形で放出される危険性があるから」

確かに有用な知見だった。戦いを前に、不意に放電してしまっては意味がない。四十五分で満充電になるということだ。

夏の陽光が窓から差し込み、医務室を明るく照らしていた。少し痺れが残る指先を見つめながら、テルは思った。この三週間、できるだけの準備をして、マキャベリアとの合同訓練に備えようと。