第22話:生徒会と『トロッコ問題』―暴走する電車と正義の天秤―
夏の陽射しが差し込む生徒会室は、いつもと違っていた。普段なら活発な議論が交わされる場所が、なんとなく静まり返っている。
ルーシーは提案書を徹夜で作った疲れで熱を出し、お休み。残った三人も、なんだか元気がない。
エマは銀色の髪を三つ編みにして、いつものように机に向かっているが、青い瞳に力がない。ミルも栗色の髪が少し乱れて、小さな体で椅子にもたれかかっている。
生徒会長のジーナでさえ、いつもの凛とした姿勢が崩れ、銀灰色のショートカットが額にかかっていた。
テルは窓辺に立って外を眺めていた。中庭では制服姿の生徒たちが行き交い、緑の木々が風に揺れている。でも部屋の中の空気は、なんだかどんよりしていた。
「テル、何か面白いことを言ってみてください」
突然、エマが言った。普段は理性的な話ばかりする彼女が、こんなことを言うなんて珍しい。
「そうだな…」
テルは考えた。みんなを元気づける何か。
「1+1=7」
しーん。
エマは首をかしげ、ミルは小さくため息をついた。ジーナは眉を少し上げただけ。
「そういうのじゃなくて」
ミルが言った。
「テルはそういうのが面白いの?」
エマも困ったような顔をした。
テルは慌てて机の下でスマホを取り出し、サンデラにメッセージを送る。
『何か面白いこと言って』
すぐに返信が来た。
『みんな大好きトロッコ問題♥ S』
テルはスマホで「トロッコ問題」を検索した。哲学の思考実験らしい。これなら哲学好きの彼女たちが興味を持ちそうだ。
「もう一回言うから、今度はちゃんと聞いて」
全員の視線がテルに向いた。
「こんな話がある。暴走するトロッコが、線路にいる5人の作業員に向かって走ってる」
テルの話が進むにつれ、エマの背筋が少しずつ伸び始めた。青い瞳に光が戻ってくる。
「何もしなければ5人は死ぬ。でも、レバーを引けば、トロッコは別の線路に切り替わる。ただし、その線路には1人の作業員がいて、その人は死ぬことになる」
ミルも小さな体を起こし、栗色の髪を整えた。大きな青灰色の瞳が興味深そうに輝いている。
「レバーを引くべきか?それとも何もしないべきか?」
テルの説明が終わると、部屋の空気が一変した。ジーナも背筋を伸ばして座り直す。
「レバーを引くべきです」
ミルが真っ先に答えた。小さな体が前のめりになる。
「『最大多数の最大幸福』という考えから見れば、答えは明らかです。5人の命と1人の命なら、レバーを引いた方が全体の苦しみは少なくなります」
「でも、それって本当に正しいのかしら」
エマが真剣な顔で言った。銀色の髪が肩で揺れる。
「もし『誰かを救うために、関係ない人を犠牲にしてもいい』というルールが当たり前になったら、どんな世界になる?それは私たちが望む世界じゃないはず」
ミルが眉をひそめた。
「でも、何もしないのも、5人の死を許すことになる。それって責任逃れじゃない?」
「意図の問題よ」
エマがすぐに答えた。声は冷静だが、瞳は熱を帯びている。
「レバーを引くのは、直接1人を殺すということ。これは『定言命法』に反する。でも、何もしないのは、5人の死を望んでるわけじゃない。トロッコが轢くのは悲しいけど、私の行為の結果じゃないの」
二人の議論が白熱する中、ジーナが静かに立ち上がった。銀灰色の髪が窓からの光を受けて輝く。
「君たちの議論はどちらも正しい面がある。でも、その対立を超えた高い視点で考えるべきだ」
ジーナは窓際に歩いていく。
「エマの言う『人を手段にしない』という考えと、ミルの言う『最大多数の幸福』という考え。この二つは対立してるようで、実は互いを補うものだ」
振り返って、みんなを見回す。
「この問題の本質は、個人の尊厳と社会全体の幸福、二つの価値のバランスにある。でも、より高い視点から見れば、どちらも人間性の尊重という理念に基づいてる」
ジーナは部屋の中央に戻り、両手をテーブルに置いた。
「私なら、この状況で何が『理性的』かを考える。数の多さでもなく、形式的なルールでもなく、具体的に何が人間らしさの実現につながるかを問うべきだ」
部屋に静寂が流れた。三人の哲学的立場の違いがはっきりと見えた瞬間だった。
テルは彼女たちの議論を聞きながら、心が温かくなるのを感じた。昨日までの緊張から解放され、いつものように純粋に哲学を楽しむ彼女たちの姿が嬉しかった。
「テル、あなたはどう思う?」
ジーナが突然テルに話を振ってきた。全員の視線が一斉にテルに向けられた。




