第18話:生徒会と「止揚」―対立を超えた新たな道―
その夜、生徒会室では議論が続いていた。大ジャンヌが持ってきてくれたパンと果物が机に並び、部屋には緊張感と甘い香りが混じっていた。窓の外は真っ暗で、星がきらめいている。
「マキャベリアの要求に応じるわけにはいきません」
エマがはっきりと言った。銀色の髪が肩で揺れ、青い瞳に強い意志が宿る。
「理性的な私たちが力に屈したら、自分たちの価値を否定することになります。『力には従え』なんて、誰もが従うべきルールにはなりえません」
ミルが小さな体で立ち上がった。栗色の髪が揺れ、幼い顔に真剣な表情を浮かべる。
「みんなの幸せを考えても、簡単に譲歩するのは問題です。戦争の被害は大きいけれど、譲歩してもマキャベリアの野心を助長するだけ。将来、もっと多くの人が苦しむことになります」
ルーシーが紅茶のカップを持ち上げ、一口飲んでから静かに言った。
「『要求』という言葉には、隠れた脅しが含まれています。この会話の前提自体が間違っているのです。私たちは別の言葉の枠組みを提案すべきです」
ジーナは黙って窓辺に立っていた。銀灰色の髪が月光に照らされ、夜空を見つめている。やがて振り返り、鋭い瞳で全員を見渡した。
「君たちの意見は正しい。でも、理想だけでは現実は動かない。マキャベリアは力を重んじ、弱さを軽蔑する国だ。私たちは強さを示しながら、対話の道を探るべきだ」
テルは議論を聞きながら、どこか部外者のような気分になっていた。この国の危機に、自分は何ができるだろう。
「ちょっとトイレに…」
テルが廊下に出ると、学院は静まり返っていた。月明かりが石の廊下を青白く照らしている。
「サンデラ、頼む...」
テルはスマホを取り出した。バッテリーは6%。今まで聞いた話をまとめて打ち込み、最後にこう書いた。
『サンデラ、この国は戦争の瀬戸際にあります。神様なら、助けてください』
数分後、通知音とともにスマホが震えた。
『あなたに次の言葉を授けます―ANAGNARIHS。 S』
さすが女神だ。危機の時はちゃんと助けてくれる。
「ANAGNARIHS...アナグナリス?」
何か哲学的な響きがする。これが重要なヒントなのか?
生徒会室に戻ると、議論はさらに熱くなっていた。
「あの...」
俺は思い切って割り込んだ。四人の真剣な視線が一斉に俺に向けられる。
「実は、重要なヒントになるかもしれない言葉がある。アナグナリス。この言葉に心当たりはないかな?」
ジーナが片眉を上げた。エマは首を傾げ、ミルは首を横に振る。ルーシーは唇を噛みながら、思索に沈んだ。
「アナグナリス?そのような言葉は私の知る限り存在しません。ただ、言葉の成り立ちから分析すると...」
ルーシーはさらに言葉を続けようとしたが、俺は軽く手を上げて遮った。
「ごめん、勘違いだったかも」
テルは恥ずかしくなった。議論は続き、エマがマキャベリアとの交渉について話し始めた。
テルは心の中でその言葉を繰り返していた。
「ANAGNARIHS...」
ラテン語だろうか?古代ギリシャ語?何かの省略形か?ふと思いついて、紙に書いて逆から読んでみた。
SHIRANGANA...しらんがな!
「知らんがな!」
思わず声に出してしまった。四人の視線が集まる。
「どうしたの、テル?」
エマが心配そうに聞いた。
「何でもない」
なんという女神だ。こんな大事な時にふざけている。だが、そういうつもりなら仕方がない。自分で考えるしかないのだ。
改めて議論に耳を傾けた。ミルが戦争と交渉のコストを比較していた。
「現実的に考えると、要求を全部拒否するのは危険です。でも全部受け入れるのも問題。第三の道を探すべきです」
ルーシーがうなずいた。
「『要求の応酬』ではなく『お互いの利益を追求する』という形に変えるべきです」
ジーナが立ち上がった。全員の視線が集まる。
「みんなの意見に賛成だ。でも、エマの言う理性的対話も大切。力と対話、原則と妥協の間で道を見つけなければならない」
ジーナがテルを見た。
「テル、君は何か考えているようだけど」
突然の質問にドキッとした。深呼吸して答える。
「みんなの意見を聞いていて思ったんだけど、それぞれが正しいんじゃないかな」
四人が疑問の表情を浮かべた。
「エマの理性的対話、ミルの実利的な計算、ルーシーの言葉の枠組み、ジーナの力と対話のバランス。どれも正しい」
テルは立ち上がった。
「ジーナが言っていた『止揚』という考え方があったよね。対立するものを、より高い次元で統合する方法。それを今こそ使うべきじゃないかな」
ジーナの瞳が輝いた。
「例えば、マキャベリアに強い姿勢を示しながらも対話の道を探る。ローレンティアの完全な譲渡は拒否しつつ、共同開発や利益分配を提案する。『拒絶も譲歩もしない』新しい道を切り開くんだ」
俺の言葉に、エマが立ち上がり瞳を輝かせた。
「テルの言う通りです。対立ではなく、意見の統合を目指すべきなのです」
ミルも背筋を伸ばした。
「そのやり方がみんなの幸せを最大にします」
ルーシーが微笑んだ。
「新たな言葉の枠組みを作ることで、対話の可能性が広がります」
ジーナが確信を込めて言った。
「対立する考えを高い次元で統合する。女王陛下に、この方向性で解決策を提案しよう」
地図に描かれたローレンティアの小さな町を見つめながら、ジーナが紙に何かを書き始めた。
「私たちの提案をまとめよう。フィロソフィアが理性の国であり続けるために」
テルはエマを見た。彼女が小さく微笑み返した。
『知らんがな』というサンデラのメッセージが、皮肉にも良いきっかけになったのかもしれない。神頼みではなく、自分の力で考えることの大切さ。それが彼女の本当に伝えたかったことなのだろうか。いや、考えすぎだ。
それでも夜空に向かって、心の中で小さく感謝の言葉をつぶやいた。




