プロローグ:遅刻とエレキテル
「うわっ! また遅刻だ!」
浅田直照はスマホの画面を見て跳び起きた。時刻は9時37分。一限の授業はとっくに始まっている。
直照は、大学2年。特技は寝ること、欠点も寝ること。目覚まし時計を三台セットしても、自動的に止めている男。昨夜は『異世界転生~最強魔道士の俺がゴブリン討伐から始める英雄譚~』を読んでいたら午前3時。6時間の睡眠じゃ、10時間睡眠の直照には全然足りない。
「4回目の欠席...これはマズい」
急いで準備をして外に飛び出す。駅まで走りながら、直照は焦っていた。
道路に出た瞬間、右側から轟音が聞こえた。振り向くと、大型トラックが猛スピードで迫ってくる。時間がスローモーションになる。響くクラクション、驚く運転手、銀色のバンパー、そして白い光。
「マジでお約束展開かよ…」
これまでの人生が走馬灯のように…めぐらない!?
「俺、何もない人生だったのか...」
そう思った瞬間、世界が真っ白になった。
———
気がつくと、果てしなく広がる白い空間に立っていた。周りには何もない。全身を確認すると、朝、家を出たままの服装だ。体に痛みはない。
「あぁ、これはあれだな」
『俺ゴブ』の冒頭で主人公が経験した展開そのものだ。俺は死んだのだ。
「ここは...?」
そのとき、目の前の空間がゆがみ始めた。光の粒子が集まって、美しい女性の姿を作り出す。
金色の長い髪、純白のドレス。全身から神々しいオーラが溢れている。
「召喚されしものよ。我が名は女神サンデラ」
美しい声が響いた。
「転生ですよね!」
直照は興奮して声を上げた。
「...ですね」
サンデラは一転してテンション低く、そう答えた。
「どこに転生するんですか?」
「異世界です」
「あと、何かもらえるんですよね?転生特典として。チートスキルとか」
「……」
沈黙。不吉な予感が背筋を走る。サンデラは視線を逸らしながら言った。
「転生スキル、今、在庫を切らしていて...」
「いや、在庫切れとかあるんですか?スキルって!」
「ここのところずっと、ハイシーズンなんですよ。転生業界」
サンデラは申し訳なさそうに言った。
「じゃあ、俺は何もなしで転生しろと?」
「特例として...スマホ、持って行っていいです」
直照はポケットのiPhone 15を確認した。バッテリー残量は21%だった。
「でも、異世界に電波なんてないでしょう?」
「そこは何とかします。神ですから」
サンデラは胸を張った。
「あ、元の世界への通話はダメです。いろいろ面倒なことになるので。ネットだけで」
「ネットがあれば、いいです」
実際、検索さえできれば、色々と応用が利く。魔法の知識、武器の作り方、錬金術のレシピ、モンスターの弱点…。
「…あ、バッテリーは…」
現実に引き戻される。スマホ最大の弱点、充電の問題だ。異世界にコンセントがあるとは思えない。
「充電は...体からできるようにします」
「体って…どういう意味ですか?」
「体で発電できるようにします。まず、胸の前で両手をクロスして」
言われた通りにする直照。
「逆です。埼玉ポーズみたいに。手のひらを胸の方に向けて」
サンデラは自ら手本を示すように、優雅に手のひらを胸に向けた。
「ついでに、右手で左胸、左手で右胸をつまんで、『エレキテル』と唱えてください」
「なんでですか!」
思わず叫んでしまう。
「ハードルを上げておかないと。あまり頻繁に発電されると、こっちもコスト的にね…」
全く納得いかない。
「今や神界でも電力は貴重な資源なのですよ。脱炭素、ゼロエミッション、知ってますか?」
彼女は真面目な顔で言った。どうも本気のようだ。俺は観念した。
「ここで、やってみてください」
もはや、従うほかない。
「エレキテル、エレキテル…」
恥ずかしさで顔が熱くなる。
「1分繰り返すとスマホに1%充電できます」
サンデラはにっこりと微笑み、満足そうに言った。
「体からスマホへの充電はどうやって?」
「左手でスマホを持つだけです」
言われたとおりに左手でスマホを持つと、ポンという音とともに、スマホに充電マークが表示された。瞬時にバッテリー残量が1%増えた。
「ここはハードル低いんですね」
「あなたの左の手のひらにMagSafe機能を追加しておきました。しかも下界では実用化されていない240W急速充電です。令和最新型です」
サンデラは少し誇らしげに言った。
「あの、一つ質問していいですか?」
直照には訊いておきたいことがあった。
「俺のミッションは何ですか?」
「救ってください」
サンデラは真剣な顔で言った。
「世界をですね」
「いいえ、あなた自身を」
「どういうこと?」
「行けば分かります」
サンデラは微笑んだ。
「じゃあ...頑張ってください」
その瞬間、目の前が眩い光に包まれた。直照の体が溶けていくような感覚の中、彼は異世界へと転生していった。
———
この物語は、何の取り柄もない大学生・直照が、哲学を重んじる異世界「フィロソフィア王国」で、理屈っぽい少女たちと出会い、成長していく物語である。
彼が出会うのは、「定言命法」を信じるエマ、「功利主義」を説くミル、「言語ゲーム」にこだわるルーシー、「弁証法」を操るジーナ、そして「社会契約」を重視する校長ジャンヌたち。
恥ずかしい「エレキテル」ポーズで充電できるスマホとだけを手に、直照はこの理性の国で何を学び、何を救うのだろうか?




