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第五話 アン

第五話 アン 12歳




最近、家の中が暗い。


原因は解ってる。


いつもニコニコ笑顔を絶やさなかったお母様がベッドから起き上がらなくなってから既に1カ月も経つから。


以前から時々、寝込む事はあってもこれだけ長いのは初めて。


だからお父様も笑わなくなってしまったし、ソフィアお姉様も口数が少ない。


皮肉屋のコンラッドお兄様も最近はあまりソフィアお姉様に絡む事がない。


家族が揃う食事の時間に沈黙が食卓を覆ってしまう。


末っ子のあたしとしては、ここで少しでも明るい食卓にしようと声を張り上げて話題を提供する。


「あ、あたし、この間ダンスの先生に褒められたんだよ。お上手になられましたねって」


健気なあたしの努力を無駄にしないように乗ってくれるのはフレデリックお兄様。


「ホントか~?お前に足をこれ以上踏まれたくなくてひねり出された苦肉のお世辞じゃねぇの?」


でも、デリカシーがないのが難点だわ!


「そんなことないもん!先生の足を踏む回数は減ってきてるもん!」


レディに対して失礼極まりないわよね!


「アン、食事中は静かにして頂戴」


なによ!前は自分だってコンラッドお兄様と大きな声で喧嘩してたくせに!


「はあい」


あたしはそれでも素直に返事をした。


チラリと一度だけ向かいの空席に目を向けてからは黙々と食事に没頭する振りをした。





お母様が寝込むようになったのは4年前のあの日。


マーガレットお姉様が誘拐されてから。


それは寄りにも寄って、お姉様の誕生日だった。


誕生日パーティが済んだ後、お姉様は屋敷から忽然と姿を消してしまった。


家中総出で探したが、見つからず、翌日に身代金を要求する脅迫状が届いた。


貴族の子女が誘拐される騒ぎは時折あったので、お父様は急いで身代金を用意したけれど、受け渡しが上手く行かずに、数日後攫われたその日にお姉様が着ていたドレスが引き裂かれて帰って来た。


警察や軍隊からは諦めるべきだと告げられた。


それからお母様は少しおかしくなってしまった。


ボゥっとしているかと思えば、泣き続け、妙な事を口走る。


「マーガレットが神殿から戻るのはいつかしら?」とか


「ジュリアスの演習は明日終わるのよね?」といった具合に。


既に亡くなった二人がまだ生きているかのように振る舞う時がある。


ただ、ちゃんとした意識の時もあって、あたし達子供の年を間違えずに言えたり、食事の時に空いた二つの席を見て「寂しくなったわね」と呟く事もある。


一時的に時間の針が幸せな過去へと戻ってしまうのだとか。


辛い事を忘れるための自己防衛だとお医者様は言っていた。


お父様もお姉様もお兄様達も、みんな仕事で忙しいので、昼間はあたしがお母様の話し相手になる。


一方的にあたしが話し続ける時もあれば、お母様も話に答えて下さる時もある。


これではまるで、マーガレットお姉様が攫われる少し前の時と同じだ。


家族のみんなが自分の事だけに目を向けて、厄介な事から目を逸らしている。


もちろん、お父様は毎日家に戻ればお母様と一緒に過ごしているけど。


お姉様やお兄様達は、下手をすればお母様と顔を合わさない日があるんじゃないかしら?と疑いたくなるくらい。


こんな事は考えたくないけど・・・実の母親じゃないから、とか。


ううん、違う!


きっと忙しいのよ!


ソフィアお姉様はもうお嫁に行ってもいい年頃なのに(正直に言うと既に行き遅れに達しているのに)最近では孤児院や慈善病院へ通い詰めているらしい。


お医者様か看護婦にでもなるつもりなのかしら?


コンラッドお兄様は近衛隊からお父様の補佐に移って、公爵家の跡取りへの道を歩み始めたから忙しいのは当然にしても・・・


軍に入ったばかりのフレデリックお兄様まで忙しいってどう言う事?


そりゃ新人は忙しいものなのかもしれないけど、どこに配属されたのかも教えてくれないし。


確かにあたしはどこの部隊に配属されたか聞かされても判りませんけどね。


何だか、家族がバラバラになっちゃったみたい。


・・・寂しい。





朝食が済んで、あたしはお母様の部屋を覗いた。


ベッドの中で目を閉じて横になっている。


眠っているのなら邪魔しちゃダメよね。


静かにドアを閉めて暫くは忍び足でそーっと歩く。


分厚い絨毯が敷いてあるから、そんな事をする必要はないのだけど。


窓の外には青い空が広がっている。


以前は広い庭で走り回るだけでも楽しかったのに。


もうすぐあたしの12回目の誕生日がやって来る。


あたしはジュリアスお兄様とマーガレットお姉様の年に追いついてしまうのだ。





正直に言うと、ジュリアスお兄様が亡くなった時、あたしはまだ歩き出す以前の赤ん坊だったから、覚えている事なんて何もない。


ただ、マーガレットお姉様から『どんな人だったの?』と聞かれたので、色々な人達に聞いて回った事があった。


ソフィアお姉様は「ハンサムで優しくて理想の王子様みたいな人だったわ」と呟いてから涙ぐんでいた。


コンラッドお兄様は「気弱な優等生タイプ」と一言でバッサリ。


フレデリックお兄様は「あんまし覚えてないけど、姉貴と兄貴のイジメから助けてくれたけど、怒ると怖かった気がする」と頼りない記憶が出てきただけ。


お父様は「素直で責任感があって可愛い子だったよ」と少し辛そうにしていた。


もっとも、お父様にとっては我が家の子供たちは全員全てが『可愛い子供』のようだけど。


お母様は「素敵なお兄様だったわ」と悲しそうに微笑んでいた。


使用人達は口を揃えて「将来のご当主に相応しい優秀なお子様でした」とベタボメ。


もちろん、今ならコンラッドお兄様を「次期ご当主に相応しい方でいらっしゃいます」と言うのだろうけど。


お父様は宰相補佐から宰相になった。


使用人の数が減った訳でもないし、我が家は経済的に何の問題もない様だ。


世の中には飢えて亡くなったり、自分の親に売り飛ばされたりする子供だっていると聞くのだから、それに比べたらあたしは恵まれている。


それでも、いえ、だからこそ、あたしの孤独は誰にも理解して貰えないものなのだと判っている。





最近、お母様が眠っている時間が長くなったので、あたしはこっそりと屋敷を抜け出してある場所へ向かっている。


マーガレットお姉様が攫われてから、外出する際には必ず護衛をつけなくてはならないんだけど、そんなの面倒くさい。


だからこっそり抜け出すの。


どうせすぐ帰って来るし、近くだもん。





昔、月に1度は家族全員で通っていた場所。


それは神殿。


マーガレットお姉様が生まれてから12年間育った場所であり、かつてはお母様が巫女長として10年間過ごしていた場所でもある。


我が家にとっては因縁のある場所だ。


神殿は巫女や祭司が神に祈りを奉げている神聖な場所なので基本的には立ち入り禁止のところが多いけど、一般の人達が参拝するために入れる場所もある。


生まれたばかりで神殿に入ったマーガレットお姉様に面会が叶う訳ではなかったけれど、少しでも近くに行こうと、家族揃って詣でていた。


だからあたしにとっては馴染みがある場所の一つと言える。


実は、マーガレットお姉様が攫われてから、あたしは何度か神殿に祈りに来ている。


使用人の目を盗んで抜け出して来るから、定期的ではないけど。


お姉様が生きて帰って来るようにお祈りしてきた。


なんて健気でいじらしいんでしょ、あたしってば。



あたしは信心深いという訳じゃないけど、神様はいると信じてる。


ウチの家族は、食事の前のお祈りこそするけれど、あまり神様を信じていないみたい。


声を上げて「神様なんていない」とは言いださないけど、普段の会話に「神」の単語が出て来る事はないし、神頼みなんてした事はないんだろうな。


みんな、とっても現実的だから。


今までの経緯を考えれば無理もない事なのかもしれないけど。


そんな家庭環境にあっても、あたしは神様を信じている。


真剣に祈り続ければ、願いはきっと叶うと信じている。


だから、隙を見つけてはこっそりと神殿に通っている。


今はお母様の病気が治るように、と言うお願いも増えたし、神殿に通う回数が増えれば、神様だってあたしの願いを聞き届けて下さるかもしれないでしょ?


創造神・マトフェイを象徴する像の前に跪き、両手を組んで目を閉じて祈る。


『お母様の病気が早く治りますように。マーガレットお姉様が無事に戻って来きますように。お父様が元気に笑えるようになりますように。ソフィアお姉様がちゃんとお嫁にいけますように。コンラッドお兄様がもっと優しくなりますように。フレデリックお兄様がもっとあたしをレディとして扱ってくれますように。ダンスがもっと上手になれますように。誕生日には綺麗なドレスが貰えますように。それからそれから・・・』


あたしって欲深い?


だって神殿に毎日来れる訳じゃないんだから、一杯お願いしなくちゃ。


思う存分願い事を伝えたあたしは、よし!と心の中で気合を入れて立ち上がった。


そして、くるりと振り返えろうとして・・・祭司の一人とぶつかってしまった。


「す、すみません!」


あたしがドンと体当たりをかました、あたしよりも背の高い祭司は、あたしを不愉快そうに見下ろして睨みつけて来た。


流石に温厚なあたしもこの態度にはムッときた。


そりゃぶつかったあたしも悪いけど、ちゃんと謝ったんだから、そっちも「いいえどういたしまして」とか「こちらこそ」とか言うべきじゃなくて?


第一、祭司なんだから、参拝者を睨みつけるって態度はどうなの?


睨まれたあたしは、段々腹が立って来て、態度の悪い祭司を睨み返してやった。


すると、ムカつく祭司はあたしからフイと視線を逸らすと何も言わずにさっさと立ち去った。


最低!


お前なんか呪われてしまえ!


あたしは腹立ちを抑えきれないまま、乱暴な足取りで神殿を出た。





「アン・ランドマーク?」


神殿を出たばかりのあたしに声が掛けられた。


振りかえると・・・うわあ、初めて見た!こんな色をした人!


一つに纏められた長い髪は白に限りなく近い銀色で瞳は赤、黒い軍服の様なモノを着て細身の剣を差して、あたしより年上の少年の様な・・・でも、声は女の子だったような?


「あの・・・どなたですか?」


確実に初対面の相手だわ。


こんな人、一度会ったら忘れられそうにもないもの。


「迎えに来た、おいで」


あたしは相手の名前を聞いたのに、その人はそう言ってあたしに手を差し出した。


いや、無理です。


流石のあたしでも、初対面の相手に「迎えに来た」と言われてホイホイついて行くほどバカでも子供でもありません。


得体の知れない人は無視するに限る、とその人に背を向けた時、再び声が掛けられた。


「姉に会いたくないのか?」


え?


姉って・・・ソフィアお姉様は今日、確か病院に行った筈だけど・・・何か病院であったのかしら?


「ソフィアではなく、マーガレットに、だ」


ええ?マーガレットお姉様?


「生きてるの?」


あたしは思わず勢い込んで訊ねてしまった。


その人は頷いてから、もう一度あたしに手を差し伸べるて「姉に会わせてやる。おいで」と言った。


ここは神殿の前。


マーガレットお姉様の無事を祈っていた場所の前で出迎えがあるだなんて、これは神様からの啓示なの?


あたしは意を決して差し出された手を取った。


その手は細く柔らかく、この人は女の人なのだと確信した。


「あなたは?」


名前を訊ねようとしたのに、返ってきた言葉は「私はただの遣いだ」の一言だけ。


女性にしては喋り方が男みたいだし、着ているものも男物だし、名前も名乗らないなんて変な人だわ。





「お前の姉が居るところだ」


迎えに来たというその人に連れられて馬車に乗り込んだあたしはどこへ向かうのか訊ねると微妙にずれた答えが返ってきた。


「だから、その場所ってどこ?」


「暫くは馬車で移動だ」


乗り込んだ馬車には窓に覆いがかかっているし、どうもはっきりと答えられない場所らしい。


「あまり遠くまでは行けないわ。家族が心配するし」


この人はあたしを家に帰すつもりがあるのかしら?


「父親には連絡が行っている筈だ」


ちょっと待って!


それって、もしかして、もしかしなくても、あたしはお姉様と同じように誘拐されちゃったって事なの?


あたしのバカー!


「あ、あたしまで誘拐するつもりなの?」


に、逃げなくちゃ!


幸いにも相手は女一人だし・・・馬車から飛び降りるのは無理かしら?


「妙な考えを起こすな」


感情を一切現さない顔でじっと見詰められると、なんだか怖い。


で、でも、負けないもん!


あたしが恐怖を押し殺して睨み返すと、その人は無表情のまま溜息を吐いた。


ただ、大きく息を吐いただけのようにも見えたけど。


「お前は『魔物』についてどれだけ知っている?」


魔物?


魔物って、あの?


「人にはない不思議な力を持ってるっていうアレ?」


何の関係もない人の家に火をつけたり、手も触れずに人を殺したりする、あの魔物の事?


見つかれば裁判にも掛けられず直ちに処刑されてしまうから、あたしは話を聞いただけで見た事は一度もないけど。


「お前もその魔物だ」


「嘘よ!」


どうしてそんな酷い事を言うのよ!


「嘘じゃない。お前の姉も兄もそうだ」


酷い!


え?


姉って・・・マーガレットお姉様の事?


兄って・・・


「ジュリアスお兄様も生きてるの!!」


あたしは思わず馬車の中で立ち上がってしまい、大きく揺れた馬車に足元がぐらついて尻もちをつく羽目になった。


「いたた・・・」


「落ち着け。二人とも生きている」


あなたが落ち着き過ぎなのよ!


こんな大変なニュースに驚かない方がどうかしてるわ!


誘拐されたマーガレットお姉様だけじゃなく、事故で亡くなった筈のジュリアスお兄様までもが生きている。


みんなが知ったらどれだけ喜ぶか!


お母様だって病気が治るかもしれない!


「知らせなきゃ!」


思わず呟いたあたしの言葉に「それは駄目だ」と冷たい言葉が返される。


「どうして!?」


みんな心配して悲しんでるのに!


「人の話をよく聞け。お前は魔物だと言っただろう?」


「それは何かの間違いで、あたしは・・・」


あたしには不思議な力なんてないもん!


「間違いではない。まだ覚醒していないだけで、お前には魔物としての力がある」


人の話を聞かないのはどっちよ!


「だから・・・」


「お前の兄と姉も魔物だ。公爵家には魔物が現れ易い」


うっそ・・・


黙りこんだあたしに、その人は淡々と話を続ける。


「事故で亡くなったり、攫われた振りをして姿を隠したのは、魔物としての力が現れたからだ」


だって・・・そんな・・・


魔物なら・・・処刑されてしまう・・・


「お前はまだ覚醒していなくても、間もなく大きな力が現れると予言された」


うそ、うそ、うそよ!


「大きな力が現れてしまうと隠すことが難しい。なので異例だが、私が迎えに来た」


違う!違う!違う!


あたしは魔物なんかじゃない!あたしは魔物なんかじゃ!


でも・・・それが本当なら。


「あたし・・・もう家に帰れないの?」


ポツリと呟いたあたしに、その人は頷いた。


あたしが魔物であってもなくても、この人はあたしを家に帰してはくれそうもない。


誘拐より性質が悪いわ。


あたしが魔物だって・・・言われたからって、そう簡単に信じられないよ。


お姉様が魔物だって言われても・・・突然消えてしまったのはそれが原因なの?


ジュリアスお兄様が亡くなったのは、お兄様が12の時だと聞いた。


マーガレットお姉様は12歳の誕生日の日にいなくなった。


あたしはまだ12歳の誕生日も迎えていないのにな・・・


ぼんやりとそんな事を考えながら馬車に揺られていると、ボツボツと音がし始めた。


「雨か・・・遅れるな」


迎えに来た人はそう呟いた。


あたしはまだ、自分が魔物である事、もう家には戻れない事、マーガレットお姉様が生きている事、ジュリアスお兄様も生きていた事、全てを夢のように感じていた。





馬車は雨の中を走り続け、漸く止まったのは真っ暗な闇の中だった。





まだアンの旅は続きます。

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