第四話 シャノンの里にて (1)
第四話 シャノンの里にて (1)
ユーリお兄様に連れられてシャノンの里に入った私は、最初に里長のところへ連れて行かれた。
まずはそこで私の力を見て貰うのだそうだ。
深い森の奥の中にポツリと存在するシャノンの里は、粗末な木の小屋が並ぶ貧しい村落のようだった。
それでも、人里から隠れて住んでいるにしては人が多い。
小屋から立ち上る煙、窓からこぼれる明かり。
そこには普通となんら変わらない生活がある様に見えた。
思わず立ち止まって里を見渡していた私に、お兄様は「驚いた?」と訊ねて来る。
頷き返すと「魔物と呼ばれていてもね、みんなそんなに大した力がある者達ばかりじゃないんだよ」
そう答えながら、私の手を引いて歩き出すように促す。
「いつの間にか、力がなくなってしまう人もいるし、大抵は少しだけ物が動かせたりする程度の力しかない」
それでも・・・それでも人の中で暮らしていく事は出来ないのだ。
私は里の人々の暮らしを見るのが辛くなって俯いた。
里長の小屋は、私達が入って来た場所から正反対の里の外れにあった。
「ここだよ」
示された小屋は特に大きいものではなく、教えて貰わなければ判らないくらい特徴のない小屋だった。
ノックに応えた声は聞き覚えがある様な声だった。
首を傾げる私に、お兄様はクスリと笑ってドアを開けた。
そして、そこに居たのは・・・
「お父様!」
まさか、そんな…そんな筈はない。
「ようこそ、シャノンへ。マルガリータ」
その声も・・・同じ。
戸惑う私に、お父様は・・・お父様によく似た方が苦笑する。
「私はラウル、ここの里長をしているが生憎と君の父ではないよ。似ていると言われるが無理もないかもな。アルフォンスは私の弟だから。今まで一度も顔を合わせた事はないがね」
お父様のお兄様・・・
「僕も初めは驚いたよ。あまりにもそっくりで」
お兄様の言葉に唖然としたままの私は無意識に頷いた。
「さあ、掛けたまえ。ツェツィーリアに君を見て貰わねばね」
里長に促されて、私達は玄関から入ってすぐの、居間兼食堂といった場所に一つだけ置いてあるテーブルに着いた。
すると、ゴツンゴツンとゆっくりとした音がして、一人の老婆が奥から現れた。
「おや、これはまた・・・随分と眩しいね」
俯いて杖をついていた老婆は入って来るなり顔を上げてそう呟いた。
しかし、その目は白く濁っている。
もしかして・・・この方は目が見えないのでは?
里長に導かれて椅子に腰かけた老婆は私の正面に座り、手を差し出した。
「その手をこちらへ」
言われるままに両手をそっと差し出せば、皺だらけの硬い手が撫でる様に触れて来た。
「ふ~むむむ・・・流石は巫女長と公爵の娘、輝くばかりじゃな」
天井を見上げる様に上を向いたままそう呟く老婆に私は困惑する。
「里長、この娘には結界を張る力がある。里の守りが強固になる事じゃろう」
手を握られたまま、私は困惑して傍らのお兄様を見上げた。
「大丈夫だよ。ツェツィーリアは盲目でも人の力を量る事が出来るんだ」
お兄様の言葉にツェツィーリアが笑う。
「フォフォフォ・・・若、そう心配せんでもお嬢さんは怯えている訳ではないよ。ただ戸惑っているだけじゃ」
手を繋いでいるだけなのに、事実を指摘されて驚く。
「私の考えが読めるのですか?」
「強く感じている事を少しだけじゃが、触れていれば判る」
握られている手を離すべきかどうか悩む。
けれど、疑問は口にしなければならない。
「私の力はここでお役に立てるものなのですか?」
里長とお兄様が揃って頷いた。
「でも、私は使い方が・・・」
力を遣ったのはあの時だけ。
どうすれば発揮出来るのか、まだよく判っていない。
「マルガリータ、お主は神殿で育ってきたから良く知っている筈じゃよ。神殿とは本来そう言うモノじゃからのぅ」
ツェツィーリアの言葉に私は困惑を深めるばかりだった。
「さて、初めから説明せねばならぬかな・・・マルガリータよ、お主は魔物が排泄されるようになった原因を知っておるかな?」
「はい」
大陸に住まう者ならば幼い子供でも知っている事。
「昔、大国の王弟が不思議な力を持って、王権を剥奪しようとした事が切っ掛けだと」
私が昔、神殿で聞かされた通りに伝えると、ツェツィーリアは頷いた。
「では、その国がどこかご存知かな?」
「いいえ」
国の名前は伝えられていないから、既に亡くなってしまった国ではないかと思っていた。
「それはな、バレンツ帝国での事なのじゃ」
「え?」
バレンツ帝国と言えば、ティモールの北にある膨大な領土を誇る大きな帝国だけれど、歴史はティモールよりも浅い筈なのに?
「そう、実はあの出来事は皆が思っているよりも古い時代の話ではないのだよ。僅か百年程前の事なのじゃ」
そんな・・・それでは、たった百年の間にここまで大陸全土に渡って広まったと?
「不思議な事ではないよ。人の噂と言うものは思いの外、素早く広がるものじゃ。特に悪い噂や危機感を感じさせるものはの」
何も言い返す事の出来ない私にツェツィーリアは話を続ける。
「そしてバレンツ帝国での出来事には続きがあるのじゃ。王は弟を殺すに忍びなく、処刑させた振りをして逃した」
「まさか・・・」
「そう、それがこの里の由来じゃ」
思わずグッと息を飲み込むと、それに促されたようにツェツィーリアは続ける。
「魔物と呼ばれる我々は人にはない不思議な力を持っておる。それが良いか悪いかは別にして、その力を持つ者の多くには共通点がある」
そんな話を聞いた事がなかった私は首を傾げた。
「ワシのように欠損している身体の役目を果たすために力を持つ者ともう一つ、王家や貴族の一部では常識となっておるがの・・・近親婚による遺伝子の異常じゃよ」
遺伝子・・・神殿での学習の時間に聞いた事がある。
親から子供へと伝えられるものだと。
「王侯貴族は古来より血統を重んじるあまり、近しい血筋の中での婚姻を繰り返してきた。その悪しき結果じゃな」
ツェツィーリアは片手を私の手から離してぐるりと回した。
「その証がこの部屋じゃ。ワシを除いた者は全て血縁関係にある」
私と里長は伯父と姪だと知ったけれど、お兄様も?
そう言えば遠縁から引き取られたとか聞いたけれど。
「僕もここに来て知った事だけど、彼が僕の本当の父親らしい」
お兄様の言葉に私は驚いた。
「まさか、私も自分の息子が弟に引き取られていたとは知らなかったがね」
聞けば、伯父様は外の女性と知り合って将来を約束したのだが、お相手の実家が二人を引き裂いたのだとか。
さっきツェツィーリアがお兄様の事を『若』と呼んでいたのは・・・里長の息子だからなの?
「この里に居る者は殆どが何らかの血縁関係にある。王家がいい例じゃ。この大陸に幾つの国が存在する?二十は超えまい?五代も遡れば全てどこかで繋がっておる筈じゃ」
「だから、この里の中ではみんなが家族になるんだよ」
連帯感ではなく、確かな血の繋がりとしての家族。
「さて、そうした結果、王侯貴族に魔物が多く出現する可能性が高い事に気付いた者達は近親婚を忌避するようになったが、血統を重んじる風潮はそう簡単に消えはせぬし、お主の父の様に周りの反対を押し切って婚姻を結ぶ者もおる」
ツェツィーリアはニヤリと笑った。
「時に、この大陸にはどれくらいの数の宗教があるか知っておるか?」
私は素直に首を振った。
神殿で育ったとはいえ、だからこそ他国の宗教については詳しくない。
「国によって名前は違うが、大体基本は同じなのじゃよ。創造神を柱に様々な神が役割を分担しておるといった人に都合のよい神様達を奉るのが宗教じゃな」
ヒッヒッヒッと笑いながらツェツィテーリアは辛辣に論じる。
「そして、宗教と政治の兼ね合いじゃな。どちらも利用し合うには都合のよい存在じゃ」
私はツェツィーリアの知識の深さに驚いた。
年を重ねているからと言うだけでは納得出来ないものがある。
「それでも互いに不可侵な領域が存在する。国王が許可なく立ち入れぬ神殿で行われている事は何じゃ?」
神殿に居た私に問い掛けられる。
「・・・祭司から巫女は勉強とお祈りと咏を教わります」
「それだけではなかろう?咏の為に呼吸法や上がらずに済む方法、つまりは平静を保つすべを教わる筈じゃ」
その通りなので頷いた。
「実はそれらは全て、我らの様な魔物の力が暴走しないためのモノじゃ」
そう言われても・・・心を平静にする事が力の暴走を抑えるの?
「魔物は王侯貴族からだけ発するものでもない。極稀にではあるが、平民からも出る。それらを抵抗なくコントロールする術を神殿は普及しておるのじゃよ」
「それは・・・この里を維持している方達と神殿が繋がっているという事ですか?」
魔物として覚醒した者をここへ運ぶ手段、迎え入れるための連絡、孤立しただけでは成り立つかどうか分からない隠れ里での生活を支えるもの。
外部との連絡方法や援助がなくては立ち行かないという疑問はここに来る途中に感じた事だ。
「そうじゃ。お主の父親を始めとした王侯貴族が国の枠組みを超えて多数協力をしておる。その者達の一部が神殿を支えておるのじゃ」
そこまで・・・それだけ組織として確立できているのならば、どうして。
「ならば何故、それだけの力を持ちながら私達は魔物として追われなければならないのですか?」
人として家族と一緒に暮らす事が出来ないのですか?
私の問いに、ツェツィーリアは大きな息を吐いた。
「それはの、この里に居る者に人に危害を加えるつもりの者はおらんが、全ての魔物と呼ばれる者達が同じではない、と言う事なのじゃ」
聞いた事はないか?とツェツィーリアは嘗て起きた事故や事件をいくつか挙げた。
挙げられた事件の中には私が知っている大きなものが幾つかあった。
人が多数亡くなった火事や事故に、原因不明で人が殺された事件など。
「これらは全て、我らと同じ魔物と呼ばれる能力を持った者たちの仕業じゃ」
「どうして・・・」
そんな事を?
言葉に詰まった私にツェツィーリアは首を振った。
「我らは魔物と呼ばれようとも基本は人じゃ。人と言うものの中には悪事を楽しむ者がいる。そして悪事だと理解出来ない知能を持った者も」
私達は魔物として人から追い続けられる存在でしかないのだろうか?
共に暮らす事は夢でしかないと?
「人が自分にはない力を持つ者に対しての嫉みや恐怖を克服出来れば、我らが魔物と呼ばれる事もなくなるのじゃろうな」
「それが叶わずとも、何らかの形で人と共存出来る日が来ると私達は信じているんだよ」
ツェツィーリアの呟きに、里長はそう付け加えた。
私もそれを信じたい。
父と母と姉と兄達と妹に、いつかまた会えると信じたいから。
希望を捨ててしまいたくない。