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第十話 アーニャ ダスヴィダーニャ


始まりは少し時間を遡ります。

コメディから一転、シリアス調ですのでご注意を。

本編の最終回となります。

長いです。


第二部第十話 アーニャ ダスヴィダーニャ




リアードでアンナと別れてから、私は帝都・エニセイに向けて鳥を飛ばし、急ぎ兄上へ事の次第を伝えた。


私自身もエニセイへ馬を走らせながら、兄上からの連絡を待ったが、途中で受け取った指示は思った通りそのまま帝都へ戻るようにとあり、アンナとの距離は離れていくばかりとなった。


別れ際に再会を誓ったが、果たしてそれが叶えられる日が来るのか?


『災厄』までは一カ月と少しあるが、アンナは無事に帝国へ戻って来れるだろうか?


エルベで神殿が彼女を捕えて離さなかったら?


私に救い出す事が出来るのか?


ルイスはアンナの力になってくれるだろうか?


私には『魔物』としての力を遣うことはもう出来ない。


今回の旅で確信した。


力が遣えなければ、私が今までと同じ様な任務を果たす事は困難を極めるだろう。


幾つも湧き起こる不安を抱えながら帝都に戻った私に兄上が与えたのは次の指令だった。


「もう一人の『月の巫女』に会って来るんだ」


アンナの姉であるマルガリータに?


そう言えば『災厄』での彼女の役割はどうなるのだろうか?


私はアンナを送り届けて以来、実に4年以上振りになるシャノンへと馬を走らせる事になった。






「お会いするのは初めてではありませんが、こうしてお話するのは初めてですね。アンナ殿下」


アンナの姉、マルガリータはそう言って私に微笑んだ。


既に人妻となって久しい筈なのに『聖女』や『巫女』と呼ばれる事に何等違和感を感じさせない、清楚な雰囲気を纏う人だ。


姉妹だと言うのに、明るくて元気なアンナとは似ても似つかない。


「そうですね。私も一度あなたとはお話がしたいと思っていました。マルガリータ殿」


私は彼女の挨拶に応える様に、一歩踏み出して近寄り、手を差し伸べた。


「あら?ふふっ、私達、とても対照的ですね。髪の色に瞳の色はまるで真逆なのに、身長や身体つきは似ているし・・・そう言えば同じ年ではありませんでしたか?」


ああ、そう言えば確かに。


真正面で対峙すると、マルガリータは私と同じ位の背丈で身体つきも似通ったところがある事に気づく。


年が同じなのは聞いていたし、それにそう、彼女の黒髪と私の白髪に似た髪の色や青と紅と言った瞳は確かに対照的だ。


「そうですね。面白い符合だ」


マルガリータは私の手を微笑んで握り返してくれた。


「ずっとアンナ殿下にはお礼を言わなくてはと思っておりました。妹のアンナをここまで連れて来て下さった事に」


アンナが彼女に心酔するのが判る、魅力的な女性たと改めて感じさせる笑みを浮かべられて、私は同性で在りながらも軽くときめいてしまう。


「いえ、彼女には辛い旅をさせてしまいました」


あの時だけではなく、今回も。


「いいえ、アンナは此処に来てから殿下の事をよく話してくれました。無口で厳しい処もあるけれど、本当はとても優しくて強い方だと」


マルガリータの言葉にアンナの声が聞こえて来るようで、胸が少し痛む。


「・・・どうか殿下ではなく名前で呼んで下さい。ああ、そうでした、アンナと同じですから混乱しますね。アーニャとお呼び下さい。マルガリータ殿」


胸の痛みから考えを逸らす様に名前に事に触れると、フレデリックにも同じ事を伝えた時の事を思い出してしまう。


「では、私の事もマルガリータとお呼び下さい」






「リアードで起こった出来事はこれで全てです。兄に報告するためとはいえ、アンナを残して帰国する事になってしまったのは私に責があります。どうかお許し頂きたい」


最後まで彼女の傍で見守る事が出来なかった事を私はアンナの姉に詫びた。


「いいえ、リアードでのお話は他の方からも伺っています。あなたは最善の事をして下さいました。気に病まれる事は一つもありません」


そうか、やはりもうリアードとの連絡は取れるようになっているのか。


ミハイル兄上も私に詳細を訊ねる事無くシャノンへと送り出してくれたから、もしやとは思っていたのだが。


それでは何故、私をここに遣わしたのだろうか?


てっきり、リアードでの出来事の詳細を私の口からマルガリータへ伝える為だと思っていたのだが。


「問題の『災厄』についてですが」


そう、アンナはアドリアのエルベで災厄に立ち向かう事になるが、マルガリータはどうするのか?


「私はここシャノンで最善を尽くす事に致します」


マルガリータの言葉に私は驚いた。


「・・・可能なのですか?」


「はい、万全の結果が出せるかどうか不安は残りますが、私が問題になっている場所へ出向くよりもシャノンにいた方が効率が良さそうなので」


苦笑しながらも答える彼女に私は首を傾げた。


「私の力は大地に対して大きな効力を発揮します。双満月の夜は特にその範囲が広がります・・・そうですね、此処に居れば帝国全土とティレニア・ティモール両国に至るまで」


そ、そんなに広い範囲を?


「逆に私が震源地の北東部に赴いてしまうと、守る範囲が小さくなってしまいます。帝都・エニセイが範囲から外れてしまう程に」


成程、彼女の力は、彼女を中心に広がって行くのか。


それではシャノンを中心と捕えて考えた方が広範囲での効力が期待出来る。


「ただ、それだと震源地での被害を全く無くしてしまう程の効力が発揮できないかもしれないのですが」


「いや、北東部の海岸線には予め避難を指示して被害を最小限に留めるようにするつもりですし、人口比率を考えればあなたの考えが一番だと私も思います」


申し訳なさそうなマルガリータの言葉に私は強く賛同を示して力づける。


「良かった・・・心強いです、あなたにそう言って頂けると」


ほっと安心した様な顔に思わず微笑み返す。


「殿下・・・いえ、アーニャにお願いしたい事があるのですが」


「何でしょうか?」


「アンナにこの事を伝えて頂けないでしょうか?あの子が一番信用しているのはあなたですから」


「喜んでお引き受けします」


私がシャノンに来て、マルガリータと話す事の意義はこれだったのかと思えた。






私がシャノンに到着した時には、リアードを立ってから既に2週間が過ぎていた。


災厄まではあと3週間を切っている。


私はゆっくりとシャノンに滞在する余裕がなく、直ちに帝都に戻る事になった。


「またお会い出来る日を楽しみにしています」


シャノンの里を囲む森の入口まで、マルガリータは見送ってくれた。


彼女の傍に寄り添う、アンナが言う処の『独占欲が強くて、妹にまで嫉妬深い』夫のユーリも一緒に。


確かにアンナは姉よりも従兄であるユーリに似ている。


フレデリックと同じ色の瞳を持つ彼を見ていると少しつらい。


「いつか」


またこの里を訪れる事が出来るのか?


魔物の力を失った私に。


手を差し出した私に、マルガリータはギユッと抱きついて来た。


驚いている私に、彼女は頬にキスまでして来た。


「アーニャ、あなたに神のご加護と幸運を」


彼女の腕の中で、とても柔らかな熱に包まれた私は身体の違和感に気付いた。


私の身体が・・・光っている?


「貴女の力は失くなった訳ではありませんよ。とても弱くなってしまっただけなんです。それを少しだけ強くしてみました。あと少しだけですが、力を遣えるようになると思います」


マルガリータの言葉に私は何と返したらいいのか判らなかった。


私は自分の力を喜んだ事は今までなかった。


母を死に至らしめ、家族から避けられる原因となった魔物の力。


それでも、今まで生きて来られたのはその力があってこそだった。


知らず知らずの内に頼っていた力を失くしたと知った時、喪失感よりも絶望感が強かった。


もう私が生きている価値が無くなったと思えるほどに。


それを彼女は再び与えてくれたのだ。


「・・・ありがとう、マルガリータ」


込み上げてくる涙をグッと押し込んで、礼を言うのが精一杯だった。


彼女の柔らかな身体を抱きしめ返していると、傍らのユーリから殺気を感じたので、早々にその腕を解く事になったが。


「ダスヴィダーニャ(さよなら)」


今度会う時には、出来ればアンナと一緒に。


私は魔物でありながら過ごす事が叶わなかった魔物の里を後にした。






帝都に戻った私はアンナとルイスの行方を兄上に訊ねたが、まだ二人はエルベに到着していないようだった。


リアードからの連絡は来るべき災厄の為か頻繁に入るようになっており、兄上やヨアンナ殿が危惧していた事態は免れたようだった。


エニセイでも災厄に対して慌しく対策が進んでいった。


私の力について、ミハイル兄上は何も問い質したりはしなかったが、ヨアンナ殿から聞いてご存知なのか、災厄に見舞われる帝国北東部へ赴くようにとの命令は下されなかった。


「お前ももう年頃なんだから、少しは落ち着いて先のことを考えろ」


ミハイル兄上にそう言われたけれど。


先のこと?


私に未来があると言うのか?


フレデリックのことが頭の中を過ぎるが、彼と私の間に未来は無い。


彼が私について知ることになればきっと・・・お終いだ。


帝都から動かない私だったが、フレデリックも忙しいのか連絡が来ない。


彼は災厄について知っているのか?


もし、彼が今、アドリアに行っているとしたら・・・アンナと出会う可能性はあるだろうか?


埒も無い事を考えながら鬱々と過ごしていると、双満月の前日、私は最近ではすっかり起き上がる事も出来なくなったというヨアンナ殿の後任となる新たな預言者を紹介された。


「お前は・・・」


その者は私も知っている人物だった。


「ご無沙汰いたしております。アンナ叔母上」


兄であるアレクセイ皇太子の息子、レフだった。


彼は兄の第二皇子で、ミハイル兄上の後継でもあった筈なのに。


我が皇家は呪われた血から逃れられないのだろうか?


レフはまだ幼年学校にも入っていない年だというのに。


「そんなに僕を哀れむような目で見ないで下さいよ叔母上。僕は今の立場を結構気に入ってますよ」


まだ幼いからなのか?レフは深刻さに欠けている気がする。


「この力のお陰でミハイル叔父上の寵妃であるヨアンナ殿にお目に掛かれたのですから。役得ですね」


ま、そうとでも思わないとやってられませんけどね。


レフの前向きな考え方はアンナを思い出させる。


「それに、僕の第二皇子という立場は、微妙に帝位から遠いものですからね。魔物の力も手に入れて、帝国を影から操るというのも面白いと思われませんか?」


どこまで本気でそんな事を言っているのか?判らないが、この子は私よりも強い。


「突然の事でした。僕には明日の晩の出来事が手に取るように見えたんです。二つの月、光り輝く巫女、揺れる大地、押し寄せる高い波と脅える人々・・・叔母上、ホデンの巫女の傍らには白い祭司服を着た若い男性が居ましたよ。叔母上はその人をご存知ですよね?」


私は黙って頷く事しか出来なかった。


涙が溢れて言葉が詰まってしまったから。


アンナとは鳥を使った手紙で連絡が取れた。


無事にエルベに辿り着けたようだった。


エルベの神殿でアンナとルイスはどうしているだろうか?


『月の巫女』としてのプレッシャーに押し潰されそうになっては居ないだろうか?


神殿で嫌な思いや辛い目にあったりしてないだろうか?


不安で心配でたまらなかった。


それでも、力が弱くなってしまった私では二人の力になれることが何も無い。


「・・・ありがとう、レフ」


私は涙が零れないように必死で堪えて、その一言を伝えるのがやっとだった。


そう、アンナは一人じゃない。


彼女の傍にはルイスがいる。


災害に見舞われたリアードで里の人達の前で詠った二人は奇跡のようだった。


あの二人なら、きっと大丈夫だ。


災厄の後も、復旧などに時間が掛かる事だろう。


アンナもルイスもいつ戻ってこられるのか、判らない。


それでも、きっと二人は大丈夫だ。






災厄の日の夜、帝都はとても静かだった。


月の巫女は世界を救ってくれたのだ。






災厄が過ぎ去って、一月も経たないうちにヨアンナ殿が亡くなった。


ミハイル兄上は暫く屋敷から出てこなかった。


ずっと覚悟していた愛する人の死を実際に迎えた時には、一体どんな悲しみが訪れるのだろうか?


私にはミハイル兄上のお気持ちを推察する事も出来ない。


屋敷から出てきたミハイル兄上は、やつれてはいたが、私とレフに「心配をさせたかな?」と気遣いの言葉を下さった。


「僕が成人するまで元気で居てくださらないと困りますよ」


レフの言葉に兄上は笑っていらした。


悲しみは時が癒すというのが本当なら、どうか優しい時間を兄上に授けて欲しい。






アドリアを襲った災害は次第に世界中に知れ渡っていく。


『魔物』が災害から力を使ってエルベを救ったのだとの噂が広がっている。


そしてアドリア神聖帝国内では、その奇跡の力を各地で披露しているとの噂も届いている。


「神殿の祭司長は派手な事がお好きなようですね」


その噂を聞いたレフが呆れたようにそう言っていた。


時折、神殿や新たなリアードの里を経由して、アンナから手紙が届く。


『嫌がるルイスを引き摺り出すのが大変です』


『楽しい事ばかりではありませんが、遣り甲斐はあります』


短いけれど、楽しそうな便りが届く。


私は各地で奇跡の力を披露していると言う巫女と祭司の二人がどんな気持ちで居るのか考えると笑いが込み上げてくる。


アンナは嬉々としてやっているようだが、ルイスはきっと嫌がっている事だろう。


明るくて社交的なアンナに対して、ルイスは無愛想で目立つ事が苦手そうだ。


そんな彼をどうやって説得したのやら。






「叔母上、もうティモールへは行かれないのですか?」


レフに問われて私は首を傾げる。


「私にはもう他国に出向く必要はあるまい」


今では軍の本部でデスクワークが続いている。


時折、ミハイル兄上の秘書紛いの仕事もするが。


そんな私の処に、何を思っているのか近頃レフがやたらと顔を出して来る。


「あまり軍本部に顔を出すな。子供の遊び場所ではないぞ」


ミハイル兄上の屋敷ならともかく、ここは本部の中にある私の執務室だ。


「それの、お返事を出されないのですか?」


レフが指差したのは一通の手紙。


ランドマーク公爵家の紋章が入った、フレデリックからの手紙だった。


私の机の隅に数通が重ねてある。


燃やしてしまうべきだったが・・・未練だな。


私は手紙をじっと見詰めたまま、黙って顔を振った。


「僕はね、叔母上。これでも無骨で不器用で無愛想なあなたの事が好きなんです」


突然のレフの言葉に、驚きながらも私は頷いた。


「あ、ありがとう」


褒められた訳ではなさそうだが。


「叔母上は女だてらに将軍職を務めていらっしゃるが、容姿だって悪くない、いや父上のご兄弟の中ではベストスリーに入る程です」


これは素直に褒められているらしい。


「なのに!父上の姉妹7人のうち、あなたを除いた6人全てが嫁いでいると言うのに、どうしてあなたが未だに未婚なのです?」


何やらレフは誰かに言われた事に対して憤っているらしい。


多分、推測は容易に着く。


帝国の王侯貴族の娘は二十の誕生日を迎えるまでには、少なくとも婚約ぐらいは済ませておくものなのだ。


私は間もなく二十一になる。


先日、私の五つ下の異母妹が結婚して、これで片付いていない皇女は私だけとなった。


「それは言わずもがなだろう?」


美しいと言われても、この白い髪と紅い瞳は気味が悪いと忌避されているし、何より私は魔物だ。


「力が無くとも、ですか?」


やれやれ、レフはどうやら自らが魔物になって初めて、それに対する偏見や排斥に過剰に反応する。


「レフ、人の意識はそう簡単に変わりはしない」


アンナもルイスと共にアドリアで頑張っている様だが、一朝一夕には変えられない事だ。

「だからと言って、自ら幸せになる術を絶つのですか!」


「大袈裟だな」


私は立ち上がり、重ねてある手紙の束を暖炉へと投げ入れた。


未練は呆気なく燃え上がり、消えた。


「今日届いたものです」


私の態度を見越していたのか、レフが一通の手紙を差し出した。


「レフ・・・」


受け取ろうとするが、レフは何故か手紙を手放さない。


「これも燃やしてしまうつもりですか?」


見透かされたか。


「流石だな」


隙を狙って手紙を奪おうとしたが、レフは中々強情だった。


「きちんと毎回返事は書いているぞ」


断りの手紙だが。


「お誘いをお断りになるのはこれで何度目ですか?」


「お前には関係ない」


深く問い詰めて来るレフに苛ついてしまう。


「今回はお受けになられた方が宜しいと思います」


妙に丁寧な口調に私は不安を覚える。


「それは・・・お前の力か?」


私の視線からレフは目線を逸らせた。


「・・・ランドマーク家は不幸が続いています。前の不幸から3年が経ちます・・・新たな不幸が起こるのかもしれません」


「誰だ!」


3年前と言えば、フレデリックの姉が事故で亡くなった時だ。


またあの家で誰かが亡くなるのか?


もしや、フレデリックが?


「判りません・・・あの家は先読みにとってはとても視辛いのです。靄のようなものが掛かっていて・・・ですが、墓地に喪服の男性が一人で立っている姿が見えました」


誰だ?


「金髪の若い男性です」


安堵した私はその場に崩れ落ちそうになった。


墓地に立っているのがフレデリックなら亡くなるのは・・・一人?


亡くなるのは彼の父か?兄か?


まさか二人とも?


そんな事になったら・・・彼は一人ぼっちで・・・公爵家を継ぐ事になれば・・・知られてしまう。


「・・・お会いになられた方がいいと、僕は思います」


レフは手紙を私の机の上に置き、そう言い残して出ていった。


ここ半年の間に数回あったフレデリックからの誘い。


しばらく途絶えていた公爵領での逢引き。


全て忙しいからと断って来たのだが。


フレデリックが公爵の跡を継ぐのならば、これが最後になるのだろうか?


きちんと別れを告げるべきだろうか?


本当は嫌だ。


別れたくない。


いつまでもこのままでいたい。


でも、それは無理だ。


フレデリックと帝都で再会してもうすぐ二年・・・幸せだったと思う。


私には生涯味わう事が無いと思っていた女としての幸福を味あわせてくれた。


人として愛し愛される事。


別れが怖くて先延ばしにしていたが、その猶予もなくなったらしい。


私は手紙の封を開き、内容を確認してから返事を書いた。


公爵領に赴くのは一年振りになる。






「アーニャ!」


公爵領にある国境の砦を通ると、そこにはフレデリックが待っていた。


「お前、恋人に冷た過ぎるぞ!忙しいとはいえ何年振りだと思ってんだ!」


口調は怒っている様だが顔は笑っている。


「一年振りだ」


ああ、彼は少しも変わらない。


黄金に輝く髪、綺麗に剃られた髭のない顔、逞しい腕、力強い抱擁、お日様の様な匂い、私を愛おしく見つめる優しい瞳。


会いたかった、会いたかった、どうして一年も会わずに居られたのか?


「会いたかった・・・アーニャ」


私も。


「少し痩せたか?もう落ち着いたのか?アドリアも大変だったらしいが、バレンツでもそうだろ?」


矢継ぎ早に質問して来るフレデリックに私は少し苦笑してしまう。


「そんなにたくさん、一度には答えられない」


フレデリックはクシャッと髪を掻き上げて、落ち着こうとしているようだった。


「ああ、スマン・・・クソッ!久し振り過ぎて気持ちばっかりが急くな」


そして、深く深呼吸してから私の顔を両手で包み、お互いに顔をじっと見詰め合った。


「本当に久し振りだ、アーニャ。会いたかったぜ」


私も会いたかった。


見詰め合っていると、何も言わずにフレデリックは貪る様な激しいキスをして来た。


それ以上は公爵家の別邸に着くまでお預けとなった。







「それにしたって、お前ってば本当に薄情だよなぁ。誘っても断られるばっかりだから、俺はてっきり捨てられたのかと思ったぜ?」


フレデリックは片時も私を手放さないとでも言う様に傍らに置きながら、恨みがましく呟いてくる。


「忙しかったのはお互い様だ」


彼も半年ほど連絡が途絶えていた。


災厄の時、ティモールはマルガリータの力もあって被害はなかったが、最近では治安が悪くなりつつあると聞いた。


フレデリックも他国へ出向く余裕もなく、国内を飛び回っていたらしい。


彼はまだアドリアで奇跡を起こした巫女が誰なのか知らない。


「一週間の休暇をやっとの事でもぎ取ったんだ。ギリギリまで堪能するからな」


一年振りの彼の腕の中で、私はこれが最後になる予感に震えていた。


言うべきか?黙っているべきか?


決心がつかないままに朝を迎えると、夜中に降っていた雨が冷え込みを厳しくしている。


「朝メシはナンにする?」


昼近くになって朝食もないだろうと思ったが、寒さに感けていつまでもベッドから出られなかったのはお互い様かもしれない。


ゆっくりと起き上がって服を着ようとすると、激しくドアを叩く音がした。


初めてここに滞在した時以外は料理人など何人かの使用人が滞在している。


それでも滅多に邪魔をされる事などなかったのだが。


「どうした?」


ローブだけを纏ったフレデリックがドアの向こうに消えてから暫くすると、厳しい顔つきで戻って来た。


「悪いが、家に戻らなきゃならなくなった」


ああ・・・遂に。


胸が潰れそうな思いに、何も言えないでいると、慌ただしく服を着たフレデリックは私にキスをして告げた。


「また連絡する」


「フレデリック!」


これで最後なのか。


呼びとめた私に、彼は安心させようと笑顔で振り返る。


「愛してるよ、アーニャ。大丈夫だ」


そう言い残して寝室のドアを閉めて出ていった。


「愛してる・・・フレデリック」


でも、これでさよなら。


私は枕に顔を埋めて泣いた。






どうやって戻って来たのか、記憶が定かではなかったが、帰路は身体が覚えていたらしい。


気づくと濡れた服のままでミハイル兄上の屋敷の前に居た。


「どうした、アーニャ?」


突然、奇妙な格好で現れた私を兄上は心配して下さったが、私は何も言えずに泣く事しか出来なかった。


フレデリックの父と兄が強盗に遭い亡くなったらしいと聞かされたのは、生まれて初めて風邪で寝込んでいた病床の上だった。


熱に浮かされ、何度も夢を見た。


『愛してるよ、アーニャ』と言って出ていく彼の姿を。


『さよなら』と言って出ていく彼の姿を。


『どうして黙っていたんだ』と言って私を詰る彼の姿を。


『どうしてだ!』と叫んで私を責める彼の姿を。


何度も何度も夢に見た。


夢の中で泣いて、泣きながら目が覚める事もあった。


起き上がれるようになるまで、一カ月近くも掛かった。


ミハイル兄上は私が寝込んでいる間、ずっと屋敷に滞在を許してくれて看病してくれた。


「余り心配をさせるな」


そう仰った兄上はとても老けて見えた。


「申し訳ありません」


あのまま死んでしまいたかったが、あまり病気をした事のない私の身体は丈夫なようだ。

「どこか静かな処へ療養にでも行くか?」


兄上は優しく私を気遣ってくれたが、私は断った。


何か私に出来る事を探すべきだろうか?


魔物の力が弱くなっても、幼年学校の剣の教師とかぐらいなら出来るだろうか?


それともアドリアでアンナ達と合流して・・・いや、神殿が絡むから無理か?


先の事を考えようとはするものの、気づくと涙が零れているような有り様だった。


「辛気臭いですね、叔母上ともあろう方が」


レフにそう言われてしまった。


ミハイル兄上は私を甘やかして、黙って見守っていてくれたが、幼い甥は容赦が無かった。


「僕はいつも毅然としていた叔母上に憧れていたのですが、幻滅させられましたよ。メソメソと泣いてばかりで」


「・・・すまないな」


力なく答える私にレフは益々苛立つようだった。


「ああっ!もう!何もしないで泣いているだけだなんて、本当に叔母上らしくないですよ!ちゃんと本人に確認したんですか?お二人の関係はそんなに簡単に壊れてしまう様なものだったんですか?」


子供の癖に、何をどこまで知っているのか判らないが、レフは厳しく私を叱咤する。


だが、どう言われようとも、父親が亡くなって公爵家を継ぐ事になったフレデリックが全てを知る事は時間の問題で、その時、私は彼と向き合う事が怖くて怖くてたまらない。


いっそ、このまま・・・黙ったままで会わないでいれば。


私はともかく、彼は私を忘れて・・・いや、憎んだままか?・・・公爵家の跡取りとして相応しい妻を娶る事になるのだろう。


毎日のようにレフから激励にも似た叱咤を受け続け、私は少しずつ健康を取り戻していった。


丈夫な身体が憎たらしいくらいに、食事は以前と変わらない程に戻り、体重も戻りつつあった。


気づけばいつの間にか長い冬が終わろうとしていた。


「随分と暖かくなって来たな」


「そうですね」


ミハイル兄上とサンルームでお茶を飲みながらそんな話をしている時だった。


「お前に縁談が来ている」


えんだん?


「ティモールのランドマーク公爵家からの申し込みだ。受けるな?」


私はカップをテーブルに落とし、椅子を倒してよろけながら立ち上がろうとした。


けれど、足が震えて、きちんと立ち上がる事が出来ずに床の上に座り込む羽目になった。


「・・・お、お受けする事は・・・で、出来ませ」


可笑しい程に私の身体と声は震えていた。


怖い、怖い、嫌だ、嫌だ・・・誰か・・・助けて。


フレデリック・・・助けて。


私は狂っているのかもしれない。


恐れている相手に助けを求めるなど。


取り乱した私を兄上はそっと抱きしめてくれた。


「アーニャ、落ち着け。あいつはちゃんと知ってる。全てを知った上で、正式な外交ルートを通じて父上に、陛下に申し込まれた話だ。話が遅れたのは、爵位だけでなく宰相の地位まで引き継いだからだと言って来たぞ」


私を宥める様に背中を擦りながら、聞かせてくれた兄上の話は俄かに信じ難かった。


「・・・彼は私を恨んでいるのでは?」


怖くて小さな声でしか訊ねられなかったけれど、兄上は首を振って否定してくれた。


「いや、そんな様子には見えなかったな」


漸く震えが止まった私を兄上は立ち上がらせてくれた。


「気になるのなら、自分の目で確かめるといい」


振り向くように促されると、サンルームのドアが開いていて、そこには・・・


「アーニャ!」


私は懐かしい声を聞いて、意識を失ってしまった。






「気が付いたか?」


目の前には見間違う筈もないフレデリックの姿。


では、やはりあれは夢ではなかったのだ。


「遅くなってゴメンな、ホント。こんなに手続きが面倒だとは思っても見なくてさ」


優しく私の髪を梳く彼の手の温もり。


嬉しいのか?悲しいのか?怖いのか?


何れか判らぬ感情の元に溢れる涙が零れた。


「呆れちまって、もう俺のコト、嫌いになったか?」


優しく微笑む彼の表情に本当にこれは夢ではないのだろうかと不安になる。


「ぉまえこそ・・・私の事を」


唇が渇き、喉が掠れて、声が上手く出せない。


ゴクリ、と唾を飲み込んでもう一度言い直す。


「オマエこそ、私の事を許せないのではないのか?」


ずっと、ずっと彼に糾弾される事に怯えていた。


「どうして?許しを請うのは俺の方だろ?お前がずっと一人で悩んでいたってのに、全然気づきもしねぇで無神経な事ばっか言ってたよな、俺。ホントにゴメン」


私の髪を梳いていた手は私の頭を掴んで、熱を測る様にお互いの額をコツンと合わせてから軽く唇が触れた。


「親父と兄貴が死んじまって、跡を継ぐ事になって、色々と初めて聞かされた事には驚いたけど、納得もしたんだ。どうしてお前が俺に何も言わなかったのか」


そうだ、私は彼に一度もはっきりと言葉にして伝えた事などなかった。


「言えねぇよな、そりゃあ。俺がお前の立場だったら同んじ事をしたはずだぜ」


彼は・・・フレデリックは私を許すと言ってくれるのか?


「・・・怒ってない?」


恐る恐る訊ねると「ああ」と答えてくれた。


「私が・・・怖くはない?」


魔物の私が怖くはない?


「お前は怒った時と酔った時以外は怖くねぇよ」


おどけた様にウインクをして見せた上で答えてくれた。


「私を・・・許せるのか?」


大切な妹を攫った私を?


「だ、か、ら、許して欲しいのは俺の方だってぇの!」


焦れたように答えてくれたフレデリックに私はそっと触れた。


「ずっと・・・嫌われるのが、怖かった・・・愛しているから」


彼の滑らかな頬に触れる指先は震え、涙が溢れて止まらない。


「ああ、俺も愛してるぜ、アーニャ。その言葉をずっと待ってた」


フレデリックは零れる涙を拭って、私の額に、頬に、鼻先にキスを一つずつ落として、唇に触れるようなキスをした。


「俺もお前にずっと言えなかった言葉がある」


額と鼻先が触れる程顔を近づけたフレデリックが私に囁いた。


「どうか残りの人生を俺に預けてくれないか?俺に出来る限りの全力を尽くしてお前を幸せにして見せるから」


まさしく鼻先で彼は私の表情をじっと窺っていた。


私が唖然として何も答えられないでいると、私の肩を掴んで抱きしめ、耳朶にキスをするように熱く囁く。


「愛してるから、お前の全てが欲しかった。でも、俺は帝国の姫君を妻に迎えられるような身分を持ち合わせちゃいなかった。だから、未来を約束するような言葉は言えなかった」


すまなかった、と彼は詫びる。


ああ・・・私達はお互いに一番言いたい事が言えずにいたのか。


私だけではなく彼も。


「そんで、俺は今、お前にプロポーズしたんだけど。返事は?」


気が遠くなりそうなくらい長く続いたキスの後で、フレデリックは私に訊ねて来た。


今さらだと思うのだが。


戸惑って、答えに窮している私に、彼は私の上半身を起こし、ベッドの傍らに膝を着いて、私の両手を包んだ。


「アンナ・イワノヴナ・バレンツ殿下、どうか私の人生の灯となって、この先もずっと照らし続けて頂きたい」


畏まって、気取った言葉を紡いでいく。


「貴女様の哀れな僕にどうかお慈悲を賜れますでしょうか?」


彼がそっと掴んでいる私の両手に口付けが落とされる。


「お返事は?」


フレデリックは、悪戯好きの子供が面白がっている様に笑いを堪えた様な顔になっている。


少し、ムッとした私は、皇族への儀礼的な求婚に対する答えとして、通常行われるべき手続きを述べた。


「皇帝陛下と議会の承認を得られた上で、良き日にご返答をお待ち下さい」


「おい!」


「兄から公爵様の求婚は、外交ルートを通って、と伺っております。ご返答も然るべきルートを通してからが筋と言うものでございましょう」


「勘弁してくれよ、全く・・・お前は素直じゃないな」


苦笑するフレデリックに私はクスリと笑いを漏らしそうになったが、彼に応えた言葉に嘘はない。


「陛下の許可を頂けなければ、私の意思だけで結婚は出来ない」


どんなに私の気持ちが承諾を望んでいても。


「ま、そりゃそーだ。覚悟は出来てるし、手も回してある」


不敵に笑ったフレデリックを私は訝しんだ。


「どう言う事だ?」


「伊達に何年も軍の情報部に居た訳じゃないんだぜ、俺は」


確かに、彼が帝国に来た時の要件も外交絡みではあったが。


「ふっふっふっ・・・お偉いさん達の弱味ならバッチリ掴んでっから!おまけに俺は今、宰相閣下なんだぜぇ、へっへっへっ」


そう言えば兄上がさっきそんな事を言っていたような・・・


ティモールはこんな男を宰相にして大丈夫なのか?


「良き日のご返答を楽しみに待っております」


大袈裟に手を振り下ろして礼をしたフレデリックは、その後、態度をガラリと変えてベッドに入り込んで来た。


「何をしている!」


「まあまあ、久し振りだし・・・随分と痩せたな。安心しろ、たっぷり食わしてでっぷりと太らせてやるから」


シーツの下でゴソゴソと動く手は、ペシペシと叩いても止まる事が無い。


確かに、痩せて体力が落ちた身体では抵抗が弱い。


フレデリックは相変わらず、明るく逞しかったが、少しやつれてもいた。


私が泣き暮らしていた間、彼は家族を失い一人になったのだった。


いや、もう一人ではなく、兄や妹達が生きている事も知っているのだろうが。


「シャノンにいる家族に会いたいか?」


私を抱きしめるフレデリックに小さな声で訊ねてみた。


「いや、別に今更会っても・・・幸せならそれでいいし」


淡々としている答えに少しホッとする。


「マルガリータ・・・マーガレットはユーリ・・・ジュリアスとシャノンで仲良く暮らしている。アンナ・・・アンはアドリアで奇跡の巫女として頑張っている。時折、知らせも届く」


そうだ、フレデリックにアンナからの手紙を見せれば・・・


「気にすんなってんのに・・・ま、無理もねぇか」


フレデリックはクスリと笑って私に優しいキスをした。


彼の温もりに包まれて、私は久し振りに夢も見ないでぐっすりと眠った。






そして陛下と議会の承認は呆気ないくらいに簡単に下りて、返答を待っていたフレデリックは意気揚々とティモールへと帰って行った。


私を迎え入れる準備をする為に。


「ティモールは恐ろしい男を宰相にしたものだ」


とは皇太子であるアレクセイ兄上のお言葉だ。


フレデリックは何をネタに陛下や議会を強請ったのだろうか?


私は彼の元へ嫁ぐ準備を始めた。


ミハイル兄上は私よりもはしゃいで花嫁道具を色々と揃え、レフは自分の手柄だと言わんばかりに得意げになっている。


そして、明日にはティモールへと旅立つ日に、私はアンナへと手紙を書いた。


つらつらと思うままに書いていると、その長さは膨大になり、自分でもちょっと呆れてしまった。


よく考えた末に、長い手紙は破り捨て、短い一文に止めた。


その手紙を鳥に託して飛ばした。


夏の青空の下を羽ばたいて飛んで行った。


返事はいつ来るのだろうか?


手紙を受け取って驚くアンナの顔を思い浮かべると、笑いが込み上げて来る。


今度、彼女に会えるのはいつになるだろうか?


アンナが世界各国を回るなら、いつか必ず会えると信じている。






『フレデリック・ランドマーク公爵と結婚する事になりました。次に会う時はお義姉様と呼ぶこと。アーニャ』







アーニャからの手紙をかなり遅くなってから受け取ったアンナの反応。


「ええ~!!うっそぉ!アーニャの恋人って恋人って・・・フレデリックお兄様だったのぉ?うそ、うそ、うそぉ・・・いつ?どこで?どうやって知り合ったのよ?信じらんない!!それに公爵って?お父様とコンラッドお兄様は?どうなってんの?ルイス!これは絶対にティモールへ行かなくちゃ!いつまでも嫌がってないで母国へ凱旋よ!」


てなトコでしょうか?

もっと延々と叫んでいそうな気もしますが。


長いお話にお付き合い頂けましてありがとうございます。

無事にエンドマークがつけられてホッとしています。


お約束通りに番外編を同時にアップ致します。

少々の後日談を含みますのでお楽しみ頂けると嬉しいです。



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