第七話 ルイス 予兆
第二部第七話 ルイス 予兆
初めてその里を見た時、感じた事って言やぁ『荒れてる』に尽きた。
俺は神殿の祭司として何度かセヴァーン近隣の街や村にモノを教えに出向いた事がある。
自分の生まれた村にも一度だけ行った。
確かに子沢山では全ての子供を育てる事など出来ない様な貧弱な土地だった。
他にも、俺の生まれた村よりも貧しい村を何度か見た事がある。
その中でもリアードは他の追従を許さないくらいピカ一に荒んでいた。
建っている家、いや、ありゃ小屋だ、はボロボロで数も少ない。
畑らしきものに植えられているのは食べられるのかどうかすら判らない様なシロモノだ。
もっとも、これだけ高い山の麓、と言ってもかなり高度が高そうな場所では、満足に育つ物などありはしないだろう。
クレメンスは俺にこの荒んだ里を見て、どう未来を見極めろって言うんだ?
俺達を出迎えた、リアードの里長でミシェルと名乗った人物は、俺達をみすぼらしい小屋の一つに案内した。
「お恥ずかしい有様ですが、若い者達は里を出ておりまして、満足なお持て成しは出来ませんが、ゆっくりなさって下さい」
この里が荒れているのは、厳しい環境だからではなく『神の遣い』として駆り出され、手が足りないからだと言うのか?
確かに、小屋はみすぼらしくとも、出された茶はクレメンスがお貴族様達に出してた様な高級品だ。
金には困って無いって事か?
ならば、どうして里長と名乗るこの男はこんなにやつれているんだ?
「ミシェル殿、我々が来る事を知っていらしたのなら、その目的もご存じの筈。あなた方はこの里をどうなさるおつもりなのですか?」
アーニャが何の前触れもなく、いきなり本題に入った。
この小屋に入る前、俺の素性を言い当てた里長に驚いていると、アンナは『未来を予言出来る者からの知らせがあったんじゃないかな?』と教えてくれた。
そうだな『魔物』の力に、未来を予言するって力があったな。
それで俺達がここに来るって知ってたのか。
でも、俺はアーニャやアンナがこの里に来た目的とやらまでは聞いていない。
俺も教えてないが、俺はクレメンスから漠然とした事しか言われていないから、話そうにも話せない。
アーニャの鋭い問い掛けに、リアードの里長はクスリと笑った。
「『神の遣い』の事ですか?それともこの里を滅ぼすつもりでいる事ですか?」
里を滅ぼす?
「・・・エルベから命じられれば、あなた方はその命に背く事は出来ない。シャノンの里が我々バレンツ帝国の命に逆らえない事と同じ様に」
ああ、そう言えばこのアーニャって女はバレンツ帝国の皇女様なんだそうだな。
将軍職も貰ってるってアンナが自慢げに騒いでいたっけ。
こいつらは帝国の軍部の人間としてここまで来たって事か。
「我が国も『魔法遣い』としてあなた方の同胞を遣っている。『神の遣い』について我々が口を出す権利も理由もありません」
淡々と話すアーニャの言葉は『魔物』としてと言うよりも、バレンツ帝国の軍人、それも軍の上層部としての意見のように聞こえる。
彼女が俺に漏らしたように『魔物』の力を失ってしまった彼女には、そんな言い方しか出来ないのか?
「庇護と引き換えの服従・・・帝国でも我ら『魔物』を隠し通す事に限界を感じられているのでしょう?我々は目まぐるしく移り変わる権力に追従する事に飽いたのです」
それはエルベの大神殿を見て来た俺にも判る。
『魔物』の擁護派と排斥派の争いは権力を掌握したがる者達が凌ぎを削っているからな。
それ以外の派閥もあるし、ゴチャゴチャとしていつまで経っても落ち着かない。
唯人である俺ですら愛想を尽かす程なんだから、当事者である彼等が、ただ黙って静観し続ける事は出来ないんだろう。
それにしても・・・飽いた、とは?
この里を滅ぼす事がその結論だとでも言うのか?
「それでも、あなた方は私、と言うよりはこのアンナの訪れを待ち侘びていたようですが?」
そうだな、アーニャの言う通り、リアードの里長がアンナを見る目つきはとっても嬉しそうだった。
確かに待ち侘びていたと言っても過言ではない程に。
「それは勿論、当然の事ではありませんか?我々だけでなくこの世界を来るべき『災厄』から救って下さる『月の巫女』様にお会い出来て嬉しくない者はおりませんよ」
柔らかく微笑む里長に、俺の隣に座っていたアンナは両手をギュッと握りしめて、顔を俯かせた。
『災厄』を救う『月の巫女』?
『災厄』って何の事だ?
『月の巫女』って・・・もしかしてアンナの事か?
月の、特にホデンの満ち欠けで力の影響を受け易いとは言ってたが、『巫女』って・・・救うって何をさせるつもりだ?
もしかして・・・アンナもアーニャもこの事を知ってたのか?
そうだよな、じゃなきゃ、アーニャもあんな事を言い出さないだろうし、アンナのこの反応も納得出来るってもんだ。
彼らは『予言の力』とやらで来るべき『災厄』から救ってくれるアンナに期待してるのか?
どんなに凄い力を持ってるのか知らないが、こいつはまだ16の女の子なんだぞ?
期待を寄せるのにも程があるんじゃないのか?
俺は何だか腹が立って来た。
「『月の巫女』様がアドリアにおいでになられたと知ったら、エルベの猊下もお喜びになられる事でしょう」
まさか!こいつは!!
「ミシェル殿、あなたはまさかアンナを・・・」
大神殿に売り渡すつもりか?
アーニャは絶句し、アンナは怯えた様に身体を震わせ、俺は椅子から勢いよく立ちあがった。
「貴様!」
「おや?あなたはティモールの祭司でいらっしゃると言うのに猊下の意向に逆らうお積りなのですか?」
激昂して睨みつけた俺に、リアードの里長は平然と言い返して来た。
確かに、確かに神殿の祭司として、神殿の総本山であるエルベに居る最高権力者である祭司長の意向に逆らう事は愚かで馬鹿げている。
けど、俺は、俺は・・・アンナ達と出会う以前の俺なら、『魔物』が災厄から世界を救うと言うなら、エルベでもセヴァーンでも神殿に差し出して役に立つなら立ってみろ、と言ったかもしれない。
でも、この数日、彼女達と一緒に旅をして来て『魔物』と言えど人間なんだと感じる事ばかりだった。
冷静なアーニャだって『魔物』の力が無くなっている事に不安を感じていた。
アンナは貴族の令嬢で在った事が信じられないくらいに普通の娘だ。
『魔物』としての力は確かにあるみたいだが、お喋りで食いしん坊で噂話が好きで・・・泣き虫で。
そんなこいつらに何をさせるつもりなんだ?
『神の遣い』に仕立てるつもりなのか?
こいつがそんなつもりでいるなら俺は・・・
神殿の祭司としてはマズイかもしれないが、そんな事をさせるわけには行かない。
いや、そんな事を許しちゃいけない。
「祭司としてと言うより以前に人として見過ごせないものがあると思う」
そう、こいつらは『魔物』である以前に人間なんだ。
「ルイス・・・」
俺の言葉にアンナは驚いてたが、仕方ないか。
初めてこいつらに『魔物』だと告げられた時の俺の反応からすりゃあ。
「成程、ティモールの神殿にも骨のある祭司の方がいらしたと言う訳ですな」
自嘲するように呟いたリアードの長は顔を上げ俺達を見た。
「エルベの大神殿には、最早、我々をただの便利な道具として扱う事こそが『魔物』の擁護であるといった考えが浸透してしまっているのです。確かにこれだけ大陸全土で忌み嫌われている存在である我々が認められる方法としては致し方ないのかもしれませんが」
そう言ってから俯いた。
「最初は我々が神殿を利用するつもりでした。この世界に認められる存在になるために。ですが、やっている事は唯の殺戮者と変わらない。今まで『魔物の里』として忌避してきた人への力を使った制裁など、結果だけ見れば力を悪戯に使った者達と変わりはしません」
「だから『飽いた』などと仰るのか?」
里長の言葉にアーニャが問い掛けると、リアードの里長は小さな溜息を吐くと、黙って首を横に振った。
それはアーニャの言葉を否定したものなのか?真意ははっきりとは読み取れない。
「長旅でお疲れでしょう?今夜はゆっくりとお休み下さい」
話はこれで終わりだとばかりに里長はそう言って会話を打ち切った。
俺達は何ともすっきりしない気分で宛がわれた部屋へと引き上げる事しか出来なかった。
質素な小屋ではあるが、寝具は柔らかで寝心地は良さそうだった。
本当に見かけだけがみすぼらしくて、実際には豊かな生活を送っているのだろう。
それは『神の遣い』としての報酬の成果なのか?
だとしたらとても居辛いな。
『魔物』の力を遣って、人を殺めた報酬で得た暮らし。
だが、『魔物』だから貧しい暮らしをしなければならないという理由は無いだろう。
彼らだって人間だ。
人として生きて行きていく権利だってある筈だ。
今の俺にはそう言いきれるだけの理由がある。
疲れている筈なのに、どうにも眠れなくて、俺は部屋を出て外に出る事にした。
まだ冬の初めには早過ぎる時期だと言うのに、リアードの里では日が暮れると吐く息が白くなるほど空気が冷たい。
夜空に掛かる雲は勢いよく流れ、三日月と少し欠け始めた月が谷間の里を照らして足元は明るい。
寝静まって人影が見えない筈の中で、ぽつりと一人立つ姿が見えた。
「なにやってんだ!!」
思わず大声で詰ってしまう。
だって、この寒空でそんな薄着な格好で出歩くなんて!
この間、熱を出した事を忘れたのか?こいつは!
寝巻にストールを巻いただけの姿のアンナに俺は慌てて羽織っていた毛布を掛ける。
「あ、ありがと」
声が震えてるぞ!
「早く中に入れ!」
グイっと肩を掴んで小屋に戻ろうとしたが、アンナは気まずそうに首を振って抵抗した。
「ゴメン、もうちょっとだけ・・・ダメかな?」
暖かい部屋ではなく、寒い外で頭を冷やして考えたい事があるのか?
俺の様に?
だが、アンナに毛布を渡してしまった俺だって寝ていた時に身に着けていたシャツだけと薄着だ。
こんな所で風邪をひくつもりもない。
「・・・なら、ソレ、半分寄越せよ」
そう言って俺はアンナに一度は預けた毛布を引っ張って一緒に包まった。
一人では引き摺る程の長さを持つソレは身長差がある俺達二人ではひっ付いていないと冷たい風が入り込んでしまう。
「・・・我慢しろよ」
文句を言われる前に俺は釘を刺した。
「うん・・・ありがと、ルイス」
いつもはお喋りなアンナも今夜は口数が少なく大人しい。
里長に言われた事を気にしてるのか?
それとも『予言』とやらについて?
黙って月を見上げているアンナをチラリと窺いながら、俺は流れる雲に見え隠れする二つの月を見上げた。
月明かりで夜空も雲も、里の中も良く見える。
冷気に研ぎ澄まされた空は澄んで綺麗だ。
「あの・・・あのね。その・・・さっきはありがと、ルイス」
躊躇いがちなアンナの言葉に俺は首を傾げる。
「礼ならさっきも聞いたが」
何なんだ?
「その・・・毛布の事じゃなくて・・・さっき、里長に言ってくれたでしょ?『人として見過ごせない』って」
あー、アレか・・・思い出させるなよ!
妙に熱くなった自分を振り返ると恥ずかしさが込み上げて来るんだから!
「ルイスがそう言ってくれて・・・とっても嬉しかったの。ホントにありがと」
チラリとアンナを見れば、はにかむ様に笑っていた。
クソッ!か、可愛いじゃねぇか!
俺は火照りそうな顔を慌ててアンナから逸らせた。
「れ、礼を言われる程の事じゃない!」
そうだ!嘘偽りを言ったつもりはないんだ!
恥ずかしさは拭い切れないが、そう言った事を後悔している訳でもないし、今だってそう思ってるんだからな!
「でも・・・」
更に続けようとするアンナを俺は慌てて遮った。
「こんな夜中にどうしたんだ?眠れないのか?」
これ以上礼を言われたら恥ずかしさが募るだけだ。
「うん・・・眠れないんだ。疲れてるのにね」
俯いたアンナがポツリと呟いた。
「・・・お前から見てこの里はどう見える?その・・・シャノンと比べてどうなんだ?」
俺はシャノンの里を知らない。
クレメンスならもしかしたら一度くらいは行った事があるのかもしれないが。
『魔物の里』なんて今まで俺は興味も無かったし、クレメンスが何度か俺に伝えようとした事があったが、俺は右から左へと聞き流した。
あまり『魔物』と深く関わり合いたくはなかったし、俺には縁も所縁もない話だと思っていたから。
今回の巡礼だって、こいつらと会わなければ、きっとここまで来る事は無かったと思う。
『リアードを見て来い』と言われたが、俺一人では果たしてここまで来るつもりになれたかどうか。
「シャノン?ここと・・・リアードと比べて?」
首を傾げたアンナだったが、次の瞬間、大きく首を振って否定した。
「ここと比べる事なんて出来ないよ!シャノンはここと全然違うもん!あそこはマルガリータお姉様を始めとした里の人達が力を合わせて守っているところなんだよ?ここよりもっと、ずっと暖かくて豊かで素晴らしいところなんだから!」
気が抜けた様な今までとは打って変わったアンナは激しい勢いで俺に抗議して来た。
「そ、そうなのか?」
アンナの勢いに押された俺はそう答える事しか出来ない。
「・・・でも、ここが・・・リアードがこんな風なのは、ここの人達だけの所為じゃないよね」
浮き沈みが激しいアンナは俯いて静かに呟く。
まあ、確かに。
リアードは一見、貧相に見えても豊かな処もあるし、この里の人達が里を栄えさせる事よりも重きを置いている事は違う処にある様だし。
一概にリアードが酷い所だと断じる事は出来ないんだろうな。
それでも、アンナもリアードの現状を良しとは思っていないんだろう。
「『災厄』ってのは何の事なんだ?」
俺の問いにアンナが鋭く息を呑む音が聞こえた。
「あのね・・・『力』のある人なら誰でも感じてるらしいんだけど、間もなく世界に大きな災いが起こるらしいんだって」
話したくないなら・・・と言いそうになった俺の言葉の前に、アンナは明るく答えてくれた。
「それでね、ここからが笑っちゃうんだけど、どうやらその『災厄』とやらをあたしとお姉様が・・・『月の巫女』ってあたし達の事らしいんだけど・・・防ぐっていうか退けるっていうのか・・・とにかく『災厄』から『月の巫女』が世界を救うらしいんだよね」
笑っちゃうでしょ?
アンナは苦笑交じりにそう言った。
それって・・・それって何だよ!
滅茶苦茶だろ?
こいつとその姉貴がどれほど大きな力を持ってるのか知らないけど、たった二人で世界を救えって?
何てプレッシャーを与えてんだよ!
こいつが不安に感じるのは当たり前だ!
「・・・お前はどうするつもりなんだ?」
「え?」
俺は怒りのあまり、低い声で問い掛けた。
「今の世の中はお前達が力を遣って救う価値があるものなのか?」
神殿に使える祭司が言う言葉じゃねぇな。
冷静な俺が心の中で突っ込みながら呟いたが、正直な本音だ。
俺は今まで散々神殿の中やお偉いさん達の醜い派閥抗争を見て来た。
腐りきった奴らばかりだった。
これから『災厄』とやらが訪れると言うのなら、それこそは『神の鉄槌』ってヤツじゃないのか?
いっその事、その『災厄』とやらに綺麗さっぱり全て洗い流して貰ったらいいんじゃねぇのか?
『魔物』を排斥し続けるこの世界は『災厄』でも起きない限りやり直せないだろ?
睨みつけるような俺の視線にアンナは唖然として、そして小さく息を吐いて首を振った。
「ダメだよルイス。そんな事言っちゃ」
お前は知らないから!
俺はそう言い返そうとして息を吸い込んだが、反論する前にアンナの言葉が紡がれた。
「あたしはこの世界の全てを知り尽くしてる訳じゃないけど、守りたいモノはたくさんあるよ。シャノンの里もそうだけど、マルガリータお姉様や、厳しいけどユーリだって、会えなくなっても家族だって、アーニャも、今まで知りあえた人達全部、大事だし、生きてて欲しいよ」
「それはお前が!」
「うん、あたしはホントにこの世界の事を知らないし、正直、世界を救うなんてプレッシャーでしかないけど、それでも出来る事があるなら、役に立てるならって思うよ」
こいつは・・・根っこがやっぱりお嬢様だ!
「この世は綺麗事ばかりじゃない!」
知らない癖に!知らない癖に!
俺は込み上げてくる怒りに拳を握りしめた。
「うん、そうだと思うけど・・・でも、やっぱりダメだよ」
強張る俺の腕に、アンナの手がそっと触れる。
「ホラ、この世界は綺麗だと思わない?」
アンナはそう言って夜空を指示した。
「あたしはこの世界に生まれて来て良かったと思ってる。それだけでこの世界は救う価値があると思うんだ」
単純な奴だ。
裕福な貴族に生まれたって、『魔物』としてシャノンに隔離されて、嫌な思いも辛い思いもして来た筈なのに、どうしてそんなにあっさりと認められるんだ?
『生まれてきて良かった』だとか『この世界が綺麗だ』とか。
とんだ甘ちゃんだ!
でも・・・確かに見上げる夜空は綺麗だ。
俺は白い息を吐き出して握りしめた拳をゆっくりと開いた。
「ああ・・・そうだな」
情けないが完敗だ。
こんなにお目出度い考えを持ったお嬢様が居る世界は確かに救う価値があるんだろうさ。
「ねぇ、ルイス。あのさ・・・また詠ってくれないかな?」
アンナの言葉に俺は視線を夜空から下へと移した。
見下ろすアンナは俺から顔を叛けて明後日の方向を見ている。
「咏?」
何で今?
「その・・・景気づけと言うか・・・勢いをつける為って言うか・・・この間、詠ってくれた時、凄く安心したって言うか・・・凄く綺麗な声だったし・・・その・・・」
最後の言葉は小さ過ぎて聞こえなかった。
「?何だ?」
聞き取ろうと身体を屈ませようとしたが、アンナに腕を伸ばして遮られた。
「と、とにかく!また詠って欲しいんだけど!ダメかなっ!」
意味が判らん。
だが、咏か・・・あの時は泣き出したこいつを宥めようと思ってつい・・・ちょっと黒歴史に入れたくなった出来事なんだが・・・こいつがどうしてもって言うなら・・・
「心して聞けよ」
神殿に引き取られた子供達は言葉と同様に咏を教え込まれる。
祭司も巫女も主な仕事は神に咏を捧げる事だからだ。
ガキの頃から嫌という程、詠わされて来た。
好きも嫌いも無い。
唯の仕事だ。
でも、それをこいつが望むなら、詠う事くらいなら。
身に着いた呼吸法で息を整える。
喋りとは違う詠う為の呼吸方がある。
そうすると言葉とは違う声が出る。
そうだな、こんな空の下で詠う事こそ、神に捧げるに相応しい場所なのかも知れない。
俺は正直、『神』の存在なんて疑わしいもんだと思っちゃいるが、それでも存在するのなら。
どうかこいつが辛い思いをしない様にと願いを込めて詠おう。
こいつには悲しい思いはして欲しくない。
幸せになって欲しい。
いつも笑っていて欲しい。
どうか・・・どうか。
願いを込めて詠う。
普段、話している声とは違って、少し高い俺の咏が響き渡る。
どうか、マトフェイ神よ、我が願いを聞き届け給え。
日頃、不遜なあなたの信徒が真摯に願うこの咏を聞き届け給え。
俺は今までになく心をこめて詠った。
俺の願いが神に届いたとは思えねぇが、それでもアンナは気に入ってくれたみたいだ。
ホゥっと感嘆したような溜息を吐いてから絶賛してくれたからな。
「凄い・・・凄いよルイス!凄く綺麗な咏だったよ!やっぱりカッコイイなぁ・・・」
「あ、当り前だろ!」
何てったって俺はこれでも祭司の端くれなんだからな!
俺は込み上げて来る恥ずかしさにアンナの視線から逃れる様に顔を逸らせた。
「うん、あたし、頑張るよ!どんな災厄が来るのか知らないけど、ドンと来い!全力で跳ね返しちゃうから!」
キラキラと瞳を輝かせて断言したアンナに思わず苦笑が漏れる。
「さっきまでヘタレてたクセに」
つい、揄っちまったが、アンナはそんな俺の揶揄にはヘコタレなかった。
「いいの!元気百倍になったから!」
これってルイスの咏のお陰だよ!
そう言われて嬉しくない奴が居るか?
アンナの笑顔に釣られる様にして俺は笑った。
その時、ゴゴゴウといった低い地鳴りが聞こえた。
「なに?」
アンナにも聞こえたらしい。
俺は思わずアンナの肩を抱き寄せた。
これは・・・
「地震だ」
立っている地面が揺れる。
ドン!と大きく上下に揺れてからグラグラと横に揺れ始めた。
「ルイス!」
立っている事が辛くなり、俺達はその場に膝を付いた。
里の中の小屋が揺れ、眠っていた人達も起き出して騒ぎだす。
「大丈夫だ、時期に止む」
筈だ。
揺れは徐々に弱くなり、微かな余韻を残して消えた。
それでも俺達は直ぐに立ち上がる事は出来なかった。
まだ揺れているようで。
「もしかして・・・これが『災厄』なの?」
アンナの呟きに俺は何も答える事が出来ない。
これが『災厄』?
地震は地殻変動などが齎す自然災害だ。
広域に被害が及んだとしても、世界中にとまではいかない筈だ。
だが、これが余震で在るなら・・・もっと大きな揺れが、もっと人口の多い大きな都に起こったならば。
それが海に面したアドリア帝国のエルベであったなら。
二次災害が・・・大きな津波が襲ってくれば・・・
それだけじゃない。
建物は崩壊し、土砂崩れが起こり、被害は計り知れない。
それを救う?
アンナが?
どれだけの力をこいつに遣わせるつもりなんだ?
俺は理不尽な怒りが込み上げて来た。
「ルイス?」
不安そうに俺を見詰めるアンナに俺は溜息を吐いた。
それでも、こいつはこの『世界』を救う為に全力を尽くすんだろう。
自分の身を顧みずに。
俺がこいつにしてやれる事は何だ?
咏を詠って励ますだけか?
こんなんだけじゃ嫌だ!
他に何か・・・こいつにしてやれる事は無いのか?
「お前は一人じゃない」
俺が・・・俺が傍についてるから。
俺は戸惑うアンナを抱きしめてそれしか言えなかった。
これから訪れるであろう、この世の災厄。
それに立ち向かわなければならないアンナ。
俺は出来るだけこいつの傍に居て支えてやりたいと願った。
何が出来るか判らないが。
クレメンスが言っていた『俺の未来』は見つかった。
災厄まで辿り着きませんでした。
スミマセンスミマセンスミマセン(色々と)
次回はアンナ視点で