第三話 アンナ 巡礼
第二部 第三話 アンナ 巡礼
ふ、ふふふ、あたしの考えも甘かったわね。
バレンツ帝国の帝都・エニセイからティモールの国境まで、普通なら馬車で7日間という道のりを、この体力馬鹿の将軍閣下は、馬で3日間と言う半分以下のスピードでこなされました。
ええ、もちろん宿に泊まったりは致しませんでしたとも!
今回は、馬車がない分、野宿と言うものも経験させていただきましたっ!
予想通り、食事は干し肉とキャベツのワイルドなスープとパンのみ。
身体は汗でドロドロ筋肉痛でボロボロの状態でティモールに入りましたとも!
お陰で、ティモールから出る貧しい巡礼の一向に扮するには何の問題もない目立たない存在になれました!
ティモール王国とアドリア神聖帝国の間には、大陸の屋根と呼ばれる大きな山脈が存在する。
その中の最高峰はサガルマータと言って大陸一の高さを誇り、山頂は万年雪に包まれているのだとか。
あたしは最初、このサガルマータを超えてアドリア神聖帝国に向かわなきゃならないのか?と、ちょっとばかり背筋が寒くなった。
でも、もちろん、巡礼はごく普通の人達ばかりなんだから、そんなハードな行程ではないらしい。
山脈の低い北側を回って(つまりバレンツ帝国寄りの国境を越えて)アドリア神聖帝国に入るらしい。
ティモールから聖地・アドリア神聖帝国の帝都・エルベへの巡礼は一年に2度行われている。
ティモールの王都・セヴァーンを出発してから、各地の神殿を回りながらエルベへと向かうものらしい。
信仰心を試すようなものだから、当然行程は基本は徒歩。
だけど、軽く1カ月は掛かる巡礼をしようとする人は、仕事を引退したお金持ちとか、お年寄りとか、長い休みを貰える人とか、体力はなくてもお金がある人が多いから、馬車とかを使っても目を瞑って貰えるらしい。
あたしとアーニャはティモール国内最北の神殿がある、エイヴォンから巡礼として参加する事になった。
一緒に巡礼に参加するのは30名ほど、殆どがセヴァーンからの参加者だしお年寄りだから、途中参加で若いあたし達は珍しがられた。
「お若いのに偉いわねぇ。巡礼に参加されたのはどうして?」
人の良さそうなお婆さんに聞かれて、あたしは苦笑しながら答えた。
「母の病気回復を祈願する為です」
淀みなく答えたあたしに、アーニャが問い掛ける様な視線を送って来たので、ニッコリと笑って返す。
大丈夫、あたし、知ってるから。
お母様があたしが居なくなってから間もなく亡くなられた事。
ちゃんと聞いてるよ。
そりゃ、もちろん、初めて聞いた時は凄くショックで悲しかったけど。
あたしが家を出る前から、お母様の容体は良くなかったし、仕方ないよね?
あたしはあの頃、いつも神殿で祈っていた。
お母様の病気が早く治りますように、マーガレットお姉様が無事に戻って来きますように、お父様が元気に笑えるようになりますように、ソフィアお姉様がちゃんとお嫁にいけますように、コンラッドお兄様がもっと優しくなりますように、フレデリックお兄様がもっとあたしをレディとして扱ってくれますように。
子供じみた願い事だったって事はあの頃だってホントは判ってた。
何かしたくても、何も出来ない子供の悪足掻きだって、判ってた。
それでも、神殿で祈る事は、あたしにとって唯一の救いだった。
シャノンでも、神殿では『魔物』に対してあまり偏見を与えないように教えているって聞いて、素晴らしいところだなぁと感心してたのに。
今回の『神の遣い』の話を聞いて、ちょっと不信感が芽生えちゃう。
『魔物』を利用する為だけにそうして来たの?
「それではこれから出発します」
巡礼の一行を引率して案内をしてくれるのは祭司の人達。
何度かセヴァーンとエルベを往復している祭司が、今回は4人居る。
祭司の方達は、いつも神殿では巫女と一緒に灰色の貫頭衣のような物を着ているんだけど、巡礼の際には他の巡礼者と同じ焦げ茶色のローブを羽織っている。
もちろん、あたしもアーニャも同じ格好だ。
エイヴォンの街を出れば間もなくアドリアとの国境に辿り着く。
巡礼者は、国境を超える許可証がなくても、特別に国境を越えられる事になっている。
「今回は巡礼者32名、祭司4名ですね?ご苦労様です」
こんな簡単な会話でOKだなんて・・・世界各地に巡礼用のフリーパスが欲しいわ!
もっとも、祭司が付いてなきゃ意味がないんだけど、時期だって決まってるし。
10人乗りの馬車4台に分散して乗っていたあたし達は、無事に国境を越え、アドリア神聖帝国に入った。
「す、すみません・・・」
山道を行く馬車は揺れる。
ガタガタ揺れる馬車はあたしの身体を前後左右に揺さぶる。
揺さぶられた身体は、当然ながら同乗している人にぶつかったりもするわけで・・・
あたしの左側は小柄なお婆さんで、そちらに寄らないように気をつけていると、自然と右側に寄りがちで・・・さっきからあたしは右隣に座る、目つきの悪い祭司に謝ってばかりいる。
座る場所変わって!アーニャ!
必死で目で訴えようとしたけど、あたしの向かい側に座るアーニャはローブのフードを目深に被って顔を見せない。
いや、判ります。
その目立つ髪と瞳の色を隠したいのは。
で、でも!あたしの窮地を見て見ぬ振りをするのは勘弁して下さいよぉ~!
仮にもあたしの上官でしょう?
もうちょっと部下に対する思いやりとか気遣いとか・・・あなたに期待したあたしがバカですか?
それにこの隣の人・・・同行している祭司の中でも一番若いんだけど、無口で無愛想で人を威嚇するように睨むの勘弁して欲しい。
昼食の為に馬車から降りた時、あたしがどんなにホッとしたか。
巡礼者達は基本的に自炊する事になってる。
朝と夜は泊る宿で用意して貰うから問題はないんだけど、昼食に関しては宿で準備して貰ったお弁当か自分で持って来た携帯食になる。
当然、あたしはアーニャと硬いパンと干し肉だけ(それでも食べられるだけでもマシ)
他の巡礼者の人達も似た様なものだから、目立ちはしないんだけど・・・
まだあの若い祭司の視線を感じるのは気のせいでしょうか?
激しくガンつけられてるような・・・
「ねぇねぇ、アーニャ。あたし、そんなに目立ってる?」
あたしは不安に駆られて、アーニャに小さい声で尋ねた。
「落ち着け、大丈夫だ」
そ、そう言われても・・・気になる。
「顔を余り合わせるな。今夜のうちに抜け出す」
え?
「国境は越えた。リアードはエルベよりティモールに近い。最初はエルベまで巡礼に紛れるつもりだったが、こう目立っては意味がないからな」
あのぉ、もしもし?それってアーニャの立案ミス?
まぁ、仕方ないのかなぁ?バレンツ帝国にはないから、巡礼がどんなものか?アーニャに想像もつかなかったのは。
信仰心半分、観光気分半分だから、ちょっとでも変化があったりすると注目を浴びちゃうのよね。
あたしも巡礼に参加したのは初めてだから、まさかこんなにあたし達が浮いてるとは思ってもみなかったけど。
「でも途中で消えちゃったら拙くない?祭司が黙って見逃すとも思えないけど」
そう、巡礼に祭司が何人も付いて来ているのは、なにも案内やお世話をするツアーガイドって訳じゃなくて、監視の意味がある筈だよ。
だって『巡礼』ってだけで簡単に国境を越えられちゃうんだから。
国境警備の人達だって、あたし達巡礼の顔は見なくても人数は確認してたんだし。
「そこは手を打ってある」
そう閣下が仰ったので、あたし達はアドリアに入って間もなく(巡礼として参加した初日の夜に)巡礼から抜け出した。
とほほ、楽になる筈の巡礼の旅が、また過酷なものに変わるのがこんなに早いとは・・・
アーニャの臨機応変さは凄いと思うけど、もう少し普通の旅を続けたかった。
あたし達は巡礼一行が泊っている宿を抜け出し、街すらも歩いて出て、隣街で馬を調達した。
ふふふ、一晩中歩いたのよ、もちろん。
ええ、一日中馬車に乗っていた身体を解すのにはいい運動だったわ。
もちろん、馬を調達してからは1日中走り続けたのよ。
そして当然の如く野宿ですよ。
もうあたしは睡魔に負けて、野宿だろうが何だろうが構わずに熟睡してしまいましたけどね。
こうやって過酷な試練に耐え抜くうちに、アーニャのような軍人が出来上がるのかしら?
そんな事を思いつつも、あたしは寝袋に包まって眠った。
アーニャはもちろん、寝ずの番をしてくれてたみたいだけど、体力的に余裕のないあたしは彼女を気遣える余裕もなかった。
それでも、朝、目が覚めて食事の後にアーニャが「行くぞ」と言った時には「大丈夫なの?」と尋ねる余裕は出来ていた。
「何がだ?」
訝しがるアーニャにあたしは呆れた溜息を吐いた。
「何って、アーニャの身体だよ。3日間、エイヴォンまで馬を走らせて、その後馬車に乗ったとは言え、一晩中歩いて、休みなく一日馬に乗ってたんだから。心配するのは当たり前でしょ?」
ぐっすり寝たあたしだって、また疲れは残ってるんだし、いくら鍛えてるからって休んでないアーニャは倒れちゃうんじゃないかって心配しちゃうよ。
「心配は無用だ。一刻も早く辿り着く必要がある」
ううん・・・昔ながらの無表情で言われると大丈夫なのかな?って思うけど。
「そんなに急ぐ必要があるの?」
そりゃあ、ミハイル殿下からも出発は一刻も早くと言われたけど。
戸惑うあたしの問いに、アーニャは傍らに置いていた剣を取り上げた。
アーニャの視線を追って振り返ったあたしは「ひっ」と思わず声を漏らしてしまった。
「私にもどうしてそんなに急ぐのか教えて欲しいものですね」
そう声を掛けて来たのは・・・目つきの悪い無愛想なあの祭司だった。
アーニャ!手を打ったんじゃなかったの?
追いかけられて来ちゃったじゃないの!
あたしが一晩ぐっすり寝ちゃったのが拙かったのかな?
やっぱり、一晩か二晩は馬を走らせ続けるべきだった?
「私達は一刻も早くエイヴォンに戻らなくてはならない。母が心配なのでな。ゆっくりと巡礼の旅に付き合っている暇はないから、抜けたのだ。祭司の方にはそう伝えた筈だが」
あたしがチラリと反省し始めていると、アーニャは冷静に祭司に向かって答えていた。
「ではエルベに向かっていると?おかしいですね、方向が違いますよ?」
ヤバいよ!
「え、ええ?ち、違うんですか?あ、あたし達、迷っちゃったのかな?どうしよう?」
必死で誤魔化してみたけど、吃っちゃったし、嘘だってバレてるかな?
「エルベに向かっているのなら、どうして巡礼の証であるローブを脱いだのですか?そもそも、あなた方の本当の目的は巡礼なのですか?あなたの母上は既に亡くなっている筈ではないのですか?アン・ランドマーク公爵令嬢」
祭司はあたしを睨みながら畳み掛ける様にそう言い、あたしは真っ青になった。
ひええっ!あたしの素性がバレてるぅ!
ど、ど、どうしよう!!
「い、いやですね、何を仰っているのか判りません。あ、あたしはそんな大層な身分の者ではありませんよ」
あたしがセヴァーンを出たのは4年前、神殿に通っている時に顔を見られたとしても、その頃のあたしとは変わっている筈。
そう信じてしらを切ってみたけど。
「祭司殿のお名前は?」
アーニャの問いに、あたしも怖い顔をした祭司も一瞬、唖然としてしまった。
名前?
そう言えば、巡礼に同行している祭司はみんな『祭司様』って呼んでるだけで、個人個人の名前なんて知らないけど、それが重要なの?
「・・・ルイス・ハドソンですが」
ムスッとしたまま祭司が答えると、アーニャは頷いた。
「ではクレメンス殿をご存じだな?我々の本当の目的地はリアードだと言ったらご理解いただけるかな?」
え?アーニャ、それを言っちゃっていいの?
クレメンスって・・・確かティモールでの『魔物』を擁護する立場の祭司だって聞いた事があるような・・・だから?
「リアード・・・それではあなた方は・・・『魔物』なのか?」
ああ、やっぱりバレちゃったじゃないの!
ルイスと言う若い祭司が一瞬だけ見せた怯えを感じ取ったあたしは、暗い気持ちになる。
うん、そーだよね。
怖くなるのは当然だよね。
なんてったって『魔物』だもの。
人にはない不思議な力で、簡単に人を殺したりする化け物だもんね。
あたしだって、4年前まではそう思ってたんだもん。
でも、やっぱり少し落ち込む反応だよね。
あたしは今まで人を殺めたり傷つけたりした事はないし、これからもそうするつもりはないけど、それをこの人に言って信じて貰えるかどうかは判んないもんね。
「そうだと答えたらどうする?」
アーニャはルイスと言う祭司に問い掛けるが、彼は黙ったままアーニャとあたしを見比べて答えない。
「聞いていた通り、我々は急いでいる。黙って巡礼の一行に戻られるなら良し、邪魔をするなら覚悟をして頂きたい」
アーニャは脅しを掛ける様に手にした剣を抜く素振りを見せた。
「ち、ちょっと!アーニャ!」
そこまでしなくたって!
慌ててアーニャを止めようと間に入ったあたしは、漸く口を開いた祭司の言葉に驚かされた。
「邪魔をするつもりはないが、目的地がリアードならば私と同じだ。同行させてもらおう」
えええ!!!
ど、ど、同行って・・・一緒に?
巡礼はどうするの?
リアードが目的地って?
何の為に?
それよりも。
「あたし達『魔物』と一緒でその・・・」
怖くないんですか?
あたしは素朴な疑問をルイスと言う祭司に言葉を濁しながらも素直にぶつけた。
すると、彼は目を眇めて憮然と言い切った。
「お前は『魔物』に見えないな」
え?ちょっと!
ついさっきまで、あたしの事『あなた』とか言ってませんでした?
それが『魔物』だと知れた途端に『お前』扱いですか?
それって酷くない?
あたしは『魔物』でも人権を尊重して欲しいと主張したいぞぉ!
内心、とても憤っていたあたしは、アーニャがさっさと馬に乗って「行くぞ」と声を掛けても、ルイスと名乗った祭司の若造を見もしなかった。
付いて来るなら勝手にすれば!
精々、アーニャのハードスケジュールに音を挙げない事ね!
鼻息荒く、そう思ってたあたしだけど・・・神殿の祭司が普段お祈りだけしている訳ではない事をあたしはこの旅の間に身を持って知らされました。
と言うか、あたしの体力がなさ過ぎなの?
それともルイスが若い男性だから?
どちらにしても、予想通りと言うか、予想以上と言うか、リアードまでの道程は過酷なものであったのは間違いなかった。
かわいそうなあたし・・・
次回はルイスの視点からになります。
まだ出てこないアンナの力・・・次は出せるといいなぁ。