番外編 公爵家侍女メアリの呟き その3
以前に拍手として掲載していたものですが、時系列に合わせて本編の間に入れ込む事にしました。
第三者から見たランドマーク公爵家のお話です。
今回は第一部全てと並行する形で話が進んで行きます。
その3 メアリ36歳・公爵家の悲劇
その日はいつもと変わらぬ朝でした。
公爵家のお子様たちがお揃いになった食堂は賑やかで、ソフィア様とコンラッド様の喧嘩は相も変わらず、フレデリック様はわんぱくでお兄様達の真似をしたがり、アンお嬢様は生まれてからご病気一つなくお元気でした。
長男のジュリアス様は士官学校に通い始め、その日から演習に出かけられるご予定の所為か、お子様たちはジュリアス様を中心に騒いでおりました。
みなさま揃ってお見送りした時には、まさかあんな事が起こるなんて、誰にも予想だに出来なかった事でございます。
夕方、急な知らせが参りまして、ジュリアス様が演習に向かう途中の崖崩れの事故で亡くなられたと。
その訃報は最初、誰も信じてはおりませんでした。
ですが、公爵様が直々に現場に赴かれ、ジュリアス様のご遺体を確認されたそうでございます。
公爵様によく似て来たご容貌と優しいご性格に真面目で優秀なジュリアス様は、公爵家の後継ぎとして、わたくし共使用人だけでなく、ご親戚や周りの貴族の方々からもご期待されている逸材でございました。
公爵夫妻のお嘆きは如何許りかと、無論、優しいお兄様を亡くされたお子様たちも。
ソフィア様は大きな声で嘆かれ、コンラッド様は暫く口を利きませんでしたし、フレデリック様もいつもの元気がございませんでした。
そんな時、みなさまを救って下さったのは、まだ赤ちゃんであったアンお嬢様でした。
無邪気にみなさまに笑いかけ、ハイハイをしてどこへでも行き、よちよちと歩き出されたアンお嬢様から目が離せなくなって参ったのでございます。
わたくし共を始めとする公爵家の一同は、アンお嬢様のお陰で徐々に日常を取り戻して言ったのでございます。
そして、その7年後。
待ちに待ったマーガレットお嬢様の神殿からのご帰還でございます!
お出迎えにいらした公爵様の馬車が到着する前から、ご家族はもちろん、使用人も一同揃って玄関前に並んでお出迎え致しました。
そうして並んでおりますと、公爵様が奥様を公爵家にお連れになられた日を思い出します。
わたくしも年を取りました。
マティルダさんが引退なされ、その後を引き継ぎ、今では侍女の取り纏めを任せられるほどにまで。
それでも、わたくしの仕事は奥様のお傍でお仕えする事だと、自負しております。
この座は誰にも譲りません!
そして、公爵様に続いて馬車から降りられたマーガレットお嬢様を見た時、わたくしは奥様のお若い頃にそっくりのお姿に、思わず涙が出そうになってしまいました。
あの泣き声を上げていた赤ん坊があんなにご立派になられて・・・12年です!
12年間、長うございました。
「マーガレットお嬢様、わたくし共使用人一同、心よりお帰りをお待ち申し上げておりました」
わたくしは僭越ながら使用人を代表してそうご挨拶させていただきました。
すると、マーガレットお嬢様は驚かれたご様子で。
「あの・・・よろしく」
と小さな声でご返答なさいました。
わたくしは(後で聞いたところ他の使用人達も)少々がっかりしてしまいました。
てっきり、奥様のように優しい微笑みを浮かべられて「ありがとう、ただいま」と仰って下さるものだとばかり思っていたものですから。
ですが、それを他の使用人達が溢している処を見た時には、厳しく窘めました。
「マーガレットお嬢様は長く神殿にいらしたのだから、ご家族にも初めてお会いするだし、大勢の使用人に慣れてはいらっしゃらないのだから」
自分に言い聞かせるように申しました。
そう、慣れればきっと、マーガレットお嬢様はわたくし達にも微笑んで下さると、信じておりました。
ですが、間の悪い事に、公爵様はその頃、宰相補佐へと任ぜられて、お仕事がお忙しく、ご自宅でのお食事もままならず。
奥様もそれに伴って社交界でのお誘いが絶えず、ソフィア様は3年前に社交界にデビューされてからお出かけが多く、コンラッド様とフレデリック様は士官学校に通われていてこれも不在がちで、マーガレット様のお相手をなさるのはアンお嬢様だけでした。
それでも、ご家族がお出かけされている昼間に、マーガレットお嬢様とアンお嬢様がお庭で仲良く遊ばれている処や、マーガレットお嬢様が奥様に負けず劣らずの美声でお歌を歌われている処などは、わたくし共の心を和ませ、また仲睦まじいご一家のお姿を拝見出来る日も近いと予感させてくれました。
そうです!公爵家のお子様たちは元気が良過ぎたのです。
本来、貴族の子女と言うものは品良く大人しいものです。
マーガレット様のように。
それを他のお子様たちと比べてしまったから、元気がないとか、馴染んでいないとか、勝手に推測致してしまいました。
反省せねばなりません。
そうして、少しずつではございましたが、ソフィアお嬢様が外出を控えるようになり、コンラッド様とフレデリック様の学校が長期の休暇に入り、お子様たちがみんな仲良くお屋敷で過ごされるようになった頃、マーガレットお嬢様のお誕生日パーティが行われました。
12歳になられたマーガレットお嬢様は、本当に奥様によく似ていらして、数年後の社交界へのデビューが楽しみに思い描ける程でした。
そして楽しげな笑い声と賑やかな話声に包まれて、本当に公爵家での活気が戻ったと確信出来た夜でございました。
ジュリアス様が亡くなられた朝のように。
そんな事をふと思ったのがいけなかったのでしょうか?
その夜、マーガレットお嬢様は攫われてしまったのです!
そして送られて来た脅迫状、出入りする警察や軍の兵士達、犯人達との交渉の失敗。
わたくしはただ震えながら、奥様のお傍についている事しか出来ませんでした。
奥様は気丈にも「大丈夫よ、マーガレットはきっと無事に戻って来るわ」と仰っていましたが、お嬢様の着ていたドレスが切り裂かれて戻って来た時には、流石に気を失ってしまわれました。
その後も3日間眠り続け、目が覚められた奥様は「ジュリアスの演習は明日からだったかしら?」と仰いました。
わたくしはとても驚きましたが、震える声を出しながらも「奥様、ジュリアス様はもうお発ちになられました」と申しあげました。
「そう・・・そうだったわね。みんなで見送ったんだったわね」
「そうでございますよ。さあ、もう少しお休みになられてはいかがですか?」
「そうするわ。ありがとう、メアリ」
わたくしは奥様が眠りに就かれるのを見届けると、嗚咽を堪える事が出来ませんでした。
奥様は悲しみのあまり、時間を巻き戻してしまわれたのです。
それはジュリアス様が亡くなられる少し前から、マーガレット様が神殿からお戻りになられる間を行ったり来たりして、時折、正しい時間に戻っても、悲しみのあまり泣き続けられるばかりでした。
奥様はずっと我慢なさっておいでだったのです。
ジュリアス様が亡くなられてから、ずっと。
それに気づかずにいたとは、奥様付きの侍女として失格でございます。
お優しい奥様はご家族やわたくし共の事を気遣って、その悲しみをずっとずっと隠していらっしゃったのです。
それがマーガレット様の事があった為に、我慢の限界を迎えられてしまったのでしょう。
公爵様やお子様たちはみなさま、そんな奥様を気遣って、お優しく接していらっしゃいました。
戻った時に会わせて話をし、お二人の不在に理由を付けて。
特に、アンお嬢様は、お忙しい公爵様や他のご兄弟に代わり、奥様に付きっ切りで話しかけていらっしゃいました。
日頃のお転婆振りからは想像もつかないご献身でいらっしゃいました。
そして、こっそりと神殿に通われている事も。
マーガレット様の事件以来、警備が厳しくなった公爵邸ではございますが、アンお嬢様は時々、こっそりと抜け出していらっしゃるのを使用人達が気付き、一度お嬢様の跡をつけた事がございました。
そして向かわれた先が神殿だと判ると、わたくし共は公爵様に黙っている事を申し合わせました。
以前はご家族みなさま揃って通われていた神殿ではございますが、マーガレット様が戻られてからはご無沙汰されておりました。
それでも、アンお嬢様は、幼いながらも神殿に祈りを捧げれば奥様のご回復とマーガレットお嬢様のご帰還が叶うものだと信じていらっしゃったのです。
そのお優しさと健気さに使用人一同は涙致しました。
しかし、そんな気遣いがあんな不幸を呼ぶとは、わたくしたちの考えが甘かったからだと思わずには居られません。
奥様のご容体が悪化し、ベッドから出られなくなって久しい頃、アンお嬢様は神殿からお戻りになる事はありませんでした。
わたくしはお嬢様の行動を把握していた者として公爵様に土下座をしてお詫び申し上げました。
「申し訳ございません!申し訳ございません!これはお嬢様の行き先を知りながら、ご報告せずに警護も付けなかったわたくしの責任でございます。どうかどうか、厳罰はわたくし一人にお与えくださいませ!」
泣きながら申し上げるわたくしに、公爵様は悲しまれながらも「お前の責任ではないよメアリ」と仰って下さいました。
「ですが!」
尚も言い縋るわたくしに、コンラッド様が「責任の所在よりも、母上にこの事を知られないように気を配ってくれ」と仰いました。
わたくしは「はい」と答える事しか出来ませんでした。
そうです、ご病床の奥様に、アンお嬢様のご不在を知られてはなりません!
わたくしは、マーガレットお嬢様の時のように警官や兵士が立ち入る事を奥様に決して悟られぬように気を配る様、他の者達に厳しく言いつけました。
そして懸命に祈りました。
どうか、どうか、アンお嬢様をご無事でお戻し下さいますようにと。
沈みがちな公爵家の中で、たった一人、懸命に笑顔を振りまいていらした、あの明るくて活発なお嬢様を公爵ご夫妻の下に、わたくし達の下にお返しくださいませ、と。
ですが、願いは届かず、交渉はまたしても失敗に終わりました。
奥様の時間は過去に留まったまま、ついに止まる時を迎えられました。
虫の知らせ、とでも言うのでしょうか?
その日は公爵様がいつもより、お早くお戻りになって、夕食前に奥様の処でお話をされていらっしゃいました。
わたくしが夕食の支度が出来た事をお知らせに参った時、公爵様が奥様の手を握って泣いていらっしゃるのを見てしまったのです。
わたくしはその場で座り込んでしまいました。
奥様が・・・わたくしの奥様が・・・
いつかは・・・と覚悟はしていたつもりでした。
けれど、その覚悟は些か足りなかったようでございます。
コンラッド様に肩を叩かれるまで、わたくしは泣きながら座り込んでいたようでございました。
「メアリ、みんなに知らせて来てくれないか?無理なら他の者に頼むが」
わたくしは涙を拭いて立ち上がりました。
「いいえ、大丈夫でございますよ。コンラッド様」
そうです!泣いている場合ではございません!
みなさまにお知らせして、ご葬儀の準備を始めなくてはなりません。
わたくしなどよりも、ご家族の皆様の悲しみを思えば!
泣いている暇はないのです!
アンお嬢様に続いて奥様と、公爵家は不幸が続きました。
打ち拉がれる公爵様を、残されたお子様たちはご立派に支えられました。
特にコンラッド様は公爵様に代わって参列者へのご挨拶など、もう立派な一人前の貴族の若様でいらっしゃいます。
ソフィア様もフレデリック様も、もう泣き叫んだりはしない立派な大人となられました。
この番外編はムーンライトノベルにて連載中の『シャノンを知らない魔物』の話をある意味、別視点で補うために書いたものです。
この番外編は『その5』まで在りますが、最後は最終話が掲載された後に掲載する予定です。




