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第7話 デッドバイサザンライト

 土曜の午後。

 僕は、土産を携えて音無家の玄関にいた。

 

「これ、うちの母さんからクッキー」

「ありがとうございます」

 

 出迎えてくれた音無さんに紙袋を渡す。

 こんな豪邸に手作りクッキーかよ……なんて考えは吹っ飛んでいた。音無さんの私服と、ポニーテールによって。

 

 音無さんは白いハイウェストワンピースにパステルブルーのカーディガンを羽織り、脚にはいつもの黒ストッキング。

 僕の目は、ハイウェストで強調された白ワンピの膨らみに奪われる。それはさながら、純白の氷山。そこから垂れるカーディガンの裾が、まるで仄青(ほのあお)極光(オーロラ)のように揺れて……。

 

「佐田さんに紅茶を入れてもらいましょう」

 

 心が南極に飛びそうになった僕を、音無さんの声が引き戻す。

 上げた目線は、ピンクのシュシュから伸びるポニーテールにさらわれた。

 

「お邪魔します」

 

 ふわふわスリッパをパタパタと、僕は音無さんの後ろを歩く。高い天井に微かな音が反響する。

 僕の視線は暗殺者(アサシン)のごとく、ターゲットの首筋へと向かってしまう。ポニーテールとうなじのコントラストが、白夜のように眩しい。

 眩しさに目線を下げれば、そこには60デニールという名の……極夜。

 

 秘めた熱い心は抑えきれず、音無さんという名の南極大陸へ飛んだ。永久凍土が溶け、海面上昇が加速する。

 

「どうぞ」

 

 僕をリビングに迎える音無さんが、こちらに半身を向けた。白い大陸の上空で、再びオーロラが揺らめく。

 ああ音無さん、そして太平洋の島国よ。すまない。愚かなアサシン、夜の狭間で極光に死す。

 

 ■

 

 高級な紅茶となら、食べ慣れたクッキーもおいしく感じるから不思議だ。ポニテの音無さんとテーブルを挟んでいるなら、なおさらである。

 

 打ち合わせの必要はもう無かった。当然だ。僕はただ存在していればいいのだから。人形と同じだ。

 だからこの期に及んで、僕は奔放院ユリーザの配信を見ていない。キャラ設定も魔界から来たサキュバスという以外知らない。

 

 配信者としての実績も、リスナーと接する経験も、音無さんの方が圧倒的に上。予習としてアーカイブを見る意味がない。本人に止められているなら、なおのこと。

 

 そしてプレイするゲームも、今日この場で伝えられた。

 

Null(ヌル)の新作をやります」

「ヌルリンチョ、か……!」

 

 カップを置き、僕は天を仰いだ。

 

「変な名前だけど、それでホラーゲームなの?」

 

 キッチンに立つ佐田さんが困惑している。ゲームには詳しくないようだ。だが、せめてこのゲームの立ち位置くらいは知っておいてもらおう。

 

「ヌルリンチョは変な名前~、で済むゲームじゃないですよ」

「そうなの?」

「まずヌルシリーズっていうのがあって……」

 

 Null(ヌル)は、国産の人気ホラーゲームシリーズ。90年代ドイツを舞台に、携帯電話の除霊アプリで怨霊(ゴースト)と戦うゲームだ。モデリングにこだわり抜いた美少女キャラクターと、凄まじい恐怖演出で有名。

 

 可愛い女の子に釣られたプレイヤーを震え上がらせ、リタイアが続出したことで話題となった一作目『Null』。通称“ヌルイチ”、“ヌルワン”、“無印”。

 

 後味の悪いエンディングで賛否の分かれる二作目『Null ―|Poltergeistポルターガイスト―』。通称“ヌルポ”、または“ヌルポガ”。

 

 そして歴代最()との呼び声高いのが最新作である三作目『Null ―Link(リンク) of(オブ) Choppers(チョッパーズ)―』。通称“ヌルリンチョ”なのである。

 

「なるほど。なんかヤバそうなゲームだね。澄乃ちゃん大丈夫?」

「今回から心強い味方がいるので。朝陰君はヌルのプレイ経験はありますか?」

「一作目だけ。中二の時かな。休み休みやったからクリアまで一年くらいかかったよ。怖すぎてさ」

「君も怖くないわけじゃないんだね」

 

 佐田さんが意外そうな顔をする。

 

「俺としてはめちゃくちゃ怖いですよ。妹からは“これを無反応でやってる方が怖い”って引かれましたけど」

「朝陰君、妹さんがいるんですね。私は一人っ子なので、羨ましいです」

「そう? 口うるさいだけだよ。今日も服装にめちゃくちゃダメ出ししてきたし」

「コーディネートしてくれたんですね」

「逆に恥ずかしいよ」

 

 もしその英文入り黒Tシャツとデニムで女の子の家に行ったら縁を切る。そう主張する妹の指示より、僕はグレーの無地ロンTと淡い緑のパーカー、紺のスリムパンツという出で立ちだった。曰く、平凡顔は平凡がお似合い、とのことだ。大きなお世話だ。

 ため息をついた僕は、音無さんがなんだか楽しそうなのに気付いた。

 

「……なに?」

「えっ? 何がですか?」

「音無さん、ニコニコしてるから」

「そ、そうですか? むしろ緊張してると思うんですが……」

 

 両手で頬を押さえて狼狽(うろた)える音無さん。

 ……いいな。

 

「澄乃ちゃんはね。高校に入ったら友達とこういう他愛のない話がしたい、って言ってたんだよ」

「佐田さん!」

「洗濯物取り込んできま~す」

「……もう!」

 

 音無さんは、今度は頬を膨らませた。

 うん……いいな。

 

 ■

 

 勉強は週末課題の消化で切り上げ、スタジオへ向かう。時刻は夕方。いよいよ奔放院ユリーザのライブ配信だ。

 

 ソファに座った音無さんはポニーテールを結い直し、メガネとヘッドセットを着けて深呼吸した。

 ポニテ黒スト私服メガネ。最強だ。

 

 ディスプレイではすでに待機画面が配信され、リスナーたちが奔放院ユリーザを待っていた。

 

「じゃあ朝陰君、お願いします」

「うん」

 

 僕もイヤホンを着けてソファに、音無さんの横に座る。半人分の距離は、まだ埋められない。

 

 デスクの上には、意思疎通のための五枚のカード。少し横には、マウスを動かす細い指。人差し指に力が入れば、このスタジオが世界と繋がる。

 

「――始めます。準備はいいですか?」

 

 僕は【肯定】のカードを指し、音無さんが頷いた。 

 静音のはずのクリック音が、やけに大きく聞こえた。

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