不老不死の歴史
不老不死が現実のものとなった。昔は不老不死など夢物語でしかなく、皆の憧れだった。しかし、ひとたび実現してしまえば、人々はそのデメリットを知り、有言の命のありがたさを思い知ることになる。
「不老不死ワクチンが承認されました」
件の不老不死のワクチンが世間に出回ったのは、今から100年ほど前のことだ。人々は最初、その報道を信じることはなかった。そんな夢みたいなものが現実に存在するのか、ありえないと言った空気が世の中にはあった。
実際に不老不死ワクチンを接種した人はいたが、見た目に劇的な変化は見られなかった。副作用もないため不老不死の効果に懐疑的な人も多かった。しかし、ある事件をきっかけに、この不老不死ワクチンが本物ではないかと思われるようになる。
「トラックと軽乗用車が正面衝突をしたとのことです。トラックを運転していた男性が死亡、軽乗用車を運転していた男性の死亡も確認されました」
トラックが居眠り運転をしていて、片側一車線の道路をはみ出して走行した。そこに対向車線の軽乗用車が運悪く走行していてぶつかった。
当初は二人の死亡が報道されたが、のちにそのニュースは訂正されることになる。
「速報です。軽乗用車を運転していた男性が息を吹き返したようです。男性は出血多量が原因での死亡が確認されましたが、その後、病院側が男性は傷がふさがり、出血が収まったと伝えました。病院や警察が男性の身元の調査を進めています」
事故から二日後、事故により死亡したと思われた男性が生き返った。男性の身元やこれまでの経歴が明らかになる。男性は事故の二週間前に、国が勧める不老不死ワクチンを接種していることが判明した。
「不老不死ワクチンは文字通り、不死になったということです。ワクチンの検証は進めていましたが、これほどはっきりと不死の効果が出た例は初めてです」
ワクチンを開発した製薬会社は記者会見でこう述べた。
「事故の人、致命傷の事故だったんでしょう?確か、出血多量で死んだって。でも実は死んでいなかったって、すごくない?いいなあ、私も接種しようか迷うなあ」
「ちょっと怖いけど、死なないなら、打ってみようかな」
「不死とは伝えているけど、実際にそいつが植物状態だったら意味ないよな。そもそも、ありえないだろ」
「不死というのは証明されたけど、不老っていうのがまだ分からないよなあ。このまま年を取り続けて、老人の姿で死なないっていうのも嫌だな」
世間の意見は分かれた。「不死」という人間の憧れを自分も手に入れたいと思う接種派と、不老不死の効果を疑う慎重派。しかし、確実に不老不死ワクチンを接種する人数が事故後、一気に増加した。
不老不死ワクチンは国が接種を推奨するもので、摂取費用は無料という破格の対応だった。政府が少子化対策で起きる人手不足を懸念しての対策だった。
少子化は加速して、今では日本の出生率は1を切ってしまった。人口も100年前から比較して半分以上に落ち込んだ。現在の日本の総人口は約5000万。人手不足は深刻で早急な対応が求められていた。
政府の考えは、不老不死ワクチンを接種することで定年という概念をなくし、一生働き続ける人材を確保するのが狙いだった。そうすることで働き手を確保でき、さらには年金をなくし、保険料などの税金も抑えることができるという算段だ。
政府にとって不老不死ワクチンをより多くの国民に接種してもらうことは、メリットが大きく、税金を使う価値があった。
しかし、メリットばかりだと思われたワクチンだが、まったく副作用がないわけではない。ワクチンを接種した年齢で時が止まるかのように老化が止まる。つまり、接種した時点で成長も同時に止まることになる。例えば10歳の子供が接種したら、その時点で成長が止まるので、一生10歳時の姿で生きることになるわけだ。反対に90歳の高齢者が接種したら、90歳の状態で老化が止まるが、90歳のすがたのまま生き続けることになる。
不老不死ワクチンは接種する年齢がとても重要だった。
さらに、ワクチンには若返りの成分は含まれていないので、高齢になって接種すると、身体は永遠に動き続けるが、加齢で衰えた器官が若いころのように戻るわけではないため、歩けないものが急に歩けるようになったり、日常的な介助が急にいらなくなったりするわけではなかった。あくまで、命だけを永遠にする代物だった。
さらに「不死」とは言っても、怪我や病気が接種によって治癒することもなかった。事故での致命傷などの死に直結する場合を除いて、ワクチンを接種しても怪我や病気が無縁という訳にはいかなかった。擦り傷や骨折などの命にかかわらない怪我の治りは通常時と変わらない。風邪やインフルエンザと言った病気も治りも同様だった。
ただし、がんなどの放置しておくと死に至る病気は別だった。ステージ4の転移が進んだ状態でも死ぬことは無かった。死が目前に迫ると勝手にがんが消滅することが分かった。
つまり、死に直面する事態にならない限り、怪我や病気は治らない。
ワクチンが承認され、人々が接種を始めてからいろいろな報道がされてきた。新たな発見があるたびに、ニュースで不老不死ワクチンが取り上げられる。そのたびにワクチンに対する意見が真っ向から対立する。そんなことが続いていく。
不老という面が証明されたのは、人々が初めてワクチンを接種してから20年近く経ってからだった。日本で最初にワクチンを接種した開発者の息子の現在が公開されて話題となった。
開発者の息子がワクチンを接種した年齢は10歳の時だった。それから20年が経過した様子を開発者が写真で公開した。そして、写真だけではわからない、息子の今までの20年間の様子を記録した動画も配信された。
「あれはやらせでしょう?動画の日付はインチキだ」
「いや、外の様子はその当時のものだ。動画に映っている建物はあの時は建設中だったが、今はもう完成した。動画が合成でない限り、この子は」
「不死がありえたのなら、不老もあり得るかもしれない」
動画と写真を公表することで、世間の不老不死ワクチンに対する関心は高まった。10歳で時が止まったかのように成長が止まってしまった息子は、現在は家に引きこもって父親の仕事を手伝っているらしい。
「本来なら息子をあなた方にお見せするのがよいのでしょうが、息子はあれからずっと家に引きこもってしまい、到底お見せできるものではありません」
もし、開発者の男の言葉が本当ならば、息子は10歳という幼い姿のまま、20年を過ごしたことになる。最初は小学校に通い、仲間と一緒に授業を受けていたのだろう。いつ、自分の身体の異常に気付いて、怖くなって家にこもるようになったのか。
このニュースが流れ始めて以降、20年前にワクチンを接種した人間が次々に自分の20年間の軌跡をネットに投稿し始めた。自らもワクチンの影響で年を取らなくなったということを彼らは大々的に伝えた。
その後、一時的にワクチン接種率がかなり上昇した。特に若い世代、20代から30代が圧倒的に増えるのだった。
しかし、科学技術もそこまで完ぺきではなかった。
「接種した少年が命を落としました」
その報道がされたのは、その子供がワクチンを接種してから100年後のことだった。人間の寿命は昔から変わることはなく、115歳が限界だった。そして、その少年もまた、その限界年齢近く、110歳まで生きたが、その後亡くなったというものだった。
そして、その亡くなり方が話題となった。10歳で時を止めた少年はその後も老いることなく人生を全うした。周りが年齢を重ねていく中、自分だけが10歳の年齢のまま年を取らないというのはかなりのストレスだろう。幾度も自殺未遂を図ったようだが、その都度、ワクチンのおかげで命を落とすことなく一命をとりとめた。
その少年が110歳を迎えた誕生日に事件は起こった。少年の姿が見るも無残なことになっていたのだ。遺体は少年の寝室で見つかった。そして、彼は苦痛の表情を浮かべていたそうだ。首には両手でかきむしった跡があり、髪は自ら抜いたのか、大量の毛束がベッドわきに落ちていたらしい。
さらには、ベッドは血の海となっていた。全身の血液がすべて外に出てしまったかのようにベッドは真っ赤で見るも無残な状況だったという。
その報道は瞬く間に世界に広がり、不老不死ワクチン反対運動がすぐさま開始された。いくら年を取らないと言っても、このような凄惨な最期では割に会わないと思った人間が多かったのだろう。すぐにワクチン反対の世論が確立されていく。
しかし、それはたまたまそうなっただけだと疑うものもいた。一例であってすべてのワクチン接種者がそんな最期を遂げるわけではない。
「俺の知り合いも最期はあまりにも無残な結末だった」
「あんな死に方をするくらいなら、ワクチンなんて打たなきゃよかった」
「自分で死を選べるのなら、いますぐ死にたい」
開発者の息子の死に方は異常ではなかった。その後、次々に同様の死を遂げるワクチン接種者が現れたため、さらに世論はワクチン反対の波に乗っていく。
国もこの事態を重く受け止め、医療機関にワクチンの解毒薬を早急に作るよう要請した。そして、彼の死から20年をかけて、解毒薬は完成した。
不老不死から解放されるために、人々は病院に殺到した。それは見事な掌返しだった。以前はこぞって不老不死になろうと病院に殺到したのに、今度はそれを放棄しようと病院に殺到する。皮肉なものだ。
こうして、200年も経つと、解毒薬を打った人間と、不老不死の効果が切れて寿命を迎えた人間が死に、ワクチンを接種した人間はいなくなった。
不老不死という研究は今でも続いている。今後もまた、不老不死に近付くためのワクチンが世に出回るだろう。いつになったら、人々の求める完全な「不老不死」という力を得ることができるか見ものである。