泣いちゃうわたしの吸涙鬼
“わたし”と“私”が混在していますが、“わたし”が正しいです。いつか修正します。
流血・暴力表現注意
「っあ、ぐすっ、ひあ」
ぽろぽろ
泣き虫な自分が嫌い。
すぐ泣く自分が大嫌い。
自分の涙が、心底嫌い。
虐められるばかりで、やめて、すら言えなくて。ただただ打たれるだけの自分が嫌い。
泣くばかりで何もしなくても、流されるだけの生き方しかできない自分が嫌い。
いくら嫌い嫌いと心の中で呪っても、泣くことも拒否することもできやしない。
自分の気持ちを殻に閉じ込めて、嫌いだけを檻から出して呪うだけの日々。
心も体もチクチクチクチク小さな痛みが募っていっそ死にたくなるほどの激痛に変わる。
そんな毎日を過ごしていた。
あの人に出会うまでは。
「おーい、おいってば」
木陰でゆったりと微睡んでいると、いじめっ子の1 人に叩き起こされた。
私はというと、すでにその姿を見るだけで身がすくむくらいには恐怖を抱いていて、例の如く縮こまって、目を潤ませて涙を流していた。
「な、んの、用、ですか..?」
「何んのって、ちょっと、ね?」
体がビクッと震えた。ちょっと、と言うのはいじめっ子達が憂さ晴らしをしたいときに使う隠語。
──確実に殴られる。
こんなことなら早く帰ればよかった。ここで休んでいなければ、見つからなければ、今日は平和に過ごせたのに。
そんな後悔、先に立たず、だ。
脳が必死に警報を鳴らしても、ポンコツな体は少しも逃げようという意思を持たない。
「歯ァ食いしばってろよ~」
──言われなくても
なんて反抗ができるはずもなく、目と口をグッと固く閉じ、衝撃に備える。次の瞬間にはバコッという音がした。
あとは遅れて痛みが───...?来ない?
いくら待てど来るはずの痛みが来ない。そろりと目を開けてみれば、そこには鼻血を出して倒れたいじめっ子の姿があった。
どういうこと?私は何もしていないし、だからといっていじめっ子が自分を殴るような変人には見えない。
頭の中がハテナでいっぱいになった頃、木の上から声が聞こえた。
「ありゃりゃ、加減間違えた?」
「!?っ、だ、誰?」
「あ!君大丈夫?殴られそうだったよね?ちゃんと逃げないと」
木の上からスタッと降りた声の主は黒いシャツに黒いボトムスの全身黒ずくめの格好の男の人だった。黒髪を無造作に掻き分け、銀色の瞳をこちらに向けてきた。
その瞳はこちらを見た途端にぎゅっと縮み、瞳孔が開く。口が半開きで、一目見て驚いていることが伝わる。
「あ、の...」
「...うん...」
生返事ながらもこちらを凝視する視線に戸惑うばかりだ。
──顔に何かついているのかな?
一連の流れで驚き過ぎて未だ拭えていなかった涙をどうにかしようと、腕を上げて服の袖を顔に近づける。
その瞬間───素早く伸ばされた男の人の手に、腕を掴まれた。
どこか焦った様子で腕を掴みこちらを見てくる男の人の考えていることは、正直言ってよくわからなすぎる。
そこまでしておいてその間一言も声を出さないのも本当によくわからない。
「あ、あの!」
「うぇぁっ?!」
「手、離して、くださ...ぃ」
ああっ!自分の弱さが憎いっ!
離してっていうだけなのに、私は悪くないのに、言葉尻が尻すぼみになってしまう。
「うわー!!ごめん!!無意識だった。勿体なって思って。つい」
「い、いえ....つい?」
え、勿体ないって何?何が?何が勿体ないの?
「ぁの、勿体なぃ、って...?」
「うわ声に出てた?あはは、恥ずかしいな。その、気にしないでくれるとありが」
じっと男の人を見つめると、目を逸らした後、だんだん気まずそうに目を泳がせ始め、遂に観念したかのように目を閉じ、ひとつ息を吐いた。
「その、ね。信じられないかもしれないけど、僕、吸血鬼なんだよ」
ふぁ、ふぁんたじー...
まさかそんなことを言われるとは思わなかった。
──万が一、億が一にもその話が本当だったとして、私を凝視することと何か繋がるの?
「えっとね、世間一般が想像している吸血鬼っていうのは、その名の通り血を吸っていると思う。勿論ちゃんと血を吸う吸血鬼もいるんだけど、と言うかそっちが正しいんだけど、僕は特殊でね」
そう言って苦笑いをしつつ続けた言葉は
「血ではなくて涙を吸うんだ」
だった。
「...それ、で、いいの?」
本当に純粋な疑問。本来吸血をする人が、血を欲する人が、涙で事足りるの?
「うん、意外とそれでいいんだよ。知ってる?人間の体液ってね、9 割が血液と同じ成分で出来ているんだ。だから涙でも効果は血液とほとんど同じ」
「...少な、そう」
ぽつりと溢れた言葉に男の人はくすりと笑った。
「鋭いね、確かに少ないよ。でも、僕はもう血は吸いたくないんだ」
「嫌な、事、あった...?」
「嫌なことではないよ。でもしてはいけないことをした。取り返しのつかないことになるところだった。だから僕はもう血は吸わない。傷つけたくないんだ」
あんまりにも苦しそうに言うんだから、こっちまで悲しくなってくる。
血を吸わないにしたって、代わりに涙を...とはまた難易度が高そう。涙を吸うって変態ちっくだね。
「吸血、鬼...吸、涙鬼?さん、は、涙を吸わ、ないと、どう、なる...ですか?」
「吸涙鬼?」
「...血、じゃなく、涙、吸う、から、吸涙、鬼」
「本当だ!いいね、吸涙鬼。今度からそっちにしよう!えっと、涙を吸わないとどうなるか、だっけ?端的に言うと死ぬね」
予想外に重すぎるその回答に目を丸くする。せいぜい弱っちくなるとかその程度かと思えば死んでしまうらしい。というか端的過ぎます。
「血というか涙を吸わなくなると、まずは力が抜けてくるんだ」
「...なん、で?」
すぐ死ぬわけではないらしい。不思議。
「うーん、じゃあ吸血鬼について教えよっか。吸血鬼はね、実は吸っているのは血そのものではなくて、血に含まれる生命力なんだ。まあ、大半は血自体も好きなんだけどね」
「なる、ほど。...でも、関係、あ、るんで、すか?」
生命力、強そうな名前だ。
「そうだなぁ。あ、よく吸血鬼は運動が得意、とか聞かない?そもそも種族的に基礎的な身体能力が高い個体が多いのもあるけど、それはあくまで生命力が満ちている時だけ。どれだけ早く走れる人も、お腹が空いていれば全力は出せないでしょう?
生命力をご飯として、糧として生活しているのが吸血鬼ってわけなんだ」
ごはん。朝ごはんを抜いた日はつらいよね。
「その生命力を摂る手段の多くが血を吸うっていう行為だったから、吸血鬼なんて呼ばれるようになったけれど、実際は生命力さえ得られれば実は血でなくてもいいんだ。ただ、生命力は必ず体液を介さなければ得られないものだから、どのみち体液は貰わなきゃなんだけど。
そうそう、血を吸う奴が多いのは人間の体液の中で一
番量の多いのが血液で生命力の摂取効率がいいんだよね。あとたくさん吸える。
長くなっちゃったけど、つまりは生命力が得られないとお腹減ったよおの空腹状態になるから、力が抜けるね」
先ほどからぽんぽん出てくる生命力...吸い取れば人体に悪影響が??
「...悪」
「ああ、人体への影響はないんだ。もともとが体液に染み込んでいるものだからね。寿命を削るとか物騒なものではないよ。献血で人の寿命は縮まないでしょう?吸いすぎると普通に貧血になるけど」
そうなんだ。というか、よく悪だけで察しましたね。すごいです。
「空、腹の、あと、は?」
「んーとねえ、だんだん弱っていく、かな。貯めていた分の生命力で生きていく感じになるから。どんどん減っていって、じわじわ弱くなる。
吸血鬼には生命力を貯めておく場所があるんだ。個体差はあるんだけどあるボーダーを下回ると、動けなくなる。身体能力は人間以下、病人だね。歩くことすらままならなくなったら、そこが死期だ」
吸血鬼、いや吸涙鬼さんは、どうなんだろう。
「あなた、は、足りて、ます、か?」
「!...ふふ、秘密」
吸涙鬼さんは、にこりと笑ってくちびるに人差し指を当てる。答える気はないようだ。
ふと想像してしまった。ふらふらとこちらに歩いてきて、ふわりと笑ったかと思えば、すぐに後ろに倒れ込んで冷たくなる吸涙鬼さんの姿を。
想像したら何故だか怖くなった。同時に寂しくて悲しくて胸がぎゅうと締め付けられた。
そんなことを考えていたからだろうか。知らず知らずのうちに言葉が口をついて出た。
「わたしの、涙、あげ、ます」
「....?えっと、ちょっと待ってね。何でか幻聴が聞こえてきた。疲れてるのかな」
「幻聴、じゃ、ない、で、す」
「???いや幻聴だよ。僕には涙をあげるって聞こえたんだよ?」
「よか、った、聞こえ、て、た。あげ、ます」
こういう時、拙い自分の話し方には嫌気がさす。伝えたいことをすぐに言えなくて、もどかしい。
目を丸くして焦った様子の吸涙鬼さんはいい提案のはずなのに、受け入れる気配がしない。
それどころか聞かなかったことにしたそうだ。
「わた、しは、不味い、です、か?」
「不味いことはないと思うけど、そのね?今更ながら君何歳?」
「...13歳で、す」
「うおあ、駄目駄目駄目駄目駄目駄目!!!まっずいよそれは!!そんなに幼い子の、成人もしていない子の涙を吸うとか、あまりにも不審人物、気持ち悪すぎるて!」
「...わたしは、気に、しませ、ん」
「僕が気にするかなぁ?!まっずいよ、非常に」
「わたしは、不味い?」
少し落ち込む。
わたしの大嫌いな涙は、なおも嫌いになる要素を出してくるのか。
「うわぁ!!違う違う、君が不味いんじゃないよ?この状況が良くないというだけで...」
「なん、で...?」
「いやだって、冷静に考えて成人男性が未成年の女の子の涙を吸うとか...犯罪臭がすごいよ」
焦り過ぎて目がぐるぐると回っている吸涙鬼さんを見て何だかおかしくなってくる。
「ふふっ」
久しぶりに笑った。
あ、笑うと涙って出るんだ。
笑うわたしを見て吸涙鬼さんはぴたりと動きを止めた。
「...君は、その、煽っているのかな?これでも我慢しているのだけど。吸血衝動って知ってる?これでも吸血鬼の端くれだからね、いまは吸涙鬼だけれども、いやだからこそか。吸いたいと思ってしまうよ。理性で押さえつけてるだけなんだよ」
「っ!」
銀の瞳に赤を滲ませて、瞳孔を極限まで開いたそれは苦しそうに歪められている。耐えるように右目を手で押さえ込んで、荒い息を左手で隠す。
「わたし、は、あなたに、救、われた。恩返し、一度、だけで、も、吸っ」
言い終わらないうちに吸涙鬼さんに目元を吸われた。決して傷つけないように、ちぅと口付けをするように。
優しく優しく吸われた。
理性の狭間にいるはずなのに、滲む優しさが心地よくて、嬉しい。
その嬉しさで余計に涙が溢れてくる。
「ッ!...ちゅっ」
しばらくわたしの目元を吸っていた吸涙鬼さんは最後にいっとう優しい口付けを落としてわたしから離れた。
──もっと...
もう涙も止まっているのに、触れて欲しくてたまらない。
初対面のはずなのにどうしてかそばにいたいと願ってしまう。
「...っうわぁ、ごめんね」
謝られてハッとした。
わたしは何を考えていたの?
とにかくとぶんぶん首を横に振る。誘ったのはわたしだ。
「げんき、なり、ました、か?」
「...そうだね、少しだけ」
「じゃあ、もっ、と」
「いやいやいやいや、もう良いんだよ!!その、相性があるからね。君とは悪いみたいだ。相性が悪いと生命力の吸収率も悪いから、かえって良くない。これくらいで十分だよ、ありがとう」
ありがとう、その一言で心がぽかぽか温まった。これはどういう気持ちなの?
悪いものではないことはわかる。けど、その先は...
いけない、また変な方に思考がいっていた。
えっと、吸収率か。でも吸わないよりはマシなんじゃないのかな?体調が心配だ。死んで欲しくない。
なにより、また会いたい。
...悪い子になってしまおうか?
「僕はもう帰るね、君も気をつけて帰るんだよ。もう会うことはないと思うから、元気で──」
「わた、し、あなた、に、酷いこと、された」
ぴたりと吸涙鬼さんの動きが止まる。帰ろうと歩き出している格好で止まっていて、大分珍妙だ。
ぎぎぎ、と音がしそうなほどかくつきながらこちらを振り向くと、口端をひくつかせた笑顔を向けてきた。
「ど、どどどど、どういう、ことかな???」
ごめんなさい。あなたの良心に漬け込みます。
生きてて欲しいから、会いたいから。
「また、会えます、よね..?」
「ヴッ」
普段使うことのない表情筋をフル稼働させて、精一杯の笑顔を向ける。
そんなわたしとは対照的に吸涙鬼さんは死んだ目で魂の抜けた表情をしていた。
「よろしく、お願い、しま、す」
「....よろしくねぇ」
涙が勿体無いですよ、吸涙鬼さん。
───
「今更、です、が、お名前、は?」
「あ、えっとね、名前を知って良いのは両親と伴侶だけなんだ。だから教えられない。ごめんね」
あれから一週間が経った。多少のショックから立ち直ったらしい吸涙鬼さんとはあの日から毎日会っている。
名前が知れないのは残念。いつまでも吸涙鬼さ
ん、と言っているのは不便だし、単純に知りたかったのだけど...。
「...じゃあ、ルイ、さん、で、す。吸涙鬼、の、ルイ、で、ルイ、さん。ど、うで、すか?」
我ながら良いネーミングセンスだと思う。ミステリアスな雰囲気で、でもほわほわと優しい吸涙鬼さんにぴったりだ。
「ルイ、ね....よし、それにしよう!」
「ほんと、です、か?」
「うん。名前がないと不便だからね」
吸涙鬼さんもといルイさんに笑顔で言われた。
まさか許してもらえるとは。優しい。
「君は?」
「...教え、ませ、ん。わたし、にも、付けて、くだ、さい」
「そう?じゃあ...ティア、とかどう?異国の言葉でね。涙、という意味なんだ」
ルイさんは出会ってからは君の涙ばかり見ている気がするしね、と微笑んだ。
涙と書いてルイと読むルイさんと涙という意味のティア。同じ涙、という言葉から来ていることが嬉しくて、頬が緩む。
「...お揃い、で、す」
「ふふ、確かにね。お揃いだ」
っと、そろそろ時間になってしまう。実は朝の登校時間という忙しいタイミングの為、もうお別れをしないといけない。
「そろ、そ、ろ、行き、ます、ね」
「あれもうそんな時間なんだ。送ろうか?」
「いえ、大、丈夫、で、す」
またどこかで、とルイさんに手を振ればにこにこと振り返してくれた。優しいですね。
さて、朝の幸せな時間はもうおしまい。
ここからはまた、大嫌いな自分に戻って、泣くしかない生活を送る。
ルイさんとはお話ができるのに、他ではうめき声ひとつでない。
離れてしまえば、同じように殴られて、声を殺して泣くだけの日々に戻る。
「あ!ッんだよ、お前いたのか!おせーよ最近!もっと早く来い?あ?」
ただ歩いているだけでいじめっ子と出くわすのだから、今日はついていないのかもしれない。
引きずられているのに、転けないことだけに重きを置いて必死に足を動かすことしかできない。
着いた先は屋上だった。
本当に今日はついていない。屋上の日は決まっていつもより良くないことが起こる。いじめっ子のタガが外れる。これは何か気に入らないことが、だいぶ大きな不服を感じることがあったようだ。
「連れてきましたよー、兄貴」
「あ?おー、お疲れさんよ」
その労いを、少しでもこちらに向けていただきたい。
「なんかコイツ最近遅いっすよね。誰かと会ってんのか?あ?」
前半は兄貴、と呼ばれたいじめの主犯格へ、後半はわたしへの質問と言うなの恐喝。
会っていたとして、わたしが話すと思っているのかな。話せると思っているのかな。
とりあえず返事をしないでキレられることを防ぐために、ふるふると頭を横に振る。いじめっ子のは納得していなそうだけど、主犯格はその辺はどうでもいいらしい。
早く殴りたくて、憂さ晴らしをしたくて仕方がない。という顔をしている。
バコッ
突然のことに一瞬頭が追いつかなかった。
次の瞬間に来た焼けるような痛みでようやく気
づく。
──殴られた。
痛みで反射のように涙が溢れ出してくる。ああ、勿体無い。ルイさんにあげてしまいたいのに。
ボガッバゴッ
今日はあまりにも遠慮がなさすぎる。何の感情も浮かんでいない顔で、ただわたしを殴り続けるこの主犯格は、相当頭がおかしいのかもしれない。
顔だけは避けられ、殴り続ける主犯格はわたしの涙を見て、眉をぴくりと動かし、その後何事もなかったかのようにまた殴ってきた。
結局その日は、取り巻きたちが飽き出して出ていくくらいには長く続いた。
あのいじめっ子グループが、言動の割に仲間内が平和そうな理由はきっと、ピリピリしやすい人がわたしでストレスを発散するからだろう。
なおも涙を流しながら、頭だけは冷静にそんなことを考える。この後の授業に出る気も起きなくて、でも出ないとそれはそれでいじめっ子たちに目をつけられる。
行くしかないと気合を入れて立ち上がると、屋上にふわりと風が通り過ぎた。
珍しいことではないけれど、今の今まで無風だったここにいきなり風が吹くことが、なぜか自分の中で引っ掛かる。
キョロキョロと周りを見てみれば、そこにはルイさんが立っていた。
「ルイ、さん...どう、し、て、こ、ここ、に?」
学校なんて関係者以外入れるはずがない。ましてや屋上なんて。扉は確実に閉まっていたはずだし、開いたような音もしなかった。立て付けの悪いこの扉は絶対に音が鳴るはずなのに。
「...」
こちらをじっと見つめるルイさんは、初めてわたしの涙を見た時と同じように、どこかおかしかった。
その様子を見てはじめてまだ涙を拭っていないことに気がついた。
「...ルイ、さん。あ、げ、ます」
私の言葉がゴーサインかのように、こちらに近づいてきたルイさんはわたしを横抱きにした。
驚いて二の句が告げずにいると、そのまま目元にくちびるが近づいてきて涙を吸われる。
ひとしきり吸った後、落ち着いたらしいルイさんに頭を撫でられた。
「ごめん、ありがとう...ねぇ、ここで何をしていたの?」
ああ。あなたにだけは、知られたくなかったのに。
「何、も」
「じゃあ何で血まみれなの?どうして涙が出ていたの?こんなにボロボロなのは何で。苦しそうなのは何で」
捲し立ててそう聞かれても、答えたくはない。
「...ここで、何をされていたの?」
「!」
そう言うルイさんの声は、答えを知っているような、疑問ではなく確認のような声色をしていた。
「な、んで...」
「君が隠したがっているのはわかっていたよ。だけどね、僕はもともと、いや今も、吸血鬼なんだよ」
ハッとした。
涙を吸うからと言って、吸血鬼本来の力が失われたわけではない。
日を追うごとに見えない場所に傷を増やすわたしは、ルイさんにバレていないと思っていた。けど、ルイさんではなく、吸血鬼として考えたらどうだろう?
日に日に血の匂いが濃くなるわたしを見て、何もないと思えるかな。
「聞き方を変えるね。君は、誰にその傷を付けられた?」
周囲の温度が急激に下がったような気がした。
冷たい空気を纏うルイさんの目は、何よりも冷たくて、それなのに触れてしまえば火傷しそうな熱を持っていた。
「ル、イ、さん」
「言いたくないなら良いんだ。全部見ていたから」
「へ」
どこで、いつ、どうやって?
「この学校の近くにある高いビルの屋上から、見ていたんだ。目はいいんだよね。不本意な契約ではあるけど、君は僕にとっては大事な子なんだ。
素行が悪ければ無理にでも契約は無しにしようと思っていた。本気を出して仕舞えば君一人くらいの記憶を消すことなんて造作もないんだ」
暗い熱を湛えた瞳は射抜くようにわたしを見つめてくる。
「でも蓋を開けてみればどうだろう?僕が見る君は殴られて泣いている姿だけなんだ。どうして?どうして君はそんな扱いを受けているんだ。許されるはずがないだろう」
「っ」
「...涙にも、味はあるんだよ。今日の君の涙は、悲しみでいっぱいだった。いやだよ、そんなのは。君は、君には逃げようという意思はないんだね。きっと無くなってしまったのかな」
わたしの口に出さなかったことを、出せなかったことを、いとも容易くルイさんは言う。
「君が自分で逃げれないのなら、僕が君を逃すよ。君が、君を受け入れられないのなら、僕が君を受け入れるよ」
もう、限界だった。涙が溢れて止まらない。世界中のどこを探しても、絶対にこんなに理解してくれる人はいない。欲しい言葉をくれる人はいない。
そう思ってしまうほどに、渇いたわたしの胸に、ルイさんの言葉は沁みた。
「逃して、くれ、る?助け、て、くれ、る?」
「うん。君のためなら」
うれしい、うれしい。
怖くて怖くて、真っ暗なこの世界は、朝だけしか光を見れなかったこの世界は、こんなにも明るかった。
「君が僕の涙である限り、僕は君の、君だけの吸涙鬼であり続けるよ」
「っ」
わたしの涙を前にして、わたしがあげると言わない限り絶対に吸おうとしないこの人は、どこまで優しい人なんだろう?
「ルイ、さん。吸って」
これはわたしのわがまま。あなたに必要とされていると実感したいだけの、くだらないわがまま。
それでもルイさんはすぐにちうと吸ってくれる。
「...ん。やっぱり、笑顔の方がおいしいよ」
「!」
本当に、この人はどこまでも優しい。
───
あれから、ルイさんは学校側にわたしがいじめられていることを伝えてくれた。
不祥事を揉み消すべく、お金を握らせて示談を狙う学校側。
子供を溺愛しヒステリックになる、いじめっ子たちの両親。
その両方を捩じ伏せて、一大ニュースとして取り上げられるほどには大事になった。
その結果、いじめに対する関心はあがったようだったけど、だからといってわたしの過去の生活が変わるわけではない。
まだ子供だからと、いじめっ子たちの処分は学園の退学で落ち着いた。主犯格はと言うと、行いがあまりにも過激であったために、更生施設に送られることとなった。
それが決まってから一度だけ、主犯格に会いに行った。ルイさんと一緒に。
「!お前っ」
お互いに対面でソファに座るも、興奮した様に主犯格は立ち上がる。その動きにびくりと肩を動かすと、ルイさんに肩を抱き寄せられて、守られる。
そうだよ。わたしにはルイさんがいる。驚いていないで、話をしないと。
「...どう、して、こ、んな、ことを、し、たの?」
ずっとへばりついている疑問。
わたしはいじめっ子たちに目をつけられるようなことをした覚えがなかったから。
「...」
「言わないの?」
ルイさんのその言葉で主犯格は目を見張ると、緊張した様に声を出した。
「...お前のことが、すっ好きなんだ!!!」
「はぁ?」
──へ?
思わず出たらしいルイさんの威圧感あふれる声には同意せざるを得ない。
好きといじめのどこに繋がりがあるの?
「入学式の日にお前を見て、その、一目惚れしたんだ。その日からずっと好きだっ!」
たしかに、入学式の日に主犯格と目が合ってそらした記憶はある。けどそんな、一世一代の大告白みたいなことを言われても、こちらは怖いの一言に尽きる。
「お前さ、好きなら何で殴るんだよ」
「そ、れは...泣き顔が、好きで」
ぞわっと悪寒が走った。わたしをいじめていた相手に、好きと、あまつさえ、ルイさんにしか渡したくない涙を含む、泣き顔が好きだと、そんなことを言われたくなかったから。
「お前きもいねぇ」
「は?!きっきもくなんて」
「じゃあ、ティアちゃんの顔見て」
「ティアって、コイツのこと?それが──あ」
主犯格に好かれて、その中でも泣き顔が好かれたというだけで台無しにされたわたしの前で、どうして主犯格はあんなにも恋した顔で話せるの?
──気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いっ!
「もう、むり」
思わず立ち上がってしまう。
「うん、行こうか、ティアちゃん。辛いよねごめんね」
「...行こ、う」
「まっ待てよ!おれ、お前のことがっ」
──嫌だ、もう聞きたくないっ!
そう思ってぎゅっと目をつぶれば、ルイさんに抱き上げられた。
「僕を見ていな。僕の声だけ聞いて、頭の中を僕でいっぱいにして」
と、ルイさんが突然、怖いしかなかった気持ちに、嬉しいと言う思いを捩じ込んできた。驚いてぽかんとしているうちにルイさんは移動して、誰もいない空き部屋に連れて行ってもらった。
「ル、イ、さん、ありが、と」
言いながらも涙が溢れる。
主犯格の前で泣きたくなくて、主犯格を喜ばせたくなくて我慢していた分と、ルイさんの優しさに対しての嬉し泣きの両方。
「ん...生殺しキッツ」
後半のボソッとつぶやかれた言葉は拾えなかったけど、ぎゅっと抱きしめてもらってだんだん落ち着いてくる。
──上書きして欲しいな。
「ルイ、さ、ん。吸っ、て」
「っ!あんま煽んないでよ」
抱きしめられた状態でルイさんの顔は見えないけど、怒ってはいなさそうで、すぐに涙を吸ってくれる。
「ルイ、さん」
「ん?何」
優しいあなたの声に、期待してしまって、もっとをねだりたくなる。
「わたし、が、ルイ、さん、の、つがい、なら、よかった、の、に」
「っ?!」
ルイさんと接している内に吸血鬼について調べる様になった。その中でつがいというものを知った。
つがいとは簡単に言えば吸血鬼の最愛。何をもってしても代えの効かない宝物のこと。最強とも呼ばれる吸血鬼の唯一の弱点だ。
吸血鬼は番に対してはてない愛を注ぎ、生涯つがいのことだけを愛す。
そのために、「あなたのつがいだったらよかったのに」という言葉は、つがいではなかった吸血鬼を愛する乙女の告白文句として有名だ。
愛する人のつがいであったら、どれほど幸せだろう?そんな淡い期待を込めた告白。
だが、それが叶うことはほとんどない。
「ごめん、なさ、い」
叶うことはなくても、言いたくなってしまった。気づいていないだけで、もしかしたら私がつがいかもしれない。その想いが乙女を突き動かす。
はじめに涙を吸われた時、相性が悪いとまで言われたのに、脅して一緒にいてもらうようにまでしたのに。わたしはなんで傲慢なんだろう。
叶わぬ恋の哀しみと、過去の行いへの懺悔、押しつぶされそうなほどの後悔、色々な想いがぐちゃぐちゃに絡み合って整理ができない。
冗談だと軽く言ってしまいたい、本気なんだと縋りつきたい、謝りたい、笑いたい、相反する行いばかりが頭に浮かんで、少しも動けなくなる。
──っ!ああ、やっぱり、わたしは泣いてしまう。
我慢しようにも溢れた涙は止まることを知らない。ぼたりと床に落ちた涙は濃いシミをつくる。
ルイさんは絶句したまま動かず、頭を撫でてくれることも涙を吸ってくれることもない。
「っ、うぁ、っふ」
──もう、見捨てられた?
そう思った瞬間、ルイさんに涙──ではなく、くちびるを吸われた。ふわりと香るルイさんの爽やかな香り、儚く遠ざかる柔らかな感覚、ほんのり移った体温。
驚きと喜びで惚けるわたしをよそにそのまま涙も吸われる。両目とも吸い終わると、ルイさんはわたしを抱きあげてソファに座りわたしを抱きしめた。
──さすがに何が何だかわからない!!
突然のルイさんの行動に思考が停止していたが、抱きしめられたことで、こんなときでも安心感を覚え、ついでに思考が復活した。
──え、でも待って、わたしルイさんと、く、くく、くっ口づけ、した....?!?!!!
「るっ、るる、るい、さん、ど、う、いう?」
「.......こんなに幼い子じゃ、可哀想だなぁって思ったんだ。だから嘘をついた」
「?う、そ?」
話が見えてこない。今のルイさんの行動とルイさんの嘘に何の関係が.....?
「君と相性が悪いのは嘘なんだ、本当はとても相性がいい。それこそ、一生に一度出会えるかどうかくらいの相性の良さだ。.....そういうの、なんていうか知ってる?」
「い、いや」
「つがいって、言うんだ。君は僕のつがいだよ、ティア。本当は君と一秒たりとも離れたくないし、君をいじめたアイツらは殺してしまいたいほど憎い。君がボロボロになるまで見つけられなかった僕もね。
君はまだ幼いし、これからいろんな人と出会ってたくさん恋をすると思った。だからここで助けてさよならをするつもりだったんだ。けどね、君があんなことを言うから、僕が好きだと言うから、君のことを手放せなくなってしまったよ」
そんな、夢みたいなことがあるのか。
都合のいいことが。
「手放さ、なくて、いい、の、に」
「!」
「わた、しは、た、すけて、くれた、あなたが、好き」
──大好き。
「いっしょ、に、いさ、せて?」
「....わかった。もう離せないよ?本当にいいの?」
「う、ん。ずっと、いっ、しょ!」
へら、と笑えば突然抱きしめられた。
「可愛い可愛い可愛い可愛い。大好き愛してる。一緒にいようね、絶対離さない。愛してる、可愛い」
「へ」
「絶対に幸せにするからね、ティア」
「これから、よろしく、おね、がい、します!わたしの、吸涙鬼さん」
「ぐはっ」
あなたと共に、生きていきたい。
「人間の体液はほぼ血液と同じ成分」
聞いた瞬間に書きたくなったため、書きました。
吸血鬼も大好物ですが、吸血ができないのも萌えますね。張った伏線はほとんど回収していないので、いつか長編としても書きたいです。
お読みいただきありがとうございました。
なろにろに