長政という男・2
開かれた襖の向こう、シンと静まり返る家臣たちの視線が痛い。
なんといっても私は織田信長の妹だ。
この家臣の中には、信長によって傷つけられた者もいるかもしれない。
なんともいえない居心地の悪さに、私少しだけ尻込みをしてしまっていた。
そんな私の手を握りしめたまま、長政様がその手を軽く引っ張ってくれた。
ちらり顔を見上げると、振り向きながらニコリと微笑んでくれる長政様がいた。
その笑顔に、幾分救われたような気持ちになる。
「それでは、婚儀を行いまする」
長政様に促された私は、設えられていた場所に座った。
目の前には婚儀用の御膳かな。
随分立派な料理が並んでいる。
だけど、緊張してしまってとてもじゃないけれど食べられそうにないや。
そんな風にガチガチに緊張してしまっていた私だけれど、それがもしかしたら良かったのかもしれない。
後で乳母から聞いたのだけれど、式の最中にヒソヒソと家臣たちが話をしていたらしい。
『信長殿の妹君もまた、鬼のようなのではないか』
だとか、
『浅井は苦難続きだ』
とか。
良い噂はひとつもなかったみたい。
でもそれは仕方がないこと。
だって、何度もいうけれど、あの「織田信長」の妹なんだから。
それぐらいの悪口は想定内だ。
ただ気になったのは……。
「今宵はとても疲れただろう。ゆるりと休まれよ」
「……は、はい…」
式の後、床に向かった私は、長政様からそんな慰労の言葉をかけてもらった。
そして、「おやすみ」とばかりに横になり、目を瞑る長政様……。
えーーーっと…?
現代でも私ってば、彼氏なんてものがいなかったので、こういう場合ばとうすればいいのかわかんないのだけれども?
結婚したら、いわゆる「初夜」というものがあるのではないの?
長政とお市は、とてもお似合いの仲良し夫婦で、あっという間に子どもたくさん出来たって話なんだけど?
仕方なく長政様の隣で横になり、見慣れない天井を見つめつつ、首をかしげる私。
うーん、と。
とりあえず、今日は寝よう!
きっと私が長旅で疲れているから、遠慮をしてくれているんだわ、うん。
そうに違いない!
一応、なんだかんだで覚悟は決めてきてたんだけど……。
決して期待ではなくて、覚悟よ!
なんだか恥ずかしい……。
私はそんな風に思いながら、慌ただしい今日という日に「おやすみ」を告げて眠りに落ちたのだった。
翌日。
目が覚めると、やはり見慣れない天井がそこにあって……。
「ここ、どこ…?」
ずっと輿に揺られていたせいか、がちがちの体をやっとゆっくり休められた私は、重たい瞼を手の甲で擦る。
「ここは、小谷の城だよ」
「小谷……? 小谷って、どこの駅を降りたんだっけ…」
「……はて、『駅』とは…?」
「!?」
ふわああ、と大きな欠伸をしていた私は、その声にぱっちり目を覚ました!
「な、長政様!?」
「そうだよ、お市。ぐっすり眠れたようでなによりだ」
「こ、これは失礼いたしました! 長政様よりも遅く目覚めるなんて」
なんといっても今は戦国時代。
やっぱり旦那様よりも遅く目覚めるって、あまりよろしくないんじゃないかしら。
そんなことを思ってしまって、そう言った私に、長政様は優しく笑った。
「構いやしない。私も今日はのんびり目覚めたからな」
「のんびり?」
「うむ。いつもなら城の外へ出て……あ、…今のは家臣共には内緒で頼むよ」
まるでいたずらっ子のように笑う長政様に、私の心臓がさっきからキュンキュンしてる!
ちょ、ちょっと本当にマジで待ってよ!
今の私たちの位置関係を整理しよう!
互いに向き合いながら横になり、長政様にいたっては片肘をついていて、まるで私の顔を覆うように間近で話しているわけ!
昨日は暗がりで顔を見たからか、細い目と色が案外白いのね、って感じで、なんだか拍子抜けしていた失礼な私なんだけど。
や、やばい……っ!
私は思わず、ごくりと生唾を飲み込んでしまった。
間近で見上げる長政様の顔は、確かに瞳が思っていたよりも細くて切れ長で、どちらかというと甘いマスクを想像していた私にとっては、思っていたのと違うって感じだけど、それはそれでとても優しくて。
終始口角が上がっているからか、いつもにこにこしているようにも見える。
鼻筋も通っていて、何より結い上げている髪が寝起きだからか少しだけほつれていて、その幾筋かが額にかかり、なんとも言えない美しさを醸し出しているの!
「おや、これはどうしたことか。顔が少し赤くなっているようだが……長旅で熱でも出たか?」
「ひゃ!」
それはもう突然! 長政様の顔が近づいてきたかと思うと、コツンと合わさった額と額。
ね、熱を測るにしても、て、手とか、そういうのがあるじゃないっ!?
いきなりおでこコッツンで測るーーー!?
だから情けない悲鳴を上げてしまった私は、きっとますます顔を赤くしたのだと思う。
「大丈夫か、お市。今日は一日ゆるりと休むといい」
「い、いえっ、私は大丈夫です! 少し驚いただけですから」
慌てて布団を引きずり上げて顔を隠した私。
これ以上、長政様の顔を直視できないんですけど!
「ふふ。よしよし。大丈夫ならそれでよい」
「ひゃああ!」
長政様の大きな手のひらが、布団で顔を隠している私の頭を、ポンポンと撫でてくれた。
ほんと、ちょっと待って!
た、確かに、こんな感じのスパダリを想像していたけど、想像以上の甘さに私の心臓が追いつかない!
なんかこう、もっと戦国時代の結婚って、ギスギスしているものと思ってた。
だって、そのほとんどが政略結婚のようなもので、結婚したからといってすぐに互いを信用できるわけじゃなく。
兄上の奥さん、帰蝶様だって、兄上と結婚した時には短刀を忍ばせていたと、何かの本で読んだことがある。
帰蝶様は斎藤道三の娘。「まむしの道三」と呼ばれていた人の娘だもの、何かあれば兄上の寝首をかくことだってあったと思うの。
まぁ、今ではとても仲良しな2人なんだけど。そういうこともありえるってこと。
私と長政様の結婚だってそうだわ。
あの織田信長の妹を嫁として迎え入れるって、それはもう厳重警戒で迎えて正解だと思うもの。
それなのに、この甘さは何!?
もしかして、そうやって私を油断させているのかな。
ううん。この手のひらの優しさは、きっとそんなことないと思う。
私は少しだけ顔にかけていた布団を下げた。
見えたのは、長政様のとても優しい瞳と笑み……。
またすぐに顔が熱くなっていったけど、頑張って見つめてみる。
「お市。本当によく、小谷へ来てくれた」
「え……?」
「そなたの兄上は強大ゆえ、我が家臣たちもなかなか心を開かないかもしれないが、そなたのことは私が必ず守る故、安心して寛がれよ」
「長政様……」
そういえば結婚式の前にも、そんなにことを言ってくれていた。
この人は私の立場をちゃんと理解して、そして守ってくれようとしている。
私の何がそんな風に思わせるのかわからないけれど、心強さは半端ない。
「ありがとうございます、長政様」
とても嬉しくなってしまって、私はそう言いながらにこっと笑った。
すると、一瞬長政様の眉が上がったのだけど、すぐにまた優しく弧を描く。
見つめ合う私と長政様。
とても尊い時間がそこに流れて気がして、私はいつしか肩の力を抜いていた。