転生
「織田信長殿が妹君、お市様、御登城!」
その声に、私の背筋がぴんと伸びた。
白輿の上、何日もの間揺られていたものだから、随分と体も痛かった。
だけど……。
「姫様。ほどなく長政様の元に」
「ええ。わかったわ」
乳母の声に、私はこくりと頷いた。
――そう。私の名は市。
巷で魔王と称される、織田信長の妹。
の、
記憶を持って転生してきた、普通の大学生だったりする。
大学前で車に惹かれそうになった子猫を助けようとして、私が車に惹かれたところまでは覚えている。
次に目を覚ました時、私は正直大パニックだった。
ただ、人とは不思議なもので、あまりにも大きな衝撃を受けると、思考が停止してしまうのね。
そのまま気を失って、さらに目を覚ました時、目の前にいたのは兄上だった。
『市、市よ! 目を覚ましたか!?』
『兄上……』
自然と口から「兄上」という言葉が出ていたことに、またもや私は驚いてしまって。
慌てて周りを見渡すと、目に飛び込んできたのは見慣れないものばかり。
天井に描かれた絵はとても美しく、横を向けば障子がしっかりと閉められている。
私を取り囲むように座っていた人達が、良かったと涙を流してくれていた。
ただ、その姿はまた、見慣れないものだったけれど。
『よくぞ目を覚ました、市。そなた、一週間も熱にうなされていたのだぞ』
『い、一週間もでございますか?』
混濁する意識の中、それでも「お市」として「兄上」と会話が出来ている。
それが不思議でならなかったけれど、それが当たり前のようにも感じていて、とても落ち着かなかった。
なにより、先ほどから「兄上」は私のことを「お市」と呼んでいる。
お市と言えば、織田信長の妹というだけではなく、歴史上に名を残している姫の1人だ。
浅井長政と婚姻し、茶々…後の豊臣秀吉の側室、淀君。
そしてお初。後に京極高次の正室となり、戦国の終わりには姉妹を助けようと大奮闘する。
最後にお江。徳川秀忠の正室として、最後に戦国の世を生きた女性になる、そんな三姉妹を生んだ人。それがお市。
その後、実の兄に攻め入られ小谷城は陥落。
私は娘三人と逃げたけれど、その後は柴田勝家に嫁ぎ、またその城が陥落した際、夫と共に命を断ったのだ。
私の頭の中でひしめきあっている、お市としての記憶と、大学生だった私の記憶。
これってもしかして……転生ってやつなのでは!?
『とにかくそなたが無事で良かった。長政殿との婚姻は幾日か日を伸ばしてある。体の具合が良くなったら、改めて婚姻の儀を進めようぞ』
『はい、かしこまりました、兄上。ご心配をおかけして申し訳ございません』
『何を言うか! 本当に熱が下がってよかった』
頭を下げていた私は、そのままぎゅっと抱きしめられていた。
『あ、兄上?』
『本当に良かった……。そなたに何かあれば、病と言えどただではおかん!』
『兄上……』
私を抱きしめてくれる腕が、少し震えている。
歴史上の織田信長という人物は、とても非道で冷たい印象を与えているけれど、今、私の前にいる織田信長はまったく違っていて。
『兄』の温もりなんて知らないけれど、これがそうなんだな、って思えた。
それから一ヶ月が過ぎ、体調も整ったので、兼ねてから進められていた浅井長政との婚姻の儀となったってわけ。
ここで、私は1つ語りつくしておかなければならないことがある。
私は前世で大学生だった。
この場合『前世』というのかどうかはわからないけれど、とにかく私が前に生きていた時代では、私は歴史を専攻する大学生だったのだ。
日本史、とくに戦国時代が大好きで。
だって、私の大好きな『浅井長政』という武将がいるからだ!
そう。さっきからちょこちょこと名前が出ている、お市が嫁ぐ相手、浅井長政は、私の永遠の『推し』なのだ!
そもそも私が浅井長政という武将の存在を知ったのは、とあるゲームになる。
その中で浅井長政という武将は、一途にお市を愛し、そして強く頼りがいがあり、しっかりと守ってくれる存在だった。
今でいう『スパダリ』と言っても過言ではないと思う。
戦国時代の武将といえば、なんていうか…側室がいっぱいいたりするじゃない。
長政もよくよく調べていくと、1人ぐらいいたような感じはするけれど、それでも市を愛しぬいたっていう記録はいたるところに存在する。
戦国時代の純愛って言っても、おかしくはないと思うわけ。
だからこそ、私は浅井長政という武将が大好きになった。
そして今――
私はお市として、憧れの武将、浅井長政に嫁ごうとしているのだ!
『やばいやばいやばいやばい! やばすぎる!』
白輿の中、私は顔を真っ赤にして高鳴る心音を必死でなだめた。
まさか自分が転生して、しかもお市の方になり、憧れて、恋しくて、推しまくっていた武将、浅井長政…殿、に会えるなんて!
会っただけで死んでしまいそう。
そんなことを思いながら、私は自分が乗っている白輿が止まるのを感じた。
「織田信長公の妹君、お市様でございます」
従者の言葉のあと、ゆっくりと開かれた輿の扉……。
白無垢に包まれた私は、乳母が用意してくれた草履にそっと足を通した。
「よくぞ参られた、お市殿。私が浅井長政だ」
凛とした涼やかな声。
とはいえ高すぎず、低く甘い声音に、私はハッとしながら顔をあげた。
そこにいたのは……。