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【SS】さっぽろ噛む蕎麦協会 【ヒューマン】

再掲です。


【あらすじ】


ある日、俺の店に『さっぽろ【噛む】蕎麦協会』を名乗る男がやってくる。

その存在は俺の苦い記憶を思い出させた。


噛まなきゃ飲み込めない蕎麦で本当にいいのか?

おいしい蕎麦とは何か考える蕎麦屋の話です。

「素晴らしい! あなたの蕎麦(そば)これぞ私の求める蕎麦だ!」


 十四時を過ぎて、客は一人だった。

 スーツを着込み、四角い縁の眼鏡をかけた五十代くらいの男だ。

 彼は時間をかけてもりそばを食べきると、音もなくに立ち上がり、金額ぴったりをトレーに乗せた。

 そして興奮したようにまくしたてた。


「腰の強い素晴らしい蕎麦そばです。力強い歯ごたえ、弾力、噛むほどに感じられる蕎麦の風味! こんな蕎麦を待っていました。ぜひ当協会に入会を! いや失敬、まずはご検討ください」


 口をはさむ暇はなかった。男はパンフレットを俺に押し付けて、ふわふわした足取りで出て行った。


「さっぽろ噛む蕎麦協会?」


 書かれた文字を読み上げたとたん、嫌な記憶がよみがえった。


 二か月ほど前のことだ。

 その時も、昼過ぎの少し半端な時間だったと思う。

 女が一人、ふらりと店を訪れてもりそばを注文した。上品そうな美人だったのもあり、俺は横目でひそかに観察していた。

 女は蕎麦を受け取ると二コリと笑い手を合わせた。

 ところが、蕎麦を口にしたとたん。激しく顔をしかめたのだ。


 それからはもう、地獄のような光景だった。

 鬼だってあそこまで恐ろしい顔で蕎麦を食べることはないだろう。

 そんなに身をくねらせながら噛まなくてもいいじゃないか。

「か、硬かった、ですか……?」


 おそるおそる問いかけると、彼女はゆっくりと口の端をあげた。目元はちっとも笑っていない、背筋の凍るような微笑だった。

「ええ、少し」


 嘘をつけ! 少しって顔かっ!


「そ、そうですか~。申し訳ありませぇん」

 またお待ちしております。

 へらへら笑って常套句を口にしたものの、塩をまきたい気分だった。



 男に貰ったパンフレットには、有名店もリストアップされていた。俺は偵察を兼ねてリストの蕎麦屋を訪ねてみた。

 どの店も活気があって、「腰があってうまい」「食べ応えがある」と高評価だ。


 やはり間違いない。硬い蕎麦はうまいのだ。たとえ歯触りが少々悪くても。みんなが求めるのだから、正義なのだ。

 俺の店もこのリストに載れば、今よりも客足が伸びるかもしれない。


 ――なのに、あの女の顔がちらついた。

 それに、じいさんのことも。

 昔、じいさんと食べた蕎麦。

 あれは、こんなにも硬かっただろうか。歯に粘つくような食感だっただろうか。


 悩んでいたら妙な夢を見た。爺さんが鬼の形相で蕎麦を噛んでいる。

 食べさせているのはあの女だ。冷たい目つきで、口を笑みの形にゆがめている。

 爺さんは蕎麦を噛んだ。噛んで噛んで噛んで、最後は涙目になっていた。そしてうまく呑み込めずのどを詰まらせ、のたうち回って死んだ。


 目覚めたときにはひどく汗をかいていた。

 息苦しくて涙までこぼれ落ちた。

 そんな夢に三日三晩うなされて、俺はとうとう決意した。


 人が死ぬような蕎麦はだめだ。

 いや、あれは夢だ。じいさんの死因は肺炎じゃないか。

 だけど、だめだ。

 蕎麦打ちを見直そう。


 まずは蕎麦粉から。十割にこだわるのはやめて、二八にしよう。十割が悪いわけではない。俺が未熟者なのだ。


 本当は自分の打つ蕎麦に自信なんてなかった。けれど世間が硬い蕎麦をうまいというのなら、きっと俺の打つ蕎麦もうまいのだと自分を納得させようとした。


 だからあの女がひどい顔で俺の蕎麦を食べたとき、俺の心に波風が立ったのだ。

 自分の未熟さを棚にあげ、あの女がおかしいということにしたのだ。

 水回しから湯で加減まで、見直すところはいくらでもある。


 もっとうまい蕎麦を打とう。


 蕎麦を見直すということは、汁も見直すということだ。一朝一夕でできることではない。

 いっそのこと、昼の営業はしばらく休みにして夜の営業だけにしよう。


 昼に打った蕎麦は、そば切りとしては出さずに薄い団子状にして味噌を塗って酒のつまみとして出す。

 こちらの方が評判がよくて、項垂れてしまう。

 けれどこれが現実だ。


 試行錯誤を繰り返し、何とか客に出せると思える蕎麦ができるまで二か月以上かかった。

 本当はまだまだだと思っていたが、これ以上昼営業を休むこともできない。

 さっぽろ噛む蕎麦協会の男が再び店を訪れたのはそのころだった。



 彼は前に来た時と同じようにもりそばを頼み、以前とは違い一口で箸を置いた。

「申し訳ない。私の見込み違いだったようです。このあいだの話、見送らせていただきたい」

「ええ、もちろんです。うちの理念と相いれませんから」


 俺は笑顔でパンフレットを突っ返した。くたくたになったそれを見て、男は苦笑いした。

 それきり、彼が俺の店に現れることはなかった。





このおはなしはフィクションですが、札幌にやたらと硬い蕎麦を出す店がたくさんあるのは事実です。

そばは、のどごし!

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