2-07 学校も親も助けてくれない中、僕に手を差し伸べたのはアメリカだった
米国との二重国籍を持つ中学生が、学校内で同級生から重傷を負わされた事件が発生し、加害者が米国の国外犯規定によって、殺人未遂罪で終身刑を科された事は、当時、大きな論議を呼んだ。
加害者は一三歳だった為、本来ならば刑事責任を問われなかったのだが、彼はハワイを訪問時に拘束され、米国法で裁かれたのだ。日本政府からの送還要請は拒否され、加害者は現在も、米国の重犯罪者用刑務所に収監されている。
一方、被害者の米田 珈琲氏は、米国の庇護下に置かれてギフテッド対応教育を受け、飛び級で現地の名門大学院を卒業した。現在は、IT産業の若きカリスマ経営者として、日米をまたいだビジネスを展開している。
本書は、判決確定から一〇年を機に、当時の状況について米田氏自身が記した物である。
中学校に進学して、最初の中間テストを終え、結果発表があった日の事。
僕は唐突に、クラスの小集団の一つから因縁をつけられた。彼等は全員、僕とは別の小学校の出身で、家が裕福らしいリーダー格に、取り巻きが四人という構成である。
ろくに勉強してなさそうなのに成績がいいのは、不正をしていたからだと言うのが、彼等の主張だった。
確かに僕は、授業中に発言しないし、ノートも取っていない。必要を感じないだけなのだが、彼等から見ると、怠けている様に見えたらしい。
その日の放課後、下校時に取り囲まれて校舎裏へ連れ込まれ、五人掛かりで罵声を浴びせられて袋叩きである。
多勢に無勢、しかもカッターをちらつかせて来たので、下手に抵抗すると、逆上して切りつけてくるかも知れないと思い、その場は耐えた。
翌日、担任に報告したのだが、全く頼りにならない。他の同級生はと言えば、完全に見て見ぬふりである。彼等にも自分の身の安全を確保する権利はあるので、それは仕方ないと思ったし、期待もしなかった。
担任が厳しく対処しなかったせいもあり、彼等の行為は日を追うごとにエスカレートしていった。殴る蹴る、教室で全裸にされる等、全くやりたい放題である。
とは言え、僕もただ、されるがままではなかった。ICレコーダーを服に忍ばせ録音し、また、教室に超小型の録画機器を仕掛けて映像記録を集める様にした。こういった機器は電気街で簡単に手に入る。
記録は、警察に訴え出る為の証拠としてである。頃合いを見計らっていたのだが、半月もたたない内に、事態はさらに悪化した。
*
学校の階段を下りていたところ、いきなり後ろから背中を強く蹴られ、僕は転げ落ちた。
動けずにうずくまっていた僕に、「まだ生きてた? しぶといなあ」等と、リーダー格の上島(仮名)が声をかけてきて、取り巻き連中もケラケラと笑っていた。
騒ぎを聞きつけてきた担任に、後ろから蹴られた事を訴えたが、彼等は脚を滑らせただけだろうと言う。担任も僕を信用しなかった。
脚に激痛がして歩けないので救急車を希望したが、運ばれたのは保健室である。
放課後になり、訪れた担任から、いつまでも休んでないで早く帰れと言われたが、痛みはひかず、歩けないままだ。
母に連絡したが、仕事で忙しいから迎えに行けないという事で、やむを得ずタクシーを呼んで病院に行った。診断は、左脚の骨折により、全治一ヶ月半の大ケガである。
仕事から戻り、病室へ姿を見せた母に事のあらましを話し、転校出来ないかと相談したのだが、その必要はない、直ったら元通り学校へ通えという、すげない返事だった。
肉体の苦痛は耐えられるし、罵詈雑言も気にならないが、後遺症が残るケガを負ったり、命を落とすリスクがあれば話は別である。
警察へ告発する事を考えたが、調べてみると、一四歳未満の犯罪は刑事責任を問えないという。
あれこれ考えた末、助けを求める先として思いついたのが米国だった。
僕は、亡き父が仕事で母を伴って米国赴任中、現地で生まれた。その為、米国との二重国籍だ。
物心つく前に父が急死して、母と僕は帰国した為、現地の記憶は全くない。それでも一応、法的には米国人なのだから、外国で不法行為にあっていると通報すれば、支援してくれるかも知れない。
スマホで検索してみると、FBIに国外の犯罪被害に関する窓口がある様なので、そちらへ連絡する事にした。
通報内容を翻訳ツールで英文にして、これまで集めた録音や撮影、日記といった証拠のデータを添付してメールで送ってみた。集めた証拠は都度、クラウドストレージにアップしていたので、入院中でも問題なく使える。
すると半日程で、一週間以内に必要な措置を講じるという返信があった。さすがは米国である。
*
入院から一週間が経過した日の朝。
病院からは、後一〇日は要入院と言われたのだが、母は強引に僕を退院させた。何としても登校を再開させたいらしい。
「いい? あなたさえきちんとしていれば、何の問題もないんだから!」
母は、松葉杖の僕を責め立てながら、病院の出入口へと促す。
FBIへ送信後、暴力を受けた画像データは母にも見せたのだが、僕に協調性がないからその様な事をされるのだと言われてしまった。
出入口前のロータリーに出て、母が携帯でタクシーを呼ぼうとしたところで、黒い外車が目の前で停まった。リンカーン・コンチネンタルだ。
ナンバーは普通の物ではなく、青地に「外※※※※」と書かれている。運転席には、軍服の黒人女性が座っていた。
後部座席から降りて来たのは、ベージュの詰め襟スーツを着た、若い白人女性だった。
ショートカットの銀髪で、白人にしても肌が異様に白い。体格はかなり小柄で、身長は一五〇センチ程だ。大きな丸レンズの黒いサングラスをかけているが、肌と髪の色から、アルビノで眼を保護する為ではないかと思い当たった。
「米田 珈琲さんですね。保護の要請に基づき参りました。私は、合衆国政府の依頼を受けた弁護士で、アビス・ネスレと申します」
アビスと名乗った女性は、流暢な日本語で自己紹介した。
「どういう事? あなたが呼んだの?」
母の問いに、僕は黙って頷いた。
「学校で執拗な暴力被害を受けていると言う事で、合衆国は珈琲さんの緊急保護が必要と判断した次第です」
「子供の言葉を真に受けて…… 随分と大げさな」
アビスさんの言葉に、母は嘲る様な薄笑いで応えた。
「証拠となる多数の動画や録音を受け取りました。お母様もご覧になったのでは?」
「ええ、見ましたけど。この子の態度にも問題があったのでしょうし、日本では良くある事ですよ」
「連邦裁判所は、私を後見人として指名しました。珈琲さんは合衆国で、私の監督下で生活する事になります」
「学校は? 英語も話せないのに!」
アビスさんの宣言に母は顔を引きつらせ、一気にまくしたてた。アビスさんの方は、全く無表情のままだ。
「ホームスクーリング扱いで、特別プログラムを用意します。彼の知能なら、英語を完全に習得した上で、ハイスクールの卒業資格取得も一六歳で可能でしょう」
「無理よ! この子はごく普通の子供なんだから!」
「小学六年の全国統一テストで、全教科でほぼ満点なのに?」
「そこまで調べたの……」
「当然です」
過去の成績まで調べていた事には、僕もさすがに驚いた。
「ここは日本よ!」
「強制的な手段は取れませんが、珈琲さんが自らお乗りになれば。この車は外交官ナンバーで、治外法権の対象です」
「……」
「珈琲さん、どうします?」
母が沈黙したところで、アビスさんは僕に決断を促してきた。同時に、運転席の女性軍人が車外へと出た。
「僕は行くよ」
立ち尽くす母を放置して、僕は女性軍人の介添えで車に乗り込んだ。
*
「さて、いつまでも堅い口調はやめようか。改めて、よろしくね」
「こちらこそ」
車が発進すると、アビスさんは急に砕けた調子になった。弁護士らしい態度は、母のみに向けた物だった様だ。
「ところでさ。加害者を合衆国で刑事告発する気はない?」
「そんな事が出来るんですか?」
「国外犯と言ってね。合衆国市民が外国で受けた重大な犯罪被害は、合衆国の刑事犯として責任追及が可能なんだよね。合衆国だけじゃなくて、日本を含めて、大抵の国はそういう制度があるんだよ」
「米国では一四歳未満でも、加害者を罪に問えるのですか?」
「州によって違うけど、一般に七歳が線引き。国外犯もこれに準じるね。FBIでは今回の件、殺人未遂として立件可能とみてるよ。法定の最高刑は終身刑」
「身柄の確保はどの様に? 日本の警察は協力してくれないでしょう?」
「主犯の上島って奴ね、父親がゲーム会社の創業者で、随分とリッチなのは知ってる?」
「裕福というのは聞いた事がありますが、親の仕事までは。それが何か?」
「本社は日本だけど、メインの開発拠点は合衆国にあってさ。その関係でハワイに別荘を持ってて、夏季休暇と年末年始は毎年、一家でそこに滞在してるんだ」
国外に別荘があるなんて、庶民の僕からすれば、随分と雲の上の話だ。だがそれなら、FBIの手が届く機会もある。
「なるほど。別荘を訪れた時に拘束するのですね」
「そういう事。でさ、民事でも訴えようよ。合衆国で訴えれば、賠償金がガッポリ取れるよ?」
米国の損害賠償は「懲罰的賠償」という考え方で、実際の損害を遙かに超えた金額を請求出来るというのは聞いた事があった。米国に別荘や会社の拠点があるなら、資産の差し押さえも可能という事だろう。
「もしかして、アメリカが僕を助けてくれたのは、そのゲーム会社をどうにかしたいからですか?」
「君、カンのいい子だね」
アビスさんは満足そうに僕の頭をなでた。
「突っ込んだ理由を聞けますか?」
「このゲーム会社、先端兵器にも応用出来る特殊な技術を持っててさ。軍が協力を要請したけど、兵器開発は嫌だって断られてね。会社を買収しようにも株が非公開なんだ」
「で、僕の件を利用して、経営者に巨額の賠償を背負わせ、会社を売る様に仕向けたいのですね」
「君は金持ちになれるし、合衆国は軍事技術が手に入るって訳」
裏事情を聞いて僕は納得した。むしろ、その方が信頼出来るという物だ。
「わかりました。それで行きましょう」
「GOOD!」
僕は、アビスさんの提案に乗る事にした。