2-06 どっちが正しいのかわかんなくなっちゃったので、もう暴力で決着つけよう暴力で!
寄宿学校からの帰省の途中、なりゆきで決闘を申し込まれた騎士嫌いの少女リア。
彼女の名誉を守ってくれたのは、偶然出会った騎士見習いのシリルだった。
騎士というものを少し見直したリアだが、その直後、騎士となって爵位を継ぐはずだった従兄弟の家出を知らされる。宙ぶらりんの爵位を代わりに継ぐには、リアも騎士を目指さなくてはいけない。あれよあれよと編入させられた騎士学校で、リアはシリルと再会した。
追い詰められた少女に、騎士見習いが申し出る。
「ここ卒業して、肩書だけでも騎士になればいいんでしょ? なら、女子は代闘士(代わりに闘う騎士)を使っても、卒業要件満たせるよ」
――僕がなろうか。
君のために闘う騎士に。
「……そんな、ズルみたいな」
「ここみんな馬鹿だから、何かあるとすぐ退学かけた決闘沙汰になるよ」
「えっ!?」
すれ違ってから二度見したのは、相手がすごい美人だったから。
「あの、銀髪の騎士様!」
思わず声をかけたのは、腰に剣を提げていたから。
「腰のそれ、貸していただけませんか!?」
「えっ、無理です」
即座に断られたのは、たぶん怪しい女だと思われたから。
「……そうですよね、失礼しました」
雑踏の中、リアは落胆もあらわに謝罪し、ぺこりと青年に頭を下げた。
それはそうだ。いかに王都に人が多くとも、見知らぬ女に突然こんなことを言われたら、誰だって断るだろう。顔を上げず、リアは逃げるようにその場を去ろうとした。
それを引きとめたのは、青年のほうだった。
「何かあったんですか」
「……いえ、お気になさらず」
「気になりますよ。ひと目で良家のご令嬢とわかる方が、駅前で剣を探してたら」
リアは相手の顔を見上げた。
やっぱり美しい。月光のような髪も、宝石のような青い目も。体つきや声から自分と同じ十八歳前後の男性だとわかるが、端正な顔だけを見たら、一瞬女性かと勘違いしそうだ。
当人は興味本位でなく、本気でこちらを案じているようだった。断ったことを気にされるのも申し訳なくて、リアは微笑んだ。
「なんでもないんです。ただその、このあと決闘するものですから」
ではごきげんよう、と今度こそ立ち去ろうとしたリアを、唖然としていた青年が「まって本当に何があったの?」とまた引きとめた。
*
寄宿学校に、母から手紙が届いた。急いで帰って来るようにとの内容だった。
文面から伝わる気迫に圧され、列車に飛び乗ったのが今朝。駅に迎えが来る以外には、供もいない旅だった。
その車内で、リアは騎士に声をかけられた。いわゆるナンパだった。
断るとつきまとわれ、冷たくあしらったら腕を掴まれ。ぎょっとして、とっさにリアは相手の顔へ平手を見舞った。
掴まれた手はすぐ離されたのだが、気づけば多くの乗客が自分たちを遠巻きに見ており、偶然そこに、騎士の婚約者を名乗る女性もいた。
リアへ腹を立てる女性へ、すぐに事情を説明したが、当の騎士は大嘘をついた。
逆だと。誘われたのが自分の方で、拒んだらぶたれたのだと。
こうなると、女性はもうリアの言葉には耳を貸さなかった。乗客も、リアが騎士を叩いたところからしか見ていないという。
口論は、列車が止まり、駅に降りてからも続き。
やがて女性は、身に付けていた手袋をリアに投げつけた。
「どちらの言い分が正しいか、決闘で決めようと言われたんです。昔の裁判では、神様は正しい方を勝たせると信じられていたとかで」
リアが片方だけのレースの手袋を見せる。黙って聞いていた青年は、顔をしかめてそれを見遣った。
「受けたの?」
くだけた問いに、リアは頷いた。
「はい」
「受けたんだ……。証拠もなしに、騎士とその手の言い合いは結構不利だね」
「……ええ。騎士って、世間ですごく信用されてますものね」
リアはハッとして口を押さえた。声に嫌悪がにじみ出た気がした。
思わず青年の様子を窺うが、気にとめた様子はない。安堵して、肩から力を抜く。
しかし。
「決闘裁判か。そのご婦人も、やけに極端な話を持ち出すな」
つぶやきに目を泳がせたリアを、今度は見逃してくれなかった。
「まだ何か?」
「……」
「お嬢さん?」
リアは躊躇し、すぐに観念した。
「女性は、騎士である彼が軽はずみなことをするわけないって信じ込んでたんです。一方で私のことはふしだら呼ばわりだから、だんだん頭にきて……」
――騎士がもれなく清廉潔白だとお考えなんて、なんておめでたい方でしょう! 乱暴者へ贈られた時代錯誤な称号がそんなにありがたいなら、外を歩かせず大事にしまって、二度と私の手が当たらないようにしてほしいものですっ、どうせ使いみちなんてないんですからね!!
「……」
「……」
短く重い沈黙ののち、青年はゆっくり頷き「なるほど」とつぶやいた。
うなだれたリアの目に、青年の剣が映り込む。昔から、騎士の象徴として扱われてきた、十字の剣が。
「すみません……」
「謝らなくていいよ。訊いたのは僕だし」
「そう言っておきながら、騎士から剣を借りようなんて、虫がいいですよね」
「場の勢いってあるし、それに結局、貸せないし。あと僕見習いだし」
「そうでしたか、すみません……。あの、でも、騎士が嫌いなのは本当なんです」
「えっ、そこ言い直すの」
「すみません、でもこの際なので言わせて下さい、私の身内にも騎士はいるんです。母の兄の家系がそうなんです。勢いだけで言ったわけじゃないんです」
苦笑いだった青年が黙る。リアは俯いたまま続けた。
「従兄弟も伯父も、その血筋へのこだわりが凄かったんです。一族は騎士になるのが当然で、そうでない人に価値はないと言わんばかり。女の私をいつも見下してくる、あの人たちが大っ嫌いでした」
目の前の、国営鉄道の駅舎には、剣を中央にあしらった国章が掲げられている。
ここは騎士が打ち立てた国。王家も古い貴族たちも、もとは騎士。
「戦争の主力が大砲に変わっても、陛下に叙任された騎士が人々の尊敬を集めていることは知っています。でもそんなの、今は飾りの勲章で、経歴の箔付け以上のものじゃない。なのに、列車でも、相手が騎士ってだけで、喧嘩してる私のほうが変な目で見られて」
今もだ。通行人は青年の剣に気がつくと、リアを怪訝な目で見ている。
この人は悪くないとわかっていても、言葉は口から溢れて止まらない。
「騎士道なんて言葉で取り繕っても、その本分は暴力で、それすら他のものに取って代わられて、残ってるのは無駄なプライドだけ。私、あの女性に言ったこと、今でも全然間違ってないと思ってます」
冷たい罵倒を覚悟していた。
それなのに、青年は何も言わない。
とはいえ、その顔を直視する勇気は出なかった。リアは駅舎の時計を見上げて言った。
「……聞いて下さって、ありがとうございました。礼儀を知らない小娘の戯言と思って、どうかお忘れください。ごきげんよう、優しい騎士様」
*
指定されたのは、大きな公園の奥だった。木々に囲まれ、邪魔者が入らない、決闘向きの場所。
リアが到着したとき、すでに決闘相手の女性と騎士がいた。勝負を見届ける証人もだ。
「剣を探すなんて言って、逃げたかと思ったわ」
待ち構えていた女性が吐き捨てる。男の方はさすがに気まずそうだが、それでも真実を明かす様子はない。改めて軽蔑し、リアは片手剣を手につんと顎を上げた。
「逃げる必要ありませんので」
青年と別れたリアは、閃いて教会に向かった。教会には昔から、警護の騎士が常駐している。
残る問題は、この剣を使いこなすだけの経験が、自分にないということ。
「……お嬢さん。ご婦人は、あなたが謝るなら侮辱も許すと仰っていますが」
よかれと思ってだろう証人の言葉は、騎士の嘘を認めることを意味している。リアは聞こえなかったふりをした。
証人は呆れ顔で息を吐き、「両者、武器を。細工がないか確認しますから、その後名乗りを」と促した。女が荒々しく騎士の背中を押す。
代闘士。淑女の決闘にはつきものだ、卑怯ではない。自分にそう言い聞かせて、リアも証人のもとへ踏み出した。
だが、その足が止まった。
驚くリアをよそに、証人が訊ねる。
「知り合いですか?」
「えっ、いえ、その」
リアの手を引いたのは、別れたはずの銀髪の青年だった。腕を取り返そうとしたが、そのままぐいと後ろに引かれて、逆に青年の方が証人の方へ進み出る。
「こっち」
青年は、十字の剣を鞘ごと証人に差し出した。リアが目を見開く。
「か、貸して下さるんですか?」
「無理です」
閉口したリアに、青年は低い声で付け加えた。
「これ、他人には貸せないんだ。ごめん」
それなら何をしに。そう聞きかけて、はたと気がついた。
「……まさか」
「この際なので言い返させて下さい」
リアは凍りついた。
さっきの話へ反論するために追いかけてきたのか。なんて嫌味な人。
「……決闘なんて、暴力で正義のありかを決める方法。同意したら、正しい方は絶対負けられない。正しくても、闘えないなら受けるべきじゃないけど」
予想外の言葉で戸惑うリアに、青年が振り返る。
「そういう人を、何が何でも勝たせるために、まだ騎士がいる」
リアを見る眼差しに、怒りはない。
研いだ刃のような、静かな鏡のような目で、リアを見定めようとしていた。
「あなたとあの女性、どっちが正しいのか僕は知らないけど。――あなたは誓える? 自分の名誉に、傷つくいわれは少しもないと、断言できる?」
淡々と、突き放すような問いかけ。
この身に、勝利に足る正義があるのかと、問われている。
――緊張で血の気が引くなんて、初めてだった。
そこまで考えて、この人に声をかけたわけではない。
けれども、目はそらさなかった。
だって後ろ暗いところはなにもない。
『どっちが正しいのか僕は知らない』
リアは知っている。
「はい」
睨むように見返すと、長いまつげの下で青い目が和らいだ。
「お名前は?」
「……リア・ウィック」
青年は、確かめるように口の中で繰り返して、証人から剣を受け取った。
同時に、証人と、決闘相手とその代闘士に向けて笑いかける。
「リア・ウィックの代闘士、シリル・フィリスです。正々堂々やりあいましょう、そちらにまだ良心が残ってるなら」