2-24 落ちこぼれ王女の神殺し
フローライトは兄の急死により王位を継ぐことになったが、両親からは見捨てられ、なにをするにも上手くいかず、「落ちこぼれ王女」と蔑まれるようになる。いつしか「ここから逃げ出したい」と願うようになるも、現実的ではなく、諦め切っていたその時のこと。
「君の願いを叶えてあげるよ。その代わりに、僕の頼みを聞いて欲しい」
生首の魔法使いが、怪しげな取り引きを持ちかけてきたのだ。
ひとりぼっちの少女は生首の魔法使いに導かれ、女王への道を歩むことになる。その先に待つ未来とは……?
神様は全知全能で完璧だそうだ。
この世に起こるすべての出来事は神様の思し召しであり、困難とは神様から与えられる愛の試練らしい。
「フローライト様、立派な女王になる近道は正しい信仰を持つことです」
それが家庭教師の口癖。
家庭教師は授業の度に、判を押したように綺麗な説教を語った。
神様を信じましょう。
神様はいつも見守ってくださいます。
神様は常に私たちの味方でいらっしゃいます。
「神様は与えられた困難を乗り越えることを望んでおられ――」
その日の話も同じようなものだった。
家庭教師はどこまでも真剣な表情で教本を読み上げる。
フローライトは退屈でおかしな説教を聞いていると、いつのまにか膝の上に置いていた両手を握りしめていることに気づいた。強く力を入れたせいで黒いスカートに皺が寄り、くしゃくしゃになってしまっている。なにかを耐えるように皺が寄ったスカートは、いまの自分の心のようだ。
そんなことをボンヤリ考えていたら、家庭教師の咳払いをする音で我に返る。
「フローライト様」
顔を上げると、家庭教師の冷たい眼差しと目が合った。
「私がいま何を口にしたのか、もう一度繰り返してみなさい」
「すみません。よく聞いていませんでした」
正直に謝れば、家庭教師は仕方ないとばかりに肩を落とした。
「神様は慈悲深い心をお持ちです。どのような境遇の者も見捨てることはありません。神様を信じていれば、『真実の愛』を見つけることだってできるのです」
「神様」と口にする度に、家庭教師の顔は恍惚とする一方、フローライトは苦虫を嚙み潰したような不快さが増していく。
「先生……私はそうは思えません」
フローライトは黙って聞いていたのだが、ぽつりと疑問を呟いていた。咄嗟に止めなければ、と思う一方、3年間ずっとため込んできた不満や疑問が決壊し、次々と溢れ出てしまう。
「神様がいらっしゃるのでしたら、なぜ、兄上と母上は亡くなったのですか?」
気がつけば、胸に秘めていた言葉を吐き出していた。
兄は、15歳の誕生日に毒林檎を誤飲して死んでしまった。
母は兄の死を悲観し、まもなく一番高い塔の上から飛び降りて命を落とした。
父は彼らの死を受け入れることができなかった。現実から目を背けるように国王としての仕事に打ち込み、すっかり疎遠になった。
神様が全知全能ならば、兄は健やかに成長していただろうし、母は死を選ぶことはなかった。父も昔のように優しい人のままだったに違いない。国王としての仕事が忙しくても、朝夕の食事の席には必ず現れ、家族そろって他愛もない話に花を咲かす過ごす時間は――とても幸福だった。
「神様は……なぜ、私を女王に?」
いまでは、ひとりぼっち。
なにをするにも優秀だった兄と比較され、「なぜ、貴方が王位を継ぐことになったのでしょう」と嘆かれる日々。寝る間を惜しんで勉学に励み、努力を重ねても、どうしても死んだ兄との差を埋めることはできなかった。
「これも神の試練なら、神様は随分と素敵な性格をしてらっしゃるのですね」
「まあ、なんて罰当たりな……っ!」
瞬間、家庭教師はただでさえ細い眼を吊り上がらせた。
「神様を信じてお祈りをすれば、よい方へと導いてくださるのですよ」
「では、兄上はお祈りをしていなかったと?」
フローライトは反射的に声を荒げて言い返していた。
「兄上も母上も、神様を信じていたことは先生もご存じでしょう!?」
「フローライト・マグノリアっ!」
自分の名前が呼ばれたと認知したときには、頬を強く叩かれていた。
「なんて罪深い娘なのでしょう! 貴方が即位することは、神様がお決めになった運命なのです! それなのに……今日は終わりです! 罰として、夕食を抜きにするように料理長に伝えておきますから!」
家庭教師は怒りで顔を真っ赤に染め、肩で息をしている。金切り声で矢継ぎ早に怒りの文句を飛ばしながら、テーブルの上に教本を乱暴に置いた。
「しっかり反省して、明日の朝までに宿題を完璧に終わらせること!」
「……」
「いいですね!!?」
「……はい」
フローライトは頷くと、家庭教師は即答しなかった態度が気に入らなかったのだろうか。家庭教師は唇をひん曲げると手を鞄に突っ込み、何枚かのプリントを引っ張り出した。
「追加です! 女王になるのでしたら、この程度の魔法理論くらい習得しないと困りますもの! しっかりこなしなさい! だから、いつまでも『落ちこぼれ王女』なんて不名誉な噂が流れるのです!」
「はい、先生」
フローライトはじんわりと頬が痛むのを感じながら、家庭教師の後ろ姿を見送った。
ここで食い下がっても、罰が重くなるばかりだ。謝罪をしていれば、状況が好転したかもしれないし、もしかしたら、夕食抜きの罰は取り下げてもらえたかもしれない。だけど、口が裂けても謝りたくなかった。謝ったら最後、兄や母の死が「神様の試練」なんて曖昧かつ納得のいかない言葉で片付けられてしまう。
「馬鹿みたい」
奥歯を食いしばり、ちらりと窓に目を向ける。ガラスに映った自分の頬は赤く腫れあがっていた。緑の目は不自然なほど見開かれており、いまにも泣くのを堪えているように見えて仕方がない。なんとも情けない顔をしているものだと、自虐気味な笑いが浮かび、ようやく多少はマシな表情になった。
「……神様、ね」
窓に映し出された自分の顔の向こう側に、白亜の礼拝堂が見える。少し汚れた窓越しに見ても、太陽の日差しを一身に浴びた礼拝堂は穢れ一つ感じさせない輝きを放っていた。
「本当にいるのかしら」
神様がいるなら、こんな惨めな思いはしない。
これだけでも、神様がいない証明である。
兄が亡くなる前はもちろん、王位を継ぐと決まってからも、熱心に祈っていた。安息日は礼拝堂へ赴き、寝る前には必ず跪いで祈りを捧げた。
神様に祈れば、自分もいつか救われるのだと思い込もうとした。
だが、それは幻想にすぎない。
いまでも瞼を閉じれば、父と交わした言葉が嫌なほど鮮明に蘇ってくる。
兄と母を立て続けに亡くし、唯一の肉親に泣きついた。
『父上は、どこにも行かないですよね? 私を置いて、どこにも……っ!』
必死の思いで語りかけるも、父の表情を見てその先の言葉を飲み込んでしまう。
彼はこの世の悪を全部飲み干した顔をしていた。
『なぜ、お前だけが生き残ったのだ』
声も地獄の底から響いてくるような恐ろしいもので、フローライトは縮みあがってしまう。知らない人だと思いたいのに、王冠を被った男は、やはり自分の父なのだ。
フローライトが恐怖と衝撃で固まっていれば、彼は蔑むように口を開いた。
『お前に期待しない。最低限の責務だけ果たせ。お前はそれしかできんし、それ以上を求めぬ』
緑の瞳の奥には冷たい炎がちらつき、フローライトは言葉を返すことすらできなかった。
あれから、3年。
公務で見かけることはあれど、父の視界にすら入れてもらえない。
「神様なんて、大っ嫌い」
ぽつりと呟く声は、誰にも届かない。
情けなくて、フローライトは気分を変えるように窓を開けた。まだ冬の冷たさの残る風が吹き込み、長い赤髪がふわりと膨らませた。腫れている頬が風に刺激され、じんわりと痛む。
「やってられないよ」
窓の桟に肘をつけ、苦笑いをするしかない。
「逃げ出したいな」
女王になんてなったところで、胸の奥が痛むような寂しさは消えることはないのだろう。
これまでの努力や辛さが報われるときが来るとは思えず、祈ったところでなにも変わらない。それならば、逃げ出してしまいたい。責務も立場もすべてを窓から放り投げて、ただのフローライトになりたかった。
もっとも、現実的ではないのだけど――と、自分を鼻で笑おうとしたときだった。
「その願い、叶えようじゃないか」
すぐ真下から若い男の声が聞こえ、フローライトは飛び上がった。思わず両手を祈るように握りしめ、きょろきょろと周囲を見渡すも、部屋にはもちろん、視界には誰もいない。
「嘘でしょ?」
声が聞こえてくる方向を見る勇気は、なかなか出てくるものではない。
なぜなら、ここは5階。地上の声が届くはずがないのだ。
「誰?」
それでも、なけなしの勇気を振り絞り、窓から身体を半分乗り出して見下ろしてみると、赤い瞳と目がばっちりあった。手が届くほどの距離に若い男の顔がある。目鼻も輪郭も含め、極めて整った顔立ちなのだが、問題はそこではない。
「な、生首ぃー!?」
フローライトは淑女らしからぬ悲鳴を上げた。
なにせ、男は頭しかなかった。
首から下の胴体がなく、手足も当然ながらない。長い金髪をガーゴイルに巻きつけ、ぶらんぶらんと風に揺れている。男はこちらの動揺など知らぬ顔で、親し気に語りかけてきた。
「君の願いを叶えてあげるよ。その代わりに頼みがあるんだ」
「頼みですか?」
現実離れした不気味さに逃げ出したかったが、「願いを叶える」という言葉は魅力的で、おっかなびっくり生首に問いかける。
すると、若い男の生首は嬉しそうに顔を輝かせ、こんなことを訴えてきたのだ。
「女王陛下にさ、俺の胴体を返してくれるようにお願いしてもらえるかな?」
※
これが、落ちこぼれ王女と生首の魔法使いの出会い。
1年後、彼女はこう語ることになる。
「あのとき、貴方を助けなければ――絶対に許さない」
だが、このときの王女は知らない。
まだ見ぬ未来のことなど、神のみぞ知る。