2-22 ブラック企業にケンカを売った限界社畜、ダンジョンの底で美少女配信者を拾う
その日、加賀美リョウは限界社畜マネージャーとして働いていたダンジョン配信者事務所を辞めた。
理由は簡単──
『お前なんていつまでたっても半人前なんだよ!!ったく女だったら性処理くらいはさせてやったのになァ!!』
数多のパワハラの証拠とダンジョンの下見で培った戦闘力を携え、会社に復讐を誓う。
最後の仕事として潜ったダンジョンに潜ったリョウの前に現れたのはダンジョンボスのドラゴンと自殺志望の美少女配信者だった。
「もう嫌なの!! キャラを演じるのも枕営業も!!」
彼女の名は夜乃トバリ。リョウが勤めていた事務所の配信者だった。
そんな彼女もまたブラッククソ事務所の被害者だった。
ドラゴンを一撃で討伐しトバリを救ったリョウの姿はしっかりとトバリの配信に乗り、本人の復讐とは無関係に各所でバズりにバズってしまうのだった。
これは復讐を誓った男女の世間を巻き込んだ配信劇。
「では円満退社ということでよろしいですね? 退職金と2年7か月分の残業代をお願いいたします。そちらにお送りしたボイスレコーダーのバックアップは証拠として裁判所に提出しますので。では社長、あとはダンジョンで」
『どこが円満退社だ! 残業代は払う! だが裁判だけは! 裁判だけはやめてくれ加賀美!』
「パワハラしたのはそちらでしょう」
スマホのマイク部分にボイスレコーダーを近づける。
『はぁ定時で帰りたいだぁ? テメエに定時なんてねえよノロマ! 今日中に博多と能登と草津の素材とってくるまでは帰さねえからな! テメエみたいな能無しは無休で働いてようやく半人前なんだよ! ったく女だったら性処理ぐらいはさせてやらんでもなかったがな』
「そちらにお送りしたデータファイルにも同じ音声が保存されているはずですが、お聞きになりました?」
するとスマホから野太いすすり泣きの声が聞こえてきた。
『誰かに聞かれたらどうする!? やめてくれ……! 金なら、金なら払う……!』
「その辺りは裁判で話しましょう」
まだギャンギャンと吠えているスマホの電源を切り、俺、加賀美リョウはダンジョンを下っていく。
今さっきまで務めていたダンジョン関連会社『ギルド・ノワール』からの最後の仕事だ。
しばらく下っていくとまたスマホが鳴り始めた。
「はい。加賀美ですが」
『待ってくれ! 裁判だけは! 俺には妻も子供もいるんだぞ!?』
「裁判になったら解任は免れないでしょうね。あなたの妻子がかわいそうだ」
『な!? そう思うだろ!? だったら──』
「パワハラを起こしたのはそちらでしょう。別に俺は金目当てじゃない。あんたと会社に復讐したいだけです」
「テメエ……! テメエが愚図で仕事が出来ねえのが悪いんだろうが! いいぜ、テメエが二度とこの業界に戻ってこれないようにしてやる!! 俺の顔の広さ、舐めるんじゃねえぞ!!」
今度は勝手に黙ったスマホをスーツの胸ポケットにしまい、立ちはだかる巨体を見上げる。
「最後の業務はしっかり終わらせますよ」
ダンジョンの最奥、いわゆるラスボスがいるエリアに鎮座しているのはエンシェントドラゴン。
強靭な爬虫類の四肢にダンジョン内では窮屈に見えるほど大きな翼はまさに神話の怪物。
こいつの素材を取ってくれば仕事達成となる。
別に会社にもあのクソ社長にも恩義を感じているわけではない。
ただ俺の心情的にけじめをつけたかった。
自分の数十倍の大きさの生物を前にしても何の気負いもなく近づいていく。
ようやく俺を敵と認識したのか、エンシェントドラゴンの口の端から青白い炎が漏れ始める。
さっさと討伐してしまおうと戦闘態勢に入った瞬間、背後から凛とした声が聞こえた。
「自殺するなら上の崖にしなさい」
「別に自殺しに来たわけではありませんが」
吐かれたブレスを片手で押さえながら振り返るとそこには一人の女性が順番待ちをするかのように入り口にもたれかかっていた。
暗い紫のロングヘアにモデルというよりはグラビアよりのプロポーション、その体を包む、セーラー服を切り貼りしたような衣装には見覚えがある。
「夜乃トバリさんですよね。ダンジョン配信者の」
「知ってくれてるんだ。もしかしてファン?」
「まあ、うちの会社所属ですからね」
「え? 事務所の人?」
「正確に言えば事務所を運営している会社のモノですね」
『ギルド・ノワール』はダンジョン探索に関するアイテムから装備、素材の取引まで幅広く事業を行っている。
その中にはダンジョン探索をメインに活動する探索者系動画配信者事務所の運営部門もある。
目の前の人物はその事務所内でもダントツのAランク探索者という実力と、その一般人からはかけ離れた美貌、勝気ながらも気さくでリスナー、コラボ相手ともども盛り上げてしまうトークスキルを武器に、登録者数23万人の人気を誇っている人気配信者だ。
ここまで会社のデータからの引用。
働きづめで配信など見る暇もない俺には関係のなかった世界の人間だ。
夜乃は歩いてくるとドラゴンに向きなおしていた俺の一歩前に出る。
「自殺しないならどいてくれるかな。自殺するから」
「自殺するならここ以外にしなさい。というよりそもそも自殺する前に誰かに相談しなさい」
「あらら、返されちゃった」
そもそも人が目の前で自殺するのをみすみす見逃す人間はいないだろう。
彼女を無理やり下がらせ腰のホルスターから拳銃を構える。
ずっしりと手になじむ重さ。
カスタムもしていなければ、弾すら入っていない。
会社から支給された名前もわからない安物の拳銃。
「俺が討伐するんで離れてください」
「討伐? それこそ自殺じゃないの?」
確かにラスボス級のエンシェントドラゴンはAランクの探索者のパーティでやっと討伐できる程度の難易度のモンスターだ。
俺のように拳銃だけで戦おうなどもってのほか。
だからこそ夜乃は俺を自殺志願者だと思ったんだろう。
「自殺するなら私の後にしてくれない?」
俺の前に回り込んできた夜乃を抱えると後ろに飛びのいた。
瞬間、先ほどまで俺たちがいた場所をドラゴンの前足が抉る。
「えっ、ちょっ、お、お姫様抱っこ……?」
「危ないですからここで待機していてください」
硬直したままの夜乃を岩陰に降ろす。
「ねえ待ってよ!」
「まだ何か?」
「あんたも自殺しに来たんじゃないの!? なんで私の邪魔するのよ!」
目を潤ませながら訴える彼女に背を向け言い放つ。
「あなたに死なれては困るんですよ。俺の復讐にあなたの死は関係ないので」
彼女の叫びを無視してエンシェントドラゴンの正面に飛び出した。
拳銃もかまえて立ちはだかる俺をエンシェントドラゴンがギロリとにらみつける。
ブレスだけなら余裕だが、その巨体で暴れ回られると夜乃にまで被害が及ぶ可能性が出てくる。
守りながらの戦いは厄介だな。
先手必勝といこう。
俺は、半身で拳銃を構え銃口をドラゴンの頭に合わせる。
銃口に意識を集中させると、俺の身体から何かが銃身に向かって流れ込む感覚と共に視界の端が揺らぎ始めた。
確かに彼女の言った通り、普通の弾丸でドラゴンに傷をつけることはできない。
現代科学ではモンスターを倒せない。
ただ、ダンジョンのあるこの世界には「魔力」があった。
「魔力過剰充填」
大量の魔力を流し込まれた銃身が今か今かと待ち焦がれるように軋んでいる。
呼吸も心臓の拍動さえも遅くなった世界の中で、エンシェントドラゴンが俺を踏み潰そうと前足を振りかぶるのが見えた。
エンシェントドラゴンの呼吸音。
全身からあふれ出る魔力の揺らぎ。
前足が空を切り裂く音。
そのすべてを俺は知覚する。
相手の細部までも感知する超感覚。
それが社畜としてSランク探索者にまで上り詰めた俺が得たものだった。
俺はエンシェントドラゴンの前足の後方、ドラゴンの頭部めがけて引き金を引いた。
放たれた魔力弾はエンシェントドラゴンの硬い鱗などものともせず脳天まで貫く。
「──!!!!」
二つの噴水と共に、その巨体が倒れていく。
後ろに跳躍し物理法則に従って落ちてくる前足を避ける。
脳を貫かれているのにしぶとくブレスを吐こうとする頭に向かってもう一発打ち込んだ。
決着は一瞬だった。
動かなくなったエンシェントドラゴンの側にダンジョンボス討伐報酬の宝箱が現れた。
宝箱には目もくれず俺は急いで岩陰に戻る。
「これで自殺は出来なくなりましたね」
「なんで」
体育座りしていた夜乃が顔を上げる。
その瞳には限界が見えていた。
「なんで邪魔するの!? 私はもう嫌なの! 配信も! 探索者も! この人生だって!」
2人ともひどい顔をしていたと思う。
俺は急に怒られて慰めることもできず無表情のまま。
彼女は泣きじゃくってメイクも表情もボロボロ。
夜乃は俺の胸倉をつかむと前後に揺さぶってくる。
「あんたには関係ないじゃない! 私が死んだってあなたに影響はないでしょ!?」
「影響はありますよ。俺の復讐には」
あの会社には今のままふんぞり返っていてほしい。
俺の手で壊さなければ復讐にならない。
そんな俺の内心なんていざ知らず、夜乃はなおも叫び続ける。
「何!? あんたもなの!? そんなに私に枕営業させたいの!? 私はもう普通に配信してちゃダメなの!?」
「ちょっと待て。枕営業?」
「そうよ! ちょっとチャンネル登録の伸びが減ったからって!」
夜乃は俺の胸倉から手を離すとへなへなと座り込んだ。
「あたしの魅力ってそれしかないって言ってるようなものじゃない……!」
彼女の嘆きがボス部屋にむなしく響く。
大まかだが大体状況は把握できた。
つまり彼女は新しいスポンサーだかなんだかの獲得のために身体を売られそうになったと。
「あの社長に売られたか。どこまで行ってもクズはクズだな」
「そう。──ねえ、一ついい?」
夜乃は涙で腫れ上がった眼でこちらを見上げてくる。
その顔には先ほどまでの弱弱しさはなかった。
「あなたって『ギルド・ノワール』に復讐するつもり?」
「ああ。おおまかにはそうだな」
俺の言葉を聞くと、ゆっくりと立ち上がり砂埃を払う。
彼女のうるんだ瞳がじっと俺を見据える。
その日俺は“”に出会ってしまったらしい。
「私もその復讐に参加させてくれないかしら」





