2-18 こちら、獏喰庁AI特課ーばくろうちょう えーあいとっかー
霊羽六年、紫の月十三日。日ノ本、首都闘郷の馬喰町にある、悪夢滅殺を担う獏喰庁の地下室。AIで悪夢を見せては詐欺を働く犯罪者、通称CROWの死刑が執行された。翌日。獏喰庁AI特課に、九郎という新人が異動してくる。CROWは恋人ユキを救うことと引き換えに、九郎として『AI悪夢』を消滅させるよう命じられたのだ。彼は獏喰庁長官兼相棒のオレンヂと共に、人々を悪夢から解放していく。
霊羽六年紫の月十三日、日ノ本。
悪夢詐欺犯罪人CROWは、首都闘郷は馬喰町にある某省庁の地下室に連行されても——その部屋がいかにも極秘の処刑室に見えても——平静を保っているそぶりを崩さなかった。
(俺の罪状は詐欺だし、それに)
十九歳の自分に死刑など処せられるわけがない。
詐取した金額の総額が総額だけに、成人極悪人向け刑務所にぶち込まれるだろうが。自分のAI技術を駆使して簡単に脱獄できるだろうと想定している。
しかし、宣告は非情だった。
「被告、CROW。死刑」
無情な言葉に、死刑台に拘束されているCROWは喚いた。
「は? 冗談、現行法律では死刑は禁止されてるだろうが!」
事実だった。二十歳以下の犯罪者の死刑は、霊羽ゼロ年に廃止されている。
「大体、俺はそんな重篤な犯罪を犯していないっ」
CROWは詐欺罪だからせいぜい十年くらいの実刑だろうと吠えるが、目の前の男はサラサラな長髪を優雅に煌めかせた。
「そう主張するには君の『アイム』は特別すぎる」
CROWの眉がぴくりと動いた。
——霊羽一年より、日の本でAIを使った詐欺が横行する。
声紋判別装置をも騙しうる、擬似音声。
持ち主の脳波や網膜のパターンでないと、解除できないはずのセキュリティをも潜り抜ける。
人々のプライバシーは白日の元に晒された。
ネットタトゥーを恐れる人々は、脅迫者に仮想コインを課金していく。国のIT庁や警察のサイバー犯罪課は後手に回るばかり。
なかでもユーザーの見せたい夢を見せる悪魔の飴『Nightmare caused by Artificial Intelligence 』=AIによってもたらされる悪夢。通称アイム=詐欺が流行りだすと、爆発的に犯罪が増加する。
『ドロップ』と呼ばれる錠剤型のAIを飲み込むと、体内で毛細血管にも入り込める微細なワーム型(線虫)に変態する。
その後、脳に入り込み痛みをやわらげたり、幻覚を与える。——例えば四肢を損傷した患者が『自分の手足で自由に駆け回れる』と言った願望を、五感に働きかけて実現しているかのように思わせる。
はじめは精神的な安定を得るため。
あるいは末期患者でモルヒネやロボトミー手術でさえ痛みを取り除けない患者への『最後の癒し』として登場した、画期的な治療法だった。
「優しいはずの夢も、許容範囲を超えたら悪夢になる」
犯罪者が目をつけないはずがない。救世主である一方、『次世代の麻薬』と言われている代物である。
最悪なことに、絶対不可侵であるはずのAIチップの制御コードが犯罪者の手に堕ちた。犯罪者はAIチップのデータを書き換え、命令する。
抑制も理性も消滅した夢は人を喰い、支配していく。小さくは個人から、大きくは世界までを悪夢に陥れた。
「現実世界に疲れた人々は、一夜の快楽を得るために大枚をはたき、財産も人生も失っていく」
「……それのどこがいけない」
CROWの小さな呟きは、やがて咆哮となった。
「現実がどうしようもないクズでサイテーだからじゃねえかっ、夢の中で理想を追い求めて何が悪い!」
貧困・病気・天災・戦争。世界は暗雲に飲み込まれている。足掻いて善良に働くだけでは、光は見えない。
「悪くないよ。それが人を不幸に至らしめた挙句、死人が出なければね」
AIは人に都合よく働きすぎる。服用者は寝食を忘れて夢に耽る。結果、病院に衰弱死寸前の若者達が担ぎ込まれる異常事態を引き起こした。
「『過度な使用はよくない』と記載しておいた。あとはユーザーの意思だろう」
そっけなく言えば、男は頭を横にふった。髪がサラサラと音を立てて、彼の周囲をふわりと舞う。
「君が顧客に与えた『上位種』は過度どころじゃない」
ぎくり。CROWの体が明らかにこわばる。
「自覚してるね。そう、君の手口はえげつないよ」
はじめに廉価版の効き目が軽度なものを購入させる。人々は戻って来れることに安堵し、徐々に深度の深い夢を望むようになる。
「強く願ったとき……、夢の中にパスコードと入金先を出現させたね?」
結果、彼らは戻ってこれなくなった。あるいは、家族によって強制的に摘出手術と受けさせられた人達は。
現実と夢とのギャップに耐えきれず、再び中毒患者になるか、命を絶った。
「さ、お喋りはおしまい。後悔するだけの罪状だろう?」
男が合図をすると、CROWの頭上に鋭利な刃物が現れた。受刑者のまなじりが極限まで開かれる。
「な、ギロチン……?」
「偉いね。歴史を学んでいるんだ」
パチパチと、おざなりな拍手が起こる。CROWは拘束を引きちぎるかのように暴れ、叫んだ。
「頼む、保釈金は言い値で支払うから、殺さないでくれ!」
白刃が空気を震わせて、落ちてくる。
「あいつを助けない限り、俺は死ぬ訳には……!」
衝撃とともにブラックアウト。
「やあ、CROW」
俺は死んだはずでは。
「そうだね。君の肉体は死んだと誤解している。精神体をこのまま放置しておけば、死に至ることもあり得る」
え?
「うん。君の精神ガードがものすごくて、潜り込めなかったからね。強制的にシャットダウンさせてもらったよ」
……。
「取引しようか」
そんなこったろうと思った。
「きみは今、生死を彷徨っている。生きたいか」
そんなの決まってる。アイツのために、俺は。
「君が恋人の治療費を稼ぐために詐欺を働いていたことはわかっている」
なぜバレた!
「ふふ。浅はかだよねえ。詐取金額もわかってるよ」
なんだと。
「許されることではないけれどね。君の健気さに当局が涙した」
嘘をつけ。
「なーんてことはない。『上』の親族に、君のアイムの犠牲になって死んじゃった子がいる」
……。
「無期懲役にさせろって、息巻いてるよ」
好きにすればいい。
「刑の内容、どんなものかわかってンの?」
CROWの脳裏に強制的に画像が送られてきた。
薬品漬けにされて、一生ベッドに縛りつけられる。最低限のスペースと栄養しか与えれられない。罪人はみるみる弱って刑期より早く衰弱死していく。
CROWは喘いだ。
「……こんなの、人権を無視している」
「人を尊ぶことを放棄した君がそれを言っちゃう?」
男の口調はいっそ、楽しげだ。
「数年ですら、生かす為の税金がもったいないって『上』から意見があってねー」
「頼みます、命だけは助けてください」
CROWはブルブルと震え、みっともなく床に頭を擦りけた。
「君がいなければ、恋人はあのまま……いや。死ぬこともなく、精神は地獄を彷徨うことになる」
今度は眼前に、寝かされて色々なチューブが体に繋がれている、病人の映像が映し出される。CROWの顔が苦痛で歪む。唇が、弱々しく彼の愛おしい人の名前を吐き出す。
「ユキ……!」
ふ、と恋人の映像が消えた。CROWはぎり、と唇を噛み締める。
「っ、なにをすればいい」
「そう来なくちゃね」
男はニヤリと笑うと、抑揚のない声で告げた。
「旧アカウント、CROW。新アカウント、九郎を与える」
CROW。否、九郎は思い切り顔を顰めた。
「だせぇ」
瞬間、九郎は電撃に打たれた。
「く……!」
苦痛のあまり呻きながら男を見れば、片手をあげて優雅な笑みを浮かべている。男は九郎と目が合うと、機械的に宣告した。
「九郎。獏喰庁長官、オレンヂが命じる。君のバディと共に、アイムを殲滅せよ」
「ほ、う酬は……?」
「君の恋人を苦痛から解放する手助けをしてあげよう」
嘘でも、その言葉にすがるしかない。
「契約成立」
九郎を黒い分子が、そして男をオレンヂ色の分子が包む。
「君が選んだ戦闘服だよ」
出現した鏡で強制的に確認される。真っ黒の着流しに鴉を白く染め抜いた紋付き。コンバットブーツと手甲。下着は褌ときた。手には短銃を握っている。天然パーマの真っ黒な髪はポニーテールになっている。
ふと、目の前の男を見て、目を剥いた。
「ハーイ、君の相棒オレンヂだ。よろしく」
男はど派手なオレンヂ色のスリーピースだった。彼の腰には大小の日本刀が差し込まれている。ご丁寧なことに背中の中ほどまである黒髪も、オレンヂ色に染まっていた。
「は、くそだせぇ」
九郎が相棒の姿形をあざ笑えば、また電撃を喰らわされた。
「おまっ、俺を殺す気か……」
四肢をぴくぴくさせながら、九郎はなんとか呟く。
どん、とオレンヂの靴が九郎の背中に乗る。ぐえ、と情けない音が九郎の口から漏れる。
「君を生かすも殺すも、これからの働き次第。せいぜい頑張ってね?」
「……ふん。犯罪者の俺に頼るしかないゴミカス野郎! いずれ吠え面かかせてやるからなっ」
嘯けば、オレンヂは冷酷に目を細める。
「確かにカードを持っているのは九郎、君のほうだ。だが、恋人の生殺与奪の権利はこちらにあるということを認識してもらおう」
「く……!」
九郎は唇を噛み締める。おかしな動きをすればユキがどうなるかわからない。
彼がおとなしくなったのを見て、オレンヂは楽しそうにいう。
「さて、九郎? 獏喰庁AI特課所属おめでとー。早速、歓迎バーティにいこうか」
け、と九郎はつぶやいた。
「やりゃーいいんだろうが!」