2-14 喰生荘と消えた家族
新山県の避暑地の外れに、立ち入り禁止区域がある。そこには無の境地に達せられる奇跡の宿泊地があったという。
「俺は、お前に会わせたい人がいるんだ。そのためにこんな事を20年近くも続けてる。くだらないか?でも、諦められないんだよ。 」
ダイジョウブ。彼女もずっと守ってくれてる。
胸元の形見を落とさぬようしっかりと仕舞うと、俺はいつも通り仕事へと向かった。
それは何も変わらぬ日常、どこにでもいる普通の家族。そう、いつも通りの……。
「さぐる兄ちゃん、どうしたの? 」
何故か俺は泣いていた。バターの香り漂う玉子焼きに醤油をかけながら、ポロポロと涙をこぼしていた。
「分からない。なんで俺、泣いているんだろうな。 」
「学校で何かあったのか? 」
「体調が悪いなら、今日は学校休めば? 」
父親は不思議そうに、そして母親は心配そうに俺を見ていた。
「別に何もないはずなんだ。なんだろうな、疲れてるのかな? 」
先ほどから奇妙な雑音が頭に響いて聞こえてくる。人の声のようで、でも、どこか不自然で不気味な音。それはざわざわと心を不安で押しつぶすようなものだった。
「さぐる兄ちゃん?かおが青いよ? 」
聞きたくない、聞いていたらダメだ。違う。聞かないと、ちゃんと聞き取らないと、理解しないとダメだ。チガウ、そうじゃない。
俺は蹲り、耳を塞ぐ。それでも聞こえてくる雑音は一体何なのだろうか。
ピリリリリリッ
胸元の携帯電話が鳴る。青い受話器マークのボタンを押し、電話に出た。
「もしもし? 」
『±⊆*÷ ⊇⊇÷*◎∽▽*÷∨* ▼±∨☆и ∴★×Д★±∞∮ 』
あの奇妙な音が携帯電話の向こうからはっきりと聞こえてきた。
『∞×>◎ ∴∋÷ 』
すぐに切ればいいのに、何故か聞かないといけない気して、俺はその声に耳を傾けた。
「さぐる兄ちゃん、それ、なに? 」
「ごめん、星、今、お兄ちゃん電話中だか……ら…… 」
ふと、手に持っているものを確認する。反射的に使っていたが、これは俺が寂しくないようにと【あの子】から言われて契約した携帯電話だ。
そう、家族が失踪し独りになった俺を心配して、いつでも連絡とれるようにと、同じ機種、色違いにした彼女との思い出の携帯電話。これを持っていた時、星や両親は既に俺の元からいなくなっていたはず。
じゃあ、今、家族たちがいるココは何?この家族たちは【本物】なのだろうか?
『◎♭∈ ⊇⊇∨Д ÷*÷ 』
手から携帯電話が離れ、パリンッとガラスの割れるような音がした。それをきっかけにバラバラと世界が崩れ始める。
心配そうな顔をしていたはずの家族の姿をしたソレらは、気付けば歪んだ笑顔で俺を見ており、そして、ボロボロと乾いた泥人形のように壊れていった。
頭に響いていたあの奇妙な声のような音は、いつの間にか消えていた。今思えば、あれは警告だったのかもしれない。知らんけど。
瞬きをし周りを見渡せば、俺は見知らぬログハウスの中にいた。薄暗く、少し埃っぽいこの部屋は既にもう使われていないように思われた。
はっと床をみれば、蓋が壊れ風防が割れた懐中時計が落ちていた。俺はソレを拾い上げ、懐に入れなおす。そして、動きづらさを何だか感じたので服をみてみれば少しダボついていた。再び奇妙な違和感に襲われる。
『◎♭∈ ⊇⊇∨Д ÷*÷ 』
携帯電話の向こうから聞こえた声がまた俺の頭の中に響いた気がした。ほんと気のせいだと思うけど。そうだ、俺はココから出なければ。考えるのは後でもいいはずだ。
部屋中脱ぎ捨てられたように散乱した服の上を、俺は転ばぬように歩き、外へと向かう。途中、ビデオカメラなどの機械も落ちていたが、俺に拾う余裕はなかった。
荒れた廊下を通り、風化した玄関を抜け、外へと出た。そこは薄暗い、鬱蒼とした場所で、おそらく、ここは人里離れたところではないのだろうか。また、木洩れ日からまだ明るい時間なのだと判断できた。それにしても、俺はこんな訳のわからない状況下で異様に冷静だなと思う。いや、逆に限界を超えるとこんな感じなのだろうか。
「1時間34分、何か成果は得られましたか?【先生】。 」
「せ、先生? 」
声のする方をみれば、少し離れた場所に目が死んでいる青年が立っていた。
「えぇ、貴方は【先生】です。さて、突然ですが、問題です。問題数は全部で5問。回答権は各1回、また、シンキングタイムは各15秒です。 」
淡々と説明するその青年は小さなメモを取り出し、もう始めてもいいかと目で合図を送ってくる。正直、この青年に見覚えはないし彼に付き合う必要はないはずなのだが、出題を待っている俺がいた。
「では第1問、貴方の名前は何でしょう? 」
「俺は、探だ。時任探。 」
「第2問、現在の元号は何でしょう? 」
問題は連続で出題されるのか。というか、この問題にはどんな意図があって俺は解答させられているのだろうか?
「平成。 」
青年は一瞬顔を上げかけたが、またメモに視線を戻した。
「第3問、貴方の職業は? 」
「帝陽大学の学生。四回生だ。 」
「第4問、ココに来た目的は? 」
「知らないよ。気付いたらココにいたのだから。 」
彼はメモをパタリと折り、初めてちゃんと目を合わせてきた。俺は俺で今までの問いから悪い予感で頭を埋め尽くされていた。冷や汗が止まらない。
「第5問、ボクは誰でしょう? 」
「知らない。でも、どうやら君にとって俺は【先生】らしい。 」
「さて、答え合わせをしましょうか。これ、何だかわかりますか? 」
彼はそういうと平べったい手のひらサイズの何かを見せてきた。
「知らない。これは? 」
青年は無言でその物体の平たい面に触れ、ふわっと光らせる。すると、そこから音声が聞こえてきた。
『テステス。聞こえてるか?探。 』
すこししゃがれているように感じるが、その声は確かに俺の声だった。
『とりあえず、このまま聞いてくれ。始まりは、そう、令和5年、西暦で言うと2023年の6月だな。とあるライブ配信者が生配信中に行方不明になってな。えっと、そうだな。その配信者は有名リゾート地の外れにある心霊スポットの噂を聞き、その噂の場所であろうもう使われていない古びたログハウスに侵入して生配信すると予告していた。実際、予告通り配信自体は始まったらしいが、すぐに通信が落ちたのか即終わったそうだ。そして、今、俺たちはその現場近く、新山県の避暑地まで来たってわけだ。ん?話が飛びすぎ?だから、最初にも言ったが、その配信者がその日から見つかってないんだよ。ソイツだけ行方不明ならアレなんだが、視聴者の一人がSNSで場所特定したと報告してから行方不明者が続出しててな。GPSで行方不明者の携帯電話の場所を特定したら、この付近に集中していてね。そんなこんなで俺たちの元にこの依頼が来た。あぁ、俺は今、非化学的な事を専門としてる探偵だ。胡散臭く聞こえるかもしれないが、国公認だ。さて、今回の仕事だが、クソ嫌な予感しかしてない。 』
いや、正直話に頭が追い付いていない。理解しようとはしているが、理解しきれない。俺が話しているはずなのに全く訳が分からない。ただ、ヤバい事態に陥っていることだけ飲み込めた。
『かなり際どい博打になりそうだ。俺の憶測が間違ってなければ、10%戻ってこれない、いや、下手すると……。あぁ、そうだ、探、どんな状況であれ、希望を持て。あとは……未来に託した。 』
再生が終わったのか、目の前の青年は平たいソレをポケットにしまい込む。
「理解できましたか? 」
「全く。いや、一つだけ。俺はどうやら記憶障害、違う、時を戻されたのではないか。 」
青年は少し微笑み、手を差し出した。
「さて、ボクは三葉と申します。貴方の優秀な助手です。」
不敵な笑みを浮かべる彼の手を、俺は躊躇なく握り返した。まだいまいち信用していいのかどうか分からないが、今はこの青年に付いていくのが最善だと判断したのだった。