2-13 極光の怪
【この作品にあらすじはありません】
虹色のオーロラが天空を覆った、次の日のことだった。正体不明の怪物が、地元の捜索隊を皆殺しにしたらしい。
オーロラは太陽風が地球の磁気圏に接触することで発生する現象だ。観測できる色は衝突する分子の種類によるそうだが、詳しいことは俺も知らない。ただわかっていることは、あのような虹色のオーロラは原理的にまずありえない、ということだけだ。
翌朝、そのオーロラを撮影していたであろうカメラマンが行方不明となった。雪中に張ったテントはそのまま残されており、荷物にも荒らされた形跡はなかったという。足跡は早朝の降雪によって掻き消され、男の足取りは手掛かりひとつ見当たらなかった。
早速捜索隊が組まれた。丸一日雪原を捜索したのち、彼らもまた音信不通になったと連絡が入る。捜索隊は比較的すぐに発見された――食い荒らされたような、無惨な姿で。
「おい、あれを見ろ」
先頭を歩くアドルフが何かを指差していた。厚い雪のカーテンの向こう、針葉樹林を背負うようにして、二階建ての小屋が建っている。窓に明かりはなかった。
「あそこの住人に話を聞こう」
アドルフがそう提案すると、イーヴォが怪訝そうな声を出した。
「電気が点いてない。留守じゃないか?」
「寝ているだけかもしれない。行ってみる価値はあるだろ」
いつの間にか降り出した雪は吹雪となり、視界を白く煙らせていた。重い灰色の空は地表との境を失い、群生する針葉樹の影だけが、この世界の色だった。
重装備での雪中行軍は骨が折れるけれど、寒さは感じないことだけが救いだった。むしろ雪の中を歩き通しで、じんわりと汗も掻いている。そんな胴体とは対照的に、マスクとゴーグルの間の僅かに露出した肌は、刺すような冷気が痛かった。
「エリヤ? 大丈夫かい?」
言葉を発しない俺を気遣って、ウスコが声を掛けてきた。
「ああ。ちょっと考えてただけさ」
「当ててみせようか? ウォッカだろ」
「残念。グロギだな。もうすぐクリスマスだ」
というのは冗談で、と俺は言う。
「なんで俺たちが駆り出されたのかと思ってな……遭難者の捜索だの、野生動物の駆除だのってのは、明らかに俺たち特殊部隊の任務からは外れているだろう」
「かなり獰猛なやつだからじゃないか? クマかクズリかオオカミか……はたまたヘラジカかもしれないけど、一度に何人もの人間を食い殺すってのはただ事じゃないもんな」
「だとしても、地元のハンターに任せた方が確実だ。俺たちはテロリストなら対処できるが、野生動物を相手にするなら、絶対に彼らの方が優れてるさ」
ウスコはゴーグルの下で眉を寄せた。
「何が言いたいんだい?」
「きな臭いってことさ。表向きは野生動物ってことになってるが、上の奴らはもっと別の何かを想定しているのかもしれない」
「何かって?」
俺はぎこちなく肩を竦めた。
「さあな。それこそテロリストか――」
建物の前に到着したので、俺はそこで言葉を切った。
アドルフがノックをするために手を上げて、動きを止めた。扉が細く開いている。
「……就寝中、ってわけでもなさそうだな」
呟いた言葉は、全員の胸中を代弁していた。
アドルフの合図で、俺とウスコは建物の裏に回った。裏口の扉は閉まっていたが、鍵は掛かっていなかった。こんな辺鄙な土地では、わざわざ施錠する習慣もなくなってしまったのだろう。窓を覆うカーテンはそれほど古いようには見えず、生活感も垣間見えたので、人が住んでいることは間違いなさそうだった。
ふと、嫌な感覚が肌を嬲った。二の腕をギュッと掴まれたような不快さが全身を縛り付ける。俺は銃を肩から下ろし、正面に構えた。ライトを点ける。
入ったところはキッチンだった。真っ暗闇に、俺が照らす光の輪だけが生き物のように動いていた。ガスコンロにはまだ洗っていないフライパンが置かれている。
ライトの明かりが隣室の光景を丸く切り取った。ダイニングだ。食卓には二人分の皿。椅子に座る誰かの腕を見た。
俺は足を止める。後続のウスコに手で合図をした。
違和感は告げなくても伝わっていただろう。もしあの人物に異常がないのなら、照明を当てられた時点で何らかの反応を見せているだろうから。
意を決してライトを向ける。途端、俺は彼が光に反応しなかった理由を理解した。
彼には頭部が存在していなかった。椅子の上で向こうを振り返るように身を捩っているが、首から上はすっぱりと切断されている。溢れ出した血は既に固まって変色しており、上半身を黒く染めていた。
心臓の鼓動が速くなり、痛いほどに鼓膜を打ち付けていた。背後でウスコが小さく息を呑んでいた。
俺はライトを周囲に巡らせた。血液が飛び散った方向に、頭部も転がっていた。窓にぶつかって跳ね返ったのだろう。カーテンもどす黒く汚れている。
死んだ男の顔を見て絶句した。見開かれた双眸。引き攣った唇。その表情が示すものは恐怖だ。
いったい何を見たら、このような表情を浮かべるのだろうか。例えば凶悪な殺人犯が家に押し入って来たとして、浮かべるのは恐怖よりも先に驚愕だろう。首は一刀両断されていた。その鮮やかな切り口を見るに、この男は、ほんの一瞬で殺害されたに違いないのだ。
「――あっ」
俺はビクリとして銃口を上げた。光の輪が声の主を探して左右にブレる。
今のはアドルフの声だった――そう考えている間に、何かが落ちる重たい音が響く。
「うわああぁぁぁ!」
絶叫。続くぐちゃりという耳障りな音が、すべてを攫って行ってしまった。
静寂が訪れる。
俺は逃げ出したい衝動に駆られながらも、隣室に続く扉へと向かった。
息を殺す。
もはや嫌な感覚は予感を超えていた。この扉を一枚隔てた向こうで何かが起き、終わった。仲間が無事ではないことは、この静寂が物語っている。
ウスコが扉に手を掛ける。俺は銃を握り締め、その時を待った。
扉が開かれると同時に、室内へ身を躍らせた。ライトが対象を捉えるよりも先に、かじかんだ鼻が強烈な獣臭を捉える。と同時に、気配が左から俺に迫った。
瞬時に応戦すべく引き金を引く。だが、それは弾丸を受けても勢いを衰えさせず、そのまま俺へと圧し掛かって来た。もんどりうって倒れ込む、重い肉の感触。まだ温かい血液が、俺の顔を濡らした。
「……っ!」
目の前にあるのはイーヴォの顔だった。側頭部から血を流し、ゴーグルも失っている。
退けようとして気付いた。あるはずのところに、イーヴォの肩がない。右半身が、ないのだ。
「ひっ……!」
頭上でウスコの悲鳴が聞こえた。銃弾が闇を割く。
「な、なんだ! なんだお前はっ!」
ウスコが狂ったように叫んでいる。
何かが天井に貼り付いていた。ぽたりと滴る雫はイーヴォのものか。濃厚な獣臭の中で、荒い吐息が白い靄を作っていた。
照らされたのは、乳白色の醜悪な化け物。およそ人間とはかけ離れた姿をしているが、人型と言えなくもない。ただし、肩から背中にかけてはぶくぶくと肉が盛り上がり、脳みそのようにいくつもの溝を刻んでいた。手足は毛に覆われているようだ。中でも頭部の毛だけが異様に長く、柳のように肩から垂れていた。
直感的に悟る。こいつが捜索隊を皆殺しにしたのだ。
ウスコが放つ弾丸が命中した。共に血と体液が飛び散る。化け物は悍ましい咆哮を上げ、ウスコに向かって飛び掛かった。
「ウスコ!」
無我夢中で掴み掛かる。ぐちゃっと嫌な感触がしたと思えば、弾丸によって穿たれた傷口に腕が入り込んでいた。化け物が痛みによる絶叫を上げる。
大きく仰け反った体。その顔面に、ウスコの弾丸が命中する。
頭部を半分失った化け物は、沈黙した。
「はぁ……は、はは……」
吐息が引き攣れ、笑いが込み上げたようになる。俺は化け物の体に、残る全弾を打ち込んでから、ウスコの傍らに膝をついた。
「大丈夫か?」
「あ、ああ……ちょっと齧られただけさ」
ウスコの首元はべっとりと血で濡れている。しかし、今すぐ死ぬということはなさそうで、俺は安堵から緊張を解いた。
「……エリヤ」
ウスコが俺を呼ぶ。彼は蒼褪めた顔で化け物の死体を指差していた。
「……おい、嘘だろ……?」
口から零れ落ちる衝撃。
改めて見る化け物の顔には、見覚えがあった。直接ではない。捜索願に載っていたのだ。
それはどう見ても、失踪したカメラマンのものだった。





