2-12 偽のルビーは恋を繰り返す
麗華は恋をしている。相手は家の使用人である翔だ。彼は麗華にとって幼馴染であり初恋の相手でもある。一途に彼を想い続けて十五年。未だ気持ちを告げることができていない。
そんなある日、麗華はお見合いをした。不本意だが、家同士の関係があり断ることができない。
子どもの頃に翔からもらったおもちゃの指輪を心の支えにする麗華だが、それを捨てるよう翔に言われ反発してしまう。
その帰り道、翔は交通事故に遭い帰らぬ人となった。悲しみにくれる麗華だったが、目覚めると不思議なことに気付いた。まるで同じ一日が繰り返されているような――。
戸惑っていると、事故で死んだはずの翔が目の前に現れた。
悲劇を繰り返すまいと奮闘する麗華だが、今度は目の前で翔が死んでしまう事態が起きる。そして夜が明けるとまた同じ一日の繰り返し。
果たして麗華は死のループを断ち切ることができるのか。
そして、彼女の恋の行方は。
「お嬢様、そろそろ起きてくださいな」
メイドに声をかけられ、橘家の令嬢である麗華はもそもそと答えた。
「……まだ起きたくありませんわ」
頭から布団をすっぽりかぶってそっぽを向く。断固として起きない姿勢である。
「そんなことをおっしゃらないで。今日は最高のお見合い日和ですよ」
「もうっ。なんですの、お見合い日和って……」
「そんなにお嫌なら、お見合いなんてお断りすればよろしかったのに」
「断れるものならとっくに断っていますわ」
父から告げられた見合い話は寝耳に水だった。しかし高祖父の代から続く家同士の付き合いがあり、どうしても断れないのだという。ようするにこの見合いは両家の関係に波風を立てない儀式のようなもの。
だが、麗華には想い人がいる。
なにしろ七歳の頃から想い続けて早十五年。今さら他の誰かと結婚する気などない。
「遅れると、また翔さんに叱られますよ」
メイドの言葉に麗華は跳ね起きた。
翔はこの家の使用人だが、彼の名を出されるとどうにも弱い。
そのとき、ノックの音が響いた。
「お嬢様、起きていらっしゃいますか?」
――翔だ。
麗華はひゃっと叫び、両手で髪や寝間着をせわしなく整えながら、ドアごしに返事をする。
「おっ、起きていますわ! 今、身支度をしているところですの!」
「失礼いたしました。ではお待ちしております」
「わ、わかりましたわ!」
「お見合い用に買われたワンピース、綺麗な色でしたね。着たお姿を拝見するのが楽しみです」
それだけ言って足音は去っていった。
「はぁああぁ……翔、好きですわぁ……」
麗華は両手で顔を覆い、身を悶えさせる。
高鳴る胸を抑えつつ、彼女は顔を上げて高らかに告げた。
「すぐに支度を! 爪の先まで美しく着飾りますわよ!」
◆
翔との出会いは、麗華が七歳の頃だ。
翔の父は橘家の使用人で、翔も幼い頃は麗華の遊び相手としてたびたび橘家に招かれていた。その頃から麗華は翔にほのかな恋心を抱いていた。
しかし麗華が高校生の頃、翔の両親が相次いで病に倒れ、二人ともそのまま帰らぬ人となってしまった。
遺された翔は当時十八歳。他に身寄りもない。
訃報を聞いて心を痛めた橘家当主は、翔を引き取ると申し出た。
しかし翔は養子という立場に甘えることをよしとせず、本人の希望で大学に通いながら橘家の使用人をすることになった。
しばらくぶりに再会した翔はすっかり大人びていた。
麗華の恋心は再燃し、熱を帯びていった。彼女は大学卒業と同時に父の経営する会社へ就職することが決まっていた。ゆくゆくは経営陣の一角として携わることになるが、そのときは隣に彼がいてほしいと願った。
だが、父や周囲がそれを許すだろうか。
麗華はいつ自分の気持ちを打ち明けるべきか悩んでいた。
◆
望まない見合いは苦痛そのものだった。
相手の男は巧みな話術でスマートに会話をしたが、麗華にとってはどの話題も退屈だった。愛想笑いを張りつかせたまま「さすがですわ」「知りませんでしたわ」「素敵ですわね」「センスがよろしくってよ」を使い回し、最後は「それではご機嫌よう」で締めた。
「お嬢様、お見合いはいかがでしたか?」
帰りの車中、翔に尋ねられて麗華はため息まじりに答えた。
「どうもこうも、私は橘家の娘としての義務を果たしたまでですわ」
麗華の父は会社へ戻ると言って別れ、車内には翔と麗華の二人きりである。
もし父に本心を話したら叱られるだろう。正直に打ち明けられるのは翔だけだ。それなのに、彼は麗華の望みとは違う言葉を口にする。
「伴侶として申し分ない方だと思いましたが」
「……それは、どういう意味で言っているの?」
「誠実で、教養もあり、しっかりなさっていて、頼りになる方だなと感じました」
「私では頼りないと?」
「そうではありませんが、信頼できる方が支えてくださるなら、家としても会社としても安泰でしょう」
「…………」
麗華は無意識のうちに手を固く握りしめた。
側で支えてくれる相手など翔しか考えられないというのに、彼の話に麗華の名前は出てこない。家のため。会社のため。そればかり。
気持ちを落ち着かせようと、彼女はハンドバッグに手を差し入れる。
奥底から取り出したのはおもちゃの指輪だった。赤いプラスチックをルビーに見立てた安っぽい飾りがついている。
それは、子どもの頃に翔がくれた大切なものだ。
燃え上がる恋心のようなその赤を、彼女は胸に抱きしめる。
彼はもう、昔のことなんて忘れてしまったのかしら。
またあの日のように「大人になったら結婚しよう」って言ってくださらないかしら。
そんな淡い期待は、一瞬で打ち砕かれた。
「その指輪、子ども用のおもちゃ……ですか?」
運転席から翔が尋ねる。
こっそり見つめていたはずなのに、その鮮やかな赤はミラー越しにも目立っていたらしい。
「これはお守りですの」
「お守り? 本物のルビーを買ったほうがよろしいかと」
「嫌ですわ。大切なものですもの」
「橘家の令嬢がそんな安物を持ち歩いていると知れたらどうなるか。もうお捨てなさい」
麗華の胸に怒りがあふれた。
彼はいつも使用人として距離を置いているくせに、こんなときばかり踏み込んでくる。
今までどうにか繋いできた細い期待が、ぷつりと切れた。
麗華は運転席を睨みつけた。
「車を停めなさい、今すぐに」
「お買い物ですか? でしたら駐車場に……」
「いいえ。もうあなたの顔など見たくありませんの。他の者を迎えに来させなさい」
「……お嬢様?」
麗華は答えない。
口を開けば酷い言葉をぶつけてしまいそうだった。
車内には重い沈黙が降りるばかりだった。
◆
「お嬢様。翔さんと喧嘩なさったのですか?」
迎えに来た使用人が、珍しいとばかりに尋ねる。
だが麗華は首を振った。
「喧嘩なんかじゃありませんわ」
そう、あれは喧嘩などではない。一方的に自分の怒りを押し付けただけだ。本当は謝らなくてはならないのだとわかっている。彼が悪くないことも。
「少し遠回りをして帰ってほしいの」
麗華は消えそうな声で頼んだ。
今は、翔が運転する車を視界に入れるのも辛い。それに少し時間を置いて頭を冷やす必要がありそうだ。
だが、車が家に近付くにつれ道が混み始めてきた。辺りが妙に騒がしい。
しばらく走ると、道の片側をふさぐ大きなトラックが見えた。渋滞の原因はどうやらこれらしい。そして少し離れたところに横転している乗用車も見えた。
「あっ……」
麗華の全身から一気に血の気が引く。
無残な姿で転がっているのは、先ほどまで彼女が乗っていた車だった。
「停めて!」
「お嬢様! 危ないですよ!」
使用人が止めるのも聞かず、麗華は飛び出すように車を降りる。
車のフロント部分が大きくひしゃげ、ガラスにひびが入っている。エアバッグは作動しているようだが、運転手は意識を失っている様子だった。
「翔! 翔、しっかりなさい!」
大声で呼びかけるが、反応はない。
追いかけてきた使用人が麗華を車から引き剥がす。
「お嬢様! 離れてください!」
「嫌っ! 放して! ……翔、返事をなさって!」
救急車が悲鳴のようなサイレンを響かせ到着する。
隊員によって車内から引きずり出された翔はぐったりしていた。頭部からはおびただしい血が流れ、顔面は蒼白で目を閉じたまま動かない。
「翔、翔、……ねえ、翔ったら!」
呼びかける声も空しく、彼は意識を取り戻すこともなく救急車に乗せられた。
走り出すサイレンの音だけが、悲し気に響いていた。
それからどうやって家に帰ってきたのか、覚えていない。
翔は病院に運ばれ、そのまま息を引き取った。
夢だったら、と麗華は何度も願った。
「私のせいで……」
もう顔を見たくない、などと言ったから。
そもそもお見合いをはっきり断るべきだったのだ。そしたらこんなことにはならなかった。あるいは自分の気持ちを素直に打ち明けていたら、違う未来があったかもしれないのに。
愛した相手はもうこの世にいない。
麗華は力尽きるまで泣いた。
やがて身も心も疲れ果て、いつのまにか気を失うように眠っていた。
◆
「お嬢様、そろそろ起きてくださいな」
メイドの声で麗華は目を覚ました。
一瞬にして脳裏に昨日の出来事がよみがえる。
「……起きたくありませんわ」
「そんなことをおっしゃらないでくださいませ。今日は最高のお見合い日和ですよ」
「え?」
麗華は思わず聞き返した。
つい昨日も同じようなやり取りをした気がする。それに、今日もお見合いがあるなど聞いていない。
「そんなにお嫌なら、お見合いなんてお断りすればよろしかったのに」
メイドの口からまた聞き覚えのある言葉が出てきた。
麗華は不思議な気持ちになった。まるで同じ日が繰り返しているみたいだ。
でも、ひとつだけ昨日とは大きく違うことがある。
愛した相手がもうこの世にはいないということだ。
「遅れると、また翔さんに叱られますよ」
メイドがたしなめるように言う。
酷い冗談だ、と思った。彼の名前を出せば麗華が立ち直るとでも思っているのだろうか。まるで彼が生きているかのような物言いに怒りすら覚える。
そのとき、ノックの音が響いた。
「お嬢様、起きていらっしゃいますか?」
麗華はベッドの上に身を起こした。
信じられない思いでドアを見つめる。
聞き間違えるはずがない。ドアの向こうから聞こえてきたのは、たしかに翔の声だった。





