第5話 女の道具は
────“竜の背”拠点にて
昨日はギルドから緊急依頼が来て、メンバーの連携により素早く解決し“竜の背”の名をさらに上げる、筈だった。
だが聞いてみれば討伐隊が現場に着いた頃には目的のブラッドオークは討伐されていて、しかも討伐したのは若い一人の冒険者だと言う。
この話は特に若者の間で話題となり、珍しいことに女性の間でも語られているらしい。
何処へ行ってももっぱら聞こえてくる話はそのことばかりで気分が悪い。クランリーダーのルキは朝から不服な様子を隠さずにいた。
“竜の背”は方々でも語られるようなりつつあり名を上げてきた。ことこの街では常に話題の中心にあったのだからぽっと出の冒険者に持っていかれたのは面白くない。
「……いいや、冷静じゃないな。そうだその冒険者をうちにスカウトしてやるというのはどうだ。そいつについての情報はあるか?」
ルキの問いかけにひらりと手を上げたのは“斥候”のトーカス。
「一つ、気になった話があってなぁ。こいつはギルド職員の知り合いから直接聞いたんだが……その冒険者はヴィルと呼ばれてたらしい」
「……ヴィル?」
──────話は平原のヴィルに戻る
杖の先端に灯ったのは黒い光。いつものレッサーファングの召喚には土色の光が灯っていたはずが────
杖から離れた黒い光はワッと広がり、中から現れたのは、黒い、犬。
大きめの成犬サイズ。以前のふわふわのくりくりの姿は無く、痩せ細り、真っ赤な目に真っ赤な牙、平たい十字架のような尻尾。
低い唸り声は聞けば勝手に身が竦む迫力があり、じりじりと後ずさってしまう。
すると黒い犬は前へ出て距離を縮めてくる。
「ちょ、えっ、待っ、止まって!」
「……グゥ」
「あ……」
飛びかかられたらと思い怖くなって目を伏せ、腕を盾にするよう前に出す。しかし恐れていたことは起こらず、それどころか黒い犬はぺたんと地に伏せて大人しくしていた。
「……ファング、なの?」
「ヴォフ」
「ほ、本当に? どうしてこんなに大きく……」
「グゥ」
「わ、わ」
ヴィルは目線を合わせるように膝をつき、恐る恐る黒い犬に手を伸ばす。
黒い犬は名を肯定するよう一鳴きして差し出されたヴィルの手を少しだけ舐めた。
レッサーファングなら順当に成長すればワイルドファングになる筈だが、召喚獣は稀な事例で全く異なる生物へと変貌することもあると聞いたことはある
どうして急にこんなことになったか、思い当たることは一つ──前提として、経験値とは倒した相手から放出されるマナの一種。
それが相手を倒す際に消費された自身のマナと結びつくことで身体機能が強化されていく。
召喚獣が得た経験値は召喚士の物。そして召喚獣は召喚士と共に成長する。
バクがブラッドオークを倒したことでヴィルのランクが急激に上がったことと、この腕輪の影響もあるのかもしれない。
「……ふわふわだ」
「ヴォン」
「ごめんよ、怖がって……君は君のままだ」
黒い犬を抱き締める。見た目は変わってしまったが温かくてふわふわで優しいのは変わらない。
そうしていたら不意に脳裏に何かが過る。
これは、名前?
「ブラックドッグ……」
名を呼ばれた黒い犬は満足げに十字の尾を振った。
……つまり、もしかして、きっと多分スライムも何かすごいことになってしまってるのではなかろうか?
再び杖を構える。
「“血濡れの同胞よ、我が声に応えよ”」
やっぱりちょっと違う!
杖の先端に灯ったのは赤い光。これもまた普段よりも大きく広がり────
現れたのはまるで巨大な血の塊。赤黒く濁った色のスライムだ。普通のスライムよりも水っぽく、粘性は強くてボコボコと泡が立っている。
僕の背丈程ではないにしろかなり大きい。ブラックドッグはまだしも流石にこれはだいぶ怖いのでは?
こちらでも脳裏に名前が過る。
「えっと、ブラッドスライム……?」
「ヌチョ」
「うわぁ……」
名前も物騒だった。ああ、でもスライムも以前通りにマイペースそうでよかった。
これで狂暴になってるとかだったら泣きながら封印していた。
まさかの顔合わせを済ませ気を取り直して依頼再開する。昨日と同じようにレッサーファング改めブラックドッグに薬草の匂いを覚えてもら
ってた。今度は真っ直ぐに程よい大きさの薬草の所へ案内してくれた。成長したんだなぁとしみじみ噛み締めながらブラックドッグを撫でて褒めていたら背後の草むらがザッと揺れる音
「うわっ!スライムだ!」
「ヴルルァ!」
「うわ終わった嘘でしょ」
やはり野生のスライムが潜んでいたがすかさずブラックドッグの鋭い爪がスライムをいとも簡単に引き裂き核を粘液の体から引き剥がした。
強くなりすぎていて困惑を禁じ得ない。喜んだ方がいいのだろうけど複雑な気持ちが拭えなくてなんとも言えない顔のままブラックドッグを再び撫でた。
パタパタと振られる尻尾。まぁ、本人が満足そうだし、いいか……
────そういうわけで、依頼はあっという間に終わってしまった。今回はブラックドッグが大活躍だった。
次から次へと薬草を探しだし、ヴィルが採取をしてる間にスライムを掘り出し引き裂いて。何ならスライムの素材は依頼されていたより大分多めに取れてしまった。
駆除対象の魔物でもあるので問題は無いけど……
こうした採取系の依頼の納品はギルドに委託してもよいが直接依頼者に納品してもよい。ギルドには今は顔を出しづらいので直接渡しにいくことにした。
薬草と琥珀燃料は街に住む人からの依頼で、スライムの素材は隣の町への納品。
……明日には街を出ていくことになりそう。それなら、あの子に挨拶しておきたいな
ヴィルは一先ず依頼者の元へ行き納品を済ませる。
それでも時間はまだまだ余裕がある。いい意味で予定が狂わされたものだ
ある武具屋の前に立つ。古い店構え、分厚いガラス越しでも業物の具合がよく分かる。何代もこの街に、国に愛され続けた貫禄がある。
湿った掌が恥ずかしくてしっかりズボンで拭いてから店のドアを開ける。
カラカラとドアベルが鳴る。
店の奥からは鉄を打つ音が鳴り続いていたが、それでもベルの音は聞き逃さないらしい。どたどたと走る音が近付いてくる。
「いーーっらっしゃいませー……およ? ヴィル! ヴィルじゃない!」
「や、やぁ、スミ……」
勢いがすごくてついたじろいでしまった。
「珍しいねーうちに来るの。何か買いに来たのかな?」
「買い物でもあるし、あと、挨拶したくて……」
「挨拶? なんの?」
スミは首にかけたタオルで顔や手の汗と煤を拭いながら不思議そうに聞き返した
「僕、明日にはこの街を出る、と思うし、暫く会えないかもしれないから」
「えっ……それもまた珍しいね。遠征とか?」
「ま、まぁそんな感じ。えっと、それで長く使えるナイフをここで買いたくて……」
「ふーん……ね、今時間ある?」
「え? うん、出るのは明日の朝だろうから、大丈夫だけど……」
「そお?じゃ今からとびっきりのナイフ作ってあげる!見てってよ」
スミの温かい手に引かれて工房に招かれる。工房は外よりうんと熱く直ぐに汗が噴く。コートは脱いだ方がいいとハンガーを渡された。
工房にはスミの父親とその弟子数人が作業を続けている。
「手、出して」
「? ……!」
「ふんふん……なるほど……細いねー」
言われた通り手を出すと両手でしっかり握られ、指先から指の付け根まで念入りにむにむにされる。
「よーし、やるぞ」
ギュっとゴーグルのベルトを締め、グローブを填める。
鉄を炉へ入れて熱する。様子を見ながら炎を調節する手は精密そのもの。
赤く熱された鉄を金床へ取り出し、鎚で打つ。何度も角度を変えながら打ち込み、熱し、また打って、鍛えて伸ばして、鋼を重ねてまた赤を打つ。鉄はスミの想いに応えるよう形を変えて、散る火花はスミの赤髪を一層綺麗に魅せた。
いつもの陽気な彼女は無く、何よりも熱く誰よりも冷静な横顔に息を飲む。
柄の素材にはとても頑丈だけどしなやかで手に馴染んでくれるから、と闘鹿の角を選んで貰った。ヴィルの手に合わせて取り回しやすいよう形を削り出していく
それから耐久性と伸縮性に長けるワイバーンの肩皮の紐を柄に巻き付けて
「────はいっ、お待ちどーさん。スミスペシャルナイフだよ」
「わぁ……! かっこいいし、すごく軽くて、握りやすい! 手に吸い付くみたいだ……それから……」
語彙が無いけどどうにか伝わってほしくてあれやこれと全部褒める。対してスミは「わかる」と頷き続ける。
刃は分厚いがライトメタルと呼ばれる軽い金属を交えており、耐久性を保ちつつここまでの軽量化を可能にしたのはこの武具屋が初にして未だ最高峰にある。
真新しい白い柄に巻かれた黒のレザーには心が踊る。
「……あのさ」
「なーに?」
「僕、これからきっと色んな所に行くけど、それでもたまに帰ってきて君が作った武器とか、買うよ」
「スプーンとかコップも作ってるよ」
「スプーンとかコップも買うよ!……恩返しがしたいんだ、君が作った物を使いこなす為にも、もっと強くなる」
「いっぱいうちの店、宣伝してほしーな」
「宣伝する!」
「……あはー、なんか照れそ」
スミはそっぽを向いてパタパタと手で顔を扇いで涼もうと試みている。
「……その、ありがとう。ナイフ作ってくれて」
「ヴィルのために鋼あっためとかないとだ」
にっ、と笑うスミにつられて微笑む。工房に居た時くらい顔が熱い気がする。“竜の背”に居なくても、彼女にとって価値のある存在でいたい。それが恩返し、僕が決めた小さくも大きな意味のある目的。
────金貨一枚と銀貨三枚を払った。
店を出たヴィルを見送る。彼は人混みに差し掛かる前に一度だけ振り向いて手を控えめに振った。遠いと彼の微妙な表情は全く見えないんだけどたぶん笑っていた。
「っ……痛たたぁ」
ヴィルが居なくなってようやっと声に出す。痛む左腕を押さえながら壁に寄り掛かる。
「……まだだいじょーぶ、全然打てる」
「負けてらんない」