そのようにお頼み申し上げたい
ーーーーーーリード王国王都郊外、昼
ーーーーーー針葉樹の園生、
ーーーーーーアーレント男爵新屋敷家中廊下
「本格的な貴族屋敷ですけど、これも君主様から下賜されたんですよね?」
「ああ、嫁御と共にな。にしてもあの君主には驚くばかりだ。まさか自分の愛妾を御屋形様にあてがうとわな。」
青鹿毛の長髪を後ろで一筋に束ねた美男の言葉だった。
同じく廊下を歩く、少年との会話。
赤髪のショートマッシュをカチューシャで留めた、やや鼻が小作りな精微な顔立ち。
あともう一人、
カチューシャの少年よりも深い赤髪をした、一際童顔が目立つ少年。
合わせて三人で歩く廊下。
童顔が言った。
「なんでも後宮に入った時は、その星を散りばめた夜空のような美しさで名を馳せたらしいですけど、同い年の《武辺王女》様の、後宮入りに対する嫌悪の念が強すぎて、結局無用の長物となっていたらしいですね。」
「自分の昔の女を与えたなら、宮廷内の荒波が特別に潮を引いてくれるというご配慮でしょうかね。その代わり裏でめっちゃ陰口叩かれるけど。」
「まあ、決して暗君でもないと思うが、平民の下層出の俺たちに特別の気遣いをしてくれるほど貴いお方は優しくないということだ。だがまさか、平民の下層出の俺たちから見ても下劣でしかない行いを平然としてくるとはな。いいとこでカルナが知ったら顔を歪めて噴飯するだろう。恥辱なんてものは俺たちにはそもそもないが、俺たちの背中の証を理解しないほどに貴いお方々のお考えは貧しいのかとな。無論俺にもお考えなどというものはないが、どうやら俺たちは貴い方々から自分たちと同じ宮中の権力争いをしたがっている狗だと思われているらしい。全く勘違いも甚しいが、だからこそ俺たちには目立った敵がいなくて済むのだろう。」
「どうだか。貴族連中はほとんどみんなして俺たちのことを敵視してますよ。それか体良く利用しようとしているか。」
「まあ、ちゃんとしたやり方で利用してもらう分には困らない。むしろ徳性と言って良いだろう。そんな利用するものと無感覚なものがいるから、俺たちはまだまだ大きくなれるというものだ。あの君主とお頭の首をすげかえようとは思わんが、それよりももっと広大な荒野に駆け出していくのが俺の夢だな。俺の夢は世界最強を謳われるエルガ軍を相手に鍔迫り合って尚余りある軍団を調練すること。故にこの《ヨナス・バルツァー》、まだまだ見果てぬ夢の中にある。」
「まあ、ご大層なこったなあ。」
ほんと、ヨナスの大兄貴はすげえや。
俺なんてでかくなりすぎた夢の中で、もうどうしていいかも分かんねえってのに。
頭の後ろに組む両手。カチューシャの少年、《レオンハルト・アルホフ》は思った。
ただの街なか一の曲芸小僧が、気付いたらこんなところにまで来ちまった。
「奥方どんな人かなあ。」
奥方の身分は伯爵夫人。
それだったら、お頭よりも2階級上ということになる。
大人の事情か、なぜかそのことには誰も言い及ばないけど、
まあ厄介ごとの種であることには、家庭内においてもきっと変わりはないのだろう。
「さあな。これから見て確かめる。」
長髪の美男ヨナスはアルホフの言葉に答えると、
いつも通り、
「戦地の状況はこの目で確かめるのが手っ取り早い」
というような眼差しを奥方が待つ廊下の先に向けた。
「ほうれ、来たぞ。」
と、案の定ヨナスが真っ先に変化に気付いた。
標準装備のショートソードとは明らかに違う様相の得物の柄を一度確かめる。
「奥方たちが引き連れて来た女中たちだ。」
「立ち止まりなさい!不敬でありますぞ!この先に伯爵夫人の御座す部屋があるのはご承知のはず!貴婦人がいらっしゃるお部屋に帯刀したまま入るおつもりか!」
「ああ、そのようにお頼み申し上げたい。」
女中頭と思われた年配の女が、凄味をきかせて立ちふさがったところに、ヨナスはゆるりと相対した。
「このヨナス・バルツァー、幼少の頃より傍らにて刀を帯びることをお屋形さまに許されて来た。お屋形様の命を預かり、最も間近でその身を守る役目を仰せつかって生きてきたつもりである。そのヨナス・バルツァーが、お屋形様の奥方様を前にして帯刀せぬは、いわばお屋形様の目の届かぬところでは、これよしと役目を棄て、外面だけで仕えようとしている鼠であることを垂れ流すのと同じようなものだと考える。そんな死に体を、奥方様に晒すのは不敬どおろか無様であろう。故に帯刀を許してもらいたいのだが、得物の光沢を帯びたまま貴婦人の前にあらわれるのは、いくらなんでも、ものものし過ぎることに、貴殿の言葉で今気付いた。故に私の刀剣は解く。が、後ろの二人の帯刀は許してもらいたい。必要ないとは思うが、賊が現れたとして、何もできずに指を咥えていたとしたら、それこそ職務怠慢というものであろうからな。我が剣は我が旗手《レオンハルト・アルホフ》に預けよう。武骨者たち故、これからも色々とご面倒をお掛けすることになると思うが、帯刀の件はそれでお許し願いたい。」
そう言って先方の返事を待ちながら、ヨナスはゆるりと刀を解いた。
「ああ、全くもって構わない。」
年配の女中頭は眼鏡のブリッジを指先で上げて、ややヨナスから目線をそらしながらそう答えた。
「かたじけない。では。」
そう簡単に会釈すると、ヨナス達三人は女中頭とその後ろの若い女中二人を通り抜けていった。その先の突き当たりの角を彼らが曲がった途端、若い女中二人が顔を見合わせ手のひらを合わせながらきやーと黄色い声をあげる。
「あれが今宮中のご婦人達を虜にしているという《零度の若獅子》!王女様の率いる軍団の筆頭百人隊長を務め、軍団兵達の畏怖と心酔を一手に集める王国軍団の要!」
「隙のない立ち振る舞いと、内に秘めたる静かな闘志!それを表したかのようなあの覇気!そして何より噂に違わぬあの美貌!奥様が虎狼に嫁がなければならないと聞いたときはどうなるかと思いましたが、あのような方がいるのならとても安心ね!」
「ええ、ホント!ホント!旦那様も極善人だし、これはいいところに嫁いできたわ!」
「どうだかな、むしろあの頭こそが一番の悪たれだろうが。」
女中頭は後ろの二人を振り向かず、ヨナスと相対したところからじっと動かずに言った。相変わらず眼鏡をいじって少し横目を向いている。彼女の癖なのだろう。
「まあ、いいところに嫁いできたというのは半ば認めるが。そんなことより口を慎ましくしなさい。我々は伯爵様の代人でもあるのだからな。」
「はーい!!」
若い女中達は楽しみで満ち足りたような返事をする。女中頭はそれが気に入らない様子も出したが、まあ今はいいだろうと気配を収める。
「全く、近頃の若い連中は。にしてもあの男といい頭といい、不可思議な連中だな、《ヘルメスの鳥》。こんな組織を作り出した男が、次の奥方様の旦那様になるわけか。全く、行く末が読めなくて嫌になる。」
「いいじゃございませんか!職長様!奥方様も喜んでおられましたし!」
「そうそう!あまり口にはできませんが、こちらにいた方が奥方様も幸せになれます!」
「まあ、奥方様が喜んでおられたの素直に嬉しい。」
女中頭はようやく癖を止めて言った。
「それにしてもいつ以来だろうか、微笑み程度でも、お嬢様の笑顔を見ることができたのは」