商家の娘
暗がり。
卓の蝋燭、
わずかな灯火が簡素な調度の輪郭を掬い出す。
その中に一人の大男。
「やあ、カルナ」
「久しぶりだな、テッサイ。」
「お頭元気?」
「王宮の美人局で忙しい。」
「後宮で要らなくなったお姫様がお頭に当てがわれるなんて嘘みたいだね。歳はいくつ?」
「若えよ。忘れたけど。《武辺王女》と同い年らしい。なんでも自分と同い年のその側室が、後宮に入ることを嫌って、王も手出しができなかったんだと。後宮で無用の長物になっていた面倒くさい女を新興勢力の俺たちに押し付けたんだろ。俺たちに首環をつけたつもりになってんじゃね。で、このガキが話に聞いた例のガキだな。」
カルナの向かう先、
椅子に座るひょっこりとした麻布の山。
その麻布から顔が持ち上がる。
入り口からカルナは歩みを止めない。
そのまま喋り出す、その麻布の山。
「私はただの商家の娘よ。子飼いの商人に父が嵌められて、私は奴隷商に売り飛ばされた。連れ立ちの剣奴は商い品の護衛。奴隷商が私を粗末に扱わないために、父を嵌めた商人が付けた。私が宝石を隠し持っていたのは、向こうの市で着飾るための元手。その方がいい値段で私は売れるし、私もいい条件で買ってもらえる。私を売った商人もそれぐらいの情けはかけてくれた。剣奴ではなく私が宝石を持っていたのは・・・・」
「剣奴が奴隷商と結託しないためにするためだろ、どうせ」
「え?」
「宝石を隠し持っていることは剣奴も奴隷商も知らない。向こうに着いたら宝石含めて自分の身空は自分で売る。その方が奴隷商が捌くよりもいい値段がつく。剣奴はお前の商売を奴隷商に邪魔されないように言いつけられていて、もちろんその時、剣奴に宝石をカスられる危険もあるが、この取引をつつがなく収めたら、剣奴は解放され晴れて自由の身分。だったら余計な危険は冒さないし、そもそもあの剣奴は今の主人からそれなりに信用されている、ってところか。」
「は?」
驚いた麻布の娘。蕾のように可憐な顔立ち。
唖然とする。
たかが平民出の成り上がりらしき国境の用人が、私の嘘を先読みしただと。
「そもそもお前、商家の出じゃねえだろ。」
「はあ?」
「商人の娘にしては教養がありすぎる。お前と裏切った商人とのただの共益関係を、『情け』という抽象的な言葉で表すあたりが臭い。お前は商家の娘じゃない。もっと上流。もっと名族。《共和政エルガ》の元老院、そこに末代まで席が用意された、選ばれし世襲貴族。お前は、幼いながらも、その末席に連なる正真正銘のエルガ貴族だ。でなければ、この窮地に瀕してなお、威風を失わない猛禽のような貴様の有り様を説明できない。だろ?」
その言葉を途中から歯噛みしながら聞いていた少女。
(まあ、ただ吹っ掛けただけだけど。でもこういう煽りにエルガ貴族って奴は弱い。)
「そうよ!」
歯噛みするのをやめ、堂々、顔を差し向けた少女。
「私は共和政エルガ、属州ガリア総督、《ガイウス・ユリウス・カエサル》が娘、《ガイウス・ユリウス・オクタヴィア》!!」
属州総督の娘だって?なんでそんなトンデモないのがこんな辺境の国境にご足労願ってんだよ。
浅黒の日焼け少年の《カルナ》は驚きを隠しながら、暗闇に横目を向ける。嘘ならもう少しマシな嘘つくだろうし、これはこの餓鬼が親父をネタにしてこちらと取り引きをのぞもうとしているんだろう。チッ、この餓鬼、商家の子供でもねえくせに目端が利きやがる。
「ああ、そうかい。んで目的は?」
「世界各地を回り、政治、宗教、医学、法学、哲学、算術、天文学、建築学、測量術、ありとあらゆる学問を修めて、来るべき父の覇道の手助けをするの。軍事学はニガテだから、従者のアグリッパに修めさせるわ。サンドラ亡命はその事始め。密使とか、政体をひっくり返すような権謀術数は今はしないわ。さあ、分かったらなるべく早く裏を取って、とっとと私を解放しなさい。もちろんアグリッパを引き渡してからね。」
「えーと、アグリッパっていうのは。」
「連れ立ちの剣奴だね。年は大体13ぐらいの男の子。別室にいるよ。」
「そんな餓鬼タレ連れて餓鬼が亡命を企てんのかよ。なんていう清水の舞台からの飛び降り方だよ、エルガ貴族は。いくらなんでも哲学が先走りすぎだろ。ストア派のアスケーシス(大雑把に禁欲生活の意)といい、プラトンのパイドンからついてけんぜ、俺は。」
「にしてもすごいねこの子。この歳でとっても親孝行だよ。はは、俺とは大違い。で、どうする?僕としては、この子に遊学してもらいたいんだけど。」
「身柄は本部で引き取る。こいつにはサンドラへの当てがあるだろうし、そこからの連絡を待ちながらこいつから詳しく事情徴収した方が確実だ。密使の可能性は別にねーだろ。でもとりあえず身ぐるみ全部引っぺがせ。書類に書かなきゃいけねえからな。」
「え!」
「大丈夫だよー。ここにはサンドラ貴族みたいな危険な人はいないからー。」
「え、あ、ちょ、ちょっと!」
そう言いながら美少女の服を脱がしにかかる大男のテッサイ。カルナはといえば小さい子供が大好きなテッサイとは違って、餓鬼のお着替えになんて興味がなかったから、背を向けて、大男と美少女だけが残る部屋を後にする。警備兵も後に続いた。
「いいんですか?あの娘の話が本当なら父親は属州総督ですよ。女手は一応あるし、そちらに任せた方が・・・」
「ああ?いいよ、めんどくせえ。国境警備の仕事だしな、一応テッサイがやらんと。女中を叩き起こすもの申し訳ないし、まさか属州総督の父上さまが赴任地のガリアからで攻めてくるわけでもない。」
「あ、いや、それはそうかもうしれませんが・・・・(流石『ヘルメスの鳥』、虎狼の類いと言われるだけのことはある。)」
「んなことよりもアグリッパだ。確か話によると男らしいな。奴隷だし、今度は手加減なく締め上げていいだろ。まあ、あのガキみたく賢けりゃいいな。苦痛を与える手間が省けていい。」
「まあ、ただの子供の奴隷ですしね。向こうもこうなったが最後だと思ってますよ。もう他の兵士が痛めつけてると思います。そのほうが手っ取り早いでしょ?」
それを聞いてカルナは足を止めた。
「はあ?誰の指示だ?」
「え、あ、いや。不味かったですか?」
「いや・・・・別に構わない。」
だがその言葉とは裏腹に、カルナは下を向いてボソボソと呟き始めた。兵士の目から見て、その様子はあまりに奇怪だった。
しばらくするとふむ、と独り合点。そしてまた歩み出しながら言った。
「子供は我らにとって貴重な宝であり未来だ。これからはたとえ奴隷の捕虜であったとしても丁重に扱うように。さて、」
ここが独房か。おい、お前ら、その当たりにしておけ。今度は俺が代わる。だが、まずは飯だ。子供に飯を食べさせる必要がある。誰か台所に案内しろ!夕食のあまりがあるかどうか見にいく!
はあ?一体なんなんだ?
と廊下で兵士は訝る。
「ったく、わけのわからない虎狼どもだ。」
そのわけのわからない虎狼を台所に案内するために、兵士もまた独房へと入っていった。