難易度
「ぬああああっーーーっ! 決められんっ……!」
ヨーゼフ・ナポリタンバイヤーは頭を抱えて叫んだ。
「ルルアとの婚約を破棄するか否か、決められんっ!!!」
どんっとヨーゼフが使い慣れた机を叩くと、それに合わせて小柄な老人の執事ハンブラがぶるっと背を震わせた。
「し、しかしヨーゼフ様……ルルア様との婚約は既に最終段階に来ており、今になってそれを反故にされるのはナポリタンバイヤー家の今後の名声に支障が出るものかと……」
「そんなことはわかっておるっ! が、しかしだっ!」
ヨーゼフはハンブラに向かって両手を広げると今日一番の熱量を込めて語る。
「サーシャがあまりにも魅力的なのだっ! 容姿と内面のどちらも私の理想を兼ね備えているっ」
ヨーゼフの瞳孔がぐぐっと開く。
「それに出会いだって運命的だった! あれを運命と呼ばないで何と呼ぶ? もはや天は私にサーシャと夫婦になれと申しているとしか思えないっ!」
「し、しかし、サーシャは街の娘です。貴族の妻には相応しくありません」
「ハンブラっ!!」
「はっ……」
「サーシャを侮辱することは許さんぞ」
「も、申し訳ありませんでした」
「まあ、お前の言いたいこともわかってはいる。このまま上級貴族であるルルアと結婚すれば、我が家もより栄える。その重要性は重々承知だ」
「ヨーゼフ様……」
「ルルアだって素晴らしい女性だ。美しく、知性的でけれど愛嬌もある。私には身に余るほどの存在だろう」
がりっと苦悶の表情でヨーゼフは唇を噛み締めた。
「だが、そんな私の前にサーシャというルルアすら霞んでしまう女性が現れた。現れてくれた、いや、現れてしまった」
ハンブラはおどおどしながらヨーゼフの言葉を聞いている。
執事としてはルルアとの婚約を成立させて欲しいのだが、最終的に決めるのはヨーゼフの意志だ。
「なあ、ハンブラよ。お前はどうして今の妻と結婚しようと思ったのだ?」
「……それは一体?」
「私の意図など気にしないでくれ」
「はあ」
ハンブラは天井を仰いでしばらく思案した。
何せ彼の結婚は30年以上も昔の話だ。
「あいにく私は旦那様のように選べるほどの女性との接点はありませんでしたから……」
「だが、お前はサンタナを妻とした。それには理由があるだろう?」
「理由、ですか?」
「ああ、理由だ。何とも思っていない女と結婚などするのか?」
「それは…まあ、サンタナを愛していましたから」
少し照れくさそうにハンブラは言った。
小さな声だった。
「だろう!」
対して、ヨーゼフは何倍もの大声で言う。
「愛があったからお前は結婚した! 愛だ! 愛!」
「はあ」
「わからないか? ハンブラ」
「どういうことでしょうか、旦那様」
「私の愛はサーシャに向いているのだ!」
そう言うとヨーゼフは再び頭を抱えた。
「ぬああああっ!」
ルルアとの結婚はある種の政略結婚だ。
貴族と貴族が婚約して互いの家をより豊かにする。
そこに愛の有無は考慮されない。
「まあ、愛があれば悩む必要などないのだかな」
サーシャとの結婚はまさに純愛だ。
自然と男女が恋に落ちて結ばれるラブストーリーだ。
そこには愛しか溢れていない。
「決められんっ!」
貴族としての立場を取るか、
男としての恋心を取るか。
簡単なようでいて、とても難易度の高い問題だった。