1−4 はじめての魔法使い
タルタルに促されるまま、俺は二人の後ろに隠れるようにして下がった。
情けないとは思ったが、こちらの装備はサラリーマン・スーツのみだ。魔法の使い方もまだ分かってない。こんな状況で、前に出ることはできない。まずは敵の情報を集めるのだ。二人に戦ってもらうしかない。
ボルッ! と喉を鳴らして、口元にナイフをくわえたタルタルが四つ足で駆けていく。
普段のあどけない喋り方からは想像もつかないほどの俊足。まるでロケットのように敵の足元へ素早く滑り込み、斬りつける。
すかさずミスティアさんが杖から雷のような魔法攻撃を放つ。
爆発音と衝撃波を肌に感じかなりの手応えに見えたが、敵兵はヘラヘラと笑っている。
「魔王様の加護を受けたオラたちには、攻撃なンか効かねンだよなァ〜」
わっはっはっはと全員が嘲笑する。
「噂には聞いていたけど、本当に剣撃も魔法攻撃も効かないのね! でも、これならどうかしら!」
ミスティアさんが仁王立ちになると、周囲に異様なまでの緊張感がビリビリと走り、そのあまりのプレッシャーに身がすくむ。
恐ろしく重く低い唸り声が響き、全身の毛は逆立つ。闘気のようなものが背中から立ちのぼるのが見えた。
バチン!バチン!
という破裂音と共に筋肉が膨張し、体型が元の2倍、いや、3倍には膨れ上がった。
そう、彼女は筋肉だった……。
やたらゆったりとした服を着ていると思ったが、そういうことだったのか? と理解が追いつくよりも速く、彼女は敵に向かって一瞬で距離を詰めると
「フンッ!!!!!!」
とメイスのような形状の杖を、目を見張る速さで何度も何度も重い一撃をガァン! ガァン! と繰り出しこれでもかと殴りつけた。
「ンアッアッアッー!」
「ひぇ〜! なんギョこの女はー!」
敵方の鎧は粉々になったが、なぜか身体には傷ひとつついておらず、だが衝撃と気迫は十分に伝わるようで、明らかにカツオとトカゲ達は狼狽えていた。
「ミスティアの『物理で殴るモード』にビビって退散してくれるといいんだけどな……」
いつの間にかこちら側に戻ってきていたタルタルが俺の背から這い上り、顎を頭に乗せて話しかける。
「モモモ、モッファー!!」
頭部に感じる幸せなモフみに思わず感情が昂ぶる。
「うわぁ、そんなに怖ったのかな? よーしよしよし」
タルタルは俺が襲撃の恐怖に乱心したと思ったのだろう。頬に顔を寄せて、頭突きにも似たすりすりを繰り出してきた。
気持ち的には9999HIT。命を奪われるかもしれないというこんな状況でさえ、俺はタルタルのモフみに至上の幸福を感じてしまう自分の性癖を恨んだ。
「愚かな無毛種よ、どんな魔王の加護があるかは知らぬが、そなた達では我には敵わぬ。理解したのならば早々に立ち去れィィィィ!」
怯みを見せた敵に、とても同一人物とは思えない太く逞しい声でミスティアさんが吼える。
「……ぁ!」
しかし、小さく悲鳴のような声を響かせた途端、ミスティアさんが胸の辺りを押さえて苦しみだした。
「まずい、時間切れだな!」
タルタルが俺の肩を蹴って駆け出してゆく。痛い! でも、幸せな痛みです。ありがとう。
タルタルはミスティアさんの背にサッと駆け込むと、元の体形に戻って力の抜けてしまった彼女を支えた。
強い力を出した後は反動が来る……あるあるだ。
「ギョハー、俺んちの風呂の水よりもヒヤッとしたぜぇ〜」
「ひー! オラァ、変温動物だからよぉ〜冬眠するかと思ったンだなぁ〜!」
鎧を砕かれて全裸になったツルツル兵士たちが、ミスティアさんににじり寄る。
俺の視界にはいつの間にやら自動モザイク機能が搭載されており、奴らの危険部位には勝手に修正が入れられていた。譲り受けた魔法の影響だろうか。
タルタルが唸って威嚇しているが、敵は全く退く様子を見せない。
まずい、どうする⁉︎
タルタルの斬撃も、ミスティアさんの強力な魔法や殴打による攻撃も効かないような相手にどう対処すれば良い⁉︎
焦り、不安、緊張を混ぜてドロドロに冷やし固めたようなものが全身を駆け回る感覚に襲われる。
まずいまずい、落ち着くんだ。息をしているか?心臓は動いているか?
股間は
その時、ハッとした。
俺の股間は……息子……いや、肉棒は熱く硬く……勃起していた。
いや、勃起した上で更に赤く光輝いていた。
頭の中で囁くように語りかける声がする。
(やぁ、待たせたね。新しい宿主・タカシ。君はあの子たちを救いたい。そうだろう? さぁ、思うままに魔法を使ってごらん。君はどのようにしてあいつらを倒すところを僕に見せてくれる?)
「俺は……俺は……」
俺はその場に立ち上がり、赤く光る股間を見つめ、大きく息を吸い込むと
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
ワザと雄叫びを上げ、注意をこちらに向けさせる。
「あンだぁ、あいつぅ大声さ出してぇ」
「ギョあぁん???? チビっちまったんじゃねえギョ〜?」
ギョハギョハと下品な笑い声が聞こえた。いいさいいさ、バカにしていろ!
右手を天に向かって高く掲げると、股間の赤い光が掌に集まる。
光は形を持ち、定まり、ルビーのようなまばゆい煌めきを放つ宝石の刀身を持った剣へと変化した。
形が男性器に似てなくもな……いや、認めたくはないが、見れば見るほど似ている気がする。できればその事には気がつかなかったことにしたいが、これぞ正に股間のエクスカリバー。アーサー王よ、許されたし。
ーー君はどのようにしてあいつらを倒すところを僕に見せてくれる? ーー
ありがとう、頭の中の誰か。君の言うとおりだ。
そう、敵を殺さなくて良い。倒せば良い。
倒すというのは地に伏せさせ、縛り付け、拘束し、俺たちに追いつけさせなくすること。
今最優先でやるべきことは、逃げること。命を長らえさせ、反撃の機会をうかがうこと!
俺の選択は……これだ!
「キッボルフ(完全発情)!!!」
それは口から自然と滑り出した。
言の葉は風にのり、周囲の空気に溶けあった。
そして、しばしの静寂。
最初、なんだ? という顔をして、キョロキョロと首を振っていた敵兵達はまもなく絶望に包まれた。
「うぐおアアアアアアアアアアアアア!!」
「な、なン、なンアッーーーー⁉︎」
そうだそうだ、そうだろうとも。
自分の意思とは関係なく、強制的に完全勃起状態にさせられているのだ。
勃起する器官がない種族には、性的興奮が最高潮を迎えたところで留まり続けるようになっている……はずだ! 俺の魔法が上手くいっていればな!
「ギョ様(貴様)〜! 何をしたああああああ! ……あんッ!」
魚人兵が立ち上がろうとしたが、敏感になっているせいで少しでも性感帯に刺激が入ると動けないように見えた。ビクンビクンと地を這う姿は滑稽である。
性こ……成功している……!
震える己の足にピシャリとワンビンタ入れ、動け、しっかりしろと鼓舞する。
「お、俺はさすらいの魔法使い、タカシ・タカシ! お前らには最高にイかす魔法をかけさせてもらった!ささささささらばだ!」
震える声で捨て台詞を吐いて、俺はタルタルに駆け寄り動けなくなっているミスティアさんを二人で運んで逃げた。
この中では一番周囲の地理に詳しいタルタルの案内に従い、ひとまず安全圏へと逃れられた。及第点と言ったところか。
ミスティアさんが目を覚ますまで待ってから、今後について相談しようということになり、俺も身体を休めさせてもらうことにした。
実は魔法を使ってからこれまで、ものすごい倦怠感に襲われていた。
全力でマラソンを10km走り切ったような……。
言い方はアレだが、射精した後の独特のあの感覚に似ているような……。
疲れと安心からか、自然とまぶたが重く落ち、俺の意識は眠りの彼方へと落ちていった。