1−3 ツル(無毛)とモフ(有毛)
俺は爺さんに、簡単ではあるが墓を作った。
爺さんはボッチこそが至高と言っていたが、最期くらいは俺が情をかけても文句を言わないだろう。自己満足であることは重々承知していたが、俺の気が済まなかったのである。
墓なんて作ったことはないし、知識もないので、適当と思われる深さの穴を掘り、埋め、爺さんが信じていた宗派は聞く前に死んでしまったから、とりあえず定番の十字架を、木の枝と近くにあったよく分からない植物の蔓を使って作り、刺しておいた。
さて、どうしたものか……。
爺さんからもっとこの世界についてよく聞いておくんだった。
突然の問答に夢中になってしまい、大事なことを何一つ聞けていないことに今更ながら気がついたのであった。
俺はこの世界の名前すら知らない。
生態系も……環境も……そうだ、言語についても……。
うーーーーー聞いておくべきことは他にも山ほどあった。
混乱していたとはいえ、何をしていたのだろう。気がつかないにも程があるぞ、自分。
「何か使えそうなものは持っていなかっただろうか……」
つい、独り言が口から漏れ出てしまった。
服装は昨日出社したままの格好だった。手荷物などは吹き飛んでしまったようで、何も持っていない。
腕時計も止まっているし、ズボンのポケットにしまってあったスマホも充電がゼロパーセント。もしかして充電できればワンチャンあるかもと思うが、電波なんて飛んでないだろうしなぁ……と途方に暮れた。
時計の時間は20時30分近くで止まっていた。記憶を辿ってみるが残業を終え、疲れた体でトボトボと歩いているうちに身体に衝撃を感じ……この世界に召喚されてしまったのだろう。
食糧も、飴玉一つ持っていなかった。とりあえず飲み水の確保からだろうか……あと、塩? 最近流行りの無人島脱出バラエティ番組でも、もっと見ておくんだったなぁ、見てないよりは幾分かマシだったはず、と思いながら立ち上がった。
幸い、身体に痛みが続いているところなどはないようだった。目を覚ましたばかりの時は、この世界へ召喚された衝撃によって一時的に痛みを感じていただけと思われる。
が、局部に何か違和感を感じた。先ほどの熱さと痛みで腫れたか爛れたかしただろうか。あとで確認しておかなくては。
「おーい、お前、さっきちょっと苦しそうな声を上げていなかったかな?」
え、日本語?
と思って振り返ると、まぁ、なんということでしょう。
そこには、なんとも愛らしいモフモフの体長1m前後と思われるモフモフの、言葉を喋る猫型の、服を着たモフモフのモフ獣人が二本足でよちよちぽてぽてとした下手くそな足取りでこちらに駆けてくるではないか。なにあのキラキラしたおめめ……ピンクの肉球たまらん……そしてモフ毛……!
「モモモモモモ、モッファーーーーーー!!!!!!!!」
ピシャーン! とどこかに雷が落ちた音がした。
興奮のあまり、俺は倒れた。
恥ずかしい話だが「興奮のあまり」というのは、ありえないほど急速に勃起し、身体中の血液が局部に集中したため、貧血になったのだ。……と思われる。
医学的知識は皆無なので、あくまで想像だが。
あのモフちゃんが、彼か彼女なのかは分からなかったし、あんな小さな生き物に勃起する自分はド変態だと自分でも情けなかったが、長年夢見た種族と出会ってしまったのだ。倒れるくらいは許されたい。
意識が浮上した時、辺りは暗くなっていて、夜空には星の煌めき。
いつの間にか雷雲は去ったらしい。
パチパチと焚き火の爆ぜる音が聞こえ、誰かの声が聞こえた。
「ん! 起きたかな?」
「大丈夫ですか⁉︎」
声のした方を見れば
「わーーーーーーーーー!!!」
と思わず大きな声が出てしまい。
「ちょちょちょっと、大きな声は! 夜は危険な野生生物が出ますから!」
たれ耳の犬型獣人の女性は、可愛らしい肉球のおててで俺の口を塞ぎ、潜めた声で嗜めた。
えーーーーーーーめっちゃ気持ちいいしほんのりあったかいしもうほんとめっちゃいい匂いするしーーーーー!
ちょっと爪が刺さって痛いけどそんなの気にしない〜!天国〜!
顔の筋肉は完全に溶け、高まる尊さにぐーーーーと腹を押さえてうずくまりそうになると
「ごごご、ごめんなさい! 苦しかったですよね……」
慌てて彼女が手をのける。
「アッ! もっとぉ……ハッ! す、すみません、あなた方が、とても、す、素敵だったもので、その、尊みが高まりティというか」
変な声が出てしまったが、取り繕った。つもり。ダメか。間に合ってないなこれは。
「タル達が素敵? 尊みって……あんまり聞かない言葉だなぁ……。うーん、お前、タル達に比べると毛がないように見えるけど、無毛種ではないんだよね?」
タルと名乗った猫型獣人が右手の肉球をぺろぺろと舐めながら喋った。
そのまま耳及び顔を手を使って洗い出したので、
無理ーーーーーーーー可愛すぎるーーーーーー尊いーーーーーーー!
俺は顔面を両手で抑え、溢れる涙をなんとか抑えようとするが、無理だった。ありえないほど顔が熱くなっていた。
「え、泣いてるんですか? 大丈夫ですか?」
「ちょっと、大丈夫じゃないかな!」
「はーっ、はーっ、すみません、俺、俺」
図らずも理想のモフモフ獣人達に出会ってしまい、俺の尊さゲージは限界を振り切って臨界点を突破。
耳と尻尾は獣で、後のパーツは人間という、日本の萌えキャラにありがちな半端な獣人ではない。
全身くまなく、毛、毛、毛! どこもかしこも毛!
おおん!! 生きてて良かった!!
まともに喋りたいのに、ちゃんと挨拶をして、名前も名乗って、助けてくれたお礼を言いたいのにどうしようもなく興奮してしまい、全然喋ることができない。最高がすぎる。ここは天国では? 俺はやはり、死んだのでは? そういえばさっきから、息をしているだろうか? えっ、してなくない?
「よほど怖い思いをされたんですね……。私達がいますから、少しの間かもしれませんが、安心なさっていいんですよ」
犬型の獣人女性は俺が落ち着くまで背中をさすったり、ぽんぽんと叩いてくれた。なんという母性……。尊い……。ヤバい……。肉球気持ちいい……。怖い思いは全然してないんです……すみません……。
なんとか泣くことは止められたものの、俺の股間は祭り状態であった。決して気づかれてはならない。バレたら処刑だ。体育座りに座り直して足を開き、前屈みの姿勢を崩すことなかれ。今は誤魔化すことに全霊をかけるべし。
それにしてもこの股間の熱の持ち具合、いささか異常ではなかろうか。まさかこれが本物の恋って…コト? こんなことは俺の人生で初めてのことで、どうしたらいいのか分からない。
「だいぶ落ち着かれたようですね、私は、ミスティア・ミーミルルといいます。ミスティアと呼んでください」
母性溢れるたれ耳犬型獣人女性は、そう名乗った。なんと気さくでコミュ力が高い……いやまだ名乗っただけだよ。
背丈は俺より少し高いくらいだろうか。座っているから正確には分からないが、170cmくらい? 手足は細く、スラリとした印象だ。
体毛は山吹色で、ところどころに白い毛が生えている。瞳はエメラルドグリーン。
犬種は……なんだろうなゴールデンレトリバーに似ている。
実は俺はケモナーだが、母さんが動物アレルギーで実家でペット飼育が出来なかったのだ。憧れを捨てるために図鑑とかも読まなかったので、動物に関する知識はほぼない。そうして成長するうちに、アニメやゲームのモフ毛獣人に興味が移っていって……そういったものは空想の中の世界であると割り切って楽しむことができたので、気楽だったのだ。
歳は、いくつくらいなんだろうか。顔立ちや毛艶は若そうに見えるが、話し方や物腰の柔らかさはとても落ち着いた雰囲気で、笑う時には口に手をあてたりして上品さを感じさせる。
とても、その……昔見たアニメの……俺の性癖をめちゃくちゃにしたきっかけの獣人に似ている。カラーリングなんかは全然違うけれども。なんというかその、雰囲気が似ている。正直言ってめちゃくちゃに好みだ。理想と言っても過言ではない。許されるなら今すぐ結婚したい。
頭部には青い丸い帽子を被っていて、顔の両側に綺麗な丸い石が連なって垂れ下がり、彼女が動くたびにシャラシャラと心地のいい音をたてていた。僧侶とか修道士とかそれ系っぽく見える。
服は、ギリシャ神話の登場人物が着ているような、ゆったりとしたワンピース。袖は長く、たっぷりと空気を含むように見えるデザインだ。白と青を基調として、所々に何か文字のようなモチーフの紋様が金の糸で縫われていた。
こりゃぁ回復役で間違い無いだろう。きっと魔法とか、得意なんだろう。頭も良さそうだし、すごくそれっぽい。
武器もとっても杖っぽい。メイスのような鈍器にも見えるが、ちょっと短い杖なんだろう。
「タルは、タルタル・ミチタルだよ! タルさまって呼んでくれて構わないかな!」
続いてぴんと立った耳の猫型獣人くんちゃんも挨拶してくれた。声は幼児のように高く、舌ったらずで甘い響き。
身長は1m前後に見える。白と、黒に近い灰色の八割れ模様で瞳は金色。まだ子供だろうか、とても整った可愛らしい顔立ちをしており、モフ密度の高い毛並みをしている。
今は短毛種に見えるが、辺りは少し蒸し暑さを感じる気候だ。もしかしたら長毛種の可能性も捨てきれない。尻尾は長く、立派だ。
ああぁ、今すぐ触りたい。が、怪しい動きは控えなければならない。ぐっと堪える。
服は白い丸襟のシャツに黄緑色のベスト。赤いズボンを履いている。アラビアっぽい印象だ。商人とか、そんな感じだろうか。もしくは盗賊系職? はたまたピエロ……RPG風ならば遊び人か。シャツの合わせはしっかりとボタンで閉じられており、性別は窺い知れなかった。
「俺は、タカシ……タカシだ……」
日本式で高市タカシと名乗るつもりだったのだが、噛んだ上に緊張してスパイ映画のキザなエージェントみたいな名乗りになってしまった。すぐに訂正するつもりだったのだが
「タカシ・タカシ? タルタルとちょっと似てるかな!」
タルタルのいい笑顔を浴びてしまい、どうでも良くなってしまった。
君が気に入ってくれたならそれでいい。俺は今日からタカシ・タカシです。
「あなた達は日本語が話せるのですか?」
「日本……? いいえ、これは私達、有毛種と無毛種の汎用共通言語ですが」
「お前は無毛種と有毛種どっちなのかな? 毛が生えてない部分も、あるみたいだけど」
「俺はその〜なんだろうな、俺の国では自分達のような種族は人間と自称していました」
「人間……というのは聞いたことがないですね……タルタルさんは聞いたことがありますか?」
「ちょっと、聞いたことがないかな!」
「先ほどから毛の有る無しについてこだわっているようですが、何か問題があるのですか?」
えっ! といった表情で二人が顔を見合わせる。何かまずいことを言ってしまっただろうか。
「もしかしてすごく遠くから来られたんですか? 星の裏側からとか?」
「そ、そうなんです! すごく遠くから来まして!」
笑って誤魔化したが、無理があると思う。でも、間違ったことは何も言っていない。
というか、ここにも星という概念は存在しているのか。そういえば、爺さんも宇宙で一番の童貞が〜とか言ってたな。
「私達が住んでいる辺りでは、毛の無い無毛種……魚人族とか虫人族とかですね、そういった見た目のツルっとした人たちと、私達毛の有るモフっとした見た目の有毛種とで長い間戦争をしているんですよ。もう何年くらいになりますかね?」
「少なくともミスティアが生まれる前には、もう戦争は始まっていたんだよね! タカシ、ちょっと、怪しくない? 無毛種のスパイだったり、しないかな? タル達、殺されない?」
タルタルが目を潤ませて俺を見つめてくる……やめろ、抱きしめて撫でくり回したくなる。
「タルタルさん、この人の視線の彷徨いや汗の匂いで嘘をついていないことはあなたもわかっているでしょう? いじわるなことはやめた方がいいですよ」
さすが獣人、観察力が高い。感覚器官も鋭いようで、そんなこともわかってしまうのか。
「ふふふ、ちょっと、いじわるしちゃったかな!」
タルタルはミスティアさんに頭を撫でられ、顎の下をクシクシとかかれ、気持ちよさそうに天を仰いでいる。
うらやましい、俺もやりたい。な、仲良くなったら……いつか……くーーーーーっそれまでは我慢だ。
「なるほど、そういった事情があったんですね。俺は何もわからなくて……お恥ずかしい限りです。実は故郷への帰り方もわからなくて、途方にくれていたところだったんです。あなた達のような話の通じる優しい方々に見つけていただけた事は、大変に幸運でした。ありがとうございます」
立ち上がって、深々と頭を下げる。
「なるほど。本当に遠くから来られたんですね。タカシさんの国では、お礼をいう時に頭を下げる……とても変わっていますね。私達の国では、こうするんですよ」
微笑みながらミスティアさんは、おもむろに地面に寝転がると、両手両足を少し丸めて身体に近づけ、お腹を見せて身体をよじった。
(へ、へそ天ーーーーーーーーーー!!!!)
俺はあまりの尊さに、膝から崩れ落ちた。
ここが俺の理想郷、ユートピア、エルドラド、桃源郷、あぁ、他にもなんかなかったっけ。フられるの前提で今すぐ結婚を申し込みたい。
「タルもー!」
タルタルもつられてへそ天を始めた。
なんっ……なんなんここ、もう……死んじゃうからぁ〜! 泣きそう。いやもう泣いてたわ。
と、その時。
「ギョギョギョ、こんなところで誰がキャンプしてんのかと思えば、有毛種じゃあねえか」
「あンだ〜? なーンか変なやつもいるでねか! 頭だけ毛が生えてらぁ〜」
森の中からガラの悪そうな口調のカツオっぽい魚人と、訛り口調のトカゲ頭の武装した兵士? が数人現れた。皆、同じ鎧を身に纏っている。これが例の無毛種というやつか? 確かに、体表がツルツルしている。
ミスティアさんとタルタルは素早く体勢を立て直し、武器を構えた。
「タカシさん! ごめんなさい、私ったら油断して……!」
タルタルはンンンンンンンと唸り声を上げて威嚇する。
「タカシ、タル達の後ろへ!」
タカシ・タカシ、異世界生活初日にして、大ピンチを迎える。