2−8 それはまぎれもなく濃いさ
にゅるん、と誰かに頬を撫でられた。
クスッと笑うような息づかいが聞こえ、お腹をポンポンっと優しく叩くと気配が去っていくのを感じる。
お母さん……? お母さんの手ってあんなにヌチョっとしてたっけ……。
扉が開閉する音がしてしばらくした後、コンコン。コンコン。と誰かが窓を叩いている。
「旦那ァー、タカシの旦那ァー。入れてくだせェ〜」
ハッ! として目を覚ます。ごくひそめた声だが、このいぶし銀の濃厚ボイスは……!
「シーセさん⁉︎」
ガバッと身を起こせば、窓の外には眼光鋭い濃ゆい顔。
あたりはまだ暗く、これから夜明けの光が差し込んでこようとしているところだった。気を失ったままだいぶ時間が経ってしまったようだ。
カサッと手に触れる感触があり、拾い上げてみると
『僕は仕事に行きます。ゆっくりしていってね! スケーケ』
と書き残されていた。
慌てて窓を開けると、ひょいっとシーセさんが身を滑らせて室内へ着地……し損ねて顔面を打っていた。魚型の頭に人間の身体はどうみてもバランスが悪い。頻繁に転んでいるんだろうかこの人は。
チラっと外へ目線をやると、少し離れたところの地面に大きめの穴ができていた。あれはなんだろうか?
「タカシの旦那ァ、ご無事そうでなによりでやす。シーセでごぜェやす。タルタルの旦那とミスティアのお嬢さんに御身の捜索を依頼されてきやした。お二人とも、大層心配されていやしたヨ」
そうか、俺は今行方不明状態……うぅ! 心配をかけてすまなく思うと同時に、探してくれていることがとても嬉しい。身体の一部がホットになってしまうな。この場合胸だが。
「実は慣れない旅路で熱を出してしまって……河原で倒れたところをこの部屋の主に救われたんです」
「そうだったんでごぜェやすね。あっし、実は結構前からこの付近に激突……ウヴン! 着地しておりやして、旦那の隣にいた無毛種が危険なやつかどうかはかりかねたもんですからァ、やっこさんが出て行くのを待っていたんでさァ。聞く限り、良心的な無毛種に拾われてくれたのは僥倖でございやした。ですが、今後は身体の不調は素直に申し出た方がよろしいでごぜェますヨ」
反省……深く反省……。
そしてなるほどさっきの穴はシーセさんが激と……ちゃ、着地したあとだったかー! そうかー!
「まッ、ひとまずァ安全な環境にいらっしゃるようですので、あっしは一旦報告に帰りますかねェ」
「あ、待ってください!」
窓枠に足を掛けたシーセがこちらを振り向く。頭の上に、はてなマークが浮かんで見える。
「不意打ち完全発情!」
アネデパミに濁点がついたような声をあげてシーセが床に落ちた。
ここのところキッボルフの練度を高め、雑魚……失礼、一兵卒くらいはあっさり戦闘不能に持ち込めるように速度と効果を調節して撃てる練習をしていたのだ。卑怯だが修行の成果が出たような気がしてウキウキしちゃうな。
悶え苦しんでいるシーセの人間と同じような身体の股間は、キチンと膨らんでいた。そうなれば俺の魔法が不発だったのではなく、やはりスケーケにだけ効いていないようだ。
「な、なにをしやがるんでェ!」
恥ずかしそうに顔を赤らめているシーセに謝罪する。
「すみません、あの、よろしければ少し俺の話を聞いてもらえませんか?」
俺はシーセさんに事の顛末を説明した。
シーセさんはどこかから取り出した煙管の煙をプカっとふかしながら
「なるほど……そいつはアレじゃねェですかね」
「心当たりがあるんですか⁉︎」
「いや、あっしも医者じゃねェからわかりやせんが、今までの経験から言わしていただきやすと……」
ギラリ! とシーセの目が光り、その鋭い眼光に射抜かれた俺はゴクリと唾を飲み込む。
「やっこさんは疲れ魔羅も勃たねェくれェ、疲れてらっしゃるんじゃァーねェですかねェ」
……へ?
まさかの単純な疲労……?
しかし、盲点だった。確かにスケーケは自死を考えるほどの限界超えて臨界点突破の疲労状態。勃起もままならないのも頷ける。
「じゃあどうすれば……」
「そういう時はヨ、あったけェ〜風呂でも入って、ふっかふかの布団で寝るのが一番じゃねェですかね?」
プハーッと吐き出された煙がくゆる。
「とりあえずその悪徳上司を早いとこぶっ潰して温泉を完成させて、やっこさんに湯治してもらってみたらいかがですかねェ。身体があったまりゃァ心もほぐれる! そうすりゃァ、すやぴこのぴっぴこぴーときたもんだァ! そういうもんじゃないですかねェ。難しく考えず、基本に戻る事も大事だと思いますぜェ」
そうだな……まずはストレスの原因を取り除き、彼をゆっくりさせるのが先決かもしれない。実際、このままでは過労死しかねないだろう。そのためにはまず、何から始めなければならないだろうか……。
「とりあえず俺はここで身体を休めながら、作戦を練ってみます。シーセさんはタルタル達のところへ一旦戻ってください。また連絡したくなった時は笛を吹けば?」
「左様でございやす」
「あと、緊急事態が起こった時に何か合図として使えるものがあれば……」
「したらァこの花火なんかァいかがでしょうかねェ」
手で紐を引くと打ち上がるタイプの花火というか照明弾のようなものをいくつか分けてもらった。
礼を言うと、シーセさんはどこからともなく取り出した砲台に自分をセットし、ドーン! という音と共に虚空の彼方へ消えていった。
「さて……」
俺はスケーケが帰って来る夕方までに養生の名目と共にこれからのことを考えることにした。




