I'm Hungry!!!
《お腹すいた!!》
――夜。あと何十分かしたら、就寝時間である午後十時という時間帯。
「ふあぁ……」
「夢来ちゃん、眠い?」
「ちょっと……」
寝る前にお風呂に入り、これから部屋に戻ろうという帰り道の最中。
眠そうにする夢来ちゃんの手を引きながら、その可愛らしいあくびに思わず微笑んでいると――、
――ゴトッ、と重い音が響く。
「っ!?」
思わず、身構える。
昼間飛んできた初さんの気持ちがわかった。この状況での異音は、平時とは比較にならない緊張感をもたらす。どうしても心穏やかにはいられない。
「ね、ねえ……彼方ちゃん、今の、何?」
「わかんない、けど……。たぶん、一階だと思う」
私たちは今、一階の階段下にいる。二階の音も拾えそうではあるけれど、聞いた限りだとたぶん一階だ。
場所は、私たちが来た廊下とは逆側。食堂の方だ。
「……夢来ちゃん、どうする?」
もし、本当に何かあったのなら。私たちも口封じに――なんて、嫌な想像をしてしまう。よく初さんは飛び込んでこれたものだ。
私たちはどうするべきだろう。
ここで誰かが何かをしていた、という曖昧な情報だけを持って、安全を得るため部屋に戻る。それが一番穏当な選択だ。
だけど、初さんのように、確認しに行くという手もある。もし何かが起きかけていた場合、私たちが踏み入れば未遂で食い止めることができるかもしれない。
……唾を呑む。
私は何か。私たちは何か。
魔法少女だ。誰かが傷つくことを防ぐため、最前線で戦うのが私たちの役目。
もし仮に、同じ魔法少女が過ちを犯そうとしているのなら――。
「――私は、見てくる。夢来ちゃんはどうする?」
「わ、私も……。彼方ちゃんが、心配だから……」
「そっか。……ありがと」
私たちは繋いだ手を離さずに、音のした方へ向かった。
まずは一番手前の部屋、屋内庭園を確認する。……異常はない。人影もなし。
ならばと、廊下の少し先に歩を進める。
そして――。
「ね、ねぇ、彼方ちゃん。厨房の扉、開いてる……」
「……そう、みたいだね」
たぶん、何かあったとしたらそこだ。
私たちは足音を忍ばせながら、厨房のドアに歩み寄る。
耳をそばだてると、ガタゴトと何か作業をする音が聞こえてくる。
……悲鳴や言い合いは、聞こえてこない。中にいるのは一人だけ?
夢来ちゃんと顔を見合わせる。
そして頷き合うと、意を決して、厨房の中を覗き込んだ。
異常はすぐに見つかった。というより、開け放たれたドアのすぐ横に、その人物はいた。
特徴的な割烹着。それが誰かはひと目でわかる。
「えっ……米子ちゃん?」
「ひぅ!?」
その人物――釜瀬米子ちゃんは、私が声を掛けると、こっちがビックリするぐらい大げさに跳ねて驚きを表現した。
その様子に夢来ちゃんも飛び跳ねて、私の後ろに隠れてしまった。
仕方がないので、私だけで米子ちゃんの相手をすることにする。
「えっと……何してるの?」
米子ちゃんの他に人の気配はない。グループ分けだと、米子ちゃんは接理ちゃんや忍ちゃんと一緒に行動することになっていたはずだ。
それが一人でいるということは、グループ行動の取り決めを破って一人で勝手に行動しているということ……なんだけど。
でもどうしてか、米子ちゃんの様子に怪しさはなかった。
殺人計画の邪魔をされたというよりも、子供が悪戯を見咎められたような。
まだ私たちが何かを糾弾したわけでもないのに、その態度には既に反省の色が滲んでいる。
「ご、ごめんなさいっ! ウチ、お腹が空いちゃって……っ!」
そう主張する彼女のすぐ隣には、冷蔵庫が鎮座している。
……ああ、なんとなく見えてきた。
「えっと、じゃあ……米子ちゃんは何か食べる物を探しに、ここに来たってこと?」
「は、はい……」
「グループの人は?」
「だいぶ前に、もう寝ようってことになって別れたので……。起こすのも悪いかなって思って、一人で……」
なるほど。でも、それはそれで疑問が残る。
「あの、米子ちゃん。米子ちゃんって、夕食もすごいおかわりしてた気がするんだけど……」
「あ、あはは……。いや、そうなんですけど、一時間もするとだんだんお腹減ってきちゃうんですよね……」
えぇ……。
「ご、ごめんなさい! 役立たずのくせに無駄に大飯喰らいで……。め、迷惑ですよね……」
「うーん、いや、食材はワンダーが補充するんだから、誰に迷惑がかかるわけでもないと思うけど」
誰かが食料の心配をしたとき、ワンダーが言っていた。
『食料がなくなりそうになったらボクが補充するから、みなみなさまは遠慮せずどんどん食べちゃってください! ええ、心配はいりませんとも! ボクが責任持って養ってあげるからね!』
なんて、変な踊りをしながらの台詞だった。
ワンダーに養われるなんてゾッとしないけれど、既に私たちの命が握られているのは事実だ。……そこはもう、どうしたって誤魔化しようがない。魔法も使えない魔法少女に、魔物に対抗する術はない。
「えっとつまり、米子ちゃんはここで冷蔵庫を漁ってただけ?」
「は、はい……」
どうやら、さっきの物音はそれだったらしい。
「自分が役立たずなのはわかってますし、申し訳なく思ってもいるんですけど、食欲ばかりはどうにもならず……」
米子ちゃんの自虐が耳に痛い。
自分の魔法が未だ何の役にも立っていないのは、私も夢来ちゃんも同様だ。
「そんな私に比べて、空鞠さんなんて初日から活躍して……」
「ええ? だからあれは、私じゃなくても……」
「空鞠さんがいなかったら、どうにもならなかったですよ。たぶんひどい喧嘩になっちゃったと思います。そうしたら、まともなご飯を食べられてたかも怪しいですし、本当に感謝してます」
「ええっ?」
感謝するポイントはそこなんだ……。
「ウチもお役に立てればいいんですけど、残念なことにこんな役立たずの魔法で……」
「えっと……米子ちゃんの魔法って、[暗号捕食]だったよね。暗号を食べたら内容がわかるっていう」
「はいぃ。この館に何か暗号があったら、ウチがどうにかできるんですけど……」
「うーん。私も、そういうのが書庫にないかなって思って探してるんだけど、今のところ見つかってないんだよね……」
「そうですか……。はー、ウチも皆さんに貢献できる機会が欲しいです」
米子ちゃんは、憧れを込めた眼差しでどこか遠くを見つめた。
「変な魔法ですよね、私の固有魔法」
「えっ?」
「大飯喰らいなだけじゃ飽き足らず、暗号まで食べちゃうなんて――って、昔、先輩の魔法少女に大笑いされました」
米子ちゃんが、それを大切な思い出であるかのように語る。
「実際ウチの魔法、どんな暗号でも解読できるみたいなんです。こう……パソコンとか使った、すごいこんがらがった暗号でも」
「そうなの? それってすごい魔法なんじゃ……」
「あはは。まあ、犯罪に悪用なんてしたら、魔法少女じゃいられなくなっちゃいますから。でもそれ以前に、すごく使い勝手が悪くて。ウチのこの魔法、暗号の複雑さで消費魔力が変わるんですけど。使う魔力の量は自分で決めなきゃいけないから、必要な分より多すぎたりすると暴発しちゃって……」
「そ、そうなんだ……」
「まあ、相当下手な量の魔力を込めたりしなければ、暴発はしないんですけど。そもそも魔力が必要量に足りてないような場合も暴発しないので、まずはそれで手ごたえを確かめてからやるんです。ウチ、臆病なので……」
「へぇ……」
その対処の仕方は、なんというか、試行錯誤で積み重ねたノウハウのようなものを感じる。
臆病なんて言うけれど、立派なやり方のように思えた。
「でも、複雑すぎる暗号だと、そもそも必要な分に魔力が足りなかったりして。その上、魔物退治で暗号の解読が必要になる機会なんてほとんどないですし」
「あー、うん。まあ、そうだね……」
世の中にはいろいろな魔物がいるから、暗号を用いる魔物が全くいないなんてことはないだろうけど。圧倒的少数派なのは疑いようがない事実だ。
「……って、なんかごめんなさい。愚痴みたいになっちゃって」
「あ、ううん。いいよ全然」
「すいません。ウチももうちょっと食べたら寝ますから」
「うん。じゃあ、私たちは行くね」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみ。……ほら、夢来ちゃんも」
「あぅ、お、おやすみなさい……」
一通りの挨拶をして、私たちは厨房を後にした。
誰もいない静まった廊下を、夢来ちゃんと手を繋いで歩く。
「よかったね。何もなくて」
「うん……。よかった、すごく」
夢来ちゃんがほっとしたように息を吐く。
とても安心しました、と顔に書いてある。
ただ、私も同じ気持ちだった。本当に、何もなくてよかった。
悲劇は、一度堰を切ってしまえばもう止まらなくなる。
私たちは依然として、壊れかけの現実の瀬戸際に立たされている。
今はまだ、何も起こっていないから、意識を脱出に向けていられる。
もしその状況が変わってしまったら――、私たちは内側を警戒しなくてはならなくなる。同じ魔法少女同士を、疑い合うことになる。
その状況で、今と同じように、脱出の希望を探し続けるなんてことは……。
私も、できそうになかった。
だからせめて、祈る。
誰も、ワンダーの言うことなんて真に受けずに。
誰も、大罪に手を染めることなんてせずに。
みんなの力で、この場所から脱出できますように。
――そう、祈る。魔法少女として。
◇◆◇◆◇
「それじゃあ、電気、消すよ」
「うん」
照明を落とす。
二日目の夜も、私は夢来ちゃんと過ごすことにした。
ベッドは相変わらず狭いけれど、でも、一人で寝起きするよりも断然安心できる。
私は目を閉じた。
時計の音は聞こえない。この部屋の時計はデジタル式だ。
私が目を閉じている間にも勝手に数字を進めて、それを知らせてくれることはない。
眠りに落ちて、そのまま一日二日経っていても、きっと寝起きの私は気づかない。
心地よい眠りと微睡みの狭間で永遠に時を過ごせたら――。
だけどそれは許されない。生きている限り、目を覚まさなくちゃいけない。
たとえ明日が、悲劇で彩られた絶望の日だとしても。
時計の針は、止まってはくれない。