After the Third Tragedy ③
《第三の悲劇の後で③》
◇◆◇【色川 香狐】◇◆◇
絶望に沈んだ彼方さんの様子を窺う。
傍目からは、その変化の原因はわからない。雪村さんたちが魔法によって融合したと思ったら、突然彼方さんも絶望に侵された。
……膨大なマイナス方面の感情を感じる。あの分だと彼方さんは、最初の事件よりも色濃い絶望を宿しているように思える。
……ここで慰めるのに失敗したら、彼方さんは私と接するのも嫌がってしまうでしょうね。なら、今は放っておくべき局面。
それに、壊れてしまっても彼方さんは彼方さんだ。壊れてしまっても、あの純粋さだけは失われることはないだろう。
だったら、放っておいても私に害はない。
――どうせ、私以外の子が、面倒な役は負ってくれるのだから。
「彼方ちゃん……」
ほら、来た。桃井さんだ。
桃井さんは寒気を感じているかのように、足は震えているし、唇も青い。
彼女は、恐怖している。事件の【真相】を暴き、【犯人】を言葉だけで殺した自分を、恐ろしいと思っている。残酷な真似を承知の上で行ってみせた自分を、嫌悪している。
どこまでも、魔法少女らしい振る舞いだ。
そして――どこまでも、的外れな振る舞いだ。
「彼方ちゃん……ずっと、こんな気持ちだったんだね。……ごめん。ずっと、背負わせて」
「――――」
桃井さんの手が、彼方さんの背をさする。
その体温が欠片も伝わっていないかのように、彼方さんは床に絶望の雫を落とし続けている。
やっぱり。桃井さんの言葉は、何も届いていない。
しかも桃井さんは、それに気づいてすらいない。
献身の味に酔い痴れて、現状認識を怠っている。
棺無月さんの天邪鬼なアシストありきとはいえ、探偵役を務める頭脳があって、どうして気づかないのか。自分の言葉が届いていないという、ただそれだけの事実に。
まあ、それも――彼女ならば仕方ないかもしれない。
ここでは表情を動かさないつもりだったけれど、少しだけ、内心が表に出てしまう。それを誤魔化すために、首でくつろぐクリームを撫でる。
やっぱり桃井さんは、彼方さんには相応しくない。
彼女の愛を手に入れるのは、私だ。
――この後。彼方さんが全ての救いを撥ね退け、ふさぎ込んだ先で手を伸ばそう。
ベッドの上というのは、女の子が一番弱みを見せやすい場所だもの。
彼女の心も、きっと私に傾く。
痛ましい死の事件の後に、新しい愛が生まれる。
素晴らしいシナリオだ。美しい物語だ。
魔法少女が活躍する御伽噺には、そのシナリオが最も美しい。
――この物語は、『愛』の物語だ。
『死』の連鎖の果てに『愛』を掴み取る、美しい魔法少女物語だ。
◇◆◇【桃井 夢来】◇◆◇
ようやく、彼方ちゃんと同じ痛みを思い知る。
人を破滅に追いやるというのは、こんなにも痛い。
新しい死を前にようやく、彼方ちゃんも普通の感覚を取り戻してくれた。
人の死は本来、悲しいものだ、って。
第二の事件で壊れてしまった心を、ようやく修理することができた。
だけど……正常性を取り戻した後に待っているのは、悲劇的なこの光景だ。
それは、辛いだろう。
ショックを受けても、しょうがない。
だから……わたしが寄り添わないと。
寄り添って、温めて……。彼方ちゃんの辛い思いを、少しでも和らげてあげられるように。
「……彼方ちゃん」
わたしは、彼方ちゃんの背をさすり続ける。
抱き着いて、温めてあげたい本能に駆られたけれど――でも、急にそんなことをして驚かせたら……。
急な衝撃を与えたら、また、彼方ちゃんの心は壊れてしまいかねない。
だから、思いとどまる。
「――――」
ふと、魔王を模った石像を見る。
猛々しい狗の像。萌さんを未だに踏みつけにする、魔王の影。
わたしたちはみんな、あれと同じ状況に陥っている。
ここは魔王が使役する魔物の腹の中。魔王は状況を支配し、殺し合いを思い通りに進め、わたしたちを踏みつけて蹂躙する。
ここは、魔王が用意した『死』が支配する場所だ。
これは、魔王が用意した『死』によって描かれる物語だ。
――その物語を、『死』で終わらせないために。
『希望』の物語に変えるために、わたしたちは戦わないといけない。
……彼方ちゃん。
わたしの、大好きな友達。人生で一番の友達。
彼方ちゃんが『希望』を取り戻せるように、わたしも戦わないといけない。
わたしが魔法少女になったのは、――のためなのだから。
「……?」
思考に、ノイズが混じる。
わたしが、魔法少女になったのは……?
なったのは……何のためだっけ?
◇◆◇【空鞠 彼方】◇◆◇
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
夢来ちゃんの気遣いが痛い。どうしようもなく、私の傷を掻き乱す。
傷に塩を塗り込む、なんて生易しいことじゃなかった。
傷を更にナイフで抉られるような、途方もない痛み。
私は、夢来ちゃんをこんな地獄の道に引き込んでしまった。
誰かを守るためと言い訳をして、初さんを殺し。
狼花さんの遺志を引き継いだと嘘をつき、忍くんを殺し。
――そうして、三つ目の罪を犯す言い訳を考え出せず、夢来ちゃんに託し。
――夢来ちゃんに、佳奈ちゃんを殺させた。
あの状態の佳奈ちゃんが、本当に死んだと呼べるのか。そんな哲学的な問いはどうでもいい。
夢来ちゃんは間違いなく、【犯人】を殺すつもりだった。
その覚悟を抱かせただけで、既に私の行いは罪深い。
死。死。死。死。死。死。
ここは死が支配している。逃げ場はない。
この『死』の文字を、私たちはあといくつ書き連ねるのだろう。
次の死は、誰が責任を負うんだろう。
殺したくない。殺したくない。殺したくない。殺したくない。殺したくない。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
傲慢な二律背反が、狂気を生み出した。
この地獄は、まだ続く。
地獄の獲物は、あと五人。次は誰? 藍さん? 接理ちゃん? 凛奈ちゃん? 空澄ちゃん? 香狐さん? 夢来ちゃん? ――私?
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
こんな地獄はもう嫌だ。こんな苦しみはもう嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ。消えてしまいたい。逃げ出してしまいたい。
でも罪からは逃げられない。私は私が殺した事実に耐えられない。
どこへ逃げても、私が人を『死』に追いやった事実は振りほどけない。
覆せない事実は、永遠に私を責め苛む。
「――っ!」
一刻も早く、みんなの前から消えてしまいたかった。
こんな殺人鬼の姿を、見ないで欲しかった。
可愛い可愛い魔法少女。純粋無垢な魔法少女。――その皮を被った、汚い殺人鬼。
私は、浴場から逃げ出した。
一人になりたかった。
一人になりたかったから、個室に走った。
そして、自分の個室に鍵をかけて、その後で思い出す。
――閉じ籠ったら、死ぬ。佳奈ちゃんはそれで殺された。
だから、閉じ籠れない。だけど、閉じ籠りたい。
でも、死にたくない。けれど、殺したことは消えない。
対立する感情が、結果的に、鍵を開けたままにしておくという意味不明の結論を導き出す。
「……っ」
涙が溢れてくる。
私には、そんな資格はないのに。
【犯人】たちの死を嘆く資格なんて、私にはないのに。
それじゃあ、この涙は何のため?
決まっている。――私のための涙だ。
傲慢な私のための涙。自分勝手な私のための涙。
悲劇のヒロイン然とした顔をするための、私のための涙。
「いや……っ。いやぁ……」
もう、嫌。何もかも嫌。
自分が嫌い。世界が怖い。
――私を助けてくれるものなんて、何一つない。
ない。ない。ない。何もない。
ここには、救いなんて何も。何も――。
「……ああ、こっちにいたのね」
不意に、香狐さんの声が響く。
ドアが、開けられる。
ドアのすぐ先で泣きじゃくる私に、光が差し込む。
「ほら、泣かないで……?」
香狐さんは鍵を閉め、そして、私をその温かさで包み込んだ。
熱さで火傷しそうだった。その熱は、冷え切った心には毒だった。
――なのに。私は、それを拒めない。
香狐さんに促されて、ベッドにのぼる。
横にされる。胸に抱かれる。頭を撫で、慰められる。
「香狐さん……」
それは、いつかの再現のようだった。
最初の事件の再現。――まだたった、五日しか経っていない。
そんな事実が信じられないくらい、遠い出来事。
「わ、私……。初さんと、忍くんを……」
「……ええ」
「私、取り返しのつかないことを……」
「……ええ」
私の心情を全て吐露する。香狐さんはそれに相槌を打ちながらも、否定することなく、ずっと私を温め続けてくれた。
最低な私でも、香狐さんの前でだけは、何故だか全てを曝け出すことができた。
罪悪感と、後悔と、絶望と――何もかもを、言葉にできているかも怪しいままに、香狐さんに打ち明ける。
全てを語り終えて、香狐さんは――。
「……辛いでしょう? 一度、寝てしまった方がいいわ」
「……ぇ」
私の行いに対して何も言わずに、ただ、逃避を提案した。
「大丈夫。私が傍にいるわ。だから……今は楽にして。自分を追い詰めすぎないで」
「で、でも――」
こんな私が、そんな真似を――。
そんなの、命を奪われた二人は――。
「あの二人は、あなたに恨み言を言ったかしら? 処刑の前に、あなたに恨みをぶつけた?」
「…………」
……違う。二人は、私に対して何も責めることはなかった。
初さんが最期にしたのは、私が組み立てた推理に対する反論と、悪あがき、ワンダーへの命乞い。
忍くんが最期にしたのは――。いや。彼は何もしなかった。できなかった。最後に魂だけになって、想い人に何かを伝えて、それで終わり。
どちらも、私を責めることなんて――。
「……だったら、過剰に自分を責め過ぎないで。今は楽になって。ね?」
「…………」
私は、香狐さんの胸の中で目を閉じる。
この暗い感情を全て、眠りで覆い隠せるように。
それで過去がなくなるわけではないし、罪悪感が消えるわけでもない。
それでも、ただ――。
自分が楽になるためだけに、私は『正しさ』から逃避した。




