決着
廃城の断崖を下った先にある川岸には、二艘の船が浮かんでいる。船というよりは、イカダと呼んだ方が正しいかもしれない。クレマンが川辺に打ち捨てられていた物を、ミチタカの指示で、ここ数日掛けて修理したのだ。ミチタカとイリス以外の五人が乗っている。いつでも出発できる準備ができていた。
アリシアは絶壁の上を仰ぎ見た。焼け落ちた居館が見える。城が落ちた上に、ミチタカの行方が不明だ。ナヴァール家の屋敷を落ち延びたときの、不安に満ちた想いがよぎった。大切な人がいなくなる恐怖に、苛立ちが募る。思わず船の縁をギュッと握った。
星が輝き始めた。山間の夕暮れは長いが、それも終焉に近い。夜の帳がそこまできている。予定ではこの後、闇に紛れて川を下って逃げる計画だった。だがミチタカとイリスが来ないため、出航を待っていた。人目につかずに領地を抜けるためには、そろそろ船を出さなければならないタイムリミットだ。
すると城からの抜け道に、人影が見えた。
「ミチタカ?」
アリシアは反射的にそう声を上げたが、現れたのは鎧姿のカスティーリャ兵だった。
兵士は別の抜け道からも次々に出てきた。船から降りる間もなく、あっという間に数十人の兵に囲まれた。そして最後にユリウスが現れた。相変わらずの、見下すような笑みだった。
「君たちから見えないよう隠し通路を通って来るのは、一苦労だったよ。特に、全員が物音を立てずに坑道を進軍することが大変だったな。しかしそれをやり通す我が兵を、自慢に思うよ。しかし、ずいぶん長いこと待ってくれたようだけど、それは私のことかい、それともあの軍師のことかい?」
「ミチタカは……?」
「ああ、彼なら死んだよ」
「嘘よっ!」
「……あれは、ほとんど自爆だったな。今は礼拝堂の下に埋まっているよ」
「そんな……」
アリシアは項垂れた。他の四人も目を伏せた。全員の頭の中をずっとよぎっていたことだったが、言葉にされると重い現実となってのしかかってくる。
「しかしおかげで魔石が見つけ辛くなったな。君たちの中にもし知っている者がいるなら、協力してくれないかな? 命の保証はしようじゃないか」
「本当に……」
ユリウスの提案に、ニコラスが身を乗り出した。しかしすぐにアリシアが口をはさんだ。
「あんた、拷問までされてまだあいつの口車に乗るの? どこまでバカなの? 嘘に決まっているでしょ。魔石を見つけた途端に殺されるに決まっているわ。ユリウス、そんなに魔石が欲しいなら自分で瓦礫を掘り返しなさいよ!」
するとユリウスは陰湿な笑みを浮かべた。
「やれやれ仕方ないな。では、男は全員殺せ。ただし、ナヴァール家のご令嬢は生かしておくように。まだ使い道があるかもしれないからね」
それを聞くと、アリシアは残り少ない魔力を集中させた。フィーも重傷の体に鞭打って、矢をつがえた。死ぬのはわかっているが、黙って殺されるつもりはないという訴えが伝わってくる。
「いい覚悟だ。殺れ」
ユリウスの号令で、兵士が慎重に距離を詰めて迫ってくる。
その刹那、青い稲妻が降り注ぎ、轟音が鳴り響いた。稲光の後には兵士の半分近くが倒れていた。特にユリウスから離れている兵士から昏倒している。
ユリウスは困惑とも呆れともとれない顔をした。そして抜け道のひとつを睨んだ。
「君は……本当に不死身なのか……?」
視線を送った先の抜け道から、ミチタカが現れた。しかも全身傷だらけで重体のイリスを抱いている。腕や足がおかしな方向に曲がっていて、折れているのが遠目にもわかった。
「姐さん!」
クレマンが船から飛び降りて、駆け寄った。そして首の座っていない赤ん坊を抱くように、ミチタカからイリスを受け取ると、涙をこぼし始めた。
「ごめん、姐さん……。今までずっと助けてもらったのに、あんなふうに避けるようにして……。魔族だろうと何だろうと、姐さんは命の恩人なのに……。ごめん、ごめんよ……」
クレマンが瀕死のイリスに謝った。すると気を失っているイリスがわずかに呻いた。
「すまない、俺の責任だ。時空を超えるのは魂だけ、日本に行ったのはイリスの魂だけだったんだ。身体は礼拝堂の瓦礫の下に埋もれていて……。俺の落ち度だ。イリスは必ず助ける。だがその前に、後悔させてやらなきゃいけない奴がいる。クレマン、少し離れていろ」
ミチタカはユリウスに向き直った。
「あんたらが坑道の中を慎重に進軍してくれたおかげで、追いついたぜ」
「追いついたはいいが、その後がよくないな。今さっきのように、離れて陰から攻撃してきた方が効果的だったよ。姿を現すとは下策だね。自ら我々の包囲網に飛び込んできただけだ。それともまだ、ここから切り抜ける策があるのかな?」
「…………策は……ない」
「ほう、さすがに諦めたかい」
「……策など、もう必要ない。あとはお前を倒すだけだからな」
「ん? 何だって?」
ふわりと漂う魔力の質が、急に変貌したことをユリウスは感じた。
同時に起こった、ミチタカの体の異変に愕然となった。
「あ、碧い瞳に碧い髪……」
ミチタカの髪が根元から淡い緑色に変色していた。アリシアも思わず船から身を乗り出した。
藍色の夕闇に、ミチタカの魔力が立ち昇っていき、ぶ厚い雷雲を呼んだ。暗雲の中では何度も雷が光る。やがて稲妻がすぐ横の山に落ちた。アリシアたちもカスティーリャの兵士も、一様に息を呑んだ。
「魔鉱石が採掘できる、ここの地下には、周辺の要となる地脈が走っている……」
ミチタカがおもむろに言った。
「俺はその地脈によって生かされている。何度も死んだが、そのたびに地脈の魔力で蘇った。蘇るたびに、地脈との繋がりを強くしていった。そして大地と一体化することで、ようやくたどり着いた……真理とは何か、これが答えらしいぜ。ユリウス、今生の覚者と言われているそうだな。魔力防壁陣を出せ、そしてこの魔術も防いで見せろ!」
ミチタカが合図をすると、眼も眩むほどの稲妻が降り注いだ。青い光のカーテンの中に、ユリウスとその兵士たちが消えた。大地が裂けるのではないかというような轟音が、間断なく響き渡った。
あまりの恐ろしさに、アリシアは目を瞑り、耳を塞いだ。しかし音は肌を通じて伝わり、恐怖は骨まで凍らせるようだった。
やがて雷の咆哮が治まった。アリシアはゆっくりと目を開けた。川原に一人仁王立ちするミチタカの後姿。カスティーリャの兵は、その前に全員倒れていた。ユリウスでさえ、うつぶせに倒れていた。肉の焼けこげる臭いがする。勝ったとか、助かったとかいう実感はない。それよりも恐ろしさで、鳥肌が治まらなかった。
しかし静まり返った川辺で、小石がカラリと転がった。数多の屍の中から、ユリウスが立ち上がったのだ。
「あ、あれでも死なないの?」
最早、奇跡を見ている気持ちだった。
ユリウスは周囲を見回して、顔を歪めた。
「私の兵が……鍛え上げた、私の兵士たちが……ク……ク……」
肩を振るわせるユリウスだったが、それはやがて高笑いに変わっていった。
「ククク……ははははは、素晴らしい!」
「……全滅したのに、気でも触れたか?」
「いいや、私も魔術の真理を目指す者の一人。その一端を見れたのだから、興奮して当然だろう?」
「だったら、実力差はわかったはずだ。今の俺はここの大地そのものだ。どんなに魔力が高くても、人間一人が抗ってどうにかなる相手じゃないぞ。あのまま死んだふりをしていればよかったのに、どうして立ち上がった? 下策だな」
「何を言うか、そうしたら君の魔術を受けられないじゃないかっ。そんなもったいないことができるか!」
いつになく鼻息の荒いユリウスに、ミチタカも困惑した。
「実力差はわかっているのに勝負するっていうのか?」
「当然だ。さっき君は、精霊スカディの攻撃をまともに受け、勝ち目がないのに私との魔術勝負をした。それは自ら魔術を受けることで、私の術式を盗み取っていったのだろう。同じように、今度は私が君から真理を奪おう!」
「……いいだろう、そこまで言うなら誘いに乗ってやる。ただし、その前に絶対に殺す!」
「ふふふ……できるかな? さっき君は、もう少しで掴めそうとか言っていたね。私も、もう少しで何かを掴めそうなんだよ……」
するとユリウスからも高密度な魔力が溢れ出した。さらにブロンドの髪からは、翠色の粒子が飛び交い始める。今度はミチタカが驚嘆した。
「お前も……」
「ああ、私もあと一歩だったのだよ。だが、君のように完全ではない。真理の入り口で足止めを喰らっていた。このあと一歩が途方もなく遠くてね、あらゆることを試みたよ。この遠征もその一つだ。歴史のある貴族の家には特殊な魔術や、魔導書がある。それを集めれば真理に届くかもしれない。だが一門の魔術は、どの貴族も秘伝で教えてくれない」
「だから侵略戦争を装って、奪っていった……。ここの魔石を狙う理由もそれか」
「そう、だがほとんどは徒労に終わった。ナヴァール家の嫡男に、覚者の素質があると聞いた時は心が高鳴ったものだ。ついに私の求めるものが手に入ると……。ところがこれがとんだガセネタだった。試しに精霊の依り代にしてどこまで耐えられるか試してみたが、まったくの期待外れだったな。涙を流しながらお姉さま、お姉さまと喚いて、最後は全身から血を噴き出して死んでいったよ」
話を聞いていたアリシアが歯ぎしりした。その頬に涙が伝う。
しかしユリウスは一向に気にせず話をつづけた。
「もうカスティーリャの周辺国に得るものはない。次は南へ……魔族の領土へ遠征をするしかないと思っていたんだが……まさかこんな偏狭な場所で出会えるとは……。神に感謝しよう! いや、初めて神の存在を感じたよ!」
「……狂ってるな、お前。そんなことのために、無関係の人間を何人も犠牲にして……」
「ふふっ……君こそどうなんだい? 何度も死の苦しみを体験し力を得るなど、気ちがいそのものじゃないか。結局、何かを極めるには狂気に身をゆだねるしかないんだ。君と私は、同じ穴のムジナだよ」
「一緒にするな、ゲス野郎。アリシア、すまない。君にトドメをとっておいてやろうと思ったが、今の話を聞いていたら手加減できそうもなくなった」
「ああ、それでいい。手加減されたら意味がない。全力で来てくれ。ようやくだ。ようやくこの時が来た。天候を操り、大地を震わせる力が、ようやく私のモノになるのだ!」
ユリウスの前に黄金色の魔法陣が浮かんだ。巨大な魔法陣を中心に、その外円部を小さな魔法陣が六対回転している。
「古代魔術 六次式汎対滅魔法陣アル・サフール・スラッド!」
ミチタカは掌を空に向けて、両手を掲げた。するとさっきと同じ、篠突く雨のような落雷が起こった。だが雷が落ちたのは、ミチタカだった。魔術に失敗して自滅したのかと思われたが、全身で放電しながら仁王立ちしている。さらに同じ雷が二度、三度と続けざま、ミチタカの上に降り注いだ。
その後も、いったいどれだけの雷を受けたのか、ミチタカの掲げた掌にはプラズマボールが浮かんでいた。
ユリウスがゴクリと鍔を飲む。
「充電完了。くらえ……―― チャージド・パーティクル・キャノン――!」
ミチタカは両手を振り下ろした。プラズマボールは一筋の光になって、ユリウスの頭上に襲い掛かった。それはまるで、巨大な光の剣が振り下ろされていったようだった。
ユリウスは古代魔術で荷電粒子の奔流を受け止めた。
「こ、これが、大悟した者のチカラ、素晴らしい、素晴らしいぞ!」
ミチタカの魔術に耐え切れず、外円部を回っている魔法陣がひとつ、ふたつと消えていく。
「そ、想像以上のチカラだ!」
やがて中心となっている巨大な魔法陣にもヒビが入った。
「もう少しだ、もう少しでこの術式が……」
雷が漏れ出し、ユリウスの腕を伝って、ブロンドの髪を燃やし始めた。
「こ、これか、これなのか……」
炎は髪だけでなく、衣服にまで移っていった。しかし全身火だるまになっても、ユリウスの眼は宝を漁る盗賊のようにギラギラと輝き、口元の笑みが絶えることはなかった。
やがてその瞳の色がエメラルドグリーンに変わった。
「おお、来た、これだ! そうか、勘違いしていた……。私は……私はなんて……なんて、無駄が多かったんだ……」
その瞬間、魔法陣が崩れ去り、ユリウスは光に包まれ、消えていった。
荷電粒子はユリウスを飲み込むと、そのまま冠雪した北の山へ飛び去っていった。
争いの騒音が止むと、アリシアたちの耳には川のせせらぎが戻ってきた。