力の差
仲間を見送った後、ミチタカの後ろで火柱が大きく膨らみ、風船が破裂するように、霧散した。鋭い風が吹き、ミチタカの頬をカマイタチのように切った。
炎の中から現れたユリウスと彼の軍隊は無傷だった。誰も死んでいない。ユリウスの前の中空には、金色の魔法陣が輝いている。
「その魔法陣で防いだのか」
「一次式汎相克魔法陣だよ。知らないのかい? 勉強不足だね」
アリシアの持っている本には載ってなかった。まだまだ知らない魔術があるようだ。
しかし、炎を防いだのは魔法陣だけではないだろう。炎は周囲の酸素を消費する。あれだけの炎の壁に囲まれたら息ができなくなるはずだ。きっとユリウスは大気を操ってそれを防いだのだ。炎を散らしたのが風の魔術であることからも、間違いないだろう。
「君の魔術は精霊を召喚したわけではないね。炎を風の魔術で増幅させただけだ」
おもむろにユリウスは言った。
「炎は風に隷属する。風で煽って、大仰に見せたが、魔力は軽い。高位の魔術じゃないね。もっと純粋に魔力の濃度を高めないと、この魔力防壁陣は破れないよ。勉強熱心で、器用であることは認めるけど…………戦力評価を下方修正してもよさそうだ」
ユリウスは防壁の魔法陣を消した。代わりに別の魔法陣が彼の足元に現れた。魔法陣からは、白いドレスを纏い、薄い藍色の髪をした、青白い顔の女が現れた。その透き通った青い瞳を見た瞬間、ミチタカは背筋に悪寒が走った。
「我々貴族は紛争で魔術を使ったりしない。しかし、魔術師同士のチカラ比べなら話は別だ。それで不幸にも死んだとしても問題ない。後学のために教えてあげよう、これが精霊召喚だよ。彼女は大気と雪の精霊スカディだ」
「ちょうどいい。もうちょっとなんだ、もうちょっとで……」
ミチタカは両手の人差し指にイェヒーオールの光を灯し、空中に円を描いた。更に素早い手さばきで、ユリウスと同じ防壁の魔法陣を描いていった。
「……君、本当に器用だね。しかし威力が違うよ。その一次式防壁陣で防ぎきれるかな?」
「受けきってやる。もう少しで掴めそうなんだ……」
ユリウスが合図を送ると、スカディは大きく息を吸う真似をした。彼女の唇の前に、圧縮された魔力の塊が現れる。そして軽く息を吹きかけると、氷柱の混じった吹雪がミチタカを襲った。
弾丸のような雹が防壁陣に撃ち付け、いきなりヒビが入った。急いでその後ろに、もうひとつ魔法陣を描いた。それでも保てそうにない。さらに魔法陣を重ねた。
「三重魔力防壁陣だ!」
しかしユリウスは相変わらずのすまし顔だった。楽しんでいるようにも見える。
理由はミチタカにもわかっていた。これでも防ぎきれない。外側の魔法陣のヒビが内側にまで広がり、そしてダムが決壊するかのように魔力防壁は砕かれた。マグマさえ凍結させそうな風雪が襲う。ミチタカを吹き飛ばし、一ノ門さえ粉々に粉砕した。
空気が凍り、ダイヤモンドダストが周囲を白く染め上げる。やがてその白い粒子が溶け、視界が元に戻ると、一ノ門の下には一人の少年が倒れていた。凍り付いていて、生死の確認はするまでもない。そこで精霊スカディは姿を消した。
「城に突入しろ」
ユリウスの合図でカスティーリャ軍が一斉に押し寄せる。ユリウス自身は懐から小さなビンを取り出し、中身の青い液体を飲んだ。
その瞬間、突風が吹いた。風は一ノ門の辺りを中心に渦を巻いていき、やがて竜巻となり、城に突入しようとした兵士を残らず吹き飛ばした。空に舞い上がった兵士たちが、ユリウスの後方や崖下に落ちていく。数知れない断末魔の声が渓谷に響く。
そして門の前には氷漬けになっていたはずの少年が立っていた。
「そいつはどういった霊薬だ?」
ミチタカが薄ら笑いを浮かべて訊いた。ユリウスは今飲み込んだのが、唾液なのか霊薬の最後の一滴なのかわからなくなった。
「ひょっとして魔力の回復薬か? 召喚なんて大魔術を詠唱も儀式もなしでやったんだ。力を見せつけるためとはいえ、けっこう無理をしたんじゃないのか?」
凍死したと思われていたミチタカだが、凍傷している様子もない。無傷だった。
「何故だ……あれでどうして死なない……?」
「悪いが、俺は不死身なんだ」
「ふざけるなっ!」
ユリウスが激高した。初めて見せる不安と嫌悪の表情だった。
「何だ、お前は? 何なんだっ?」
「ふざけてなんかない。そういやさっきは精霊召喚なんていいものを見せてもらったな。お礼にこっちも面白いものを見せてやる」
するとミチタカの足元に青い魔法陣が浮かんだ。ユリウスも見たことのない術式だった。
次の瞬間、魔力の光とともにミチタカの姿が消えた。
呆気に取られていると、一ノ門に連なっている城壁の上に現れた。
「ま、まさか……空間転移? 多次元干渉ができるのか……そんな……ありえない……」
声が震えるユリウスに、ミチタカは手招きした。あきらかな挑発だった。
「ピエール!」
ユリウスは叫ぶと一ノ門を指さした。先陣を切って突入しろということらしい。しかし周囲にはミチタカの竜巻で飛ばされ昏倒した兵が、獺祭のように転がっている。城に入っても、その先にどんな罠が待ち受けているかわからない。
ピエールが躊躇っていると、ユリウスは氷のような瞳で睨んだ。
「兵の尻ばかり見ていないで、たまには先陣を切ったらどうなんだ?」
「……い、いくぞぉ、お前たちぃ!」
ピエールはやけくそで叫んだ。彼の後ろに傭兵が数十人続いた。
城壁の上でミチタカが見たものは、太ももと脇腹を矢に射抜かれて倒れているフィーだった。リズが泣きながらフィーを膝枕させていたが、ミチタカを見ると一層涙を溢れさせた。
「い、痛いよ、ミチタカ……」
フィーがきつく瞑っていた目を薄っすらと開けた。顔には脂汗が滲んでいる。
「調子に乗りすぎだ、お前は。歯、食いしばれ」
ミチタカは太ももに刺さっている矢を、力任せに引き抜いた。フィーが呻き声を上げる。間髪入れず、ミチタカは傷口に魔力の光を当てた。しばらくするとフィーの乱れていた呼吸が、少し治まった。
「……痛みが……軽くなった。治ったの……?」
「いいや、これはウェザリング。風化の魔術だ。でかいかさぶたを作って止血しただけだ。激しく動けばまたすぐに出血するぞ。この後はきれいな布で幹部を覆って、そんで医者に見せ……るのはここを脱出してからだな。脇腹のも抜いておくぞ」
「うう、待ってよ……」
躊躇うフィーを無視して、ミチタカは矢を抜いた。フィーは激痛に顔をゆがめた。
「ぐぅう……何で、魔術で治せないの?」
「一瞬で怪我が治る魔術なんてない。傷が治るのは細胞分裂による自己回復だけだ。細胞分裂は一回に何時間もかかる。幸い致命傷じゃないし、時間をかけて治せ」
すると下の方で喚声が上がった。どうやらピエールに二ノ門を破られたようだ。
フィーとリズが不安そうに顔を見合わせた。しかしミチタカはニヤリと笑う。
「安心しろ、そろそろアリシアに渡した魔術が発動するころだ」