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廃城の七人  作者: 中遠 竜
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戦場、再び

 魔鉱石の矢が飛んでこなくなったことを確認すると、ユリウスは負傷した兵を後方に下がらせた。百戦錬磨の経験か日ごろの訓練の成果か、ユリウスの軍は隊列を組み直すのも素早かった。軍旗が上がり、威風堂々たる軍列が再び現れた。まるで死傷者などいなかったかのように。

 陣列が整う頃には、一ノ門の下で行われていた戦いも終盤だった。最初は勢いがあったアリシアとイリスも、流石に息が上がっていた。イリスの槍は折れている。

 しかしピエール側の被害は、比較にならないほど大きかった。兵の半分が倒れている。ほとんどが窒息と火傷で昏倒していたが、槍で突かれて絶命している者もあった。

 兵たちの一番後ろにいるピエールは、後ずさりした。

「無能もいいところだな、ピエール」

「ひぃっ!」

 ピエールは全身を強張らせた。すぐ後ろには、ユリウスが仁王立ちしている。

「部下の尻ばかり見ていないで、たまには先頭に立って戦ってみたらどうだ? こんな風に」

 ユリウスがピエールの前に出ていった。その後には部下が十人ほど続く。ユリウスはアリシアの目の前まで進んだ。彼女は疲弊していたが、家族の仇を前に唇を締め直した。

 ユリウスが目配せすると、後ろの部下が肩に乗せていた荷物を地面に放り投げた。それは手足を縛られ、猿轡をされた男だった。地面に叩きつけられた痛みでもがいている。

「ニ、ニコラス?」

 唖然としているアリシアとイリスに、ユリウスは言った。

「そちらの軍師との交渉で、いいカードにできるかもと思って生かしておいたが、無駄になったかな。拷問もしたけど、全然口を割らなくて困ったよ」

 ニコラスの顔には確かに殴られたアザがあり、服もボロボロに破れていた。

「もう利用価値はないようだから、お返しするよ」

「当り前よ、こんな裏切り者で取引なんかできるわけないでしょ」

「……私は、いささか不愉快だよ、アリシア嬢」

「仲間を見捨てるのが薄情だっていうの? 生憎、こいつも仲間じゃないわ」

「いいや、真理を探究すべき崇高な秘術である魔術を、紛争という蛮行に恥ずかしげもなく使う低俗な貴族にだよ」

「この場合は実用的でしょ」

「やれやれ、皮肉に開き直るとは、ますます救えないな。目には目を、魔術には魔術を。道を踏み外した魔術師には、魔術で報いを受けるといい」

 ユリウスの瞳が黄金の光を帯びる。魔力の光だった。

 するとアリシアが突然膝を付いて苦しみだした。頭を抱えて悲鳴を上げる。苦悩に歪む相貌から、涙が溢れる。そして零れ落ちた涙を、乾いた大地が吸っていく。

「幻惑の魔眼だよ」

 呆気にとられているイリスとニコラスに、ユリウスが言った。

「一番思い出したくない思い出や辛い記憶、心の闇を再体験させる魔術さ。今頃、戦火の中を逃げ回っているのか、それとも弟の首が晒されているところを思い出しているのかもしれないね。そのうち精神が耐えられなくなって、自分から死にたいと言ってくるだろう」

「…………」

「安心して、魔術師ではない君たちには使わないから。君たちの相手は私の部下がする」

 ユリウスの後ろに控えていた兵が四人、イリスの前に出てきた。いずれも上背でイリスより頭一つ抜き出ている、屈強な体をした男たちだった。

「検問所で君に殺された兵の肉親や友人たちだ。君を殺したくて一昨日からずっと……」

 ユリウスが言い終わる前に、イリスは折れた槍の穂先を投げつけた。兵の一人の咽喉ぼとけに突き刺さり、周囲へ噴水のような鮮血をまき散らした。間髪入れずに間合いを詰めたイリスは、ナイフを抜くと二人目の兵の首を掻き切った。さらにその兵から剣を奪う。横にいた兵が剣を抜いていたが、動揺しているのがまるわかりだった。すかさず三人目は腕を斬り落とした。

 残り一人……。

 しかし相手を見据えたとき、イリスの体が宙に舞い、後方へ吹き飛んだ。

 ユリウスの指先から魔力の光が見える。

「不意打ちとはやるね。卑怯な貴族には、卑怯な友人がいるものだな」

 残った兵士がすぐにイリスを組み敷いた。必死に抗ったが、鎧を着た大の男を押し退けることはできなかった。代わりに頬に熱い痛みが走った。殴られたのだ。それも二発、三発と立て続けに、拳が頬へ打ちつけられる。

 その衝撃で、バンダナがずれた。

 兵士は振り上げた拳を止め、驚嘆した。

「こいつ、奴隷魔族だぜ」

 これにはユリウスも予想外という顔で驚いていた。

「面白いな。よし、殺すな。魔術のいい実験体になりそうだ。でも暴れられては困るから、両手を切り落としておけ」

 兵士は剣を抜いた。

 その後ろでユリウスは、虫も殺さないような涼しい顔で、イリスを見つめる。

「いい戦利品だ」

 十年前、イリスの父親は魔族の国で罪を犯した。どんな罪だったのか、幼いイリスは聞かされていない。ただ、連座でイリスも母親も、ともに角を折られ、奴隷として売られた。

 だが母親が、人間の国に来たところで、奴隷商人の目を盗んで逃がしてくれたのだ。遠い場所で、自由に生きろと言われた。

 しかし人間の国は冷酷だった。他の奴隷魔族の扱われ方を見る度に、イリスは恐怖した。人間は、恐ろしい生き物だ……。

 だから必死に身の上を隠してきた。

 でも、いつかは両親を見つけ出し、一緒に、幸せに暮らしたと願っていた。そのために、傭兵として戦ってきたのに……。

 なのに、結局、末路はこんなものか……。

 イリスは運命を受け入れるように、全身の力を抜いた。このまま心を殺してしまえば、これ以上苦しまなくて済む。この世の苦しみから、目も心も背けた。

 手首に冷たい刃が当たる感触がした。

 心を殺すと気も楽になるのか、腹部にかかる圧迫感が消えた。体が軽く感じる。そしてその感覚が錯覚ではないことに気付くのに、あまり時間はかからなかった。

 背けた視線を戻すと、馬乗りになっていた兵士が宙に浮いていた。そしてユリウスに向かって矢のようなスピードで飛んでいった。間一髪で避けるユリウス。代わりに、その後ろでぶつかった兵同士が悲鳴を上げた。

 しかし兵の悲鳴など意に介さず、ユリウスは魔眼をギラギラと輝かせて、一ノ門を睨んだ。

 イリスも一ノ門に視線を移すと、わずかに門が開いていた。そしてゆっくりと開門していくのが見えた。門扉からギイイときしんだ音が響き渡る。まるで演劇の開幕のベルのようだった。

 門の内側から一人の少年の姿が現れた。イリスは絞り出すように、少年の名前を言った

「ミチタカ……」

 対してユリウスは、旧友に再会したかのように笑みを浮かべた。

「やあ軍師殿、また会えてうれしいよ。てっきり逃げたか、内輪揉めで殺されたと思っていたからね」

 ミチタカは無視してアリシアに歩み寄った。そして恐怖で震えているその肩を優しくたたいた。うなされていたアリシアは、悪夢から覚めたように目を見開いた。

「み……ミチタカ?」

 その姿を確認すると、抱きついて泣き始めた。まるで悪い夢から覚めた子供が、救いを求めるように。

「ミチタカ……ミチタカ……本当にミチタカなの? 生きているの?」

「いや、俺はもうとっくに死んでるよ。でも、魂だけになっても、皆は守る」

 ミチタカは魔力の輝く指でニコラスをさした。ニコラスを縛っていたの縄がひとりでに解けていく。両腕が自由になったニコラスは急いで猿轡を外し、叫んだ。

「おい軍師! どういうことだ! 羊皮紙を渡したのに、これ以外にも知っていることがあるだろうと、拷問されたんだぞ! もちろん何もしゃべっていないが!」

「うるさい、裏切り者! 逃げ出した臆病者にはお似合いの末路よ!」

 アリシアがミチタカに抱き着いたまま、罵倒した。

「誰が裏切り者だ! 俺はなあ……」

「どう見たって裏切り者でしょ!」

 二人のやり取りを見て、懐かしさを感じたミチタカだった。

「ミチタカも、あのサギ王子に何か言ってやったらどうなのよ!」

「すまないアリシア、ニコラスは俺がスパイとして送り込んだんだ。だろ?」

 ミチタカが言うと、ニコラスは大きく何度も頷いた。

「そ、その通りだ! だから拷問にも耐えたんだ。本当に酷い拷問だったんだぞ!」

「それに、みんなのおかげで作戦通りだ」

 ミチタカはユリウスを指さした。

「孫子曰く“先ずその愛するところを奪わば、即ち聴かん”。狙いの大将首が目の前だ」

「へぇ、私は君の作戦によっておびき出されたというのかい?」

「……モチロン」

 するとユリウスはクククと低い声で笑った。

「つまらない強がりはやめるんだね。こんなの成り行き、作戦でも何でもない」

 ユリウスはすまし顔だった。どうやらハッタリは効かないようだ。

 だがそこで、アリシアが声高に言った。

「何言ってんの、ミチタカの言う通り、作戦に決まってるでしょ。ミチタカはあんたよりずっと頭がいいんだから! そうでしょ、ミチタカ!」

 続いてニコラスも言った。

「軍師の策に決まっている。彼はこのニコラス・カイザーを、常に勝利に導いたのだから!」

 そしてイリスも言った。

「ミチタカ 最強 信じてる」

「ええ……?」

 頼られるのは悪い気はしないが、命を預かるとなるとプレッシャーも大きい。大学受験よりも重い、とミチタカは思った。

「人望があるね。でも君の策は、君に私を倒せる力があるという前提がなければ成立しないよ」

 ユリウスの言う通りだった。そしてミチタカにその力はない、今はまだ。しかしこうなったらハッタリとは言えない。このままハッタリを押し通すしかない。

「いいだろうユリウス、試してみるか。見ての通り、俺はあんたの幻術を一瞬で解いた。チャチな催眠術は通じないぜ」

「……言ってくれるね」

 ミチタカはアリシアから離れると、両の掌を空に掲げた。手の中から炎が起こり、螺旋を描いて立ち昇っていく。それはまるで蛇のような姿を象っていった。

「な、何この魔術? 炎が生き物みたいに……悪魔か精霊でも召喚したの?」

 見上げながらアリシアは言った。ニコラスとイリスも言葉を失っている。

 ミチタカは両腕を振り下ろし、ユリウスに向けて炎蛇を放った。炎は軍を囲むように襲い、一気に百人近くを飲み込んで火柱になった。さながら炎の竜巻だった。

 アリシアたちは肩の力を抜いた。勝ったと思った。これで終わったのだと。

 しかしミチタカは頃合いを見て叫んだ。

「よし、みんな早く逃げろ」

「え? 倒したんじゃないの?」

「これぐらいじゃ倒せてない。それにハッタリだ、あんなもん」

「ええ?」

 そこでミチタカは頭を指さして言った。

「けど策はある。アリシア!」

 ミチタカは胸元で魔力の光を練った。それも指先の上で灯る小さなサイズではない。枕くらいの大きさはある。しかも術式まで練り込まれていた。

「これを持っていってくれ。魔力のコントロールができる君にしかできないんだ」

 ミチタカはアリシアに魔力の光を渡した。強力な魔力の塊に、アリシアは唾を飲み込んだ。

「礼拝堂の裏に魔法陣を仕掛けておいた。そこで使ってくれ。その後は坑道の入り口へ行くんだ。クレマンがいる。あいつに準備を頼んでおいたから」

「いいけど……ミチタカは?」

「ここでもう少しユリウスを足止めしておく」

「…………」

「心配するな、後で必ず追いつくから。そのためにも、今渡した魔術を使う必要があるんだ」

 アリシアは頷くと、城に向かって駆け出した。

「死ぬなよ、軍師」

 ニコラスがそれに続く。イリスは一ノ門のところで一度立ち止まり、ミチタカを見た。ミチタカが速く行け、と手を振る。すると、後ろ髪を引かれるような顔をしながらも、彼女は再び走り出した。


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