決断
翌日の昼になっても、相変わらず通夜のような静けさだった。照り付ける陽光が、城壁や居館の壁をジリジリと乾燥させる。風もあまり吹かない日だった。
アリシアとリズとクレマンは食堂にいた。三人とも一睡もしていなかった。そして会話もなかった。ただ疲労の色を浮かべて、座り込んでいた。唯一幸いだったのは、恐怖で発狂する人間がいなかったことだろう。あるいは、すでに死を受け入れていたのかもしれない。
不意にグーと腹の鳴る音がした。クレマンが申し訳なさそうにはにかんだ。昨夜から何も食べていないのも、三人同じだった。
「……何か作ります」
とリズが立ち上がった。しかし手にした鍋を、暖炉にかける前に落とした。石畳に金属鍋が落ちた音は、乾いた空気の中で反響し、城中に響き渡った。ため息を漏らし、鍋を拾おうと屈んだリズだったが、そこで涙があふれだした。
「……こんなとき……こんなとき、どうしたらいいんで……すか……?」
誰も答えられなかった。再び静まり返った城内に、リズの鳴き声だけが耳朶を打つ。
「……いい匂いがしない? ねえ?」
不意にクレマンが顔を上げた。するとアリシアが舌打ちして言った。
「はあ? あんたお腹がすいて頭がおかしくなったの? 卑しいわね……って、ホントだ。肉の焼ける匂いだわ」
香ばしい匂いに誘われて外へ出ると、庭でフィーが焚火をしていた。その周りには串刺しになった肉が何本も地面に突き立てられていて、こんがりと焼かれている。
「トリを捕ってきたよ。食べる?」
三人は無言でうなずいた。
フィーが焼き鳥の一本を手にすると立ちあがった。
「イリスにも持っていくよ」
そう言ってアリシアの顔をうかがった。彼女は何も言わなかった。
フィーがイリスのところへ行って、戻ってくると、四人で焼き鳥を頬張った。四人とも黙々と食べた。そして食べ終わってからも、沈黙が続いた。食欲が満たされた余韻もあるのか、焚火を前にして、誰も立ち上がろうともしない。
口を開いたのはやっぱりフィーだった。
「これからどうすればいいの、アリシア?」
「え、私?」
「明日ユリウスが来るけど、どうするの?」
「い、今はそれどころじゃないでしょ。ミチタカのケガを……」
「でも、敵はこっちの事情なんか待ってくれないし……。戦うの? 逃げるの? それとも降参する? 一応、前にミチタカが言っていた逃げる準備はできているけど、俺たちだけで上手くいくのかな? ミチタカだったらこういう時どうするんだろ? アリシア、教えてよ」
「ど、どうして私なのよ?」
「だって、頭がいいから」
「またそれ? そ、そんなの……」
アリシアは何か反論しようとしたが、リズもクレマンも凝視していて、言葉に詰まった。
「わ、私はミチタカじゃない!」
ようやくそれだけ言うと、アリシアは立ち上がって居館に入っていった。
「もう、ダメかも」
クレマンが呟いた。
アリシアはミチタカが寝ている部屋の前までくると、足を止めた。昨日と同じように、イリスが膝を抱えて部屋の前で座っていた。昨夜からずっとここに居たのかもしれない。彼女の足元には、冷めきった焼き鳥が刺さっている。
「あんたを許したわけじゃない。もしミチタカが死んだら、殺してやるんだから」
そう言って、アリシアは部屋に入った。
板の上に横たわるミチタカは、きれいな顔をしていた。規則正しい寝息から、重傷を負っているとは思えなかった。アリシアは傅くように、膝を付いて座った。
「ミチタカ…………私、どうしたらいいの? 私だってどうにかしたいけど、どうしたらいいのか、わからないのよ……」
さっきのフィーの問いかけに、“そんなの知らない”と放り出すのは簡単だった。でも彼女にも矜持があり、自責の念もあった。もちろんユリウスを倒したいが、そんな方法考えもつかなかった。戦いというには程遠く、このまま一方的に蹂躙される可能性が高い。
「私には……私には、戦いを指揮するなんて無理よ。何で私なのよ。そんなことできるわけないじゃない。何で、私が……。こうなったのが、私のせいだからだっていうの? ミチタカがこうなったのも、ニコラスが出ていったのも……私のせいだっていうの? 私は、悪くない……悪くない、悪くないでしょ……」
“悪くない”と繰り返し言いながら、アリシアは涙が溢れた。肩を震わせて泣いた。
そして、ひとしきり泣くと顔を上げた。
「……ううん、私にも責任はある。でもそんなこと言えない。二番目の姉さまにね、アリシアは素直じゃなくて、意地っ張りの跳ねっかえりで、ぜんっぜん可愛くないって言われたことがあるの。そうよ、私、意地っ張りだもん、そんなこと言えない、あなたくらいしか……」
アリシアはミチタカの手を握った。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい…………」
そして、静かに呼吸をしているミチタカの唇を、自分の唇で塞いだ。
「……何よ。おとぎ話じゃ、寝ているお姫様は、王子様のキスで目を覚ますのに、起きないじゃないの。おとぎ話なんてこんなもの……? それとも、王子様とお姫様が逆じゃ、無理なの?」
アリシアは手の甲で頬の涙をぬぐった。
「私、意地っ張りだから、最後まで意地を張り通してくるわ。上手くいったら、今度はあなたからしてね」
部屋から出たアリシアは、膝を抱えているイリスを一瞥し、静かな足取りで歩いていった。
庭ではまだ、フィーたちが焚火を囲んでいた。
「みんな聞いて」
アリシアが言う前から、三人は彼女に視線を集めていた。
「ユリウスが来たら、降伏するわ」
「い、いいの? あんなに弟の仇だって言ってたのに」
クレマンが驚いた。
「ただし、ミチタカに治療を受けさせるって条件付きで」
「そう……」
全員納得した。反論もなかった。