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廃城の七人  作者: 中遠 竜
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ミチタカ2

 終業式の日、俺はいつものように民俗芸能研究部の後輩と駅まで歩いていた。途中、本屋に寄って、参考書コーナーの前で俺は意を決して言った。

「社会学部の大学も受けてみようと思う」

 彼女は目を丸くした。

「日本の城砦史を専門にしている教授がいるんだ。その人の本もよく読んでて……」

「ま、マジっすか! ええ? 医学部諦めるんスか?」

「そっちも受ける。けど、このまま言われるがまま進路を決まるのも、どうなんだろうと思って……追加で受けてみることにした。親には内緒で。偏差値は……本命の医学部より少し落ちるかな。両方受かったらどっちに行くか……、まだ考えてないけど」

「それって……遅れてきた反抗期、みたいな?」

「やめろ、そういう例え」

 くふふふと後輩は笑った。

「いーんじゃないんスか。一度しかない人生と書いて一生と読む、やりたいことがあるなら、やりたいことをするべきっス。『有漏地うろじより無漏地むろじへ帰る一休み 雨ふらばふれ風ふかばふけ』っていうし」

「……一休宗純か」

「あ、やっぱ知ってました?」

「有名だからな。……なるようにしかならない……か、そうだよなぁ。わかってはいるけど……『なかなかに世をも人をも恨むまじ 時にあはぬを身のとがにして』」

 横目で見ると、後輩はんー、と考え込んでいた。

「……今川氏真の辞世、だったっスか?」

「君も大概だな。そんなこと知ってる女子高生は、きっと世界中で一人だけだろ」

 本屋を出ると、駅前の商店街にはクリスマスソングが流れていた。

「年末は何してる?」

 尋ねると彼女は、家の手伝いかなぁ、と答えた。

「先輩こそ、クリスマスは何してるんですかぁ?」

「ベンキョーに決まってるだろ」

「そっかぁ、それはそうっスよねー」

 別れの時間が来た。これでしばらく彼女とは一緒に帰れないのだ。

「よかったら、クリスマス一緒に……」

 言いだそうとして、俺は飲み込んだ。受験前だ。そんなことをしている場合じゃないと思った。結局、何の約束もせずに別れた。


 ところが妙なことに、俺はクリスマスに別の女の人と一緒にいた。親が紹介した例の女子大生だ。俺は十二月二十四日の午後、自分が通っている高校にいた。彼女がアルファロメオで送ってくれたのだ。

「どうしてこんなところを?」

 俺は彼女に訊いた。彼女が来たいと言ったのだ。もしかして、こっちが映画館も遊園地も連れていけるほどの経済力がないことをわかっていて、気を使ってくれたんだろうか?

「ミチタカくんが通っている高校、どんなところかなと思って」

「別に珍しくもないんじゃないですか? 高校なんて、この間まで通っていたわけだし」

「ううん、卒業した後だと、また違った印象で新鮮だよ」

 その後、学校の周りや駅前をひと通り歩いた。俺は通学路の街並みを説明して話をつないだ。彼女は高校生のつまらない地理の話にも、嫌な顔ひとつ見せなかった。俺は楽しむよりも、知り合いに見られるんじゃないかとヒヤヒヤしていた。そして、少し心苦しかった。彼女のような美人の女子大生が、クリスマスに高校生のお守りをして、不満はないのだろうか、と……。もし本心で楽しんでいるのなら、彼女はひょっとして年下好きなのだろうか?

「クリスマスだし、おばさまにケーキでも買っていこうか?」

 夕暮れが近づくと、彼女はそう言った。

「そんな気を使う必要はないですよ」

「いいからいいから、家に行く途中にいいお店がないか調べるね」

 彼女は言い終わる前からスマホを操作していた。

 五分後には彼女の運転する車で、俺の家に向かっていた。運転をする彼女の横顔をチラリとうかがった。いつものように彼女からは湿度のある色気が漂う。同時に思い出すのは部活の後輩だった。彼女の小春日和のような笑顔がよぎる。

「ここ、評判いいみたい。まだ残っているかな?」

 スマホで検索したケーキ屋に着いた。車を降りて二人で店内に入ると、彼女はさっそくガラスケースの中にあるケーキを物色し始めた。

 しかし俺は入店直後に硬直した。レジのところにいる店員に釘付けになったからだ。向こうも俺を凝視している。

「先輩?」

 部活の後輩だった。

「「どうしてこんなところに?」」

「……私の家っス」

「じゃ、家の手伝いって……」

「クリスマスはかき入れ時っスから。……先輩、ベンキョーは?」

 横目で俺の連れを見る後輩。

「タカ君の知り合い?」

 ガラスケーキを見ていた女子大生が訊いた。

「同じ高校の後輩です」

「そうなんだ。こんにちは。可愛い子ね」

 そのセリフがもう上からって感じだった。でも彼女は無意識だったろうし、嫌味にも感じなかった。そして後輩は、彼女が俺の下の名前を呼んだことに硬直していた。

「これとこれ、貰えます?」

「あ、はい……」

「あー、こっちのモンブランもいいかなー。ミチタカ君のお母さまは、何が好きなの?」

 後輩が動揺しているのは見ていてわかったが、仕事はきっちりやってくれた。ただ気まずくて、その後は言葉も交わさず、店を出た。

 断っておくが女子大生の彼女は俺を送った後、母にケーキを渡して帰っていった。キスどころか、手を握ることもなかった。



 後輩に、彼女のことをどう説明したらいいのか。クリスマスの夜はそればかり考えていた。親が薦めてきた女性とデートしていたことに変わりはなく、そのまま伝えたらどうなる? 今まで通りの関係ではいかなくなるだろう、と思う。付き合っていないといっても、それは言い訳にしかならない。

 そして後輩から連絡は無い。これがちょっと気にかかる。

 ただ、思いついたことがある。第二志望にしている社会学部の大学に行けば、俺は医者になることはない。そしたら俺の父も、彼女の父親もこの話を破談にするはずなんじゃないだろうか。相当揉めるだろうけど。

 俺は後輩にSNSで伝えた。受験が終わったら、全て説明すると。ずいぶん経ってから、”り”の返信があった。

 年が明け、二週間ほどの三学期をほぼ自習で過ごし、共通試験になった。その間、後輩に会うべきか迷ったが、状況が許さなかった。受験前は特別日課になり、二年生以下とは時間割が違った。また俺自身余裕がなかったし、そういう空気でもなかった。

 早く入試を終わらせて、彼女に事情を話すのだと受験勉強に集中した。俺の第一志望はいつしか社会学部になっていた。でも医学部をわざと落ちようとも思っていなかった。そこはプライドの問題だ。

 共通試験から一か月以上におよぶ長い大学入試期間が終わった。

 卒業式の日、俺は帰りに部室へ寄った。そこに彼女はいた。会うのはクリスマス以来だった。

「ひさしぶり」

 言うと、彼女は“ども”と会釈して笑った。

「このあと、一緒に帰らないか?」

 ちょっと話したいことがあるんだ、と続けて言おうとしたところを「ごめんなさい」と遮られた。

「私、彼氏ができて……今日、一緒に帰る約束してるんスよ……」

「…………」

 その後、後輩とどう別れて家に帰ったのか、よく覚えていなかった。

 卒業式から一週間後、受験した大学すべての合否発表が出そろった。医学部は合格していた。だが不思議なことに、医学部より偏差値が低いはずの社会学部が落ちていた。大学受験ではよくあることらしい。

 ただ、俺の人生はこれで決まってしまった。医者になる以外に、将来はないのだ。俺は変えようのない運命に戦慄した。先の見えない未来と同じくらい、わかりすぎる未来もまた恐ろしいものだ。まるで自分の可能性を奪われたようで。同時に、他にもまだ何者かになれる可能性があるのではないか、という渇きに似た衝動が急に頭をもたげてきた。

 もっと早く、自分の意志で進路を選んでいれば、別の何者かになれたはずだ。そしてそれは、この憂いに苦しむ心を潤すほどの何かを、与えてくれたのかもしれないと。

 人は何かを持っている。何の個性も才能も与えられてない人間なんていないんじゃないだろうか。でも、自分に与えられているものが、自分の望むものであるかどうかはわからない。むしろ今あるすべてを捨ててでも、手にしたいものがある人だっているんじゃないだろうか。

 医者の息子で、医学部に現役合格なんて、他人から見たらごちそうみたいな人生だ。でもそれをすべて犠牲にしてでも、俺には手に入れたいものがあった。そんな気がしてきた。

 でも俺はそれを手に入れるチャンスを、永遠に失ったみたいだ。

 バーンアウトってやつだ。急に自分の存在に意味が見いだせなくなった。医学部に入ることを目標にしていて、どんな医者になるかなんて全く考えてこなかった。人の命を救うなんて使命感もありはしない。そんな医者に、存在意義なんてあるのか?

 ただただ、生きているのが苦しくなった。苦しい……苦しい……

 思慮のための思慮を繰り返しながら歩道を歩いていると、川の流れにやたらと惹きつけられた。俺は囚人のようにのそのそと歩いて、鉄橋の中央まで来た。

 よく、井戸の底を見ていると吸い込まれそうになる、と聞く。それがなんとなくわかる。俺は川底から誰かに呼ばれているような気がした。水底に吸い込まれていく感じだった。

 医者という輝かしい未来に、親同士が勧めた美人の相手。きっと誰も、俺が欄干から落ちた理由を理解できないだろうな……。


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