イリス
以降はクレマンに聞いた話だ。
俺たちがいる場所は、主に人が住んでいて、いくつもの小国が隣接しあっている。そこから海を越え、南へ行った遠くの大陸に、魔族の国があるらしい。
魔族は人間より屈強だという。腕や足を失っても、再生してしまうくらい生命力が強く、寿命も長い。何百年も生き続ける者もザラにいる。
しかし唯一の弱点が角らしい。とはいえ魔族の角は簡単には折れない。折るには相当な膂力が必要だという。
でも折れると、力のほとんどを失ってしまう。力も寿命も人間並みになってしまうらしい。
手足や命を失うことも厭わない屈強な魔族の戦士も、角を失うのは恐れるという。
角を折られるのは恥であり、力を失った魔族は迫害される。差別される。
故に魔族の間では、刑罰になっているそうだ。そして角を折られた魔族は、地位も名前も剥奪され、人身売買の対象にもなるという。これが奴隷魔族だ。
人間の国に売られてきた奴隷魔族の行く末は悲惨らしい。人間はもともと魔族を忌諱する風習がある。ただ普段は、人間より強いからあからさまに態度には出さない。そこに力を失った魔族が売られてきたのだから、どんな酷い扱いを受けるかは、火を見るよりも明らかだ。
男は危険で汚い重労働をするか、見世物の殺し合いをさせられる。女は娼館に売られるか、金持ちに飼われているという。
抗おうにも、力を失った魔族は、武装した人間や魔術師に敵うはずもない。
人間からも、そして同族の魔族からも畜生扱いされるのが奴隷魔族だ。
イリスは、クレマンが出会った時から、傭兵だったという。幼いころにどっかの娼館か人買いから逃げ出してきたのだろうか。言葉がたどたどしいのも、魔族とは言葉が違うからかもしれない。イントネーションなどから、魔族とバレないために、あんなしゃべり方なのかも。
ともかくイリスについて不可解だったことが色々とわかった。最初に会ったのは、彼女が水浴びをしていた時だ。バンダナをしていなかったな。そこで角を見られたと思ったのだろう。
纏わりついていたのは、俺を殺そうと様子を見ていたのかもしれない。魔石を奪って“誰にも言うな”と告げたのも、何のことか理解できた。俺が角のことを指摘したときは、脅迫に思っただろう。
しかし、自分の体を差し出して、秘密を守ってくれとは……。その考え方が、彼女がこれまで生きてきた境遇を想像するに、難くなかった。
しかしユリウスとの決戦が二日後に迫っているのに、仲間割れはまずい。
とりあえず向かったのは、イリスのところだった。礼拝堂にいるのはわかっている。中に入ると、抜けた天井の残骸がまだ無残に残っていた。感知魔術で、イリスが祭壇の奥にある隠し扉にいるのはわかっていた。瓦礫を避けながら進むと、イリスが移動したのが伝わった。こっちが足早になると、向こうも移動が速くなった。俺から逃げているのか。地下の精錬所を抜け、また地上に出て、墓地を横切り、そして……門に向かっているようだ。城を出るつもりか? 足はイリスの方が速い。追いつけない。
結局、間に合わず、イリスは城を出ていった。
一ノ門からイリスの小さな背中が見える。途方に暮れているところに、フィーがやってきた。
「イリス、出ていくのが見えたけど」
「相変わらず目がいいな」
ここからは見えないが、外にはユリウスの兵がいるはずだ。何の策もなしじゃ犬死になる。
「フィー、イリスを追って連れ戻してくれ。俺は城を離れられない」
「……わかった」
フィーにイリスを追わせた後、俺は居館に戻った。
イリスが帰ってきたとき、一番問題になるのはきっとアリシアだろう。話し合おうと思って来たが、彼女はリズの部屋で横になっていた。毒を吐いてもまだ体が重いようだ。よく寝ていた。ドレスを着替えて横になっている様は、毒リンゴを食べた白雪姫を連想させた。こいつも寝ているか、喋らなければ、かなり美人なのに……。
仕方がないので、アリシアの前にリズと話をすることにした。「ちょっといいか?」とリズを食堂に呼び出した。
「イリスのことなんだけど……」
その一言でリズは顔を強張らせた。
「城から出ていったぞ……」
「えっ……。そ、そうですか。でも、それは仕方ないかもしれません……」
仕方のないことなのか? そこまでのことなのか?
「リズ、イリスだって好きで魔族に産まれてきたわけじゃないだろ。そこまで差別するほどのことか? これまで一緒に戦ってきて、色々助けられたはずだ。さっきの毒だって……」
「そ、そうですけど。でも、でも、奴隷魔族を擁護したら、今度は私が何を言われるかわからないんですよ。特に女は、何を言われるか……」
リズは迷惑そうに顔をうつむけた。
アリシアはともかく、リズまでこんな態度を取るとは思っていなかった。
イリスが素性を隠したがった気持ちがわかった。それは命を懸けて守るべき秘密だったんだ。
そして秘密が明かされたとき、彼女は去ることを選んだ。秘密が知られたとき、そこに自分の居場所がないことを、わかっていたんだ。