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廃城の七人  作者: 中遠 竜
17/33

 朝になり、ニコラスがいないことに最初に気付いたのはリズだった。時間になっても朝食に来なかったからだ。ニコラスを起こそうと部屋へ様子を見に行くと、もぬけの殻だったというわけだ。リズが、食堂に集まっていたイリス、クレマン、フィーに声をかけ、四人は手分けして城内を捜した。当然見つかるはずがない。

 俺は昨日の深夜のことは話さなかった。代わりに「ニコラスは逃げたんだろう。そういう決め事だったはずだ」と言った。

 四人は俺の言葉に顔を見合わせ、黙り込んだ。納得していないようだった。

 重苦しい朝食の時間になった。一番よくしゃべっていたニコラスがいなくなったせいか、皿とスプーンが触れる音しか聞こえなくなった。

「自分の身の振り方は自分でって、こういう意味だったの?」

 米粒くらいの具しか入っていない薄味のスープを口に運びながら、クレマンが言った。

「思ってもなかったな……。実を言うと、城を脱出しても、その後もまだ七人でいられるんじゃないかって思ってたし……」

 みんな、スプーンを止めた。

「ニコラス、どうして出ていっちゃったんだろ。やっぱり死ぬのを覚悟して戦えなんて、無茶なこと言うから……」

「私のせいだって、いうわけ?」

 皆、ギョッとして、声のした方に振り向いた。入り口にアリシアがいた。髪がボサボサだ。まだリズに朝の身支度をしてもらっていないようだ。

「ああ、違っ……その……アリシア、いつもご飯の時はいないから、それで、うっかり……」

 クレマンの言い訳になっていない言い訳に、アリシアは冷笑を浮かべて言った。

「そう、私に聞かれたらまずい話なわけね。じゃあ、ここに居ない方がいいわね」

「ち、違うよ~、アリシア……」

「みんな、尻尾巻いて逃げることしか考えてないんでしょ。いいわ、私一人でも戦うから。誰にも迷惑かけないわよっ!」

 言い捨てると、大股で外に出ていった。

「意地になってるな……」

 薄味のスープの味が、さらにわからなくなった。


 朝食が終わると、俺はアリシアの様子を見に行くことにした。アリシアは一ノ門と二ノ門の間で、地面に魔鉱石で魔法陣を描いていた。本気で戦う準備をしているようだ。しかも俺のマネをして、この虎口で敵兵を罠にはめる気らしい。

 アリシアの描いている魔法陣は、自分の魔術の威力を増すことができるものだ。でも遠隔では発動しないし、地脈のエネルギーも上手く組み上げられない。基本に忠実だが、この世界で魔術の基本とは、祭祀や儀礼用のものになる。戦いには向いていない。少なくとも大群の兵を倒すことは無理だ。

「それよりも、こうした方が……」

 俺が魔法陣に手を加えようとすると、アリシアは俺を睨んだ。

「偉そうに言わないで! あんたに魔術を教えたのは私なんだから!」

 そう言うと、アリシアは再び地面に視線を落として、魔法陣を描きだした。

「復讐をするなら、別に今じゃなくてもいいだろう。今は逃げて、力を蓄えてからでも遅くはないはずだ。少なくとも、あの軍隊以上の兵力を手にしてからでも……」

 俺が言うと、アリシアは手を止めた。

「今は逃げて、そのあとどうするのよ?」

「だから、親戚を当てにしたらいいだろ。リズとクレマンを従者ってことにして。ああ、そうだ、伯爵家と縁談の話があるとか言ってただろ、そこに……」

「バカね、カスティーリャと戦った家の娘なのよ。迷惑がって誰も受け入れてくれないわよ」

 アリシアは再び手を動かし始めた。

「けど、今のままじゃ絶対に勝てないぞ」

「……いいわ。理由なんてなんでもいい。もう、死にたいの……」

「……君の家族は、そんなこと願っているのか? たった一人生き残った貴族の令嬢なら、もう一度一族を繁栄させるために、家名や子孫を残そうとか考えるもんじゃないのか? その方が、亡くなった家族も喜ぶし、復讐の一歩にもなるんじゃないか。……と思うぞ」

「安っぽいセリフで説得しないで。それに、私だってわかっているんだから。私はあんたが思っているほど世間知らずでも、おめでたい頭もしていないのよ! 舐めないで!」

「そんな風に、アリシアのこと見てないよ……」

「私はね、リズとここまで逃げてきたときに思い知ったのよ。商売もできない、料理もできない、何もできない、私は一人で生きていけないってことを。ここから逃げて、そのあとどうやって生きていけばいいのよ? どこかで野垂れ死にするのも、娼婦になるのも、まっぴらよ。だったら最後まで、ナヴァール家の娘として誇り高く死にたいの!」

「……」

 ようやくわかった。確かに俺はアリシアのことを誤解していた。彼女が死に急いでいたのは、つまらない意地や、かたき討ちのためじゃない。自分の未来に絶望していたからだ。

 でもだからって、このまま見殺しには出来ない。

「何もできないわけじゃないだろ。君には魔術があるじゃないか。それで食い扶持くらい稼げるはずだ」

 しかしアリシアは首を振った。

「わかってない、何もわかってない。魔術を教えるのは、一族にとってそんな軽々しいものじゃないの。例え夫婦でも実家の魔術は簡単に教えたりしないんだから」

「でも……、俺には教えてくれたじゃないか。しかも結構詳しく」

「そ、それは……」

「アリシアの説明、すごくわかりやすかったぞ。教師に向いているんじゃないか? 別に魔術じゃなくて、読み書きを教えるだけでも需要はあるはずだ」

「そ、そうかな……」

「俺はアリシアのそういうところ、尊敬しているんだ」

「にゃ、にゃにを急に……」

 アリシアが照れだした。心なしか、口元も緩んでいるような……。これは、ひょっとすると、もうひと押しすればいけるかもしれない。

「俺は、お前に死んでほしくないんだ」

「!!」

 アリシアは顔を赤くした。そして指をもじもじさせながら言った。

「じゃ、じゃあ……ミチタカが一緒に居れば、逃げても、いいかも……」

「うー……ん、すまん、それだけはできない」

「え……」

 途端にアリシアはムスっとして、拗ねた顔になり「やっぱ戦死する」と言った。

 どういうことだ? 今さっきまで、俺の話を聞き入れてくれそうだったのに。どうしたらいいんだ? 彼女を説得するのは本当に難題だ。難攻不落のアリシア城だ。

 そこで、一ノ門の外側に人影が見えた。バスケットを持った、見慣れた農婦だった。

「お、おはよう、軍師さん」

 彼女はゆっくりと歩いてきて、俺にパンの入ったバスケットを無言で差し出した。

「デボラさん、おはようございます。いつもありがとうございます。しかしよくここまで来れましたね、変な兵隊に呼び止められませんでしたか?」

 俺がバスケットを受け取ると、デボラさんは「ええ」と短くうなずいた。

「今日は一人ですか?」

「ええ……」

 変だな。デボラさんが来るときは、いつも若い女の人が何人かいる。ニコラス見たさに。そしておしゃべり好きのデボラさんが、やけに歯切れ悪いのも気になる。

「いつもありがとうございます」

「あ……」

「どうしました?」

 デボラさんは何か言いたそうだったが、黙り込んでしまった。

「美味しそうじゃない」

 後ろからアリシアが言い、俺の手からバスケットを取り上げた。

「おい。勝手に食うなよ」

「いいじゃない、私、朝ごはん食べてないんだから」

「自業自得だろ。それにまだ残り物があるはずだ。そっちを先に食べてきたらどうだ」

 アリシアはぶすっとして口を尖らせた。

「食料はみんなで分け合うんだろ。前に、ニコラスがつまみ食いしたときは、ひどい剣幕で怒ったじゃないか。お前もニコラスと同類になるのか?」

 この忠告は効果があった。ニコラスと比較されるのがそんなに嫌なのか、アリシアはおずおずと俺にバスケットを差し出した。

「あんたこそ、独り占めする気じゃないでしょうね?」

「ちゃんとリズのところに届けてくるよ。で、朝食はいいのか?」

「……この魔法陣を描き上げたら……そうするわ」

 俺は少し笑った。そしてデボラさんに向き直って言った。

「デボラさん、ありがとう」

 そのときの彼女の顔は、苦悶を必死に堪えているようだった。すべてわかっていた。もう二度と、彼女には会えないのだ。なのに、最後の顔があれか……。俺はバスケットを持つ手を握りしめた。


 見張りの塔の上で、フィーはパンを一口かじった。そしてすぐに吐き出した。

「うん、ハシリドコロの毒だよ、これ」

「やっぱりか……」

 フィーが前に、狩猟で毒矢を使うと言っていたことがあった。もしやと思い、デボラさんのパンを持ってきたが、予想通りだった。

「どうしてデボラさんが?」

 フィーの疑問はもっともだ。

「……ユリウスに脅されたんだろう」

 もしかすると家族を人質にされているのかもしれない。

 ともかく、デボラさんにこんなことをさせたのが、許せなくなった。

 そしてはっきりした。ユリウスは俺たちを殺すつもりだ。ニコラスを行かせたのは間違いだったようだ。

 沈鬱な思いでいると、階下から甲高い悲鳴が聞こえた。山々に吸い込まれて消えてしまいそうなその悲鳴は、リズの声だった。俺とフィーは弾かれたように立ち上がって、走り出した。

 食堂の前で四つん這いに倒れているアリシアと、泣きながら彼女の背を擦るリズを見つけた。アリシアは苦悶に顔をゆがめ、口から唾液を吐き続けている。傍にはパンが落ちていた。

 俺からバスケットを奪ったとき、一個くすねていたのか。くそっ、もっと注意しておくべきだった。

 リズの悲鳴を聞きつけて、イリスとクレマンもやってきた。アリシアを見た瞬間、二人とも顔色を変えた。

「どうしたのですか、お嬢様! お嬢様ぁ!」

 泣きながらリズは声を上げた。

「毒だ。細かいことは後で話す」

 話せないアリシアに代わって言った。アリシアの意識はまだあるけど、このままだとまずい。

「フィー、どうすればいい? 解毒剤は持っていないのか?」

 フィーは首を振った。

「胃袋から毒を吐き出すしかないよ。食べた毒は少ないはずだから……」

「吐き出すって……喉の奥に指でも突っ込むか?」

 躊躇っていると、アリシアは四つん這いで体を支えているのも辛くなったのか、とうとう仰向けに寝転がった。息が荒い。自分の胸を掻きむしり始めた。ドレスが破けていく。控えめな胸の谷間が露になった。

 するとイリスがアリシアの上半身を抱え上げた。更に背後から抱き着き、アリシアのミゾオチの辺りで両手を握った。そのまま鯖折りをするように締め上げる。途端にアリシアは餌付いて嘔吐した。それでも苦しんでいる。イリスはもう一度鯖折りをした。しかし今度は何も吐き出さなかった。イリスが三度目の鯖折りをやろうとしたので、俺は止めた。

「毒は吐き出したみたいだ、もういいだろ。それ以上やったら肋骨か背骨が折れる」

 アリシアのドレスは吐物で汚れて、見る影もなかった。だが苦しみはまだ治まらないようだ。胸を掻きむしり、体を支えているイリスの肩や頭にも爪を立て、悶え続けた。煩悶する姿から、毒の苦しみがどれほどのものかが伝わってくる。

 しかし少しすると、アリシアの呼吸が少しずつ治まってきた。イリスにしがみついていた手も緩んできたようだ。それを見てフィーが言った。

「もう、大丈夫だと思う。でもしばらくは休んでいた方がいいよ」

「でも、どうして毒なんて……」

 リズの疑問に、俺は事情を説明した。みんなは顔を青くした。自分たちの身の上が、いよいよ危機的な状況にあると理解したようだ。

「ああ……あ……たし、生きてる……?」

 掠れた声でアリシアが言った。

「お嬢様、大丈夫ですか? 私、わかりますか?」

 リズが抱き着かんばかりに、アリシアの顔を覗き込んだ。

「リズ……?」

 その言葉にリズは目に涙を浮かべ、コクコクと何度もうなずいた。

「意識は戻ったか?」

 俺が尋ねると「ええ……」と、アリシアは力なく項垂れた。

「どうした? まだ辛いのか?」

「…………あのままでも……よかったのに……なかなか死なないもの……ね……」

 それを聞いて、さすがに頭にきた。みんながこんなに心配し、手を尽くして助けたというのに、自分勝手もいい加減にしてほしい。

「お前、まだそんなことを言うのか? イリスとフィーに礼くらい言ったらどうだ!」

 アリシアはいつも通り、不貞腐れた顔をして俺から目を背けた。そしてばつが悪そうにフィー、イリスへと視線を移す。

 しかし、イリスで視線が止まると、アリシアの目つきが次第に変わっていった。

「あなた、奴隷魔族だったの……?」

 それは畏怖と嫌悪を含んだ響きだった。

 アリシアにしがみつかれたせいで、イリスのバンダナがずれていた。例の折れた角が覗いている。

 彼女は急いで角を隠した。その手が震えている。顔には血の気がなかった。

 アリシアがフラフラと立ち上がって言った。

「リズ、体を洗うわよ。体を清めないと」

 イリスがビクリと身を震わせた。

「何言ってるんだ? もう少し安静にしていろ。まあ、ゲロつきの服じゃ嫌だろうけ……」

「違うわよ、魔族に抱き着かれたんだから。体が穢れるのよ!」

 アリシアはリズに支えられながら、川辺に続く扉へ歩いて行った。

「な、何だ、魔族とか奴隷って? もしかして、イリスは魔族……なのか? でも、奴隷って?」

 静まり返った後、イリスはいきなり駆け出して、居館を出ていった。

 フィーの横にいるクレマンは頭を抱えていた。

「姐さん、魔族なんて、嘘だろ……。まさか、好きだった人が奴隷魔族だったなんて……」

 めっちゃ打ちひしがれている。しかしここまで凹む理由がわからない。

「何だ、その奴隷魔族ってのは?」

 フィーは知らないと首を振った。そうだ、こいつは山育ちで、世間に疎いんだった。

「おい、クレマン、教えてくれ」

「う……うう……それは……うう……」

「泣くなよ、そこまでのことなのか?」

 俺は言い渋っているクレマンの襟首を左手で掴んで、詰め寄った。さらに右手は魔術で電気を放電させた。

「奴隷魔族って、何だ?」

「うう……つ、角を折られた、罪人の魔族……」

「…………それだけか?」

「それだけ? それだけって何だよ。それだけじゃないよ! それが全てだよ!! もし奴隷魔族と話していたら、それだけで同じように周りから迫害されるんだ。これまで奴隷魔族の舎弟やってたなんて他の人に知られたら、僕は生きていけないよ。いっそ死にたい!」

 俺とフィーは訳がわからず顔を見合わせた。どうやらこの世界には、根深い差別問題があるようだ。


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