王子と軍師
細長い下弦の月が東の空に昇っている。時計はないが、おそらく深夜一、二時頃だろう。全員寝入ったのか、廃城には風の音しか聞こえない。
ギィ……
風の音に紛れて、門扉の蝶番が軋む音がした。ゆっくりと一ノ門が開いていく。そして背の高い影が外へ出ていこうとした。俺はそいつが門を一歩出たところで声をかけた。
「ユリウスのところへ行くのか?」
暗くてよく見えなかったが、そいつが振り向いたのはわかった。俺は魔力の光を指先に灯した。相手の顔がよく見えた。それは向こうも同じだった。
「軍師……どうしてここに?」
ニコラスは息を呑んだ。そして俺を警戒し、身構えた。
「感知結界で、この城の生き物の動きは全て把握している。お前が昼間からコソコソしていたのは知っていたよ。そんでさっき動き出すのがわかったから、先回りして待ってた。ニコラス、ユリウスのところへ行くのか?」
「……」
「ここには俺しかいない。正直に言っていいぞ」
「……あ、ああ……そうだ」
「そうか……」
「違うぞ、お前たちを見捨てるわけでも、裏切るわけでもない。みんなの命も助けてもらえるよう、交渉に行くつもりだ。このまま戦ったって無駄死にするのは目に見えているだろ。上手く逃げ切ったところで、行く当てがないんじゃどうしようもないし。それよりも、連邦国兵士として取り立ててもらった方が絶対いいに決まっている。あと…………自分の身の振り方は、自分で決めていいんだろ?」
「ああ、問題ないよ。けどこの城の秘密や情報を話したら、その後は殺されるかもしれないぞ」
「お前の言う、ピエールとつながっているってのは、ただの推測だろ?」
「そうだ、確証はない。だが殺されないという保証もないぞ」
「だったら俺は自分の選択にかける。賭けるのは自分の命だけだ。どっかの誰かさんみたいに、他人を道連れにはしない。問題ないだろ。連邦軍に加わるなんて、俺にとってはビッグチャンスなんだ」
なるほど、と俺は頷いた。
「お前こそ、俺をどうするつもりだ? 好きにしていいとか言っておいて、こんなところで待ち構えているなんて、もしかして止めるつもりか?」
「いいや、餞別をやろうと思ってね」
俺は一枚の羊皮紙を投げ渡した。字の読めないニコラスは中を見て、首を捻っていた。
「ユリウスに城のことを訊かれたら、それを渡せ。交渉にも使えるだろ」
「いいのか? 俺を止めないのか?」
「俺の目標は、全員が無事にここを脱出することだ。ニコラスが無事にユリウスの下につくなら、目標が一つ達成されたことになる。だから止めない」
「そうか……じゃあ、これで永遠にさよならだな」
ニコラスは暗闇に向かって歩き出した。細い月の薄明かりの道を、探りながら、躊躇いながら歩いていく姿は、まるで俺たちの未来を暗示するかのようだ。しかしニコラスは十メートルも行くと、立ち止まった。
「お、おい、軍師……」
「何だ、王子?」
「……実は……オレ、王子じゃないんだ」
「……うん……そうか……」
「驚かないんだな」
「まあな……」
とんだ茶番だ。でもちょうどいいので、気になっていたことを訊いた。
「お前、本当は盗賊か何かか? それとも大道芸人だったとか?」
「……墓泥棒やってた。このメダルも、墓から暴き出したモンだ」
例のボロボン朝のメダルを見せた。
「ニコラスってのも偽名だろ? よかったら本当の名前を教えてくれるか?」
「…………ジョン、だ」
「ジョン、か……」
そこでニコラスは苦笑した。
「……つまらない名前だろ。笑いたければ笑え。墓泥棒が王子を名乗っているなんて、自分でもバカバカしいと思う。恥ずかしい誇大妄想だ」
「……」
「でも小さいころからの憧れなんだよ。領民に慕われる、優しい王様ってのが。ただ、いろんな国を回ってきたが、そんな王様どこにもいなかったよ。どこに行っても、王族ってのはここの領主と似たか寄ったかだった……」
ニコラスこと、ジョンは闇の中に佇む城を見上げた。
「だから、俺がそんな憧れの王様になりたかった。ボロボロの廃城だけど、こいつを見たとき、俺の夢がここにあると思ったんだ……」
そして俺を睨んだ。
「いけないか? 俺みたいな卑しい身分の人間が、王にあこがれるのは。そんなに恥ずかしいものなのか?」
何て答えていいのかわからず、俺も廃城を見上げた。
「ジョン、俺も子供のころからずっとあこがれているものがあったよ……。何千、何万っていう軍隊を従えて、戦をするって夢だ」
漏れ出た思いが、自然と言葉になっていくようだった。
「小学生のころから戦国武将や軍師ってのに憧れてたんだ。特に竹中半兵衛や大原雪斎が理想だったな。司馬遼太郎、山岡荘八、山本周五郎、吉川英治なんかの本を色々読んだよ。そんで、いつか戦国時代にタイムスリップして、今持っている知識で戦ったら、天下獲れるのにな……ってことを、登下校の道でよく妄想してた」
「……?」
「立花宗茂が好きだったから、宗茂の家臣になって……そしたら関ヶ原の歴史を変えて見せるのに……とか、真剣にシュミレーションしてたよ……。ああ、後藤又兵衛の部下になって、大阪の陣を覆すにはどうしたらいいか、ってのもよく考えた。高校生がそんな妄想していたんだ、中二病っぽくて笑えるだろ?」
「何の話をしているんだ?」
「俺も分不相応で、現実にはあり得ない、恥ずかしい夢を見ていたガキだったってことだ。お前が“軍師”って呼んでくれたの……嬉しかったりしたんだ……」
「……」
「少し小っ恥かしかったけど……でもやっぱり浮かれていたかな。俺は、お前が王様で、楽しかったぜ。“軍師”って呼んでくれる奴が、これでいなくなると思うと、寂しいもんだな」
俺はジョンに笑いかけた。ちょっと頬の筋肉が引きつっていたかもしれない。ジョンは再び俺に背を向けた。服の袖で顔をぬぐっている。泣いているのか?
「軍師、アリシアに泣かして悪かったな、と言っておいてくれ」
「俺からか? 最後ぐらい直接……」
「無理だ。顔を合わせたらきっとまたケンカになる。またあいつを傷つけることになる……。だったらこのまま、嫌われ者は人知れずいなくなった方がいいだろう」
ジョンの話を聞いていたら、無性に切なくなってきた。こいつはこいつなりに、仲間のことを想っていたんだ。
「……じゃあな、軍師」
「ああ、じゃあな王子。出世して、どこかの領主になれるといいな」
ジョンは最後、笑って去っていった。