交渉
それから五日間は、特に何もなかった。ピエールもスパイも城には来なかった。しかし街道を見張っていると、人の往来はあった。監視網は確かにあるようだ。そして、デジレさんや近隣の村人が来なくなった。
何かが起ころうとしている。何かはわからないけど。村や町に様子を見に行ければいいが、この城を離れたら丸裸で猛獣の檻に行くようなものだ。ここは準備して待つしかない。俺たちは武器の手入れをしたり、川に船を浮かべて釣りをしたりして過ごした。他にも城のあちこちに魔法陣を描いたり、夜は松明を焚いて警戒を続けた。それでも割とのんびりした日々だった。
アリシアは馬車から出てくる時もあったが、ニコラスとは口を利かなかった。
イリスはあれから俺の部屋で寝るようになった。イリス曰く、ここが一番安全だから、ということらしい。あれだけ隙を見せないようにしていたのに、俺の部屋では無防備に熟睡するようになった。俺も、彼女の寝床を壊した手前、追い出すこともできず、仲間には知られないようにルームシェアを続けた。
そして、その日は来た。虫の知らせというのだろうか。目が覚めた瞬間、空気が違うのがわかった。そして感知結界に誰かが一歩、踏み込む感触があった。一ノ門の前だ。
急いで庭に出た。そして、たった一晩でどうしようもない事態になっていたのがわかった。
城全体が大勢の兵隊によって囲まれていた。兵数は百、二百どころじゃない。千人か、それ以上。数えきれない……。ひょっとして一万近くいるのか? きらびやかな軍旗がはためいている。そろいの甲冑を着ていて、幾何学模様のように美しい布陣をしている。かき集めた農兵や傭兵じゃない。訓練された正規の軍隊だ。しかも城内にいる俺たちに物音で気付かれず、一晩で包囲するなんて、指揮も統率も優れている証拠だ。相手はバカ領主やピエールじゃない。
「ミチタカ……」
呼ばれて振り返ると、イリスとフィーがいた。
「二人とも、流石に勘がいいな」
「勝てる?」
フィーに訊かれたが、答えられなかった。
「……みんなを起こしてきてくれ」
城を包囲された戦国武将とは、こんな気分だったのだろうか。圧迫感に、背筋が寒くなる。足が震え、下腹部に鉛を埋め込まれたような鈍い痛みを感じる。同時に、目の前の兵隊の数に現実味が持てず、映画でも見ているような錯覚に陥った。
俺は一ノ門の上に立った。布陣した兵隊たちから離れ、一人だけ門の前に立っている男がいた。ちょうど感知結界の境目に一歩だけ踏み込んでいる。こいつは貴族で魔術に長けている。でなければ魔法陣の規模を正確に把握して、こんな挑発をしたりはしない。男が顔を上げた。長いブロンドの髪に、黄金色の瞳、一見女かと見間違うような美青年だった。
「君が城主かい?」
爽やかな笑顔で言った。よく通るハイトーンボイスだった。しかしきれいな見た目とは裏腹に、感じる魔力は俺よりもずっと大きく、禍々しかった。
「……尋ねるなら、そっちから先に名乗ったらどうだ?」
「これは失礼。私はカスティーリャ連邦国・外務次官 兼 東征軍司令参謀総長ユリウス・コルネリウスというものだ」
「!」
カスティーリャというと、アリシアの領地を襲った国だったはずだ。そこの外交官のナンバーツーで、なおかつ軍部の参謀を兼任しているだと? まるで個人の裁量で、侵略戦争できますっていうような肩書だな。
「それで、君の名前は?」
「イソザキ・ミチタカ……この城じゃ、軍師って呼ばれてる」
「ほう。では軍師ミチタカ殿、この城の主に面会を求めたい。取り次いでいただけるかな?」
「……コルネリウスさん、城に入るのはあんた一人だけだ。でなければ、受け入れられない」
「いいでしょう。それと、私のことはユリウスでいいですよ」
「……少し待ってもらおう。準備がある」
イリスとフィーに起こされて、ニコラス、クレマン、リズが中庭にいた。アリシアは馬車の中で、起きてこないそうだ。
「どうする、軍師。戦うか?」
いつになく険しい顔でニコラスが訊いた。
「無茶を言うな。どんなに知恵を絞っても、物量と装備にこれだけ差をつけられたらどうしようもない。攻められたら、一時間も保たずに落城だ」
全員が黙って顔を見合わせた。
「けど、向こうは話をしたいと言ってきた。こっちに百人くらいの兵士がいるって情報を信じているのかもしれない。とりあえず、話をすることにした。それで、突破口が見つけられるかもしれない。交渉に出るのは俺とニコラス、それとイリス……だ。特にイリス、相手が妙なことをしたら殺していい」
“殺せ”なんて、これまで言ったことのない指示に、みんなが驚いていた。
「やってくる人間は一人だけだが、とんでもない魔術師だ。その気になればこの城を燃やし尽くせるんじゃないか、ってくらいの化け物だ。気を抜くなよ」
誰かがつばを飲み込む音が聞こえた。
一ノ門がゆっくりと開いていく。俺とニコラスとイリスが一列に並んで、ユリウスが入ってくるのを待った。ユリウスはマントを翻し、颯爽と歩いてきた。その一歩一歩から余裕を感じる。俺たちの後ろにある二ノ門は、閉じたままにしてある。やがてユリウスは、イリスが持っている槍がギリギリ届かない間合いで止まった。
「お招きいただき感謝します」
慇懃無礼な態度でユリウスが言った。俺も、侮られないように言葉を選んで応えた。
「申し訳ない、急なことで客人を迎える準備ができていなくて。こんな場所で、テーブルも用意できない非礼を許してくれ」
「気にしないでください。それに礼を失したのは、急に押し掛けた我々の方でしょう。それで、貴殿がこの城の主でよろしいですか?」
言いながらユリウスは、ニコラスに微笑みを向けた。
「うむ、その通りだ。俺がこの城の主にして王子のニコラス・カイザーだ」
いつものように得意満面、傲岸不遜かつ高飛車な態度でニコラスは言った。しかしユリウスは少しも動じることなく返答した。
「これはこれは、不肖のこの身を城内にお招きいただき感謝いたします、ニコラス殿下」
「お、おう……」
うやうやしく頭を下げるユリウスに、ニコラスは面食らっていた。
「ニコラス殿下におきましては、ご尊顔を拝し恐悦至極。わたくしはカスティーリャ連邦国・外務次官 兼 東征軍司令参謀総長のユリウス・コルネリウスというものです。見ての通り、私は最高議長の命を受け、東方の蛮族を討つため、独立遊軍を指揮する立場にあります。遠征の途中、風の噂でこの城のことを知りました。聞くところによると、横暴な領主に対し槍を持ち、知をめぐらし、悪政に立ち向かっている勇敢な者たちがいると。我らが議長は、この地の民も苦役から解き放ち、栄えある連邦国の一員に加えたいと考えています」
遠回しに、侵略しにきたと言ってやがる。ただ、隣の二人を見ると目が点になっていた。ユリウスの言っていることが難しくて、よくわかってないようだ。
「その拠点として、ここに我が部隊を駐留させたいのです。ニコラス殿下、どうか連邦と同盟を結んでいただけないでしょうか。さすれば我らが議長閣下からも、ここの城主として正式に許しが得られるでしょう」
「う、うむ……」
まずい、ニコラスが困惑して何も言えないでいる。ピエールみたいに高圧的な相手には強いけど、へりくだった相手には弱かったのか。いつもなら挑発し、その反応で相手の器量がわかるものだ。ピエールなんかわかりやすかった。でもこいつは全然腹の底を見せない。それどころか、逆にこちらの内情と器量を探られたようだ。格が違う。ニコラスには荷が重い相手だ。
そこで二ノ門が勢いよく開いた。振り返ると、夜叉のような形相をしたアリシアがいた。
「ユリウス・コルネリウス! 父の仇、覚悟しなさい!」
大声で叫ぶと、魔術でいきなり巨大な火球を作り出した。しかしユリウスは動じなかった。
「父の仇?」
「私はあんたが滅ぼしたナヴァール家の娘、アリシア・デ・ナヴァールよ!」
「ほぉ……行方不明になっていたナヴァール家の四女が、こんなところに?」
「死ねぇっ!」
アリシアが魔術を放とうとした瞬間、俺は咄嗟に指先から魔力を飛ばして火球にぶつけた。瞬時に空気を震わせる轟音がして、火の粉が四散した。火球が暴発したのだ。頭の上で爆発が起こったものだから、アリシアは目を回して倒れた。周囲には飛び散った火がくすぶっている。しかし周りは石の城壁ばかりだから火事になることはないだろう。
「な、何を……」
ニコラスは開いた口を閉じられないようだった。きっと俺がアリシアを魔術で攻撃するなんて、思いもしなかったのだろう。しかし、アリシアの魔術やこのあと罵倒されることよりも、絶えずユリウスから感じる魔力の方が恐ろしかった。今ここで、ユリウスに攻撃される口実を作るわけにはいかない。
「クレマン、リズ、そこにいるんだろ。アリシアを居館に運んでくれ」
俺が言うと、二ノ門から二人が慌てて出てきた。クレマンが気絶したアリシアを背負い、それをリズが後ろから支えて、城内に運んで行った。きっとあの二人のどっちかが、アリシアに、ユリウスが来ていることを話したんだろう。
「我々の仲間が失礼した」
俺は頭を下げた。
「いえいえ、アリシア嬢はあなた方が保護してくれていたのですね。私たちも身を案じて捜していたのですよ。感謝します」
白々しい奴だ。滅ぼした領地の令嬢の身を案じていたなんて。アリシアを政争や大義名分の道具にしようってのが見え見えだ。
「彼女は俺たちの仲間だ。例え連邦国と同盟を交わすことになったとしても、取引の材料にはならないと先に言っておく」
釘を刺すと、ユリウスはニヤリと笑った。今までの微笑とは違う。こっちが本性なのだろう。
「ニコラス王子、あいさつは済みました。交渉は家臣の俺がやります、お下がりください」
「う、うむ、もういいのか」
ホッと安堵した顔をして、ニコラスは城内に戻っていった。残ったのは俺とイリスとユリウスだけになった。するとユリウスがニコニコ笑いながら話しかけてきた。
「軍師殿、先ほどの同盟の件……」
「もう、茶番に付き合う必要はないぜ」
「……茶番?」
「単刀直入に話を進めよう。アリシアが目を覚ましたら、またややこしいことになる」
「……やっぱり君が、実質ここの城を牛耳っているわけか」
ユリウスあくまで笑顔を絶やさなかった。しかし目の奥は笑っていない。会った時からずっとそうだった。
「同盟とさっき言っていたな。しかし話を聞くと、対等の同盟というより、配下になってこの城を明け渡せって聞こえたが?」
「君たちのためでもあるんだよ。領主に立ち退きを迫られていて、食べ物にだって困っているんだろう? 友好的に解決するにはそれが一番じゃないか。君たちも私たちも傷つかず、この籠城戦を終えられるよ」
「魅力的な話だ。しかしここまで大掛かりな演出をして手に入れる価値が、この城にあるのか?」
「もちろん。我々はここを南下して進軍したいんだ。その拠点のひとつにしたい」
「ふーん……」
「何だい?」
「ここが連邦国領の一部になったという大義名分がほしいわけか。強引な屁理屈であっても。そうすればここから南側も連邦国だと言える、と……」
ユリウスの笑顔が一瞬消えた。
「……君、頭いいね。部下に欲しくなってきちゃったな。では、改めて提案させてもらうよ。連邦国に忠誠を誓って、この城に兵を常駐させてくれないか? そしたらニコラス君を本当に城主として認めてもいいよ」
「……」
「どうしたんだい? かなりの好条件のはずだよ。何か躊躇う理由があるかな?」
「……ここの領主はバカで、攻めてきても俺たちはいつも追っ払っている。俺たち以上に情報を掴んでいるあんたならわかっているはずだ。領主は評判が悪いから、大義名分なんてなくても、民は喜んで連邦国を受け入れるだろう。この城を欲しがる理由は……もっと別のところにあるんじゃないのか?」
「……面白い推理……いや、妄想だね。じゃあ、その理由って?」
「これだろ?」
俺はイリスの手を引いた。彼女はポカンとしていた。
「ふふふふ、そのお嬢さんが理由?」
「いつまで笑っていられるかな?」
俺はイリスの胸元に手を入れた。彼女は顔を赤らめたが、抵抗はしなかった。
俺が彼女の胸元からつかみだしたのは、二つの魔石だった。ユリウスの顔がこわばる。俺は魔石を握って魔力を込めた。魔石が輝き始める。
「よせっ!」
泡を食って大声を上げたユリウスに、俺はほくそ笑んだ。
「本性を見せたな」
魔石の効果は一度きりだ。使ったら価値を失う。俺は魔力を消して、魔石の発動を止めた。
「ここは昔、良質な魔石が獲れる鉱山だったらしい。魔石や魔鉱石は高値で売れるんだろ?貴族にとっては研究対象にもなるんだって? 貿易のためか、自分の研究のためかは知らないが、あんたの狙いは魔石だ。まだシラを切ろうっていうなら、これを使用済みにしてもいいぜ」
「……一本取られたね」
「この城に隠してあった魔石は全部俺が預かっている」
本当はここにある二つで全部だが。
「俺の仲間を傷つけようとか、利用しようとかいうのなら、すべての魔石を川底に沈めるか、使い物にならないようにしてやる」
「……なるほど、私は交渉相手として、君の力量を見誤っていたようだ。確かにここの魔石には非常に興味がある。しかし南へ進軍するために、後顧の憂いを取り除いておきたいというのも本音だ。そして自身の探求心か、本国の司令を優先するかと問われれば、軍を預かる者として当然後者を選ぶことになるだろう」
「必要になったら、ここを攻め落とすってことか?」
「出来れば君とは争いたくないし、魔石も手に入れたい。だが長いことここに駐留しているわけにもいかないんだ。三日後、また来よう。そのときに返事をもらえるかな?」
俺は何も答えなかった。しかしユリウスは言うだけ言うと背を向けた。俺はその背に言った。
「ユリウスさん」
「……何だい?」
「ピエールによろしく」
するとユリウスは振り向き、笑顔で答えた。
「……誰のことだい?」
しらばっくれやがって……。