望郷
五人で城のあちこちに薪を組み、火をつけた。魔鉱石の爆発を火種にするとそれほど大変ではなかった。城全体が明るくライトアップした。正確な時間はわからないが、星の移り変わりを見るに、二時間くらいはかかったんじゃないだろうか。夜もだいぶ更けた。今日は朝からは色々あった。でもこれで落ち着いて寝られるだろう。
俺は自分の寝場所に戻った。部屋に入ると、窓際に人がいた。感知結界で侵入者じゃないことはわかっていた。彼女は俺のパーカーを羽織って、静かにたたずんでいた。
「肩は大丈夫なのか?」
声をかけると、イリスは首を少し動かした。バンダナをしていない。銀髪が月明かりに輝く。そして、頭に着いているそれはやっぱり角のようだ。
「そうか、俺のせいで寝場所がないんだよな」
「…………」
「あと、違うんだ。君を襲おうとか、どうかしようとか、そんなんじゃなくて、魔石を返してもらいたくて……そしたら、ぐっすり寝ていたもんだから、ちょっと失敬しようと……」
イリスは何も言わず立ち上がった。そして振り向いた瞬間、俺は息をのんだ。彼女が身に着けているものは、俺のパーカーだけだった。他は裸だった。暗闇でよく見えなかったけど、腰から太ももにかけてのラインに息をのんだ。どうしてこんなに色っぽいんだろう、と思う。首にかけている魔石が胸元で光り、やたら艶めかしい。
彼女はゆっくりと歩み寄ってきた。情けない話、俺はちょっと後ずさりしてしまった。
イリスはパーカーを脱ぐと、俺の肩にかけ、そのまま抱き着いてきた。背筋が硬直した。全身の体毛が逆立つような、そして燃えるような熱を感じた。
「好きに しろ」
「……へ?」
「あのことは 黙って いて……代わりに 好きに して いい……」
思考がぶっとんで停止した。頭が真っ白だ。後になって気づけば、魔石を取り戻すチャンスだった。目の前のおっぱいに魔石がぶら下がっていたのに。そんなことすら忘れていた。
どうしてこんなことを? どうしてあのイリスがこんなことを言っている? 今までのやりとりで、どこにデレる要素があった? ただ、それでも触れてる女の子の肌は温かく、細く、でも柔らかくて、理論的な考えを完全にフリーズさせた。理性も失いそうだ。
でも、訳も分からず誘惑に流されるのはまずい気がする。黙っていてほしいって、何をだ? このままイリスを抱くのは、白紙の小切手を切るような危険を感じる。それくらいの思考はまだ働いた。
「ちょっと待てくれ。あのことって、何だ? もしかして、その……角のこと……?」
尋ねると、イリスはまた泣きそうな顔になった。
「落ち着けイリス、落ち着こうか!」
それは自分に言い聞かせているようだった。俺はパーカーをもう一度イリスに着せた。
「抱かない のか……?」
「待ってくれ、整理させてくれ、色々と……。とりあえず座ろうか。今日は一日疲れた」
二人で窓の近くに座った。星明かりに浮かぶイリスの顔は、憔悴しきっているように見えた。日ごろの勇ましい姿と、男に媚びるイリスが同一人物とは思えなかった。そのギャップに混乱した。
ふと見上げた窓の外には、夜空が広がっている。
「……星がきれいだな」
こんな時に何を言っているんだ、俺? でも、自分が裸の女に迫られて、余裕がないのはよくわかる。
「星は どこでも 見れる」
「俺が産まれたところじゃ、地上にも同じように光るものがあって、よく見れないんだ。今、城中で松明を燃やしているけど、これ以上に明るい光で、そのせいで小さな光は見えなくなっちまうんだ。こんなに空気がきれいで、こんなにきれいな星空を見るのは、産まれて初めてかもしれない……。星って、こんなにでかく見えるもんなんだな……」
「地上に 星が ある?」
「まあ、そうだな」
イリスは首を傾げた。見たことがなければ、想像もできないか。そうだろうな、LEDの明かりなんて、教えてもわからないだろう。
「見て みたい」
「そうだな……向こうの世界に、帰りたいな……」
言って、慌てて口を押えた。今まで一度も言わないようにしてきた言葉だった。昼間は皆がいて、策を練るのが楽しくて、準備に夢中で、寂しいことはなかった。
しかし夜、暗闇で一人きりになると、学校のこととか親のこととかあれこれ思い出し、考え込んでしまう。毎夜、郷愁の想いに潰されそうになる。
でも、誰にも知られないようにしてきた。今は命がけの戦いをしている最中だ。そして俺は軍師で、皆を導く立場だ。皆に気弱な顔は見せられない。不安にさせるわけにはいかない。そうなったら即落城だ。だから俺は、自分の中の孤独に一人で向かい合い、一人で我慢した。気を張って、想いを言葉にしないよう、耐え続けた。一度それを口にしたら、あふれ出してくる感情が抑えられないのではないか、という恐怖があった。
実際その通りだった。言葉は、それだけで魔術だ。抑え込んでいた想いや感情が濁流のように襲い、俺を押し流していく。水攻めにあった備中高松城よりも、あっけなく落城した。
涙が頬を伝う感触があった。俺はそれを手の甲で拭った。今度はイリスが驚く番だった。彼女はためらいがちに、俺の頬に触れた。だが俺は彼女の手を払った。
「いい、君には関係ないことだから……」
こんな精神状態で優しくされたら、もう立てない気がした。戦えなくなる気がした。
それでもイリスは手を広げ、俺を抱きしめた。肩にかかっていたパーカーが落ちる。
額に柔らかな感触があった。とてもいい匂いがする。錯綜していた感情が、穏やかになっていく。揺れていた心が、癒されてしまう。こんなことで持ち直すなんて、男ってやつは……。でも、すごく安らぐ……。
彼女をなだめていたはずなのに、いつの間にか俺の方が慰められていた。