城と王子
「どうしてあんなこと言うんだ、あのアマ……」
ニコラスがウンチングスタイルで庭の草をぶちぶちむしっている。除草作業をしているわけではなく、ストレス発散の代償行為らしい。
他の皆は居館の前で武器の整備をしていた。イリスは槍を研ぎ、クレマンはプレートメイルに手甲をつなげている。フィーとリズは矢を作っていた。そしてニコラスは、馬車に引き籠っているアリシアの不満を言っている。
「勝ったのに水を差すだけでなく、俺の家臣たちを不安にさせるとは許せん……」
頭がいいから彼女には先が見えるんだ。だからあんなこと言うんだろう。でもあそこで言うのは、冷静さと精神的安定感がない証拠でもある。
俺は持ってる兜に魔法陣を描きながら、「気にするな」と言った。
「アリシアがああいう性格なのは知っているだろ」
「軍師! 軍師はどう思っているんだ。民衆の支持はこちらにある。このまま勝ち続ければ、いずれ俺が領主に取って代われる日も来るだろう。そう思うだろ!」
そんなこと考えていたのか。でもそりゃいくらなんでも都合がよすぎる。
「アリシアの肩を持つつもりはないよ。でも、兵站がないのに勝ち続けるのは無理がある」
「な、何? 軍師、お前まで何を言うん……」
「だから、この城を脱出するべきだと思うんだ。フィーに聞いたんだけど、この城には地下坑道以外にも、いくつかの隠し通路があるらしい」
フィーがうんうん、と頷く。
「そして北側の崖にある抜け道は、街道の横に出るんだ」
城の横には、川に沿って南北に縦断する街道がある。しかも抜け道の入り口は草が茂っていて見つかりづらいようだ。
「領主の兵に見つからないよう、夜にでも抜け出して、北の山に向かえばいい。フィーが暮らしていた山だし、貿易中継点としての町だってあるんだろ」
これが一番現実的な解決策だろう。
「バカな、お前までそんな弱気なことを。俺にこの城を捨てるというのか? 俺は王子だぞ」
「だが、その城が敵の手に落ちたらどうするんだ?」
「そのときは……王子は城と運命を共にするものだ」
何だ、その名言? 沈没船の船長か?
「ニコラス、皆もそれに付き合えっていうのか?」
「僕は死ぬわけにいかないよ。故郷の弟や妹に仕送りしないといけないから(クレマン)」
「死ぬの、怖いです(リズ)」
「死んだら 生きれない(イリス)」
「……まだギロウに行ってない(フィー)」
この城をタイタニックにするわけにいかないようだ。
それに、とクレマンが珍しく意見を言い始めた。
「今朝来た何百人もの傭兵たちは食べ物をどうしていると思う? あの領主が十分な支払いをしているならいいけど、そうじゃなかったら近くの農家から略奪しているはずだよ。デボラさんたちに迷惑がかかる……。僕もあまり長居するのはよくないかも、って思うんだ」
重要な意見だった。農民出身の目線じゃなかったら気付かなかったことだ。やはりニコラスには悪いが、ひとりで城と運命を共にしてもらおう。
「俺はこの城を諦めんぞ! 例え一人でも最後まで戦い抜く!」
ニコラスは勇ましく吠えると、居館の裏庭へ大股で去っていった。
「でもミチタカ、北の山はこれから雪で、とても歩いて越えられないよ」
「そうなのか、フィー」
「うん。俺も越冬するために、この城に来たんだから。春になればいいけど」
そういえばそんなこと言っていたな。今は晩秋、次の春まで持ちこたえるのは難しい。となると南に行くしかないか。
しかし南に行くには領主の領地を通らないといけない。あの数の傭兵がいるとなると、領地を通るのはかなり危険だ。そうすると……
「脱出方法はこうだ。領主の兵にこの城を攻めさせて、城内に誘い込み火をかけるか、あるいは爆破する。その間に俺たちは南に脱出する。逃げる時、留守になった領主の館に寄って宝を失敬していけば、当面の食い扶持には困らないだろう。商売をやったっていい」
皆が一斉に頷いた。クレマンが感嘆する。
「いつもいつもよくそんなすごいアイデアが浮かぶねぇ」
軍記物を色々読んできたからか。それとも小さいころからの学習の違いだろうか。
「でも、ニコラスは納得するかな? 城を手放したくないみたいだけど」
「させるよ。いや、あいつもそうするだろう」
俺は城壁から川沿いの街道を見下した。あそこの何処かに抜け道があるわけだ。一度確認しておこう。街道は途中、吊り橋を渡って対岸に続く。対岸の細い崖の道を、ロバに荷物を載せた男が歩いていた。行商人が時々通るとフィーが言っていた。
「今から北の山を越えるのか。雪は大丈夫なのか?」
訊くと、フィーは首を傾げた。
「この時期は珍しいかも。でもちょうどいいや、物々交換で珍しいお菓子が手に入ることもあるんだ。アリシアにお菓子を持って行ってやろう。甘いもの食べると、機嫌がよくなるから」
フィーは指笛を鳴らした。甲高い音が渓谷にこだまする。しかし行商人は気づかずに歩いていった。
「あれ? 気づいてくれない。矢で射って知らせるようか」
「無茶をするな!」
俺はフィーを止めた。行商人は折れ曲がった道を進み、見えなくなった。杞憂だといいが…。
「ねえミチタカ、これでいいかな?」
クレマンが組み合わさったアーマープレートの全身鎧を支えている。この間、ピエールの部下から奪ったものだ。
「バッチリだ。鍛冶屋になれるぜ、クレマン」
俺は手に持っていたフルフェイスの兜を、鎧の天辺につけた。
「どうするんだい、これ?」
「魔術で動かすんだ、ロボットみたいに」
「ロボットって何?」
「え、うーん……自動で動く人形……みたいな?」
「ひょっとして、この鎧が勝手に動くってこと」
「そう、その通りだよクレマンくん」
「そんなことしてどうするの?」
「自動で動いて、戦える兵隊にならないかな、と思って」
すると全員納得してくれたようだ。
「じゃあリズ、これに魔力を注いでくれないか?」
「え? 私、が?」
「さっきの魔術で、俺はもう魔力をほとんど使い切っちゃったんだ。少し休めば……まあ、夕方くらいになればだいぶ回復するだろうけど」
鎧の胴を軽くノックした。コンコンと空洞の乾いた音がする。
「鎧の内側に魔法陣を描いておいた。背中から魔力を流せば動くよ」
「わかりました。イェヒーオール」
リズは手を組み、祈りのポーズで魔力を練った。白い光を宿した手で、鎧の背中に触れる。途端に鎧が立ち上がって歩き始めた。驚いたリズが悲鳴を上げる。他の皆も驚嘆の声を上げた。
「おお、理論通りだ。ここまで予想通りにいくと、何か怖いな…………あ……」
「……ねえミチタカ、あれってどう止まるの?」
鎧はまっすぐ歩いていくだけだった。やがて礼拝堂の壁に突き当たり、それでも手足を動かして前進しようとしている。しばらくすると、鎧は止まって倒れた。クレマンが心配そうにのぞき込む。
「もしかして壊れちゃった?」
「魔力がなくなっただけだ」
「ひょっとして、歩くだけで戦うことはできないの?」
細かいこと考えてなかった。単純な動作はできるが、状況に応じて動きを変えるには、AIを育てるような学習プログラムが必要だ。これじゃ兵士として戦わせるのは無理か。いや……
「こいつに松明をつけて敵に突撃させるってのはどうだ?」
木曽義仲の火牛の計だ。だが、皆から良い顔はされなかった。
「……これは失敗か……」
「あの、試してみたいことが……」
リズが名乗り出た。
川岸につながる岸壁の階段をリズが歩いていた。その後ろには鎧が続いている。両手には満杯の水桶を持って。リズが居館の台所に来ると、鎧もやってきた。そこで彼女はイェヒーオールを唱えて、鎧に触れながら命じた。
「止まりなさい。そして桶を下ろして」
鎧は言われた通り、水桶を足元に下ろした。「おお」と皆が声を上げた。
「すごいです、自分で運んでくるよりずっと楽です」
リズが目を輝かせながら言った。
「なるほど、横で命令を上書きすればいいのか。よし、リズ、それは君が使ってくれ」
「いいんですか?」
「君以外に魔力で命令できるのがいないからね」
「わかりました。では、名前を付けてあげましょう。何がいいですか、ミチタカさん」
いきなりふられて困惑した。どうしよう……。
「えー、じゃあナイトくんでどうだ?」
我ながら安直すぎるか。俺ってネーミングセンス無いのかな。でもリズは笑って頷いた。
「ナイトくんですね。いい名前だと思います。よかったですね、ナイトくん」
リズは鎧の肩をポンポンと軽く叩いた。
「そういえばミチタカさん、水を汲みに行っている時に見たんですが、ニコラスさんが北側の崖を上っていましたよ。あれも城を守るための、ミチタカさんのアイデアですか?」
「は?」
俺はいつも沐浴をしている川辺に降りた。見上げるとニコラスが城壁に……というか崖に張り付いていた。地上二十メートルあたりのところを、命綱もなしでロッククライミングしている。すごい王子がいたもんだ。横移動して、もうすぐ階段のところまでくる。あそこで待つか。
「くっ……はぁはぁ……くそっ、何処にも抜け道なんてねえじゃねえか。あのガキ、吹いてんじゃねえだろうな」
「よう、何してんだ?」
ちょうど階段に片足をかけたところで声をかけた。ニコラスはそっくり返って崖下へ落ちそうになった。
「お、おどかすな、この野郎! 死ぬって!」
「ああ、悪い。しかしよくこんな危険なことができるな」
「ふんっ、まあな。天窓から貴族の屋敷に忍び込むこともあったし、衛士を巻くのに壁を登ったり、崖を飛び降りたこともあったからな。これくらいの城壁は楽勝だ」
「は? どういうことだ?」
「ああ、いや、何でもない。それよりどうした?」
「お前がおかしなことをしているって聞いて、様子を見に来た」
「ふん、王子の俺の何処がおかしいというんだ」
おかしなことだらけじゃねえか。というか突っ込みどころが多すぎる……。
「じゃあ、どうしてあんなとこ登っていたんだ?」
「そ、それは……」
「抜け道がどうとか言ってたが、もしかしてフィーの言っていた抜け道を探していたのか?」
「……」
黙り込んだ。図星か。
「お前、城と運命を共に……とか言っておいて、一人でこっそり逃げる算段を……」
「ば、バカを言うな! 俺は王子だぞ! 家臣を見捨てて逃げるわけがないだろうが!」
「……そうか」
「……そうだ」
「……ところでニコラス王子、あんたが崖を登っている様子を見て、ひとつ閃いた」
「む、また敵を倒すための策略か?」
「そんなところだ。王子の力が是非とも必要だ」
「ふふふ、そうか、俺でなければ出来ないことだというんだな。いいだろう、申してみよ!」
そしてニコラスは再び城壁を登っていた。彼は右手に持った魔鉱石の欠片で、崖に線を描いている。
「おーい、ニコラス、そこ途切れているぞ。ちゃんとつないで描いてくれ!」
「うるさい、難しいんだぞ。……くそっ、足が震えてきた……攣りそうだ」
「きれいに描かないと、魔法陣は上手く発動しないんだ。同じ太さで線を引いてくれ。ああ、そこんところ少しズレている、外円が歪むと効果が小さくな……」
「黙ってろ! 王子に指図するな!」
しかし命綱も無しで、よくあんなところ登れるな。落ちても下は川だから大丈夫だろうけど。それにしてもこの自称王子、口先だけじゃなく意外と多芸だな。
一時間くらいかけて、ニコラスは城全体を囲むように城壁に線を引いてくれた。戻ってきたニコラスは汗びっしょりだった。
「ありがとよ、これで城の防御は格段にアップしたぜ」
「ふんっ、このニコラス様をこき使いやがって……手が震えて今日はスプーンも持てん」
「俺があーんしてやろうか?」
「やめろっ、気色悪い!」
「じゃあ、アリシアにでも頼むか?」
「…………」
「冗談だ、そんな顔するなよ」
「その……アリシアは、何か言っていたか?」
赤い顔でニコラスが訊いた。
「そんなに気になるなら、謝りに行けばいいだろ」
「何故俺が謝らなければならん。それに謝って和解できるような性格か、あの狂乱躁鬱女が。謝り損になるだろう」
……ありうるかも。
「それに俺はあいつが嫌いだ。生きるか死ぬかってみんな必死のときに一人だけ戦わねえし、飯だって恵んでもらってる。それに文句言って、雰囲気悪くして……乞食より卑しいじゃねえか。貴族様ってのはああいう卑しい奴らのことをいうのか?」
辛らつだな。流石は口から生まれてきた男だ。しかも熱くなって口調に地金が出始めている。
「何が、もう生きている意味がない、だ。悲劇のヒロイン気取って格好いいこと言ってるつもりか? バカか! 生きるだけで精一杯の人間は、そんな助けにもならん哲学なんぞ、猫に食わせとけって言うに決まってる。むしろ真剣に生きていないから、そんな甘ったれたこと言って嘆くんだ。必死に生きていないくせに偉そうなセリフを吐くな。軍師もそう思うだろ?」
「そう……だな。でも、本人の前では言うなよ」
「あいつが余計なことを言わなかったらな」
その日の夕食も、アリシアは馬車から出てこなかった。ディナーのテーブルからは食器の音だけが聞こえ、重苦しい雰囲気が漂った。アリシアがいない食事は少し前まで当たり前だったのに、今はやけに不自然なものに感じた。