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人類とは  作者: 相馬惣一郎
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男女の結びつき

 ここまで男性、女性、それぞれについて述べてきました。

 そこでまた、例のごとく、疑問がわきあがってくるわけです。

 今まで述べてきたことからすると、

 

 男性が求めるのは、居場所の探求(自分が理想とする世界を見つけ出す)。

 女性が求めるのは、自己の変革(自分が理想とするものへと生まれ変わる)。


 これが男女の求めているものです。

 そうすると、

「もしも、これらの欲求さえ満たすことができれば、別に異性を求める必要などないのではないか?」


 この問いに答えるため、今の社会に目をむけてみたいと思います。

 気になるワードは、小子化です。


 人口が年々減っている。特に子どもの数が減っている。そもそも結婚する男女の数が減っている。

 それはなぜか?

 多くの人がお金の問題だろう。もしくは、容姿の問題だろう。そんなふうに考えていると思います。ですが、それだけとも言い切れません。お金を持っていたり、容姿もいいのに、結婚しない人もいます。結婚するメリットがわからない、とか、子どもが嫌い、生みたくないといった人もいるでしょう。もっといくと、性行為そのものに魅力を感じないというか、嫌悪をもよおすといった人まで出てきているようです。


 この現象はいったいなんなのだろうか?

 私は考えます。

 ひょっとすると、彼らは欲求が満たされているのではないだろうか……。


 考えてみると今の世の中は、価値観の多様化や過剰なサービスで、より個々の欲求や快適さを満たすように動いています。それは年々激しさを増しています。資本主義で経済が回っているので、これは必然といえるのでしょう。

 なので若者がおかしいというより、このような社会におかれた場合、必然的に異性を求めなくなる、というか、その必要がなくなるのではないでしょうか。今の若者はただ本能に忠実なだけではないだろうか。快適なサービスであふれてきてますし、一人でもそれなりに暮らせていける世の中ですし、一人が悪いという価値観も薄れてきてますし、都会では家を持たないという選択をする若者もいるくらいですし。

 まあ、欲求がまったくといっていいほど満たされている、なんてことはまずないでしょうが、少なくとも結婚した場合のわずらわしさよりは、今のまま一人でいるほうがマシだろうと考えているのではないでしょうか(結婚したけど、もううんざり、と離婚を選択した人もいるでしょうけど)。

 もちろんほかの理由もあるでしょう。異性に対してトラウマのようなものがあるため一歩踏み出せない、とか、理想が高すぎて妥協できない、といった要因も考えられます。今の世の中、求めるものは、どんどん高くなってきていますし。そこからはじき出されてしまうがゆえに、異性とつきあうことや結婚ができないということもあるでしょう。自己を守るため、傷つきたくないというもそうでしょう。

 少し乱暴な意見となりますが、とにかく、理由はどうあれ結局のところ、一人を選択しているといえます。


 その要因として、

 男女がともに理想を追い求めている、というのが根本的なところだと考えます。

 (理想というのは、お金や容姿、性格、社会的立場、個々の価値観といった、ありとあらゆるものをさします。そして、その理想から外れるものを受け入れない。そういう価値観。それは自己も含めてです。自分自身がそこから外れていれば、自分自身を自ら締め出し、自己の保全をはかる、傷つかないようにする。そういった人たちも含まれるということです)

 そして、

 そんな彼らを許容できる社会(強制的に男女をくっつけて子どもを産ます、といったようなことがなく、個人の価値観を認めるような社会)に現状ある。


 要するに、みんなが欲望のままにそれぞれの欲求を満たそうとすると、個々の理想がどんどん高くなり、その理想の高さゆえに、他者を受け入れにくくなっている、ということです。

 現状、多くの人がそういう状態にあり、そんな彼らを許容している社会である、ということです。ですから、この現状を崩す何らかの事象でも起こらないかぎり、人は異性を求めにくくなっていくことになりますし、そうすると当然、小子化というのはますます進んでいくことになるでしょう。

 まあ、どうなるにせよ、性行為可能で知性を持った本物そっくりのアンドロイドが安価で買えるようになれば、誰も異性を求めなくなるのは当然と言わざるを得ないでしょうね。



 さて……。

「では、このままいくと人類は滅んでしまうのか?」


 そんな疑問がわきあがってきますが、その疑問を解説する前に、次の疑問を解消しておきたいと思います。

「そもそも、いったいなぜ、男女というものは結びつきたがるのだろうか?」


 世の中の変化により、異性を求めにくくなってはいますが、まったく求めていないというわけでもありません。古来からそれは続いてきたわけです。結婚は別としても肉体的なつながりは持ちたいと考える男女は多いのではないでしょうか。特に男性は。


 その理由は?

 そこに快楽がある、といってしまえばそれまでですが、できれば今まで考えてきたことから導き出したいと思います。

 男性の場合は、それほど難しくないように思います。

 求めているものが子宮(その中にある理想郷)ですから、それを持つ女性を欲する、そこへ自分の分身ともいえる男根を差し込もうとする、というのはわからなくはありません。私自身もその中へ飛び込もうとしていましたから。


 では、女性は?

 正直なところ、男性を求める必要などあるのだろうか、と思ってしまいます。頭を悩ませてしまいますが、やはりカギは子宮にあると思います。


 女性は不完全な存在だという思い込みがある。そのため、自己を変革したい。

 子宮があるということから、この考えが導き出されました。


 このことから考えると、

「ひょっとすると女性は、自己を変革するためのエネルギーを必要としているのでは?」

 という考え方ができます。


 エネルギーというのは言い方を変えると、どんなものをも打ち砕くような力強さ、といえるでしょう。女性というのは、自己というものを一度バラバラにして、再構築するために、そんな力強さを欲しているのではないでしょうか。

 そう考えると、女性が、

「壊れちゃう!」

 と、叫ぶのもなんとなく理解できるような気がします。

 女性は自己を再構築するための、力強さ、たくましさ、荒々しさといったものを欲している(スポーツ選手や不良がモテるのもそのせいでしょうか)。一方、男性のほうは、たとえ壊してでもその中へ入りたい、といった激しさがある。

 ニーズの一致ですね。

 もちろん女性がそのエネルギーを欲しているのは、あくまでも変革のためであって、ただ乱暴されるのを望んでいるわけではありません。男性はそんなことを考えずに暴力的な振る舞いをすることが多いですから、そのせいで食い違いが起こり、女性が泣くことも多いのかもしれません。


 そこで……。

 今まで述べてきたことからすると、こんなことがいえると思います。


 誰もが理想を追い求め、それを実現できる社会になるほど人は異性を求めなくなる。

 一方で、男女にはそれぞれ異性をひきつける魅力がある。


 矛盾しているようにも思いますが、そう矛盾しているわけでもありません。

 要するに、理想の実現性が低ければ、互いの欲求を満たすために男女が結びつくわけです。それが一番手っ取り早い。ただそれだけです。

 ちょうど団塊の世代が産まれたとき、というのがそういう社会状況だったのでしょう。戦後すぐ、というのは食べるのがやっとだったと思います。過酷で不安な日々です。国民の大多数がそういう状況におちいるというのはおそらく稀でしょう。それが少し安定してきて、ほっとする。余裕がでてくると、今までの喪失を埋めるように、欲求を満たそうとする気持ちがむくむくとわきあがる。一番手っ取り早かったのが、男女が結びつくことだった、というか選択肢がそれしかなかった(子どもを生むことに抵抗がないというか、むしろ多産をよし、とする価値観でもあったでしょうし)。

 その結果、おびただしいほどの子どもができた。

 そして、その子どもは高度経済成長という特異な環境で育ち、オリンピックに、万博と明るい未来が膨らんでいくようなイベントまでついてくるわけです。まあ、好景気の合間にも不況はあったようですし、その後オイルショックなんていうのもありましたが、それも長くは続かず、まずまず安定して成長を続けていく。

 こんなふうに上向きの社会です。当然、その歯車となっていた彼らは、ますます欲求を満たそうとするでしょう。ですが、まだまだサービスの質は低く、価値観も変わってはきたが、今までのものをまだ引きずっている。

 となれば、やはり男女が結びつくのが一番、となります。

 驚異的な人口がそうなるわけですから、産まれてくる団塊ジュニアもまたすごい数となるわけです。

 けれども、やがて個々の欲求を満たすことが充実し、それを優先するような価値観(避妊などもそうでしょう)となってくると、これが逆転してくる。

 結果として、今の社会のように、小子化となるわけです。

 このことから考えると、


 人間というのは必ずしも異性を求めているというわけではない。けれども状況によっては、男女が結びつくのが一番手っ取り早く、互いの欲求を満たせる。

 だから結びつく。

 その結果、子どもができる。


 そんなシステムになっている、といえます。

 ですから、必ずしも子どもが欲しくて男女が結びついているというわけではない、結婚を目的に男女が結びついているわけでもない、ということになります。

 気づくと結果的に子どもができている、できるような仕組みになっている、といったほうがいいのかもしれません。

 当然ですが、もともと人間というのは、そんなふうに結果的に子どもができるようなシステムとしてつくられているわけです。

 そのため人類が存続していくわけです。

 産まれる子どもの割合というのは、どれだけ個々の欲求を充実させることができる社会であるか、といったその時の状況というのに左右されるといえるでしょう。

 このようなシステムであるため、育児に無関心な親、児童虐待、といったことが起こり得るのも無理はないのかもしれません。残念なことですけれど。


 さて……。

 少しさかのぼって、本物そっくりのアンドロイドができたら終わりだ、というようなことを書きましたが、そのとき、

「では、このままいくと人類は滅んでしまうのか?」

 という疑問を残したままになっていました。


 男女それぞれの欲求をアンドロイドがすべて満たしてくれる。そうすれば、互いに異性を求めなくなる。結果、子どもも産まれない。もし仮に、世界中の人間がこの状態におちいれば、今の日本の小子化どころの話ではありません(まあ、そのほうが地球のためにはいいのかもしれませんが……)。


 多くの人はおそらく、

「そんなバカなことがあるわけないだろう。宝石だって天然モノは希少だから価値があるのだ。希少なものに群がるというのはありうるが、だからといって、誰も産もうとしない、なんてことはないに決まっている。もし仮にそうなっても人工的に子どもをつくる技術があるじゃないか。そうなったらそうなったで、じゃんじゃん人工的につくればいいのだ」

 そんなふうに考えていると思います。

 幸いなのかはわかりませんが、今の世の中にはその技術があるので、人類を存続させていくことは可能なのでしょう。ひょっとすると、アンドロイドとの子どもを欲する人たちであふれかえっているのかもしれません。


 たしかに今の世の中には技術がある。

 けれども、もし仮に、そんな技術がなかったら?

 その状態で、アンドロイドとは限定しませんが、個々の欲求を充実させることができるような社会であったとしたら?

 そんなふうに人類が進化の道を進んでいたら、はたして存続できるのか? 人口の減少を止めるすべはあるのか?

 そんな疑問がわきあがってきます。

 答えは、できる、です。


 その理由として、もうすでに今までの記述で半分書いているのですが、人間というものにはすでにそれを打開するためのある機能がついているからです(不思議なものですが、この機能があるからこそ世界的にみると人口が増えているともいえるでしょう。これは性行為と密接に関係していますが、行為そのものというわけではありません)。

 それはどういう機能かというと……。

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