【第56話】 不明瞭な死
アルフェルの言葉にシャレットの頬に一筋の涙が雫となって流れ落ちる。
「さぁ、あとは僕に任せて。シャレットさんは安全なところまで逃げてください」
すれ違いざまにアルフェルは囁く。
その声にシャレットは涙声で喉の奥から搾り出すように声を出す。
「主人が、主人が囚われているんです! どうか、どうか助けてくださいまし!」
切実で純粋な祈りにも満ちた願いにアルフェルは言葉を返す。
「うん! 必ず、助けてみせるよ!」
シャレットはアルフェルの返事を聞くと、魔境と化した我が家から逃げ出すように必死で老いた足を前に出し、玄関の方へ走り出す。
同時にアルフェルも走り出す――矢先だった。
「え!? あっ!?」
静寂に満ちた廊下に声が響き、すぐその後に何かが倒れる音がアルフェルの鼓膜に届いた。
音の発生源を確かめるべくアルフェルは後ろを振り向く。
そこには玄関の入り口で仰向けで倒れているシャレットがいた。
刺客が外に隠れていたのか!? アルフェルは自分の迂闊さに歯軋りしながら、シャレットの元へ駆け寄る。
シャレットの倒れている場所からは体から水道の蛇口が壊れたかのように、赤い血が噴水のようにあふれ出てくる。
即死であろうことが一目で分かった。
胸を中心に五本のナイフが深々と刺さっており、鞘だけが体から顔をのぞかせている。
アルフェルは死体となったシャレットから目を逸らし、玄関から出て外の状況を確認する。
――異常はなし。
そう、異常はないという結論に短時間で答えが導き出された。
五感は全て正常で違和感の結果は得られなければ、次は状況推察だ。
シャレットの体に突き刺さった五本のナイフ。
これはすでに通常のナイフでない可能性がある。
天使の誰もが持つ一翼の能力である障壁を打ち破っているのだ。
理想郷の鐘が占拠していることも踏まえれば、このナイフは魔法アイテムで障壁貫通が付与されている可能性が濃厚だろう。
不意を衝かれれば障壁も発動できていないだろうから、通常のナイフの可能性もあるにはあるがその考えは敵地であるこの場では、希望的推測であり甘えとなる。
ここは全ての武器が障壁貫通前提で行動するのがベストだとアルフェルは心に刻む。
アツフェルは背中に二枚の翼と天使のワッカを顕現させた。
天使の左翼には『飛翔する能力』、右翼には『障壁展開する能力』を保持している。
ただ、アルフェルが顕現させた天使のワッカと三翼目と四翼目は限られた天使しか持ち得ないものだ。
これから危険地帯に臨むアルフェルは心だけではなく、体も臨戦態勢へと移行したのである。
そして、推察の結果で出された結論は二つ。
姿が見えないことを鑑みて『いない者』による襲撃。
または遠距離魔法による攻撃だ。
前者の場合、『いない者』が拠点であるここに戻ってきたとみるべきだが、シャレット殺害からアルフェル自身に危害を加えないのはおかしい。
それとも、シャレットの殺害だけが目的だったのか。
たしかに人質が助かると信じたシャレットに逃げられて、保護員を呼ばれたらこの拠点を失うことを意味する。
だが、それはアルフェルが生きていることでも同じである。
そう考えると、魔法での遠距離攻撃が濃厚とみるべきだ。
ナイフを直接刺したのではなく、投げたとみるのが一番納得できるんだが、投げることでここまで深く五本全てブレードまで埋め込むことができるのだろうか?
「撤退するつもりなど欠片もないんだ。せめて、シャレットさんのご主人も助けてあげないと!」
アルフェルは頭に霧がかかった状態だが、頭をぶんぶんと軽く何回か左右に振り終わると家の中へ戻ることにした。
二重災害を防ぐため、ドアを可能な範囲で閉める。
廊下にはシャレットの遺体以外に変化は生じていない。
理想郷の鐘に襲われた悲劇が、せめてその瞳にこれ以上は映ることないようにシャレットの目を閉じてあげた矢先だった。




