【第4話】 天使のペットになりませんか?
手を握りしめてくれるその人物は、最初に私に声を掛けた天使の少年だった。
その事実以外、正直、なにが起きたのか分からない。
地面にのびているのであろうフランクに視線を移す――もしかして、助けてくれた――の?
状況がうまく飲み込めずに、ボーっと天使の少年の顔を見つめた。
そんな私を天使の少年は私の身に危害が及んでいないのを確認するように観察し、問題ないと判断したのかホッと一息ついた様に見えた。
天使の少年はほほ笑みから仏頂面へ表情をシフトすると半ば放心状態の私に向かって口を開いた。
「ダメじゃないか! 首輪を外して、外に出たら。保護員さんに捕まったり、他の天使に酷い目に遭わされるぞ! って、あれだけ言っているだろ! さ、この首輪を着けて家に帰るよ」
ちょ、ちょっと!? いきなり私をペット扱いってナニを言い出しているのよ! 乙女のピンチを助けてくれたのは事実だけど、素直に「ありがとう」と口にするのも私がペットになることを了承しているみたいでなんかヤダ!
それに天使の少年も、まるで私の所有権は最初から自分にあり、すでにペットとして飼っていたと公言しているように聞こえる。
となると、この誘拐犯と対して変わらない。
見方次第では依然危機は去っていないようなものだ。
現に天使の少年の手にある首輪を早く着けろよといわんばかりに私の方へ突き出している。
ホントに着けろってこと!?
「それとそちらのお兄さん、お連れの方には失礼しました。けど、そちらも僕のペットをさらうどころかキズモノにしようとしたんだし、おあいこということでいいですよね?」
「おい!! ボクちゃん、オレの弟分を足蹴にして、それはちょっとねぇんじゃねぇのか? あぁっ!! たかが人間をキズモノにしたところで、どんなに見積もってもなぁ、釣り合いが取れねぇぜ。そうさ! むしろ、できの悪いペットを調教して頂き、アリガトウゴザイマスだろうが!!!」
態度が一変した誘拐犯が天使の少年に脅しをかける。
周囲の天使や人たちもその状況に反応するも厄介事に巻き込まれたくないのか見て見ぬふりをする。
渦中の人物は気に止めずに話を続ける。
「なぁ、ボクちゃん。今ならさ、その躾の悪いペットと合わせて出すもん出せば、許してやるぞ。な、そうしとけ。ホラ、ご主人様が来てくれたのに、お礼どころか首輪すら付けねぇ。こんな愚図なペットなんざ愛想も尽きただろ?」
急な猫なで声で天使の少年を丸め込もうとすると同時にカツアゲを始めてた。
こんなクズな天使がいるなんて本当に悪夢だ。
「それともホントは飼い主でもないのかなぁ? ……どっちでもいいか。さっ、痛い目にあうまえらば?!」
それは電光石火でことが終わった。
終わっていた。
天使の少年は誘拐犯の話しを聞く価値もないと判断したのか、六枚の翼で豪快に空気をたたき、刹那、チンピラ天使の懐に飛び込むとフランクのとき同様、回し蹴りをお見舞いした。
結果、チンピラ天使は宙で一捻り体を回し、地面とキスする羽目になった。
天使の少年は倒れたチンピラ天使のことなど最初から気に留めていなかったように私の方へ振り向く。
天使の少年と目が合う。
胸がひときわ高鳴った気がした。
頬が熱を持ち、ふわふわとした高揚感に包まれる。
天使の少年の整った顔立ちに加え、背後に靡く純白の六枚翼の美しさにも心を奪われそうだ。
なんだろ? この気持ち? 疲労とは異なる、熱にうなされた様な初めての感情に翻弄されながらも二度も助けられたことの感謝を告げようとした――矢先だった。
ジャラリ、と鎖が音を鳴らす。
天使の少年は首輪を私へズイっと突き出した。
「はい。…………ちょっと、お姉ちゃん。いつまでボーッとしているの? 早く首輪を着けないと、本当に奴隷にされるか処分されちゃうよ?」
「……はい?」
思わず間の抜けた声を上げる。
感謝の念が一瞬で塵芥となって風に舞って飛んでいくようだ。
よくよく考えれば、実際のところ天使の少年は助けてくれてる間も一貫として首輪を私に着けさせるというスタンスは変わっていない。
蟻地獄のように這い出せない絶望、助けを求めても見て見ぬ振りする人たちの中、突然助けてくれた天使の少年。
それはまるで窮地を救ってくれた御伽噺の王子様に思えてた――ついさっきまでは。
「あのね! 助けてくれたことには感謝するけど、どうして犬みたいに首輪しなくちゃいけないの?! 私は人間よ!!」
怒りを含んだ反発の声を天使の少年に浴びせた。
天使の少年は困ったように首をかしげる。
「人間だからだよ。この世界では、人間はペットなんだ。僕ら、天使のね。国によっては、問答無用で処分か奴隷にしたりするところもあるんだよ。そして、ここが大事なんだけどペットか否かの判断は特性の首輪で判断されるんだ」
理解しがたい内容を天使の少年が告げてくる。
「お姉ちゃんは首輪を付けていないから、こんな低俗な天使に追い回されるハメになったんだよ。理由は分かった? だから、早くこの首輪を痛ッ?!」
バシッと乾いた音が響いた。
天使の少年は驚いた顔をしている。
その瞳に映る私も同じ表情をしていた。
どうやら首輪を持った天使の少年の手をたたいたみたいだ、私が。
無意識とはいえ助けてくれた恩人なのに酷いことをしてしまった。
その事実に心が痛む。
「……ごめんなさい。たたいたことはあやまるわ。そして、ありがとう。助けてくれた上に、私の身まで心配してくれて……けど、私は人間なの! この街の人や君の価値観は私には分からない」
今の私の心をそのまま吐露する。
「分かっていることは、私は人間という自分、私という人間に誇りを持っているの!! だから、その首輪は人間の私を殺してまで、着けることはできないわ」
――――場を静寂が包み込む。
天使の少年が俯いているせいか、表情が見えない。
ただ、唇だけが動いたのが分かった。
「それは死んでも着けないってこと?」
暗く沈んだ声で吐き出された言の葉は、薄ら寒く感じた。
まるで発した言葉が形を成して、私はなにかに刺された感覚に囚われる。
――が、その感覚はすぐに別の形で溶かされた。
「じゃあ、これならOKでしょ? さぁ、そいつらが目を覚ます前に、ここを離れよう」
初めて会ったときと同じ、爽やかな笑顔を浮かべて天使の少年は私を誘導する。
その誘導に私は今度は歯向かうこともなく歩き始めた。
数歩、歩み私は小声で呟く。
「確かにこれなら首輪なんかよりイイ。……全然イイんだけど、コレはコレで……恥ずかしぃぃ」
天使の少年が私の手を握っている。
固く、優しく、振り解けない様に。
離れない様に、つないだ手を引き、私を先導していく。
私の顔はきっと真っ赤に赤面しているだろう。
つないだ手を強く握り返した。
気付くと暖かな涙が頬を濡らして、雫となって地面に吸い込まれた。
「えへへ、これなら問題ないみたいだね ってアレ!? 何で泣いているの? どこかけがをしてたの? ……もしかして、あいつらに何かされた?」
私の涙に気がつき、天使の少年は慌てふためく。
その様子が年相応の少年に見えて、初めてこの世界で安堵できた気がした。
「ううん、違うの。恥ずかしくて、でも、うれしくて……なんかココに来てから、初めて人……じゃないけど優しさに触れた気がしたから、ついうれしくって……泣いちゃった……あはっ」
「な、な、ナ、そ、ソンナコトで泣かないでよぉ。手をつないで安心するなら、いつでもつないであげるさ」
「うん。ありがと」
天使の少年の顔が茹でタコみたいに真っ赤になっていく。
照れているみたいで、なんか――かわいい。
「そういえばキミの名前はなんていうの?」
「ボク? 僕の名前はアルフェル・M・バーン。アルって呼んでよ。お姉ちゃんのお名前は?」
「私は桃華。悠久 桃華よ。トウカでいいわ。よろしくね。アルくん」
「うん、コッチこそよろしくね。トウカお姉ちゃん」
遅めの自己紹介となったが、これまでの経緯を考えれば当然ともいえるだろう。