【第3話】 六枚の翼
私の誘拐をもくろむ二人の天使が行く手を阻むように、地上へ舞い降りた。
それはとても幻想的――ではなくおじさん、特に肥満の天使の方はヴァッサヴァッサとすごい音と風を巻き起こし、とても優雅とはいえず、夢見る子供たちには見せられないシュールな光景だった。
目視したら完全にトラウマ確定である。
肩で息をする私を見て、かっぷくの良い誘拐犯が相好を崩す。
「いやぁ、お嬢ちゃん足が速いねぇ。お兄さん、びっくりしちゃったよ。まぁ、無事に見付かってよかった。あのまま、天使混みに紛れたらさすがに見付けられないし、俺たちはオマンマ食い上げになるところだったからね」
しまった! 確かに人混みに紛れてしまうのはいい案だ。
うまくいけば、この誘拐犯たちをまけたかもしれない。
だけど常識で考えれば、空から捜索されるなど夢にも思わないわよ。
夢だけど――。
第一、天使の姿なのに私を堂々と誘拐しようとするなんて、天使の皮を被った悪魔もいいところだ。
今は逃げれそうもないし、疲労と緊張で口から心臓が飛び出しそう。
「いやぁ、ホント見付けれて良かったよ。お嬢ちゃんも危なかったけど無事なようだし、よかった。よかった」
相手も警戒しているだろうし、体力回復も含めて会話を行なった方が得策な気がした。
「……私が危なかったって、どういう意味? むしろ、今、現在の方がよっぽど身の危険を感じるんですけどッッ!」
怒声混じりの私の声をかっぷくの良い誘拐犯は気にも留めてないふうに返事する。
「んん~? それはお嬢ちゃんが首輪を付けていないことさ。危うく――」
かっぷくの良い誘拐犯の言葉を濁声が遮った。
「アニキ~、オデがんばった! がんばったっ!」
かっぷくの良い誘拐犯は話を截ち切られたことを気にすることもなく、肥満の誘拐犯に笑顔を向けた後、演技掛かったそぶりで私へ振り向いた。
「そう! フランクが保護員共の目を逸らしてくれたおかげで、お嬢ちゃんはやつらに捕まって処分されずに済むんだよ! 率直にいって、感謝してほしいなぁ」
誘拐犯に感謝する被害者がどこの世界にいるというのだろう。
「んん~、そんな暗い顔するなよ。お嬢ちゃんには笑顔が似合う似合う! かわいいんだからさ 大丈夫! 処分されるよりはマシな生活が出来るようなご主人様を紹介してやるさ。ホント特別なんだよ?」
ご主人様? メイドさんにでもなれというのかな? けど、そのために誘拐なんてするはずが。
「普通ならお嬢ちゃんのようなかわいい娘さんは死んだ方がマシと思えるようなコトをするお得意様の変態なお客さんに売っちゃうんだけど、俺のいもう……昔飼ってた人間に似ているからな~。お嬢ちゃんにはあまり不幸になって欲しくないんだよ。だから、元気出しておとなしく俺たちにさらわれような! な!」
親指を立て、爽やか笑顔でなんて恐ろしいことを言うんだろう、この天使。
この誘拐犯たちは人を玩弄としか見ていない。
もしかしたら、いままで見た天使全てがそうだとしたら、人間に着けられた首輪のことにも納得できる。
あの声を掛けてきた天使の少年も屈託ない笑顔の裏で私を誘拐しようと考えていたのかな? そう考えると体がぶるると震えた。
そもそも運がよければ以前に、もうこの状況が不運以外のなにものでもないわけで。
せっかくの夢だし、どうせさらわれるのなら、こんなオジサンたちではなく王子様だったらいいのに。
――私、なんでこんな夢見てんだろ? 早く醒めないかな。
涙目になりそうな私に、不幸は畳み掛けるように襲ってくる。
「ア、アニキ~! こ、この女に、に、逃げ出した罰を与えても良いかなぁ~? 体のすぅ~みずみまで! お仕置きをしたらダメかなぁ~?」
このオジサン、今なんて!? フランクと呼ばれた肥満の誘拐犯の言葉と視線に体が硬直する。
まるで蛇に睨まれた蛙とはこのことだ。
「んん~? んん~、そうだなぁ。フランクも頑張ったし、お嬢ちゃんにもお仕置きも必要だし、うん! 一石二鳥だな。いいぞフランク、体の隅々までお仕置きして差し上げなさい」
かっぷくの良い誘拐犯は私の体も意思も存在も全て己の自由にする権利があるように言い放つ。
「ただし、お嬢ちゃんは売り物なんだから、あんまりむちゃしたらダメだぞ。前みたいに壊したら三時のオヤツはなしだからな! あと、ここでは周囲の方や子供の目に悪いから……ほら、そこの路地裏でやりなさい。いいね?」
それを肯定するようにフランクはうれしそうに濁声を響かせた。
「ウン。分かった~ おい! 女、コッチに来い! 見つけたときから狙っていんだぜぇ~。だげど、上玉の売り物だから、諦めていたのに~……逃げろ逃げろとお願いしながら見ていたら、まさか本当に逃げてくれるとはなぁ」
ああ、やっぱり、女のカンは間違っていなかった。
あのとき感じた悪寒はこの男が発する下劣な欲望への警告でもあったと思える。
「オデもツイてるぜ さぁ! たぁっっぷりと楽しませてもらうからな。悪いのは逃げたおめえだ! ヶヒャッヒャ」
現実ではこのような誘拐なんて無法というべき暴挙、罷り通ることはない。
だけど、こんな状況でも周囲に天使も人もいれど誰も助けてくれず、まるで日常の様に振る舞う周囲が目の前の男と同様――いや、それ以上の恐怖を与えてくる。
あの天使も、天使に連れられて歩く人も我関セズ。
もしかしたら、さっきの出来事同様、関心は持っているかもしれない。
けど、目下のところ関与してくるのは私に危害を加える存在だけとは、これを悪夢といわずなんと呼べばいいのだろう。
歯がガチガチと音を鳴らし、肩が震える。
「~~~ッイヤだ…………ヤだ! イヤだ! イヤだ! イヤだイヤだイヤだ! コワいコワいコワいコワいコワいコワい」
これは夢の中なのに、夢のハズなのに。
頭でそう思っても、震えは止まらない。
私はただただ震えた。
目の前の男が、周囲の天使や人が、このセカイが、
――――――――――怖い、と。
あまりの恐怖に周囲の天使に人間に助けを求めた。
「誰か助けて!」と月並みのせりふを精一杯の懇願を込めて声を出し、手を精一杯伸ばす。
けど、その声は周りの耳に届いても心には届かず、手は虚空を彷徨うばかり。
「クフぅふう 震え上がってかわいいなぁ イジメがいがある表情をしやがって、誘っているのかぁ~? それじゃあ、ご期待に応えるために向こうへいくか~! へっへっへへグフゥ!?」
――それは一瞬だった。
天空からそれは舞い降りて、急転直下の勢いで弾頭のごとくフランクを強襲! 勢いそのままに廻し蹴りを放つ。
直撃を受けたフランクの巨体は宙を舞い、長い滑空を経てドスンと重鈍な肉体は地面へたたきつけられた。
そして、私の目の前に天使が舞い降りた。
その背には六枚の翼が優雅に風を優しく撫でる。
私の震える手を、天使は力強くしっかりと握り締めて、あのときと同じ笑顔を浮かべていた。