そして、ここから再び始まる。
異世界に召喚され、旅をして。魔王との決戦を終えた『勇者』である俺に待っていたのは、酷い裏切りだった。
「悪いね。もう君は用済みだ」
「は? 何言ってんだよ」
この後は城に戻って、王様たちに魔王討伐が完了したことを報告しなきゃなんないのに。
「ああ、報告については大丈夫だ。『勇者は魔王との決戦で命を落とした』とでも言っておくからさ」
「何だよ、それ……」
まるで今までの旅すらも無に帰すような言い方じゃねぇか。
「だってそうだろ? 魔王を倒せた勇者を、もうどうこうできる存在なんて居やしない。そんな化け物じみた奴を放置するわけがないだろ」
それじゃあ後は任せた、と声を掛けられたのは、旅の同行者の一人である魔導師のアイリス。
彼女がこの決定にどう思っているのかは分からないが、戸惑っていることだけは分かる。
「あの、勇者様。申し訳ありません」
「アイリス、冗談だよな……?」
「なるべく、痛く苦しまないようにしますから」
止めろ。そんなこと、聞きたくない。
杖がいらないくらいの実力が有りながら、その杖を握りしめるほど動揺している今のアイリスを信頼しろって言う方が無理だ。
「そういう問題じゃないからな?」
「……ごめんなさい。魔力残量的に、使える魔法が限られているのですが、こうしている間にも魔力は回復していくので、さくっと殺らせてください」
さくっと、って何だ。さくっと、って。
それにしても、勇者パーティの中で一番考えが読みにくいのが、このアイリスだったのだが、動揺はしていたものの、今もその考えは読めない。
「……本気、なんだな」
「当たり前だ。魔王を倒した今、君という存在は厄介でしかない。『魔王討伐』という役目しか与えられてない君の存在は、各国でも脅威でしかないんだよ。だったら、今この場で倒してしまった方が良いに決まってる」
本当にクズ野郎だな。こいつは……つか今、『役目しか』って、言ったか?
「物は言いようだな。自分たちの力では魔王をどうにかすることが出来なかったから、その『勇者』にしか頼めなかったくせに、用済みとなったら即ポイかよ」
少しでも、こいつらを信じていた俺が馬鹿だった。
アイリスは、といえば、いつの間にか目を閉じていた。
「――本当、酷い手のひら返しがあったものだわ」
何か言ったように見えたけど、俺の気のせいか?
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
どうやら、奴らにもアイリスが何か言ったように聞こえたらしいが、何を言ったのかまでは分からないらしい。
ただその一瞬、目を開いた彼女と目が合ったような気がした。
「……?」
にっこりと笑みを向けられた気もするが、どうやら気のせいだったらしい。
そもそも、アイリスが笑みを浮かべることの方が稀みたいなようなものだから、見間違えた可能性もある。事実、今は普段通りの表情だし。
「それじゃあ、勇者様」
アイリスの声掛けに、そういや現在進行形で裏切られてるんだった、と思い出す。
「さようなら」
そして、放たれた氷属性の魔法。
相手を氷漬けにする魔法は、旅の中でも何回か見たもので。
それが今、俺に向けて放たれている。
「何だよ……本当に、何なんだよ。お前らは!」
最後にそう叫んだ俺は悪くないはずだ。
でも、身体はどんどんと凍りついていく。
「勇者様」
他に何をするつもりなのか、アイリスが近づいてくる。
――絶対に、後で貴方を迎えに来ますから。それまでは申し訳ないのですが、ここで待っていてくださいね。
最期の最後。俺を包む氷に触れたアイリスがそう言ったのを聞いたあと、俺の意識は暗闇に沈むこととなった。
「……様、勇者様!」
誰かに呼ばれ、揺すられたためか、目を開けば、安堵の息を洩らす――少しばかり記憶とは違う髪色ではあったが――見慣れた少女の顔がそこにはあった。
「良かった。中々起きなかったから、死んだのかと思いました」
「あれ? 何で俺……」
てっきり、殺されたのかと思っていたのだが。
「だって、君は氷漬けにされただけで死んではないからね」
「……ん?」
突然、口調が変わったアイリスに驚いていれば、「ああ」と理解したかのように説明される。
「こっちが私の素だよ。こんな口調だと、あいつらに何言われるか分かったもんじゃないからね」
納得である。
プライド高い騎士(男)と同じく騎士の女と神官の女。
それが、俺とアイリスを除いた勇者パーティのメンバー。
「つか、何でここに居るんだ。あれからどれだけ経った? アイリスはあいつの――」
「ストップ。順番に答えるから、一度に聞かないで」
彼女に宥められ、ひとまずは落ち着く。
「まずは最初の質問。私がここに居るのは、貴方に戻ってくるって言ったから」
「え、でも、それは……」
裏切られた直後でそんな約束など、信じられるはずがない。
「信じられる訳がない、って思ってそうだなとは思っていたんだけどね。こうして、この場に戻っては来たんだから、少しばかり信憑性は上げてくれると助かるかな」
「……二つ目は」
「貴方を封印して、二週間だよ。凱旋パレードは帰還して二日後に執り行われた」
「そうか……」
だから、俺は生きてるのか。
「って、封印!?」
「うん」
「でも、あの時殺そうと……」
「だって、そうしないと貴方諸共あの世行きだっただろうし、二人が助かるためには、まず私が残らなきゃなんなかったし。大変だったんだよ? 貴方に止めを刺す役目を請け負うの」
何というか、何て言っていいのか。
「じゃあ、信じて良いんだな?」
「だから、さっき信憑性を少しでも上げておいてって、言ったでしょ」
そういう意味かよ。
「それと、他の二人はどうなのか知らないけど、私はあの男のものになった覚えはない。ましてや、貴方に恋愛感情を持っているわけでもないから」
「あ、そう……」
そこまで言わなくてもいい気がするが、「自意識過剰とでも思ってくれていいけど、何となく言っておかないと駄目な気がしたから」って言われてしまった。
「あれ? でも、それじゃあ、何で俺を助けたんだ?」
結局、疑問はそこに戻るのだ。
純粋に約束のためだけに、こんな危ない場所にアイリスが一人で助けに来る意味がない。約束なんて反故にして、見捨てるのが普通のはずなのに、俺に素を晒してまで、これまでの経緯を説明する彼女の本当の目的って、何なんだ?
どうやら、その事を察したのか、アイリスが溜め息を吐く。
「……君が、異世界から召喚されたというのなら――いや、私と同じ世界から来たというのなら、分かっているはず。魔王を討伐して終了、なんてこと、あるはずがないことを」
「え? は? 一体、何を言って――」
何か、物凄く重要そうな新しい情報が出てきた気がするんだが。
「なら、分かりやすく言ってあげる。私は貴方と同じようにこの世界に来た人間。アイリスっていう名前はこっちで生活するための偽名で、何より貴方を召喚した国とはまた別の国の所属だから」
「それって、スパイってことか?」
「残念だけど、それは違う。転移後に別の国で保護されて、そこの国籍は得ているけど、勇者一行に加わることになったのは、本当に偶然だったし。だから、彼らとは違って、私に貴方を殺す意味も理由も何もないってわけ」
つまり、彼女にしてみれば他国の所属だったがために、俺を殺す意味とかが無いからこそ、助かったわけか。
「それに、何で好き好んで数少ない同郷の人間を殺さなきゃなんないの」
「でも、俺が生きてるって分かれば、アイリスも無事では済まないよな?」
「さあて、それはどうかなぁ」
何か含みのある言い方である。
「私がお世話になってる国はさ。私みたいにこの世界に迷いこんだ人たちを保護することにしている数少ない国なんだよね」
そして、彼女が言うには、何らかの職が与えられるとのこと。
「私には魔法が使えたから、魔導師になった訳だけど……『勇者』じゃなくなりはしたけど、剣は扱える君の職業は何になるのかね」
その問いは、つまり――
「俺を、その国に連れていく気か?」
「大丈夫。どの国も隠蔽体質だから。たとえ、この事実が明るみに出たとしても、困るのは偽りの報告をしたあいつらだけ」
「……」
ヤバい。何か怖い。
「君が彼らに復讐を望むというのであれば、手は貸さないけど反対もしない。でも、君が『勇者』とは関係のない平穏な生活が欲しいというのであれば、私と一緒に来ればいいよ」
「……さっき言ってた、魔王を倒して終了じゃないっていうのは?」
「文字通り、その上の連中が現れるかもしれないってことだね。この世界には魔神や邪神なんてものが存在してるみたいだし。もし、そいつらが現れたら、あいつらの顔が面白いことになりそうだわ」
アイリスはくすくすと笑っているが……うん、やっぱり怖い。
「それで、どうするの? 一緒に来る? 来ない?」
彼女は聞いてくる。
この先、俺がどんな未来を選択するのかを。
「一緒に行くよ。仲間だった君が一緒なら、まだ寂しくはないだろうし、絶望もしないだろうからね」
「……そう。でも、『だった』じゃないから」
「あ、そっか」
アイリスの場合、完全に離れた訳じゃないから、『仲間だった』はおかしいか。
「ああ、そうだ。ついでに私の本名教えてあげるよ」
「いいのか?」
「うん。もし知られたとしても、この世界にちゃんと発音できる人なんていないし」
そういうものか?
「アイリス・リーン・メイヴィールこと、本堂愛理と申します。これから、よろしくお願いしますね。勇者様」
「俺はもう、勇者じゃないんだけどな。じゃあ、俺も改めて名乗るか」
「私は知ってますけど?」
「そっちに名乗らせたのに、こっちも名乗らないっていうのはなぁ」
そこで、軽く咳払いして、名乗る。
「有村悠里だ。元『勇者』だが、こちらこそ、迷惑を掛けるかもしれないが、よろしくお願いします」
「はい、私の全力を持って、出来る限りのサポートをさせていただきます」
アイリス――ではなく、本堂が微笑んで、手を差し出してきたので、握り返す。
「それじゃ、君の再出発するべき国へと向かおうか。有村君」
「ああ、案内は頼むよ。本堂」
装備も何も全てがそのままだから、きっと何かに巻き込まれても対処は出来るだろうし、何より魔法を得意とする本堂も一緒なら、きっと強敵が現れない限りは何とかなるはずだ。
それに、何より――今の俺には、彼女を信じること以外に出来ることなど無いようなものだから、彼女を信じて、共に行動するしかないのだ。
「うん、任せて」
けれど、もし俺を助けたことで、彼女も裏切り者として見られてしまうようなら、同郷者に会えたことを喜ぶ彼女には悪いが、距離を取らせてもらおう。
「ああ、あと変なことは考えないようにね」
「変なことって……?」
「あいつらに裏切り者として見られたって、私は自分でどうにかすることが出来るから、有村君が気にする必要はないよ」
「そっか」
どうやら、彼女には俺が考えてることなど、丸分かりらしい。
これはもう、隠し事もできなさそうだ。
「だから、心配しなくていいよ。――……それでも、心配してくれたことに関しては、ありがとう」
ただ、彼女も彼女で分かりやすい部分があると知れたのは、きっと大きな収穫だ。